イケフクロウ課長
澤田慎梧
イケフクロウ課長
私の勤める「ミネルヴァ銀行」
何かの比喩じゃなくて、本当に。
真っ白い体をした、いわゆるシロフクロウで、支店の皆からは「イケフクロウ課長」と呼ばれている。
よく「イケブクロ」と間違える人がいるけれども、「イケフクロウ」なので注意が必要だ。
イケフクロウ課長は、普段はロビーの片隅にある止まり木でじっとしているんだけど、一度トラブルを見つけると颯爽と駆けつけ(?)、それを解決してみせる。
そのあまりにも「イケてる」様子から、「イケてるフクロウ」略して「イケフクロウ」と呼ばれているのだ。
親子連れのお客様が子供のギャン泣きに困っていれば颯爽と現れ、自慢の羽芸を披露して子供を泣き止ませ、行員に声をかけられずまごまごしているご老人を見かければ、よく通る「ホーホー」という鳴き声で行員の注意を引いてみせる。
一度、支店が刃物を持った強盗に押し入られた時などは、音もなく犯人に忍び寄り、その鋭い鉤爪で一閃! 見事に撃退してみせた。
他にも、行員の計算間違えを未然に防いだり、お客様の忘れ物をすぐさま発見したり……イケフクロウ課長は、支店に欠かせない存在だった。
「困った時のイケフクロウ課長」「
でも、イケフクロウ課長には支店の皆が知らない秘密があった。今のところ、それを知っているのは私を含む一部の人間だけだ。
そう、あれはつい先日のこと――。
「うーん。どうしよう、これ今日中に終わるかな……?」
その日、私はどうしようもない凡ミスをやらかして一人、残業していた。
パートのおばちゃんや同僚達は「手伝おうか?」と言ってくれたけれども、私一人のミスだし、何よりすぐに終わりそうな作業だったので、それを丁重に断った――のが間違いだった。
ミスしたのはたった一箇所のはずだった。けれども、そのたった一つが色んな所に波及していて、結局私は、その日の自分の作業を全部チェックする羽目になっていたのだ。
中には、もう客先に送ってしまったデータもある。もしそちらも間違っていたとしたら……出来るだけ早く訂正の連絡を入れないと、下手をしたら大惨事だ。
今の所は書面上の修正だけで済んでいたけれども、もし送ったデータにも誤りがあったとしたら? そう考えるだけで、私の胃はキリキリと痛んだ。
オフィスは既にガランとしていて、私以外誰もいない。明かりも私のデスクの上だけしか点いてない。
イケフクロウ課長も止まり木の上に姿は見えず、どこかへ行ってしまっている。
別室で副支店長も残業しているらしいけど、自分のことで手一杯なのか、こちらの様子を見に来る気配はない。
時計を見ると、もう随分と時間が経っていた。チェックすべき書類はまだまだ沢山。下手をすると、本当に日付が変わってしまう。
残業をするだけで叱られるこのご時世。明日はきっと上司から、ネチネチ嫌味を言われるのだろうなぁと、ちょっと挫けそうになった、その時――。
「おっ? なんだ、まだ残ってたのか?」
突然かけられた声に、心臓が飛び出しそうになった。
聞き覚えのないその声のした方に振り返ると……そこには、見知らぬ男性が立っていた。
馬鹿みたいに真っ白なスーツをやけに恰好良く着こなした、アラフォー位の男性。信じられないくらいのイケメンだけど……本当に見覚えがない。
不審者かと思って身構える私をよそに、その男性は私のデスクに山と積まれた書類に目をやると、断りもせずそれに目を通し始めた。
「ちょ、ちょっと。あの……勝手に見ないでもらえますか?」
恐る恐る声を掛ける。が、男性はこちらの話など聞こえてないかのように、書類をパラパラとめくっている。
「どうしよう? 内線で副支店長に助けを求めるべき?」等と私が考えていると――。
「ふむ。ここの数値のチェックだろ? なら、手分けしてやろう。それならすぐに終わるさ!」
男性は、ニコッと白い歯を見せて笑い、強引に書類の三分の二をもぎ取っていった。私が止める間もない。
「大丈夫かな?」と「いいのかな?」の言葉が、私の頭の中でグルグル回る。けれども、男性が真剣な表情でチェック作業を始めてしまったので、私も仕方なく作業に戻ることにした――。
* * *
――数十分後。
「いやぁ、終わった終わった! 良かったな、書面上の修正だけで済んで」
言いながら伸びをする男性。彼は実にテキパキとチェック作業を進めて、あっという間に全ての数値の確認を終えてしまっていた。
「本当に確認したの?」という疑念が消えなかったので、彼が修正してくれた箇所をいくつかチェックしたけれども……どれもしっかりと修正されていて、隙はなかった。
……この人、本当に何者なんだろう?
