梟の嘴
古月
梟の嘴
かねてより父
そして今日、父は領主に呼び出されて出かけて行った。なぜか数百の手勢を連れて。
「則正様が、謀反いたしました!」
敷居に爪先を引っ掛け、すっころびながら田七が叫んだ。ああ、やはりか――こうなるのではないかという予感はあった。どうかそれが現実にならないでくれたならと、毎日願っていたのに。
願うだけでは何も変わらなかった。則行はそれをこの日思い知った。
「父上は今どこへ?」
「南西の寧安寺に向けて移動しておりまする。若、いかがいたしますか」
則行は答えられなかった。何しろこの則行、この時まだ元服して数月しか経っていない若造なのだ。戦や政治の趨勢を読むにはまだ早すぎる。悩み考えるときの癖で、右目の泣き
「私一人では決めかねる。すぐに
田七はへいと答えるや、また転びそうになりながら出て行った。まもなく一人の武人と一人の老臣が則行を訪ねた。
体格の大きい、髭を関羽のように伸ばした武人、鷹木が言った。
「領主の日頃の則正様への当たりようは目に余るものがございました。則正様が間違っているのならばまだしも、正しいからこそ責められるというのは道義に反しまする。このたび遂にご決心されたのなら、則行様も我らを伴い則正様と合流すべきです。あの城を攻め落とし、則正様を新たな領主様と仰ぐのです」
則行はその通りだと頷いたものの、表情は渋い。
「私の手勢を合わせても、烏賀陽の兵は領主の軍勢とは比べ物にならぬほどに少ない。本当に挙兵すべきだろうか?」
それは、と鷹木は一瞬詰まった。
「数の差は確かにありまする。しかしそれを覆してこそ戦術というもの。古来より寡兵にて多勢を討つ話は枚挙に暇がありませぬ」
則行は今度は頷かなかった。過去の戦でそのような例があるとは言え、それは緻密な戦略を練った軍師の存在や時の運が味方したからこそである。己が身を置く戦にそのようなものが揃うと期待するのは過信と言えよう。
学者の衣装に身を包んだ、禿頭で枯れ木のような矮躯の老人が口を開いた。雲雀である。
「今ならまだ則正様のご乱心と言い逃れもできましょう。誰にでも間違いはあるもの、則正様の一生に一度の間違い、見逃してほしいと領主様に陳情するのです。領主様はすぐにでもこちらへ使者を寄越すはず。若がこの使者を丁重にもてなせば、領主様にも烏賀陽に叛意なしと理解していただけましょう」
則行はまた頷いて、しかしまたすぐに眉間にしわを寄せる。
「本当にそれで領主様は許してくださるだろうか。もしかするとこれを口実に、確実に我ら烏賀陽を滅ぼそうと心に決めてしまっているのではないだろうか」
「それもまた、あり得る話です。その時は老臣が口舌の限りを尽くすまで」
雲雀はあっさりと策の欠陥を認めた。雲雀の論客ぶりは則行も知るところだが、すでに心を決めた人間を説き伏せるのは容易ではない。
領主の軍勢に戦を仕掛けるか、領主を説得して恩情を求めるか。どちらを選んでも成功するようには思えない。だが何とかしなければ。これは烏賀陽だけでなく、烏賀陽が治めるこの地の民草にも関わることなのだ。
「若、若!」
再び田七の声。どたどたと回廊を駆け、またも敷居に足を取られて顔面から畳に突っ込んだ。倒れ込みながら則行の前に一通の書状を突き出す。
「則正様からの文でございます! たった今、早馬にて届けられました!」
則行は田七の手から文を受け取るや、慌ててそれを開いた。鷹木も雲雀も、ついでに田七までもが思わずその手の内を覗き込む。そして同時に首を傾げ、顔を見合わせた。
文の内容は文字ではなかった。かすれた墨で急ぎ紙面に描かれたのは、鳥の絵だ。則正お得意の絵画である。紙面のそれは平たい面構えに大きな
「これは、これはいったい何ですか」
田七はさっぱり訳が分からない様子だ。鷹木も最初はその隣で同じような格好だったが、突如ポンと手を鳴らした。
「これは若に挙兵を促しているのです。共に梟雄となろう、そのような含意に違いありますまい」
「梟雄とはそのように使う言葉ではありませんよ。悪人に対して言うのです」
雲雀が指摘すると鷹木は黙った。雲雀は続ける。
「何らかの含意がある、それは間違いないでしょう。早馬が見つかり、この文が若ではなく領主に届いたとしてもその意が漏れぬようにしたのです」
「雲雀殿はどのように見ますか」
則行が問うと、雲雀はうむと考え込んだ。指を伸ばし、フクロウの嘴部分に触れる。
