リベルテの森

橘花やよい

リベルテの森

 ここで暫く反省していなさい。

 団長はそう言った。草を踏む音が遠くに離れていくのを聞いたのは、もう何時間も前なのだと思う。


「アタシたち捨てられたのかなー。二回目だね」


 隣でミミナシが不安そうに揺れる音がした。ぎゅっと袖を引っ張られる。ミミナシの頭をそっと撫でた。


「でもあそこを出られたのはラッキーだねー。もう自由だよ」


 アタシもミミナシも、出来損ないの子どもだから親に捨てられた。捨てられて、団長のところに引き取られた。きーきーと甲高い声で話すおばさんの団長が仕切るその場所で数年過ごした。

 団長の他にも、動物と仲がいい脚のないおじさんや、声が出ないけどよく動いてみんなを笑わせるお姉さん、右手がないお人形みたいな女の子、他にもいっぱい、多分アタシたちと同じ理由で団長のもとに来た子がいた。アタシたちはみんなと色々な土地を回って芸を披露した。


 でもやっぱり出来損ないだから、団長によく叱られた。

 今日も散々叱られて、みんなが寝静まった頃に小屋を連れ出されて森に入った。いつも使わないような道をくねくねと回って、疲れるくらいに歩いて、そこでようやく立ち止まった。

 暫く反省していなさいと、団長はそう言い残して去っていった。

 ここに置いて行かれて随分経つが、迎えが来る様子はない。多分、アタシたちはまた捨てられたのだ。


「ミミナシ、灯りみえるー?」


 アタシは人差し指で上を指し示す。それから片手をぐーにして、ぱっと開ける。それを何度か繰り返す。団長が、ミミナシみたいな子たちは指の動きでお話するんだって言っていた。それを真似して、アタシたちだけに分かる合図を考えた。

