終身名誉部長「フクロウくん」

小嶋ハッタヤ@夏の夕暮れ

第1話

 我が相撲部のヒエラルキー最頂点におわすのは、部長でも校長でもない。

「おい! 今日も気合い入れて磨いとけよ!」

「ウッス!」

 俺は先輩に言われるがまま、一体の置物をタオルで丹念に磨いていた。スイカ一玉ほどの大きさと砲丸のような重さを併せ持つため、磨き上げるのも難儀する。

 しかし手を抜くことは許されない。何故なら、この置物こそが終身名誉部長『フクロウくん』なのだから。


 くりくりっとした大きな目に、見る者を和ませるような笑顔が特徴のフクロウくん。彼が部内で崇敬されているのには深い理由があった。

 我が相撲部には偉大なる先達がいる。元横綱である不空露(ふくうろう)関だ。学生時代からその強さは折り紙付きで、向かうところ敵無しだったという。

 俺が物心ついたときにはすでに引退していたが、その勇名はテレビを通じて何度も聞いていた。

 そんな御方が高校時代に残してくれたのがこのフクロウくんだ。となれば部員が敬うのも当然だろう。彼は不空露関の現し身なのだ。

 フクロウくんを部内に飾っておくだけで運気が上がるとか、いざというときは切り札として使えるとか、真偽不明の噂が伝わっている。

 しかし、現在の相撲部は少々……。いや、かなりダメなムードが漂っていた。


「うわあ疲れたなあもう!」

「今日はどこのちゃんこ屋行く?」

「この辺にうまい店、できたらしいっすよ」

 部活が始まってまだ一時間も経っていないのに、先輩たちは帰り支度を始めていた。

「お前は来ねえの?」

「いえ……まだ稽古を続けたいので」

「そうかそうか、ご苦労なこったな」

 先輩たちは部室の神棚に奉られた名誉部長に向かって頭を下げたのち、ちゃんこ屋へ向かった。

 そう。これが相撲部の現状。

 かつての栄光も、今や昔。真面目に稽古をしているのは俺一人だけだった。


 いつものように先輩を見送ったあと、一人きりで柔軟体操や筋トレをしていた。文字通りの「一人相撲」だ。

「今日も精が出るな」

 声をかけたのは部長だった。

「お前は行かないのか、ちゃんこ屋。食べるのも稽古のうちだぞ」

「部長の方こそ。久しぶりじゃないですか。稽古に顔も出さないで何をしていたんです?」

 嫌味ったらしさを隠さずに言った。俺はこんな相撲部を放置したままでいる部長に苛立ちを覚えている。そしてそれ以上に腹が立つのは……。

 部長は俺の心境など知ろうともせず、あっけらかんと言った。

「一人で稽古なんて殊勝な心がけじゃないか。不空露関もきっと喜ぶことだろう」

「俺は不空露関なんて興味ありません。俺が憧れていたのは、部長。あなたです」

 この市内は昔から相撲が盛んだった。なので、今でも頻繁に相撲大会が開かれている。

 数年前の相撲大会で、部長は鬼神のごとき強さを発揮していた。顔色一つ変えずに相手を下す姿は、不空露関の再来とさえうたわれていたものだ。

「俺は部長の強さに憧れてこの部に入ったんです。なのに先輩は誰もまともに稽古さえしない。部長にいたってはろくに顔も出さないじゃないですか」

「まあな」

「いいですか、はっきり言いますよ。こんなの相撲部じゃない。ただのデ部だ!」

 部長は「はは……」と乾いた笑いを浮かべた。

「デ部、ときたか。そうだな、お前の言うとおりだと思うよ」

「分かってるんだったら、なぜ見過ごすんですか! 部長! これ以上俺を、失望させないでください……!」

「オレも、いい後輩を持ったなぁ」

「は?」

「お前にだけは、本当のところを教えてやる」


 静まり返った部室内で、部長は話を始めた。

「すでに知っていることとは思うが、この高校は昔から不空露関からの加護を受けている」

「毎年、多額の寄付金をもらってるんでしたっけ?」

「そうだ。特に相撲部への貢献ぶりは顕著でな。我が部の部費は『時価』となっている」

「時価?」

「青天井ってことだよ。必要な額を申請したら学校側が無制限に金を用意してくれるんだ」

「なんですかそれ。悪用し放題じゃないですか!」

 部活帰りに外食へ行く先輩たちを見るにつけ、よくあれで金が持つと疑問に思っていたが……。すべて部費でまかなっていたのか。そりゃあ不空露関に頭が上がらないわけだよ。フクロウくんを大事にしたがる理由がよく分かった。

