カミサマの手を取って

篠岡遼佳

カミサマの手を取って


 空が高い。秋の青空だ。

 私はホウキを持って、舞い落ちてくる紅葉の中にいた。

 この山中にある、古びた神社の石畳を掃除するのは、学校から帰ってきたらまずする日課だ。


、おかえり」

「やっほー、カミサマ。今日もきれいな銀髪ね」

 名前を呼ぶ声に、地面をホウキで掃きながら軽く手を振ってこたえると、相手は不思議そうに応じた。

「急にどうしたの? わたしの髪のことなんて」

「あー、昨日、外国の恋愛映画見たから、つい」

「ははあ……映画もここのところ見ないなぁ」

「カミサマ的に、”ここのところ”っていつからいつまでなの?」

「うーん、もうわかんないや」


 そう言うので、ふと視線をやってみると、ほんにゃりとした笑顔で私を見つめるカミサマがいた。

 流れるようなの銀の長髪に、力を秘めたの金の瞳。額からは薄青の角が二本生えている。

 なぜか和装のこの妙に優男なカミサマは、つまり、カミサマである。

 もちろん、私の神社で奉っている神様とは違う。そもそも、うちの神社はおじいちゃんの代でとっくに廃業している。

 カミサマは、超越者、という存在らしい。

 名前がないのは、ヒトとは違うからだ、と言っていた。


 私はちいさい頃から、なんだかそういう”曖昧なモノ”に好かれる体質だった。

 隙間や、陰、闇にひそみ、長くヒトと暮らしてきたモノたち。

 彼らは時に名付けられ、ヒトの生活に入り込んだり、名付けられないまま、ヒトには見えない生活を続けている。

 この二十一世紀、東京でまたオリンピックをやろうという時代でも、やはりそれはそう続いている。


「しずく、今日は何の勉強をしてきたの?」

「カミサマ、高校の授業とかほんとに興味あるの?」

「うっ」

 カミサマは、表情やリアクションに考えていることがすべて出てしまうタイプの性格だ。簡単に言うと、ちょっとお馬鹿さんである。

「しずくと話したいんだよ。掃除はわたしがやっておくから、座って話さない?」

「ふむ、そういうお誘い?」

「はい、お誘いです」

「うーん」

「お茶とどらやきもあります」

「わかった、じゃあ、お話しよう」

 私は甘いものに特別弱い。大好物なので、仕方ないのである。

 私たちは並んで神社の入り口の段に座った。

 カミサマはあたたかいおしぼりをどこからともなく出しながら(さすがはカミサマである)、

「えっとね、しずくと結婚したいんだけど……」

「だからー、それはうちのおとうさんもダメだっていってたでしょ? また竹刀で頭打たれちゃうよ?」

「……あれは痛かったなぁ……」

 おとうさんは決して乱暴な人ではない。

 ただ単に、娘が連れてきた、明らかに人間でないものに、面食らわせただけである。文字通り。

 私はちょっとアドバイスしてみる。

「そうね、その姿がちょっと問題かも。角とかって、隠せないの? 髪の毛も長いのをどうにかしたりさ」

「わたしはそういうことはできないんだ。しずくが見つけてくれなかったら、しずくとこうして話すことさえできない」

「カミサマなのに?」

「存在を規定できないんだよ。この世界は、どんどん陰がなくなっていくだろう? わたしはそういうのにあらがえないんだ。ヒトじゃないからね」

「でもさ、そういう、”曖昧なモノ”って、なくならないんじゃない? 光があれば、陰があるわけだし」

「そうだね、でも、わたしはこう……もともと”曖昧なモノ”とはちがって、自分から”曖昧なモノ”に近づいているから……半分人間のようなものだからね、かえって、こういう世界にはなかなか居づらい」