「あ、あの! 手伝っていただいてありがとうございました! 本当に助かりました……けど。その、貴方は一体……?」
勇気を出して、直球で尋ねてみる。
けれども男性は、心底不思議そうな顔をして……それから少し考え込んで、首を傾げた所で、ようやく何かに思い当たったのか、「ああ」と苦笑いをこぼした。
「そっか、この姿では初対面だったな。――申し遅れましたが、私こういう者です」
そして男性は、芝居じみた口調と共に懐から取り出した名刺を私に差し出してきた。
そこには、こう書かれていた。
「『ミネルヴァ銀行
名刺のデザインは、会社から支給されるものと全く一緒に見えた。少なくとも偽物には見えない。
けど、うちの支店にこんな課長さんはいなかったはず。●●課という部署も聞いたことがない。
「あれ、まだ分からない? ……って、そりゃそうか。じゃあ、これならどうだ?」
不審そうな表情を崩さない私を見て、男性――池袋課長は椅子から立ち上がると、目を閉じ、瞑想するかのように深呼吸しだした。すると――私の目の前で、信じられない現象が起こった。
池袋課長の全身から淡い白い光が発せられたかと思ったら、その姿が一瞬にして縮んで、そして――。
「え……イケフクロウ課長?」
『ようやく気付いたかい?』
私の目の前には、見慣れたイケフクロウ課長が姿を現していたのだ。おまけに人間の言葉まで喋っている――。
* * *
「俺の実家、池袋家はその昔、『知恵あるフクロウ』から知識を授かって、それを元に財を成したらしいんだ。このミネルヴァ銀行を開業したのも一族のご先祖だな。でも、その知識は無償じゃなかった。一族に恐ろしい呪いももたらしたんだ――それが『フクロウの呪い』。
一族の男子に一定確率で発生するその呪いはな、『昼の間フクロウに変身してしまう』という、けったいな呪いだった訳さ。夜になれば人間の姿に戻れるんだが……ちょっと気を張ってないと、またフクロウに戻っちまうのさ、これが」
再び人間の姿になったイケフクロウ課長の語る話は、とても信じられないものだった。
この現代に「呪い」なんてものが……それも、人間がフクロウになるだなんてものが実在するなんて。眼の前で課長の「変身」を見せられた今でも、信じられない。
「で、だ。自分で言うのもなんだが……呪いにかかった人間は、何故か優秀な奴が多くてな。とは言え、昼間はフクロウになっちまうんじゃ、まともな生活は送れない。なんで、池袋グループのどこかの会社に『夜だけ活躍する人材』として籍を置くことが多いのさ。俺の場合は、このミネルヴァ銀行だな。
で、夜の間にバリバリ仕事して、昼は支店でまったりさせてもらってる訳だ。……ま、銀行なんで夜出来る業務は限られてるんだがな――」
そう言って、イケフクロウ課長は今度は少し寂しそうに笑った――。
それからというもの、私はイケフクロウ課長――いや、池袋課長とよく顔を合わせるようになった。課長も話し相手に飢えていたのかも知れない。
時には二人で食事に行くこともあった。
「課長はその……独身、なんですよね? ご結婚はされないんですか?」
一度、お酒の入った席で思い切ってそんな質問をぶつけると、課長は「こんな体だからな。家庭を持つのは難しいよ」と、ちょっと寂しそうな表情を浮かべながら答えてくれた。
なるほど、確かにお酒を飲んでいる最中も何度かフクロウに戻りそうになっていた位だ。普通の家庭を持つのは難しいだろう。けれども、どうやら結婚願望自体はあるらしい。
だったら私にもまだ、チャンスがあるかな――?
(了)
イケフクロウ課長 澤田慎梧 @sumigoro
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