ヤンデレ探偵とフクロウの切り札

夜野 舞斗

猫への仇返し

 もう戻れない。犯してしまった罪はもう隠すしかない。かと言って、アイツが殺したことになる状況は絶対に作り出してはいけない。下手したら殺戮さつりくが始まってしまうかもしれないのだ。

 

 罪を犯した後は、心底を怯えていた。ビクビクして数日間は、仕事に出られなかった位だ。有給休暇を取っておいて、本当に良かった。

 心の整理をつけ、会社に行く。別に会社の様子が変わる訳でもなし。俺に対する社内評価は一切変わらない。

 ただ一つ。俺の耳に苦痛なる話が聞こえてきた。単なるOL達の痴話話のつもりだろうが、耳にしている俺は苦しくてたまらなかった。

 

「ねえ、猫殺傷事件って知ってる?」

「ああ、事務の鳥飼さんの家の近所でしょ? 引きこもりとかが犯人じゃないの?」


 彼女達の言葉が俺の胸に刺さっていく。何故か、分からない。いや、そうだ。俺の罪が違う人間を苦しませていることが気に入らなかったのだ。

 俺が殺したり、傷つけたりする奴らはそこまでのことはやらない。人のせいにはしない。ただ、本能的に弱い立場の物を作るだけだ。ならば、今回の事件で弱い立場の者を作れば、良いだろう。

 そうすれば、勿論嫌われ者のアイツが罪を被ることはないし、俺にも捜査の手が及ぶことはないはずだ。

 そんな思考の中、一人の年増のOLが俺に話し掛けてきた。


「鳥飼さん、お宅、猫ちゃんが殺されたっていう家の近所ですよね?」

「えっ? はい」


 取り敢えず、ここは正直に答えておくべきだろう。頷き、不審な対応を見せないよう心掛けた。

 それにしても、彼女は何故そんなことを言うのだろうか?


「今日の晩、うちの娘がお宅にお邪魔しても良いでしょうか」

「はっ?」


 頼みごとの訳が全く分からない。確か、彼女の娘は高校生位だとOL自身も話していたはずだ。そんな若い子が中年の俺の家に来る等、おかしな話ではないか。

 ただ、それにはきちんとした(?)理由が存在していたらしい。


「ごめんなさいね。彼女、今、猫に夢中なんですよ……」

「気持ちは分からなくもありませんが……」

「はい……けど、その」


 平静を装って、彼女の話の続きを待っていた。彼女は何か言い出しにくいことでもあるのか、口籠っているのだ。


「早くお願いします、時間の無駄ですよ」


 ついでに言うなら、俺の心臓の鼓動も無駄に動いている。この様子だと早めに寿命が来てしまうかもしれない。

 そう思える位に緊張していた。だったら、最初から罪を犯すなという話に辿り着くのだろうが、そうはいかないのが世の常だ。

 

 彼女は俺が何回か話し掛けると、ようやく娘について語り出した。


「……はい、娘は今の世の中だと、何て言うのでしょうか? ほら、アニメによくいる病んでる女の子っていますでしょ? あの子がそう自称してるんです……ヤ、ヤ……ヤンキーじゃくって」

「まさか、ヤンデレですかっ!?」


 まず、この状態が異常だとしか言えない。娘のことを「ヤンデレ」ですと説明する母を始めて見た。たぶん、何処の界隈にもそんな人はいないだろう。

 彼女は慌てながら、もう一度俺に頼みこむ。


「で、でれてるって言うのが、猫に対してらしいんです」

「つまり……?」

「簡単に言えば、大好きな猫ちゃんを殺されたくないから、死んでも守るだそうです。そのためになら、何でもすると……で、犯人捜しをするそうです、で、家を見張りに使わせてくれ、と」


 犯人捜し。もし、家に来られて証拠が見つかるのは、まずい。だからと言って、強引に断れば、その少女に怪しく思われてしまうかもしれない(まあ、たぶん、そういう性格の少女は断った人なら無条件に疑うのだろうが)。俺が犯人なのだから、その展開だけは避けなければならない。

 彼女の懇願こんがんについて、俺から言えることは一つだけ。


「止めた方がいいんじゃないですか?」




 ダメだった。母親が元々、娘に住所を教えていたのか。彼女は俺の住むアパートの前で三毛猫を抱えて待っていたのである。


「こんばんは。お世話になります」

「あれ……こんばんは」


 高校生とは思えない位に小さな背と可愛らしい顔。まず、そんな子が堂々と独身男性の家に入らせようとしていることがどうかしている。

 あの母親は娘が痴漢や連れ去りに遭っても良いと思っているのだろうか?


