雨滴る木立の中で
南総 和月
義眼
パシャッ――――
パシャッ――――
パシャッ――――
雨は止むことなく,、森は夜のような闇に包まれている。
足元には水が溜まり、靴の底には泥が詰まる。獣道をかきわけるように進み、標的の住処へと進むのは一人の狩人。腰に短刀を差し、背には弓矢。少し長く伸びた茶髪は雨に濡れて水が滴り、皮鎧は弱々しく雨粒を弾く。手元には一枚の紙が皺くちゃになりながら道を示し、標的の特徴を詳細に記していた。
【討伐対象】
名称――
特徴――金色の斑点、白い瞳を持つ小さな鹿
備考――察知能力、逃走能力ともに高い
依頼者―クイーザ帝国
受注者―ハント・イール
受注書には簡単な絵で姿形が描かれているものの、ただの鹿にしか見えないというのがハントの感想だ。御鹿というのは帝国領内にある大きな森の主だったらしいが、数年前に呪いを受けてから人里に害なすようになった。
「まっ、報酬は高かったしな」
実際、報酬は高かった。今まで多少の被害を考慮せず、近隣の村からの討伐依頼を黙殺してきた帝国がようやく本腰を入れたからだ。依頼主が国の場合、報酬は高くて良いが難易度が高くなる。そもそもこういった類の依頼は国の抱える騎士が役に立たないから、ハントのような狩人や冒険者に回ってくるのだ。だが全身を金属鎧で覆った騎士が敵わない相手というのは、村人のような並の人間が敵うはずもない。それどころか、冒険者の剣士や魔術士であっても難しいものだ。しかしハントには自信があった。自身の得物である弓ならば、近距離で敵わなくとも最初の一矢で仕留めればよい。
「……いた」
麦粒程度に見える神々しい鹿がハントの視界に入った。
見つけた
金色に
うっすらと光る
一頭の鹿
―――――奴だ
「こっちには気づいていないな」
弓を左手に持ち替えて一度深呼吸し、矢を矢筒から取り出して番え、標的を其の双眸で捉える。ゆっくりとした歩で森を進む様子は堂々たるもので、まだハントの気配に気づいていないようだ。
「ふーっ」
左手を御鹿の方向へと真っ直ぐに伸ばし、右手右腕をすべてを使って弦を胸のあたりまで引く。そして、両目で標的をピタリと捉えたまま、左腕を肩の付け根から伸ばすようにして離れる。強弓から生み出された力が細い矢へと伝わり、御鹿の方向へと唸りをあげるようにして飛んでゆく。ブレの少ない軌道をとって、矢は地を這うように。
その時、雨とともに風が現れた。
息合いも離れも、タイミングも何もかもすべてが完璧だった。
だが、女神の機嫌だけが悪かった。
――――カサッ
御鹿へと突き進んでいた矢は上からの突風にあおられて、少し流された。行く先のない矢はフラフラと進み、御鹿の足元へと土を巻き上げながら落ちる。
「チッ」
舌打ちをしてみたものの、ハントはこれで機会を失った。御鹿はこちらに気づいたようで、軽快な足取りで森の中に消え、慎重な性格である奴は当分現れる事もないだろう。このまま追いかけても、山の住人である奴に追いつくことは困難だ。半ば諦めたハントは懐に忍ばせておいた金属製の水筒を取り出し、ほんの少し酒を口に含んでからその場を立ち去ろうとした。
――――「どうしたんだい、お客人」
突如、響きの良いテノールで語りかけられたハントは周囲を見渡す。
誰も居ないようで気色悪そうにしていると再び声がした。
「どこを見ているんだい、ここに居るよ」
パサパサと羽音を立てて現れたのは真っ白な梟だった。大きな目をこちらに向け、首を傾げるようにして話しかけている。
「おまえは梟なのか? 」
「僕のような人語を話すものが梟と名乗っては、世の梟たちに怒られてしまうだろうがね。一応僕は梟だよ、この森の番人と呼ばれているものさ」
「番人?」
「そうさ。この森深くに人間が入ってきたと聞いてね、こうして様子を見に来たというわけさ。そうしたらどうだい、御鹿に弓引いているじゃないか。きみは御鹿を討伐しに来たのかい?」
「そうなんだが、失敗してしまってね」
参ったよ……と表現するように手のひらを上へと向けるハント。この人語を話す梟に若干の恐怖を感じながらも、会話を続ける。
「そうかい、彼も呪いを受けてしまってからは変わってしまってね。以前は静かな奴だったんだが、今ではいたずらに破壊をもたらすだけだよ」
「知り合いなのか?」
「前はね……友達だったんだ。今では見る影もないけれど」
「救おうとは思わなかったのか?」
「したさ、もう十分に。解呪しようと仙薬を飲ませたり、彼に愚かにも呪いをかけた呪術師に解いてほしいと懇願した。呪術師の方は『もう自分じゃ解呪できない』なんてぬかしたから、東の大峡谷に落としてやったけどね」
「……そうなのか」
「でも解決できそうだよ」
「は?」
唐突に伏せていた目をこちらに向けた梟は、器用に羽でハントを指して言った。
「君に仕留めてもらうことにするよ」
♢♦︎♢
先ほどと同じように弓を引く
「目をつぶって」
御鹿は見えない
「もう少し前」
何も見えない
「少し上を向けて」
気配も感じない
「そこだよ」
ただ真っ直ぐに離れた
矢が飛んでいく
森に鳴り響いたのは
悲鳴にも似た
救済の声だった
雨滴る木立の中で 南総 和月 @Nansou
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