「これが去年の部費だ」

 部長が一枚の紙切れを見せてくれた。そこには、俺が想像していた額よりも二桁ほど違った金額が書かれていた。「食いすぎだろバカじゃねえの」と、思わず口をついて出てしまったほどだ。

「オレが入部した時点で、部費を私事に使う悪習が蔓延っていたんだ」

「だったら、それを止めさせるように言えば!」

 部長は「言ったさ、もちろんな」と寂しげにつぶやいた。

「けれど駄目だった。厳しく指摘したら、逆にオレが追い出されそうになったよ。だからせめて、オレだけでも大会で実績を出すよう心がけていたが……。優勝を果たしたところで、後に続いてくれるやつは一人もいなかった」

 きっとそれは、想像を絶するほどに孤独な戦いだったのだろう。俺なんかよりもはるかに過酷な「一人相撲」だ。

「すいません。俺、何も知らないのに失礼なこと言って……」

「いや、謝らなければいけないのはオレのほうだ。この相撲部は近く、廃部になる」


 部長の言っている言葉の意味が分からなかった。廃部、だって?

「止めてくださいよ部長。不空露関を輩出した我が相撲部がなくなるわけないじゃないですか」

「いいや、不空露関ゆかりの相撲部であるからこそ、幕を引かなければならないとオレは思う」

「何ですって?」

「何年経っても改善の見込みがない部だったら、いっそのことなくなってしまったほうがいい。このまま無様を晒し続けるよりはな」

 部長が言うように、この堕落しきった相撲部に、もはや未来は無いのかもしれない。

「だからあえて、今の部員どもには好きにさせている。オレも大会には出場しないようにした。実績のない部が多額の部費を使い込んでいたとなれば、学校側も動かざるを得ないだろうからな。この汚れ役はオレが引き受けると決めたんだ」

「部長……」

 その決心を、誰が止められるだろう。新参者である俺には、部長の行く末を見守ることしかできなかった。

「不空露関には、いつか謝りにいかないといけないな」

「だったら、俺も同席させてください。不空露関に殴られたとしても、二人でなら辛くないでしょう?」

「すまないな。お前にまで背負わせちまって。その心がけ、こっちまで勉強させられるよ」

 「おっ、そうだ」と部長。

「その前に、終身名誉部長へ謝罪しよう。神棚から持ってきてくれるか」

 いそいそと神棚に手を伸ばし、フクロウくんを取ろうとする。けれど、するりと腕からこぼれ落ちた。

「え?」

 フクロウくんは床に叩きつけられ、その身体は四散した。

「えっ、ちょっ、ええっ……」

 いま起こった出来事に頭がついてこなかった。

「気にするな。終身名誉部長は、この部と運命を共にしたんだよ」

 部長は優しくフォローしてくれた。

「ん? これは……?」

 部長が、フクロウくんの体内から何かを見つけたらしい。

「おい。これって……」




 あれから一年が経った。

 部長の卒業とともに相撲部は廃部となった。不空露関から寄付金をもらっている手前、学校側も相撲部を潰すのには難色を示していたが、部長がどうにか押し通した。

 そして現在。部長は実家の道場で働いている。

 もともとは小さな道場だったが、最近になって増築された。おかげで門下生も右肩上がりだという。

 俺はというと、この道場でちょくちょく稽古をつけてもらっている。

「部長! 今日もお世話になります!」

「もう高校生じゃないんだ。部長なんて呼ぶなって。冗談はよしてくれ」

「いいじゃないですか別に。道場のほうも盛り上がってるみたいですし」

「ああ。終身名誉部長……いや、不空露関のおかげでな」

 あの日、終身名誉部長フクロウくんの体内から見つかったのは、なんと札束だった。

「不空露関御本人からも話を聞いてきたが、あの金は裏の世界で行われる闇の賭け相撲で勝ち取ったものらしい。不空露関も、若かりし頃はいろいろと危ない橋を渡っていたそうだ」

「なんですかそれ。闇の賭け相撲って……。野生のデーモン小暮が行司でもやってたんスか?」

「はは、さあな。でもあの金は好きに使えばいいと仰ってくれた。だから大半は不空露関にお返しして、ごく一部を道場の経営にあてたんだ」

 ちなみに俺も少しだけ恩恵にあずかった。今後の学費の足しにさせてもらう予定だ。

「さて、今日も張り切って稽古するか!」

「オッスお願いします!」

「っと、その前に」

 俺と部長は、神棚に向かって頭を下げた。捧げられているのはもちろん、終身名誉部長フクロウくんだ。

 継ぎ接ぎだらけのフクロウくんに見守られる中、今日も稽古が始まったのだった。

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