 そう考えてから、俺は持っていた袋を慌てて隠した。今までの犯行に対して、証拠隠滅に使おうと思っていた道具を人に見られる訳にはいかない。

 彼女はそれに気がつかなかったようで、ほっと一安心。だが、その油断を感じているところに唐突に事件概要を話し始めてくれた。

 俺が起こした事件だから嫌という程、知っているのだが……。またもやもやとした気持ちに襲われる。


「一件目は、この近所の空き地。三毛猫が爪や何かで傷つけられていたそうです。その怪我は何か鋭いもので腹を突かれたような傷……凶器は分かりません」


 凶器はナイフ、だ。一匹目に関しては、怒りのあまり傷つけていた。

 ただ怪我した猫に対して発見されたときに傷口は塞がっていたそうだから……凶器も分からなくなったと言うことだろう。


「二匹目は、川の中で水死体で発見されました。何かの拍子に落ちたのか……一匹目の被害者……被害猫がいるということでこれは殺傷事件ではないのか、と噂する人もいます」


 彼女の言い方が悪いのだろうか。何だか、嫌な予感しかしない。

 二匹目については、近所の橋の上から落とした。まさか、死ぬとは思っていなかったが、仕方がない。我が怨敵なのだから。死の制裁も不思議ではないだろう。


「三匹目。今の件ではこれが最後です。傷つけられ、挙句の果てに車に轢かれたと……その猫はかなり衰弱していますが、生きてはいます」


 最後に車に轢かれるとは思っていなかった。傷口が分からなくなったことは幸いだろう。刃物を使ったという証拠が消えてくれたのだから。

 

 彼女の口はこれで閉じていた。それから、俺が二階にある部屋の扉を開けるまで彼女は猫を撫でながら、ついてくる。

 そこでひ彼女に一言忠告をしておく。


「ねえ、犯人を見つけるって言っても、今後の事件は起きないと思うし、犯人もすぐ見つかるんじゃないかな?」

「犯人じゃないのに、どうしてそんなことが分かるんですか? アハハ、変なこと言わないでください」


 彼女のすっきりとした笑顔に「俺が犯人だからだよ」と言ってやりたかったが、そんなことをしたら後が大変なので止めておく。

 

 ふと、そこで好都合なことが起きた。彼女はアパートの手すりから辺りを見渡していたのである。そこなら、事件現場が全て観察できるから良いのだろう……。

 

 犯行現場を全て海にしていたら、バレなかったのだろうか。いや、今回の事件はアイツの敵討ちだ。そんな工夫を凝らしている程、心の余裕が出ていた訳ではない。

 なら、この胸の痛みは余裕が出て来たから、感じるものだろうか。ただ、今はそれだけに悩まされる毎日である。

 

 袋からあるものを取り出して、これを現場の近くに振りまいておく。灰色の大きな羽。とあるペットショップの友人から、譲り受けたものだ。たぶん、彼はこの事実を知らないのだろうな。

 そこでカチャリと音がする。玄関のドアノブを捻った音だ。


「誰?」

「誰ってワタシですよ」


 不味い。もっと外を観察しているものだと思っていた。俺は慌てて、彼女を静止させようと言葉を掛ける。


「あっ、ちょっと待て! 入るのちょっと待て! この家知っている人じゃないと」

「うわあ!? 痛いですっ! あっ、猫ちゃんそれ踏んじゃダメ!」

「猫を家の中に入れるな!」


 俺は彼女が猫を連れてきたことを知り、慌てて彼女と猫を外に行くよう、命令した。最初にそう言っておけば、良かった……。


「ワタシと猫は一緒にいてこそです。バラバラにするなら、貴方を引き裂きますよ」


 流石、ヤンデレ。猫を抱えて、俺を睨みつけている。


「悪かったな。画鋲、踏ませちゃって……ちょっとな」

「……ええ」


 口調からして、機嫌が悪いままのようだ。俺はそっと彼女に家へ帰るよう、勧めておいた。そう思って出した言葉を、彼女は遮った。


「猫殺傷事件の犯人が何となく、分かった気がします」

「えっ?」

「この事件、からすです」

「あ、あのカーカー鳴く?」

「ええ。そうです。彼等が鋭いくちばしで傷つけ、橋の手すりに上った猫のバランスを落とし、三匹目も似たようなものなんでしょうね。さて……動機はともかく……」


 ……何をしようとしているのだ? 俺は彼女に何も言わせまいと、切り札を口にした。


「違う! 犯人はフクロウだ! フクロウが猫を殺していったんだ! 烏じゃない!」

「自然の摂理をご存じですか? フクロウは猫をわざわざ食べようとも、襲おうともしません。危険ですから。猫をわざわざ傷つけようとする動機のある物は烏……だけです。そう言えば、何故かさっきフクロウの羽を持ってましたけど……まあ、せいぜい烏を庇ってください」

「いくよ、ミネルヴァ(猫の名前らしい)。烏を狩りにいこう……それから」


 殺気を纏った彼女の電話。俺は心底焦った。たぶん、今から始まるのは駆除と言う名の大量虐殺。

 

 俺の頭の中に黒い鳥が一羽。ヤンデレとまでは言わないが、この部屋でアイツを寵愛していたんだ。だが、ある日忍び込んだ猫に殺されて……。


 アイツの仲間が今、殺されようとしている。胸が縛り付けられるように痛い。

 俺はつい、声を上げていた。


「待ってくれ……俺があの三匹を……傷つけた犯人だ! だから、烏は関係ない! お願いだ! 殺さないでくれ」

「……へっ? あっ、駆除は取りやめにしてください! はいっ! で、アンタが犯人だったの?」


 彼女は電話を切ると、俺の前に立ち、卍固めで動きを封じ止めた。強い。彼女なりの復讐だったのだろう。

 ただ、胸の痛みよりはマシ……かもしれない。

 

 俺が犯人にしようとしていた。フクロウ。彼等は夜の闇に現れたかと思うと、何回か鳴いて、何処かに飛び去って行ってしまった。


 




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