 ふむ、そういうものか。私が頷くと、カミサマは箱を出し、ポットも取り出して、私にコップの茶とどらやきを差し出した。

「ありがと」

「いえいえ、なんとか、振り向いてもらえないか研究中ですので」

 あらまあ。私は心の中で少しだけ照れる。

 カミサマはちょっと馬鹿かも知れないけど、それは正直で馬鹿なのであった。

 ……現代を生きるには、ちょっとしんどい性格かも知れない。


「確かにさ、うちは軽い紅葉狩りができるくらいの山を持ってる、元神社だけど、私自身はふつうの人だよ? おとうさんとおかあさんから生まれた、ふつうの日本人」

 お茶を飲みながら目だけで問いかけると、カミサマは微笑んで答える。

「しずくはわたしを見つけてくれたろう? それだけでもう、わたしには特別なんだ」

 まただ。無自覚に人を褒めて、なんだか柔らかく微笑みかける。

 そんなことされて、一年以上もされ続けたら、心がどうしても緩んでしまう。

 そういう優しい性格だから、”曖昧なモノ”に好かれるのだと、おじいちゃんは言っていた。優しさなんて、自分ではわからないものだけれど。


「結婚したら、なにしてくれるの?」

「ええと……一生食べるに困らないよ。わたしは、これでもけっこう稼ぐ方なんだ」

「稼ぐ?」

「ああ、ヒトに仇なすものを退治するような、そういう集団と手を組んでる」

「……急に妖怪退治みたいになってきたね……」

「"曖昧なモノ"が人間にとって良いものだけではないのは、しずくだって知っているだろう? 何度も巻き込まれたと言っていたじゃないか」

「まあ、しょうがないよね。目が合うと向こうが寄ってくるんだもん。カミサマに会ってからは、少なくなってたけど……」

「うんうん」

 なぜかそこでカミサマが頷くので、私ははっと気がついた。

「え、カミサマってそんなにすごい存在なの?」

「そうですよ、ちょっとした悪いやつなら、食べちゃいます」

 えっへん、と言いそうな様子でどらやきも食べるカミサマ。

 そうだったのか……食べちゃうのか。

「じゃあさ、結婚したら私のことも食べちゃうの?」

「…………」

 カミサマは、手を下ろして、こちらへ顔を向けた。

 じっと、その金色の瞳で私を見つめる。


「食べちゃってもいいなら、食べるよ」


「――え。やだな、そんな」

 私が話を混ぜっ返そうとすると、だが、カミサマは名前を呼んだ。

「しずく、わたしは、カミサマではないよ。

 超越者だ。その意味を考えたことは?」

「……――うん。かんがえ、ないようにしてた」

 私もカミサマのことを見つめ返す。


 気付いてはいたのだ。

 角を持つ銀髪金目の存在。

 それは、人型でありながらヒトではない。

 超越者は、ヒトを超越したモノなのだと。


 ヒトを超越するには、最も簡単な方法がある。

 食物連鎖のさらに上に立つのだ。

 つまり――――。


「最初から、そのつもりだった?」

「最初はね、そのつもりだったよ。けど、君はわたしを見つけてしまった。目が合ったんだ」

 彼はそう言って、その日を思い出すように微笑んだ。

「わたしは自分の、"バケモノ"としての本分を忘れてしまっていた。色々なものを取り込んできたが、わたし自身にとっても、はずっと過去のものだった」

 穏やかにどらやきを食べる生活など、したことがなかったなぁ。ずっと陰に住んで、ただ土地土地を転々として、呼ばれたら相手を喰うだけだった……。


 秋風がその銀髪をさらっていく。髪に隠れて表情が見えないカミサマに、私は、胸が、痛んだ。

 そこから、なぜかふっと言葉が口をついて出た。


「――だったら、あなたは人間なんだよ。私を、何も言わず食べちゃうくらいの超越者じゃ、なくなってたんだ」

「過去は消せないよ」

「知ってるよ、だから、ね」


 私は彼の髪をかき上げ、見えた潤んだ金色の瞳から、しずくを拭った。

 

 私は、カミサマの手を取った。

 はじめて触れた彼の手は、冷たく柔らかく、そして、――寂しいと言っていた。


「ねえ、もっと一緒にいよう。たとえあなたが私を食べる日が来てもいいように、たくさん話そうよ」


 カミサマは何度も瞬きをして、そして、また少し目を潤ませて、言った。


「しずく、ずっとそばにいてくれ」

「しょうがないなあ……今回だけね」


 軽いハグに、私は、これからの未来を思い、ちょっとくらいなら食べられてもいいかなあと、どうしようもないことを、考えた。




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