 ミミナシはアタシの手を取って、手の平を三回たたく。イエスが二回、ノーが三回。そういう決まりだ。


「困ったねー。迷子だ」


 森の中では、木々の間にぽつんぽつんと灯りが道を照らしているはずなのだ。灯りが見えないということは、いつも歩く道を外れてしまっている。

 昼間は人もよく通る森だけど、夜はみんな眠っている。人の声を頼りに帰り道を探すこともできそうにない。

 くいっと、また袖をひかれる。草を踏む音がして、どうやらミミナシがアタシの後ろに来た。

 腕を回されて、ミミナシの両手がアタシの目の上に重ねられる。


「うん? えーと……」


 ミミナシが離れてから、同じようにアタシの目を自分の手でふさいでみせた。


「目隠し? されてたの?」


確認するように首を傾げると、ミミナシの指先が二回アタシの手の平を叩く。


「あのおばさんめー」


 多分、ミミナシは目隠しをされて団長に連れ出された。そのまま森をじぐざぐに歩いて、灯りの見えない場所まで来たのだ。


「これじゃ、ここがどこだか全然分かんないよー」


 アタシの耳も、ミミナシの目も、役に立たないようだった。

 うなだれて、アタシたちはその場に座り込んだ。

 ミミナシがくしゅんと、控えめなくしゃみをした。


「寒いねー」


 団長にせかされて、シャツ一枚で小屋を出てきた。上着くらい着てくるべきだったと思う。


「帰れないのかなー……」


 あー、と不安そうにミミナシが耳元で囁いた。大丈夫だよ、と彼女の肩を抱く。

なんとかして帰ろうね。こんなところで死にたくないもんね。

 ぎゅっと、二人で抱き合ったとき。


 ――ほう。


 声がした。

 森の静けさの中でも、その声はよく通った。

 ほう。ほう。二三度その声が響く。

 アタシは立ち上がった。

 声がする方に耳をすます。遠いけれど、なんとなく方向は分かる。アタシは耳がいいから。


「行こう、ミミナシ」


 アタシは両手を体の横でパタパタと上下させる。それから、自分の右手側を指さした。それでもミミナシには伝わっていない気がして、自分の片耳に手を当てる。


「フクロウの声、あっちから、聞こえる」


 ミミナシの腕をひいて立ち上がらせ、声のする方へと歩き出す。


 ――ほう。


 間隔をおいて、声は響き続ける。

 アタシは声のする方へとどんどん歩いた。時々木の根っこに引っかかりながらも、足は止めない。


 ――ほう。


 だんだんと声が近くなってくる。

 あ。

 ミミナシが声を上げた。


「どうしたの?」


 もしかして、とアタシはまた両手をパタパタさせる。


「見えた?」


 二回、ミミナシがアタシの手を叩く。

 ミミナシがフクロウの姿を見つけたのだろう。アタシの耳がいいのと同じように、ミミナシは目がいい。


「よし、行こう!」

 二人並んで歩き出した。今度は少しだけ急ぎ足で。

 アタシの耳と、ミミナシの目で、ぐんぐん歩く。


「ああ!」

 ミミナシの少しだけ高くなった声がした。何かを見つけたらしい。灯りかもしれない。


――ほう。


間近で声がした。それと同時に、フクロウとはまた違う声がする。ちょっとだけ低くて、聞いていると眠くなりそうな声。


「おやおや、こんな時間にお散歩かい。メナシ、ミミナシ」

「おじさん!」


 ほう、とフクロウの声がする。おじさんの肩に止まっているのかもしれない。おじさんの肩はフクロウのお気に入りの場所だから。


「こんな夜に散歩なんかしないよー、寒いし」

「そうかい」


 こっちにおいでと言われて近寄ると、肩に毛布を掛けられた。ミミナシと一緒に毛布にくるまる。暖かかった。


 おじさんはアタシたちと一緒に旅をしている友達の中の一人だ。本当はおじさんというほど歳をとってはいないのだけど、妙にじじくさい発言ばかりする。アタシたちがおじさんと呼んでも否定しないし、嫌がりもしない。

 おじさんは両脚がない。だからいつも、動く椅子に座っている。でも、おじさんは動物に好かれやすいみたいで、いつも周りには小鳥や犬がいて、いろんな鳴き声に囲まれている。


「おじさん、アタシたち団長に捨てられたみたい」

「おやおや。それじゃあ君たちはもう自由だね」

「うん」

「どこにだって行けるし、なんだってできるね。もう団長に怒られないものね」

「そうだよー! いいでしょー」

「うん。いいな」


 ミミナシがぐいっとアタシの袖をひく。そしてアタシの人差し指にミミナシの人差し指を絡ませて、二回力をこめて握った。「一緒に」という意味だった。


「一緒? うーんと、あ」


 アタシはおじさんの方に向き直る。


「おじさん、アタシたちと一緒にどこかに行きたいの?」

「うん、そうだよ。相変わらずメナシは鈍感で、ミミナシは察しがいいね」

「あ、おじさん今アタシのこと馬鹿にしたー」


 アタシが頬を膨らませると、隣でミミナシがぷっと息を吐きだす音がした。


「ごめんねメナシ。怒らないでよ。私も自由になりたいんだ」

「おじさんは団長に捨てられてないよー?」

「うん。でも私もあそこにいるのはもう嫌なんだ。分かるだろう」


 ちょっとだけ、おじさんの声が低くなった。


「私はこんな脚だから誰かに連れ出してもらわないと、あそこから出られないし。君たちに手伝ってほしいんだ」


 駄目かな、とおじさんは不安げに言った。

 おじさんは器用だし頭もいいから団長にも好かれていたのに、ずっと小屋を出たかったのか、とアタシはびっくりしていた。

 でも、そんなアタシの腕をミミナシが引っ張る。もう一度、人差し指を絡ませてぎゅっと握る。


「ミミナシは私と一緒に行ってくれるのかい」


 こくんと頷く気配がした。多分、片手でアタシの指を、もう片手でおじさんの指を握ったのだろう。


「メナシは、どうかな? 嫌?」


 また不安そうな声がして、アタシはふうと息を吐いた。

 ミミナシに握られてない方の指をおじさんに差し出す。そっと絡まってくる指を握った。


「いいよ。一緒に行こうー」

「ありがとう」


 おじさんの声が弾んだ。


 ――ほう。


 急にフクロウが鳴いて、ばさばさと羽を揺らす音がした。おじさんは慌てる。


「ごめんな。もちろんお前も一緒に行こう」

「フクロウさんありがとうねー、アタシたちのこと見つけてくれてー」


 おじさんがフクロウをよしよしとして(多分撫でて)いると、そのうちフクロウは大人しくなった。それを見計らったように、ミミナシがおじさんの後ろに回り込む足音がする。

 ぎぎっと古臭い音がした。おじさんの椅子が動く音だ。


「ありがとうミミナシ。よし、それでは行こうか」

「どこに行くの?」

「どこへでも。だって私たちは自由なのだから」


 でも、ひとまずは森を抜けて団長たちのいる小屋から離れようか。おじさんがそう言うと、ミミナシはおじさんの椅子を押して歩き始める。アタシはそのぎぎっと椅子が軋む音を追って歩く。


 メナシに、ミミナシ、アシナシの三人が森を行く。

 どこに行ったっていい、何をしたっていい。

 アタシたちは自由だ。

 ほう、とフクロウの声が月夜に響く。

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リベルテの森 橘花やよい @yayoi326

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