「また会いに来たよ」

白地トオル

「また会いに来たよ」


「ねえ、私たちって付き合ってたの?」


 彼女が冷たく言い放つ。

 僕は、彼女の背後に広がる、通い慣れた校舎の壁を意味もなく見つめていた。


「アナタの口から聞いたことがないの。好きって気持ち」

「じゃあ、それだけの気持ちだったってことじゃないの」

「なにそれ、どういう意味? じゃあなに? 私一人が思い上がってたの?」

「そういう事にしとこうよ。その方がお互いのためだと思うよ」

「なんで?」


 彼女の金切り声が僕の神経を逆撫でする。


「その、『なんで』っていうのやめろよ。全く意味のない言葉だよ、それ」


 そう切り返しても、僕は僕でまた意味のない問答を繰り返しているだけだと自分で自分が嫌になる。


「なんでそこまで自分勝手に割り切れるワケ?」

「割り切る?」

「だってそうでしょ? お互いの気持ちに気づいてたのに、ここまで引っ張るだけ引っ張って……、最終的に何もなかったことに出来るなんてあり得ない。人の心ってモノがないのね」


 僕は彼女の真剣な眼差しに気づいて、つい鼻で笑ってしまった。


「人の心だなんてよく言えたもんだよ、キミみたいな人間がさ」

「はあ?」

「自分の欲望を解放することに忠実な俗物、青春のたまりを吸い尽くして肥大化する悪女、それがキミという人間。僕はずっとそういう目で見てきたんだ」


 彼女の口角が上がり、唇が痙攣する。


「それなのに、お互いの気持ちに気づいてた、だって? キミが本当に僕の気持ちに気づいてくれていたなら、キミは今日無事に高校を卒業できていなかったと思うよ。でも実際は、僕の気持ちに気づくことなく、ぬくぬくと甘い青春の溶液に浸っていたんだ。なんて滑稽なんだろう。でもコレで分かっただろ? 僕はキミのことなんか一つも好きじゃなかったし、むしろその逆だったってことがさ」


 きっと赤目を腫らして僕を睨んでいるかと思ったが、彼女の顔は幾分か落ち着いているように見えた。それどころか毅然とした態度で僕を真正面に捉える。


「ねえ、今どんな気持ち?」


 彼女が僕を挑発する。


「陰キャのアンタが、クラスのマドンナを思い切りフるのってどんな気持ち?」


 なに言ってんだ、コイツ……。

 誰が陰キャだって?


「ほーんと、おめでたい。これだから年齢イコール彼女いない歴の男はキツいわ」

「彼女がいない、なんて一言も言ったことないだろ」

「はいはい。もうその台詞が人間の台詞じゃあないの。自分で自分の首絞めたわね」


 僕のこめかみに力が入る。


「童貞のくせして偉そうに高説垂れてんじゃないわよ」


 彼女の心ない一言が僕の頭にずんと、のしかかる。


「それじゃあ――――――」

「え? なに? はっきり喋って。何言ってんのか聞こえない」

「それじゃあ、どうしたらいいって言うんだよ」

「あーあ、言っちゃった」

「……?」

「そうゆう一言がほんっとにダメ。女心をなあんにも分かってない。どうしたらいい?って何で私に聞くの? あなたの気持ちの話でしょ」

「いや、そういうつもりじゃ」

「はいはい、もう話しかけてこないで。この話はもうおしまい」


 彼女がぷいと顔を反らす。


「おい、ちょっと待ってくれよ」


 僕が手を伸ばすと彼女はその手をはたいた。


「悪かった。悪かったって。そういうつもりで言った訳じゃないんだ」


 彼女は何も聞こえていない素振りをして僕に背中を向ける。


「違うんだ。気を許した相手には強く当たっちゃうんだよ」


 彼女の背中が小さくなってゆく。


「待てよ。聞いてくれ。僕の本当の気持ち、伝えるから――――――」




* * *




「……で? 別れちゃったんだ、その娘と」

「えと、まあ、ね」


 僕は言い淀んで、生唾を飲み込む。


「ちゃんと気持ちは伝えられたの?」

「気持ちっていうか、考えてることは概ね」

「概ね? 好きだっていうことは伝えられたんでしょ」

「そういう趣旨のことは、ね」

「なんで濁すの?」

「濁してるわけじゃないんだ。ほら、今の彼女に元カノの話なんてしても興が冷めるじゃないか」


 穏やかな口調で上気した彼女を諫める。

 しかし、彼女はどうしてもその娘との顛末が気になるらしい。机に身を乗り出して僕の顔を覗き込む。


「ねえ、教えてよ。その娘とどうなったの? 好きって気持ちは伝えられたの?」


 彼女の無邪気な好奇心が僕の喉元に刃を突き立てる。


『ねえ、私たちって付き合ってたの?』


 あの日のあの娘の言葉が脳裏をよぎる。

 駄目だ。あの日の会話を思い出してはいけない。感涙の卒業式を終え、早くも望郷の念に駆られていた僕の元に現れたクラスメイトのあの娘。桜の花びら舞う校庭の隅で交わした、あの日の会話のことを。思い出してはいけないのだ。思い出すたび僕の脳裏によぎる、あの娘の寂寥せきりょうの瞳を。


「ねえ、どんな風に伝えたの?」


 青春は心の抽斗ひきだしにしまっておくものだ。色褪せないように、日焼けしないように、いつでもその思い出が鮮やかに映るようにそっとしておくべきだ。


「やっぱり後ろから抱きしめちゃったり? 愛してる、って耳元で囁いちゃったり?」


 駄目なんだ。青春は幻と心得るんだ。かつて動かなかった足を動かすIFを想像してはいけない。


「そんな甘酸っぱい青春送ってたんだあ、なあんか意外」


 いまを生きるんだ、過去に囚われてはいけない。いまを強く生きる。それが今の彼女と交わした、僕だけが秘めた密かな意志だ。


「その娘、どんなタイプ? 誰に似てた?」


 自分の顔を鏡で見たことがないのか? 誰に似ているなんて火を見るより明らかじゃないか?


「どうしたの? 険しい顔してるよ?」



 あれ……、もう、限界か。



「え? 私? 私はさ……」


 一陣の風が吹いて、頭の上を桜の花弁が舞う。


「高校の時は全く恋愛に縁がなかったからさ……」

 

 化粧を覚え始めた彼女の頬が綺麗な桃色に染まってゆく。


「青春っていう青春は送ってこれなかったけど……」


 挑発的な彼女の眼が僕を舐める。


『アナタに出会えた今が最高だから』


 僕は彼女を抱きよせ、耳元に口を寄せる。

 迸る電流を放電するように喉が痙攣して、想いが舌の上を滑っていく。


「本当は好きだったんだ! ずっとこうしたかったんだ! いつも教室でキミばかり目で追ってたんだ! 来る日も来る日も! いつかこうしたいって思ってた! 今日、それが最初で最後だと思うと本当に胸が張り裂けそうだ! もう、どこにもいかないでくれ! 僕の傍から離れないでくれ……っ!」


 しばらくそうしてからゆっくりと彼女を引きはがす。


 彼女の顔は、悲哀に満ちていた。



その娘のこと、忘れられないんだ『また会いに来たよ』……」 


「僕も、会いたかったよ」





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「また会いに来たよ」 白地トオル @corn-flakes

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