23話.依頼
優の考えに反して、何もない日々が流れた。
詩織の体が回復してからまた何回か狩りに行った。しかし襲撃も大きな戦いも、何か別の事件もなかった。魔物たちの攻撃性も襲撃事件が起きる以前に戻っていて、あの夜の修羅場が嘘のように思われるくらいだ。
月曜日の午前……空き教室で勉強していた優は、どうも魔物たちの動向か気になって仕方がなかった。
「なあ、詩織」
「はい?」
「あれから魔物たちの襲撃は一度もなかったよな?」
「はい、統合会議にも襲撃の報告は入っていません」
詩織は授業で使う教材を検討しながら優の疑問に答えた。
「じゃ、あいつらは一体何がしたかったんだろう?」
「襲撃自体が一時的な現象である可能性もあります」
「いや、でもそれは……」
「はい、納得がいきませんよね」
詩織が教材から視線を外す。
「あれは……もしかしたら『実験』だったのかもしれません」
「実験?」
「はい。術者たちに襲撃が通じるかどうか、通じるならどこまで通じるのか……それを実験していた、という解析もできますから」
「なるほど……つまり術者たちの戦力を試していたってことか」
「まあ、何の根拠もないただの推測ですけどね」
「でも、もしそれが本当なら……また何か別の実験、もしくはもっと大きな戦いが始まるかもしれないってことだよな」
「そうですね」
優は頬杖をついて、いろいろと考えてみた。しかし結論が出るわけがない。
「……優さん」
「ん?」
「一つ言っておきたいことがあります」
「何だ」
詩織が体の向きを変えて、優の顔を直視する。
「今日の歴史の授業は……人狼についてです」
「……そうか」
「私は可能な限りありままのことを教えるつもりです。しかし、もしそれで優さんが……」
「俺のことを心配する必要はない」
優が首を横に振る。
「俺のご先祖様たちがとんでもない悪党だったってことはよく知っている。それに、そのことを否定するつもりもない。だから……気にしないでくれ」
「……分かりました。でももしそれで優さんがイジメにあったら……」
「ああ、すぐ報告するよ。それでいいんだろう?」
「はい」
優はなるべく平静を装ったが、詩織の冷静な眼差しをごまかすことはできなかった。
---
「では、授業を始めます」
生徒たちの顔を確認した詩織は、いつも通りの声で授業を宣言した。
優はもちろん、隣の瑞穂と健も緊張していた。彼らも今日の授業が何についてなのか知っているのだ。
「日本人狼一族は、日本の術者界の歴史を語る時、必ず言及しなければならない存在です」
教室内の生徒たちの視線が一斉に自分に集まったような気がして、優の顔が強張った。もちろんそれは勘違いだけど、勘違いだと分かっていっても動揺してしまう。
「初代当主の真田正勝は北海道の精霊術とヨーロッパの黒魔術を融合して、独自の術を開発……」
詩織は日本人狼一族誕生の背景、そして彼らの業績と悪行について詳しく説明した。それは優が見ても公平な説明だった。
術者界の歴史は『術者基本課程』などのクラスでも教えているから、生徒たちも人狼一族について大体は知っている。でもここまで詳しく説明する授業はみんな初めてだろう。
「……では皆さん、10分後に」
やっと歴史の授業が終わって、優は何か開放されたような気持ちを味わった。
---
その日の授業が全て終わると、生徒たちは教室を出た。しかし優たちは席に座ったままだった。
「何か今日の先生、ちょっと酷かったよね」
他の生徒たちの姿が見えなくなってから瑞穂が呟き出す。
「あんな露骨な言い方をしたら、みんな真田君のことを悪く思うかもしれないんでしょう? それなのに……」
「心配してくれてありがとう。でも……先生は悪くないよ」
優が首を横に振った。それで瑞穂も口を閉じる。彼女だって本当に詩織が悪いと思っていたわけではない。ただ友達のことが心配になっただけだ。
「それよりご飯に行こう。腹減った」
優の声に3人は席を立って、1階のレストランに向かった。しかし3人ともあまり食欲がなかった。
---
その後も別に何も起きない日々が流れた。魔物たちとの大きな戦いがないのはもちろん、優がイジメられることもない。
そもそも『戦闘基礎』クラスの中で優と関わる生徒は瑞穂と健だけだ。他の生徒たちは別に優のことを気にしない。それに『戦闘基礎』クラスの授業はたったの2時間で、授業が終わるとみんな疲れたりお腹が空いたりして教室を出るから、正直誰かをイジメる余裕すらない。
やっぱりイジメなんて余計な心配だったな……と思いながら、優はルシードドリームの扉を開く。
「来たか」
「ああ」
バーテンダーといつも通りの挨拶を交わして、ルシードドリームの暖かい雰囲気に身を任す。すると何か安心感が生じる。
「今日はお前一人か?」
「詩織は仕事が残っているからちょっと遅れるって」
この会話も二回目だ。一回目は魔物たちに襲撃された夜のことだった。
「……襲撃の噂はもうないのか?」
「ああ、静かだ。いや……静かすぎだと言うべきかな」
「何?」
「魔物出没の報告が少なくなったんだ」
「まあ、普通にそんな時もあるんじゃない?」
バーテンダーは首を横に振って優の意見を否定する。
「確かに魔物たちの出没数は一定ではないけど、ここ一週間は異常だ。全国統計で昨年のこの時期と比べると30パーセントくらい減少している。前例のないことだ」