「なぜかここにだけ朱墨が使われております。獲物を喰らって血が
「それではフクロウを選ぶ理由がない。鷹や鷲、あるいは虎でも構わなかったはずだ。それなのになぜフクロウを選ぶ?」
雲雀もそこが引っかかっていたらしい。首を傾げて解釈に自信を持てないでいる。
則行はうむと唸り、その鳥の瞳を見つめた。そして気づいた。吸い込まれるような黒目の側、その右の目尻に黒い点がある。とても見覚えのある、それ。
鮮烈に、数日前、父が則行の書斎を訪れたときのことを思い出した。絵の題材になるものはないかと探しに来て、則行が唐国から取り寄せた書籍を手に取った。あれはいったいどんな書物だったか。
「――ああ、そんな」
則行の声から、悲痛な声が漏れた。
今にも斬り殺さんと言わんばかりの視線を浴びながら、則行は深々と頭を下げた。
「この度は領主様の城下を騒がせたこと、誠にお詫び申し上げまする」
うむ、と領主はやや強張った声音で返した。目の前にひれ伏すのは未だ元服を終えて数月の若造だ。それなのにその怯えようは彼の父を前にしていた頃のようである。
「く、苦しゅうない。面を上げよ。我はこれ以上、烏賀陽を咎めようとは思わぬ」
「有り難きお言葉にございます」
則行は顔を上げ、領主の顔を見た。
この男か。
この男なのか。
――その容貌を二度と忘れるまいと頭に刻み込む。
領主はその眼光を恐れたのか、早々に則行に退席を命じた。
「次からはお前が烏賀陽の当主として、我に仕えよ。ゆめゆめ、先代の過ちを忘れるなよ」
「心得ておりまする。そこで一つ、私めから領主様にお願いがあるのですが」
左右に居並ぶ家臣どもがざわめいた。たった今罪を許されたばかりだというのに、図々しくも願いだとは。
領主もこれには顔を顰めつつ、申してみよと促す。則行はゆっくりと腕を上げ、その指先で領主の正面に置かれたそれを指さした。
そこにあったのは、烏賀陽則正の首だ。
「私は父の過ちを認め、この手で父の首を討ち取ることによって領主様に誠意をお見せしました。しかし民衆は未だ我が烏賀陽家が領主様に対して叛意を抱いているのではないかと疑っている。そこで私はその謀反人の首を持ち帰り、我が領内に植えられた
またも家臣らはざわめいた。先の蔑むようなざわめきではなく、そのあまりにも恐ろしい申し出に対してだ。領主に歯向かった謀反人とはいえ、実の父親ではないか。その首を自ら
領主もまた同様に怖気を覚えたのだろう。ぶるりと体を震わせ、その申し出を受け入れた。
「そなたの忠義はよくわかった。この首を持ち帰ることを許そう。だが間違っても首塚など建てるような真似はするな。お前が自ら申し出たのだ。弔うことは一切許さぬ」
「重々、承知しておりまする」
則行はその場を辞し、父の首を持って烏賀陽の領地へと帰った。そして宣言通り、見晴らしの良い丘の上に植え替えた梓の木にその首を吊るし、降ろすことは一切まかりならぬと通達した。人々はその蛮行を差して則行を罵った。親殺しのろくでなし、親不孝にもほどがある――と。
則行も民衆も帰ったころ、日暮れが近いその丘に三つの人影がやってきた。田七と鷹木、雲雀の三人だ。
田七は樹上の首を見上げ、ぽろぽろと涙を流して痛哭した。
「則正様もあんまりだ! あの則行様にフクロウになれと命じて、その手で自分を討たせるだなんて!」
唐国の書に曰く、フクロウは親不孝の鳥、親を殺して喰らう鳥であると。則正の描いたフクロウには泣き黒子があった。則行と同じ右目尻の黒子が。その嘴には血が滴っていた。啄んだ親鳥の血が。
ああ、と雲雀は嘆息した。
「則行殿は決意された。あんなにもお若く、お優しい方であったのに。父君を
「悲しんでいられる時間はない。俺たちの命あるうちに、当主の本懐を遂げさせてやらねば。それにはまず、俺は兵を鍛えなければ」
鷹木は言いながらも拳を強く握りしめ、その手の平からは血が滲んでいた。
やがて三人も丘を降り、丘の上には誰もいなくなった。
吊るされた首は未だ眠るようにぶら下がっている。いつかその瞼は開かれ、視線の先、領主の住まう城が攻め落とされる日を見届けるだろう。
それはきっと、遠くない未来の話。
(了)
梟の嘴 古月 @Kogetsu
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