この人、善い人?悪い人?

うめもも さくら

彼とナニカが救った私

「もし何かお困りならまたお逢いしましょう」

目の前の彼はそう言うと笑って私に背中を向けた。

風に羽織が靡き、舞い散る桜の花びらを纏う彼はまるで羽を羽ばたかせた鳥のようにみえた。

彼を鳥に例えるなら、そうだな。


この時の私は不幸だったとすべてが終わった今なら納得できる。

でもその時は認めたくなかった。

だから目をそらし続けていた。

貧乏な家。下らない嘲笑と虐め。私を愛さない親。

それでも私は不幸ではないと思い込ませていた。

殴られ、朱に染まっているだろう頬を隠すように押さえながら見上げた空に大きな影が横切った。

「大きな鳥かな?」

私は何をするでもなしに気だるげにその影を見送った。

ただ、その広い空を翔ける鳥が少し羨ましい。

まさに自分は自由で、人や地上のものなど塵のように見えているのだろう。

いや、もしかしたら見てさえいないかもしれない。

誰も見ず、誰にも囚われず、行きたい場所へ何処までも飛んで行ける。

「羨ましい……」

「何がです?」

突然背後から投げ掛けられた質問に反射的に振り向けば、今時居ないわけではないが珍しい、和服を着た男がそこに立っていた。

顔には胡散臭げな笑みが貼り付けられていて、私の答えを待っているのか動こうとしない。

私はすぐさま自分の身の内に響く警戒の鐘に従って彼から逃げるように走り出した。

全速力で。

「え?え?何で逃げるんですかぁ?」

彼の問いかけを背に走りその場から逃げることだけを考えていた。

急に走った為悲鳴をあげている足とわき腹に鞭を打ちながら曲がり角をいくつも抜けた。

後ろを振り返れば当然のように男の姿はもうそこにはなく振りきれたのだと徐々に緩まる速度と呼吸と警戒の鐘。

「足、お速いんですねぇ」

「ぎゃっ!!」

あまりの驚きに私の口から蛙が絞り出したような声が飛び出す。

振りきれていなかった。

それどころか、私の先回りされてしまっている。

息もするのも一苦労で呼吸が整わない私とは反対に曲がり角から降り注ぐこの声は先ほどとまったく変わらない。

「な……何なんですか?何で追いかけてくるんですか?」

私は理解不能な男を刺激しないように丁寧な口調を作りながら問いかけた。

「何で追いかけてくるんですかって急に貴女が走り出したからですよ?」

「いやそうじゃなくて……何か……ご用ですか?」

聞きたいのはそこじゃない。

なぜ唐突に話しかけられたのか。

できることならこのわけのわからない男から早く離れたくてもう一度質問変えて問う。

これで変なことを口走るようなら通報しよう。

貧乏で携帯やらスマホやらなんて物を持ち合わせていない私は公衆電話の位置を頭で確認していた。

確か、通報はお金入れなくてもできるって聞いたことある。

「あぁ、貴女が羨ましいなーって言っていたでしょう?それが何を羨ましいなーって思ったのか気になりまして。声をかけたら走り出されたので、追いかけっこしたいのかなって」

にこやかに微笑む彼を前にして胡散臭いが答えてしまえば何事もないかもしれない、通報するか否か。

あとから思えば、怪しい男に声をかけられ追いかけられてる時点で通報して正解だと思うのだがこの時はそこまで思考が行かなかった。

「鳥ですよ。空に鳥が見えたので飛べて羨ましいって思ったのが口にでてただけです。」

私の答えに得心したように彼はあぁ鳥ですかぁといまだ胡散臭い笑みを貼り付けたまま幾度か呟くと彼は瞑られた眼のほんの隙間から私の眼を捉えて彼は囁いた。


「君には鳥に見えていたんですねぇ」


「え?」

私の周りにある空気だけ切り離されたような異様な感覚に体中がそそけ立つ。

そして突然私の真上の空だけ夜になったかのように私の影は闇にのまれた。

彼の視線がそろりと上に向かう。

その眼の動きを追うように見上げると

『イツマデ……イツマデェ……』

鬼のような頭にうねる体と大きな翼を広げたナニカがそこにいた。

私はあまりの出来事に声も出せず、身動き一つも取れずただそこでそのナニカから目が離せずにいた。

たすけて、ただこの4文字が声として外に出てくれない。

このナニカから早く離れたい。

むしろこれは現実なのか。

夢であってほしいと頭ばかりがかけめぐる。

一瞬のうちにめぐっていた思考が彼の声で塞き止められる。


「以津真天さんですね☆お久しぶりです☆」

嘘だ。

そんなノリではないはずだ。

そんな朝ゴミ出しに行ったらなかなか会わないご近所さんに声かけるみたいなそんなノリではないはずだ。

予想外の展開に脱力した私は体のコントロールを取り戻していた。

そして一言。

「どういうこと!?」

この展開はどういうことだ、私は何に巻き込まれているのか、この生物?は何なのか、むしろ目の前の男よお前は一体何なんだ、といろいろな疑問がその一言には込められていた。