『嵐の前の静けさ』……その言葉が優の頭の中に自然と浮かんだ。この静けさの後には何か取り返しのつかないことが起きるかも……。
いや、流石にそれは心配すぎかもしれない。イジメの件と同じだ。悪い方向に考えているから悪く見えるけど、現実はそこまで極端ではない。
「……困ったな。魔物たちがなくなると俺も稼げない」
「なんならこの店のアルバイトとして雇ってやるか?」
「断るよ。あんたの下で働くとこき使われそうだ」
「確かに」
今度は優の意見を肯定して、バーテンダーは微笑する。
「そう言えばお前、狩りの報酬はお嬢さんと分けているのか?」
「ああ、もちろんだ。詩織のやつは必要ないって言うけど、そんなことで借りを作りたくないから」
「それは駄目だな。もうちょっと厚かましく自分のために行動しないと、お金持ちにはなれないぞ」
「一理ある言葉だけど、詩織のやつにはもういろいろと……」
その時、後ろから扉を開く音がした。誰かが店に入ってきたのだ。
「詩織……?」
本当に地獄耳だな、と思って振り向いたけど……それは詩織ではなかった。
「こんばんは」
見知らぬ女性がバーテンダーに向かって挨拶した。大人の魅力と色気のある、華麗なる美人だ。優は思わず胸がドキッとした。
「お久しぶりです、木本さん」
バーテンダーが挨拶を返すと、木本と呼ばれた女性は魅力的な笑顔で「お久しぶりですね」と言ってカウンターに近づく。
「こちらは木本さん。アカデミーの研究班に所属している封印術者の方だ」
バーテンダーが華麗なる美人を優に紹介してくれた。
「木本さん、こちらは真田優といって……」
「戦闘術者の方ですね。初めまして、木本茜(きもとあかね)と申します」
茜が礼儀正しく挨拶しながら、笑顔を見せる。
「真田優だ」
優はなるべく平静を装いながら名乗った。彼女の魅力に一瞬気を取られたことがバレたくない。
「今日はどのようなご用件ですか? 木本さん」
「前回と同じです。魔物捕獲に協力してくれる戦闘術者の方を探しています」
茜の言葉に優は興味が湧いてきて、つい口を挟む。
「魔物捕獲だと?」
「はい。研究班は一般的な研究以外にも、あまり情報がない魔物が出没した時にはその個体を捕獲して、詳細に分析する仕事も担当していますから」
「なるほど」
優は友達の健が『研究のため、魔物を生け捕りにすることもある』と説明してくれたことを思い出した。
「魔物捕獲は危険が場合が多いため、仲介所から戦闘術者の方を紹介して頂いています」
「そうか。じゃ、戦闘術者への報酬はどれくらいだ?」
「そうですね……今回の件は30万くらいじゃないかなと思います」
「30万!?」
その数字に優の目が丸くなる。
「はい。長野へ1泊2日の出張、しかも週末の出張ですから報酬はちょっと多めに……」
「俺がやる」
「よろしいのですか?」
「ああ、俺がやる」
お金に目が眩んだ優は断固として答えた。
「ちょっと待って」
バーテンダーが優の暴走を阻止する。
「依頼された仕事は仲介所の担当者、つまり私が戦闘術者に分配する。一人で勝手に動くな」
「じゃ正式にこの仕事を俺に任せろ」
「まず仕事の内容を確認してからだ」
バーテンダーは茜に視線を向ける。
「木本さん、捕獲対象はどのような魔物ですか?」
「はい。今回の捕獲対象は『反魂魔(はんこんま)』といって、霊体の魔物です。だから除霊に詳しい方の力を借りたいところです」
「じゃ、このガキは駄目ですね」
優が顔をしかめる。魔物と殴り合うのが得意な優にとって、殴り合えない霊体は苦手どころではない。下手したら死ぬ。実際、悪霊の精神侵食に死にかけたこともある。
「くっそ……30万が……」
「諦めろ。他の術者を呼ぶ」
「いや、待って。俺一人じゃ駄目だけど……詩織と一緒に行けば……」
「私がどうかしたんですか?」
後ろから声が聞こえた。驚いて振り向いたらもちろん詩織がこっちを睨んでいる。
優の傍に近寄った詩織は、まずバーテンダーに「こんばんは」と言ってから茜に視線を送る。
「優さん、こちらのお方は?」
「初めまして。私はアカデミー研究班の木本茜です」
「藤間詩織と申します」
詩織と茜が挨拶を交わして。二人とも美人だけど印象は全然違う。大人の雰囲気を出そうとしているけどまだ少女という感じの詩織とは違って、茜はまだ若い歳だけど本当に大人という感じだ。
「研究班の方が仲介所にはどのようなご用件で……?」
「はい、実は……」
茜が詩織に事情を説明すると、詩織は少し考えてから口を開く。
「『反魂魔』ですか……本当に珍しい魔物ですね。興味があります。できればその仕事、私にお任せください」
「うむ、お嬢さんなら問題ないだろうな」
バーテンダーが安心した顔で頷く。
「ではよろしくお願いします、藤間さん」
「こちらこそよろしくお願いします」
詩織と茜が握手を交わす。これで一件落着だ。
「……ちょ、ちょっと……俺は?」
急にハブられた優が慌てる。
「……木本さん。あまり役には立たないだろうけど、このガキも連れて行ってください」
「はい、人数の多い方がいろいろと助かります。よろしくお願いします、真田さん」
お荷物扱いされたことに怒るべきなのか、それともお金を稼げるようになったことに喜ぶべきなのか……その答えを知らないまま、優は「よろしく」と答えた。
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