うららかな春

森乃 梟

第1話

 暖かな風が吹くようになった頃、いつもの店のテラス席に、昼休み中の彼女を呼び出した。

取材が終わり、数日間フィルムから焼き付け、選び抜いた写真を出版社に渡したら、彼女とお茶を飲むのが二人のルール。「彼女」と言っても「恋人」ではない。残念ではあるが…。

 

 彼女とは同郷の幼馴染みである。しかし、定時の仕事をしているOLの彼女に対して、僕が長期不在のフリーランスのカメラマンをしている為、彼女の誘いには応じられない。というわけで、僕の仕事が一つ終わると連絡を入れて約束をして会い、僕の苦労話や彼女の愚痴を聞くという暗黙のルールがいつの間にかできてしまった。


 穏やかな陽射しを浴びて、彼女は向かいの席に座る。

「おかえりなさい。今回はどこ? いつもより早かったわね。」

「ああ、今回のは簡単だったからね。」

僕が答えると、首をかしげて彼女が僕を見る。

「簡単?」

照れ隠しにカメラをいじりながら彼女に目をやる。真っ直ぐな瞳が僕を見ている。僕はケースの中から何枚かの写真を出して彼女に見せながら話す。

「青森のリンゴ農園にいたふくろうの巣立ちを撮っていたんだ。」

「なぜふくろうがリンゴ農園なんかにいるわけ?」

不思議そうに彼女は僕を見る。彼女の髪が風に揺れている。

「リンゴの農園を作る為に森を切り開いたんだよ。そうしたら、ふくろうの棲む場所が無くなってしまった。」

「可哀想! 人間様の為に迷惑を被ったのね。」

「ああ。だが、それだけではなかったんだ。」

と、次第に僕の話になっていった。


 ふくろうがいなくなったら、今度はねずみが増えてリンゴ農園では大わらわだったそうだ。

森の生態系の頂点は『ふくろう』なんだ。そして餌になるのが小動物、つまりねずみなんだな。ねずみはふくろうがいなくなったので増えていったが、餌として格好のリンゴの木の皮があったから死ぬこともなかった。そうしてリンゴはねずみに狙われることになってしまったんだ。

 農園の人達は困り、考えた末、ふくろうを呼び戻すことを考えた。その結果として、農園の中に巣箱を置いたんだよ。蛇や烏が来ない場所に、ふくろうが巣を作る頃を狙って農園の中に数点ずつ置いたそうだ。一度使われた巣箱は、大体、次の年も来るらしい。

 この写真ね、と見せながら、僕の話は続く。

夜のふくろうが僕の目当てだったんだが、出版社の依頼は『巣立ち』だったから、『夜の餌捕りの様子』は僕のコレクションになるな。

笑顔で、この写真と示して彼女に渡す。

ふくろうは流石、猛禽類もうきんるいだね。これが風切り羽根でね、音も立てずにサアッと舞い降りてねずみを捕まえるんだよ。

これこそがベストショットなんだけどな。

最上の出来の写真を彼女に見せる。

《脚を突きだし、両方の羽根を広げてねずみを狙った瞬間のふくろう》

彼女は食い入るように写真を見つめる。

 そしてこちらが巣立ちの様子、と次の写真を出す。

 ひなは普通、巣を出たら飛ぶ練習をするんだけど、ふくろうは巣を出たら、もう巣には戻らず旅立つんだ。

今回は、一度しかないこの場面を撮る為に行ってたのさ。

 

 「今回は、農園の人からの連絡があったし、自然派ネイチャーで一週間の短期間。おまけに屋根付き布団付きなんて、有り難い仕事だったよ。」

と、彼女を見ると、微笑んで一枚一枚を丁寧に繰り返して写真を見ていた。

柔らかい陽射しは、彼女の着ている服が薄くなったことに気付かせる。


 「ふくろうってね、苦労せずって意味もあって…。」

と、彼女がテーブルに水で文字を書き出した。《不苦労》と見えた。

「だから被写体のお陰ね。」

と最上級の笑みを見せた。

ドキン…。視線のやり場に困り、僕はファインダーの中から彼女を覗く。

 「どうせなら、ここにいるハムスターもふくろうのように捕まえてくれると嬉しいのになぁ。」

「えっ、ハムスター?」

「人って、自然の生き物じゃないから!」

「えっ? ええーっ!」

半ば彼女の言葉の意味に気付いた時、リンゴのように染まった彼女の頬を見て、慌てた僕は思わずシャッターを切っていた。


 僕の心にもうららかな春が来ている。


            終わり

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