「この方は以津真天さん。いつまでぇと言うあやかしさんです」

「いや……そういうキャラ紹介を頼んだわけじゃないんですけど」

「いろいろと謂われはありますがこの方は悪い方ではないんですよ」

「聞いてないし」

悪くないならそれに越したことはないがそういう事を聞いているのではない、そして彼は私の話を聞いてない。

「この方は……ね」

含みのある言い方に私が眉をひそめると彼は笑顔のまま私に向かって言う。


「貴女はフコウですね」


なんて事を言うのだと私が顔を歪ませるが彼は気にも止めていないのか言葉を続ける。

「家にはヒドイ母親がいる。暴力も受けている。それなのに父親は帰って来やしない」

何故知っているのかと身を固くする私に彼は容赦なく言葉を浴びせる。

「母親が貴女に何も与えない上にお金も全て使ってしまう。だから貴女は普通の生活すら送れない」

「やめて……」

「今の時代の人が普通に持っている物も持ち合わせていない。当然、普通の人は近づいてこない。むしろ毛嫌いされてしまっている」

「やめてってば……っ!」

「だから貴女はころ「黙れ!っ…黙れ!!」んでしょう?」

彼の声と私の声が重なって私は体を震わせながら彼を睨み付けた。

「何があんたにわかるの!?あんたが何を知ってるの!?何で……っ!!」

突然わけのわからない男に暴かれた私の隠した罪。

心に隠した武器を取り上げられた。

ポケットに隠した凶器を取り落とした。

私が泣き崩れながら声をしゃくりあげながら彼に言葉をぶつけると彼の足音が近づいてくる。

わけのわからない男にわけのわからないナニカ、わけのわからなくなってしまった自分。

うつむいている私の頭にあたたかいぬくもりが乗せられて、すぐにはわからなかったがそれは彼の手のひらだった。

頭を撫でられながら私は何故か幼い子供のように泣いていた。


私の涙が少し落ち着いてくると彼は私の頭を撫でながら言う。

「この方、以津真天さんはね、いつまでって鳴くんです。いつまで放って置くのかと。いつまで、いつまでと哭くんです」

私は彼の紡ぐ言葉を静かに聞いていた。

「この方はね今、貴女を心配して哭いているんですよ、この方はお優しいから。いつまで放って置くのかと。社会が、親が、貴女が、貴女ご自身を」

私はその以津真天を見上げた。

恐ろしい見た目だと今も思っているけれど、どこかその瞳には憂いや寂しさが滲んでいるようにも見えた。

「さて、危うく貴女が殺してしまいそうになった母親ですが、きちんと法で裁いていただきましょう」

事も無げに彼は言う。

「そんなこと……できるの?」

「もちろん人の世で罪を犯せば人の法律で裁かれるのが当然。もし、人の世で裁かれなかった罪は地獄で果たすのが必然。まぁ、人の世の方が優しいですよ?地獄はほら、もう罪人も死ぬっていう心配がないですから刑罰もね、まぁ惨いですよね」

彼の言うことは逐一よくわからないがただ体がぞっとした。

「よかったですね、貴女も。手を血で染める前に私たちに会えて。殺す価値もない母親ですから」

「でも裁かれるってどうやって?何の罪で?」

「それはね、『貴女を不幸にした罪』で、ですよ」

そんな罪名ないと思うのだけれど彼が言うとそれっぽい気がした。

きっと母親はすぐに捕まる。

私を不幸にした罪で。

会ったばかりの男に声をかけられて追いかけて変な紹介されてきつい言葉を浴びせられて慰められてそして救われる気がした。

見上げればいつまでいたのか、いつの間にいなくなったのか、以津真天さんは消えていた。


「よかったですよ貴女がフコウ者にならなくて」

「不幸者?」

「あ、ちがう漢字思い浮かべてますねきっと。親不孝の不孝者です。」

「親不孝って先に子供が亡くなってしまうことでしょ?私のは」

そこまで言って言葉を詰まらせた。

「フクロウって鳥さんいるでしょう?死の象徴とされていて異名では不孝鳥っていうそうですよ。フクロウさんは子供が母親を殺して成長するそうで」

聞きたくなかった。

魔法の映画でけっこう梟好きだったのに。

「まさしく今の貴女そのものではないですか」

ヒドイ言い草だ。

「けれど後にフクロウはその名の響きから苦労しない不苦労とか幸福に老いていける福老とか言われるんです。これからの貴女にぴったりです」

彼の胡散臭い笑みが今はとても優しく見えて、今は見えない心配症な鳥さんを思い浮かべながら確認するように彼に言う。


「怖いことや嫌なことや悲しいこともいつか良いものになれるんですね」


久しぶりに微笑んでいるだろう私を見ながら微笑む彼の笑顔に答えを見た気がした。

出逢いは恐ろしかった。

けれど優しい彼は言う。


「もし何かお困りならまたお逢いしましょう」

目の前の彼はそう言うと笑って私に背中を向けた。

風に羽織が靡き、舞い散る桜の花びらを纏う彼はまるで羽を羽ばたかせた鳥のようにみえた。

彼を鳥に例えるなら、そうだな。


「ありがとうフクロウさん」




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