第3話終わりの時

 ――あさ、起きるとリンジーと


 お花の飾りのドレスに、着替えるの。


 ピンクのリボンで結ってもらうのよ。


 父上様と母上様にごあいさつして


 それからお歌を唄って、お花を摘むの。


 それがわたしの毎日なの。



 五日目アリシア達は森から、山の中へと入っていた。


 平坦なそれまでの道とは違い、石が転がり傾斜の険しい山道を、くぼみに足を取られ、つまづき、時には倒れこみながらも、ひたすら進んで行く。


 ……街道は使えない。おそらく敵国の兵士がアリシア達を捕らえる為に、待ち構えてることが、分かりきっていたからだ。



 ――敗国の王家の成人男子は抹殺、利用価値のある年頃の女子、子供は奴隷とす。価値なき者は弑す。



 敵国の残酷な決まり事、その運命から逃れようとアリシア達は、足掻きもがいていた。


 ………痛い、ははうえ、歩きたくない、ちちうえに会いたい、おばあ様、あねうえさま。


 母に手を引かれ 嫌、最早引きずられる様に、無理やり一歩、一歩と歩んでいた。



 歩き始めてから、七日目の夜の事だった。



 山の頂きで、それぞれに身を寄せ合い、暖を取っていた。


 アリシアは母と、従兄弟達は、それぞれに娘を拐われた母親達と……


 互いの体の温もりだけが、冷たい絶望で満たしている心と体に、僅かだが力を与えていた。


 絶望の神が三度アリシア達に微笑む。



 ………ガサガサッ、ザザザッと漆黒の茂みの中で何かが音をたてて近づいていた。


 ハッ、ハッと聞こえる息遣い、大人の膝元位の位置に、多数光る双瞳……



 即座に衛兵達が、抜刀しながら皆に指示を出す!


「逃げろ!狼だ!走れ!」


 ウォーン!と遠吠えが、闇の静寂を破ると、一斉に襲いかって来た。



 僅か先に衛兵の男が王妃の背中を押し、アリシアの腕を掴むと、脱兎の如く駆け出す。


 狼へ、自ら「死地」へと、盟友が立ち向かって行く。


 アリシアに聞こえる、闇をも引き裂く断末魔の叫び声。幼い彼女の心を喰いつくそうと、逃げる背中を追いかけてくる。


 従兄弟の兄とは、舞踏会で初めて一緒に踊った。二人の助けを求める、叫び声が聞こえる。共に歩いてきた奥方達の悲鳴も……



 ………かみさま、かみさま、かみさま、



「これは、皇帝陛下からの命令だ。我々がいる間、旅人には何人も話すことも、施す事も禁じる」



 山裾にある小さな集落に突然、帝国の兵士が御触れを告げに来た。


 村人を広場に集め、訝しげであり、冷徹な命令を下す。それに対し、


「し、しかし、あの山を越えて来る旅人にその様な、無慈悲な事は出来ません。神が御許しには、ならないでしょう」


 善良な村の司祭が、兵士に異を唱えると、司祭は即座に切り殺された。


「逆らえばこうなる。女も子供も関係無くな。1人でも命令を破れば、村ごと焼き付くす。我らはしばらくの間、空いた司祭の家にいる、お前達を見張るため」



「この子に一口の食べ物を頂けませんか………」



 訝しげな御触れから数日後、山からまるで幽鬼の様な旅人の一行が、村へとたどり着いた。


 幼い女の子は、男に背負われ、眠っているのか動かない。共にする二人の女性も、生きる屍の様な姿………



 ……この者達の事か?


 声をかけられてきた村人は、咄嗟に分かった。先に帝国が、ある小国に戦を仕掛けたと聞く、恐らくこの旅人はその国の……



 それにしても酷き姿だった。狼に襲われ逃げてたのであろう、



 あの山は獰猛な狼の住み家。その中を女子供と共に生きて、この村にたどり着く事など奇跡に近い事。



 助けてやりたいと思った。この者達に罪が無いことも分かった。しかし……



 ………すまん、すまん、ワシらを許してくれ



 村人はその旅人達から、即座に逃げ出した。己の命と村を守る為に………



 冷たい闇夜が、アリシア達を、包み込んでいた。


 誰も彼も、一行の姿を見ただけで、逃げ出し、勿論、手を差しのべる者など、いなかった。



 ……寒い、母上、側にいるの?



 アリシアは目が霞んでいた。


 耳元では始終、ザワザワと嫌な音がしていて、よく聞こえない。


 ふっくらとした薔薇色の頬は、今は青く痩け、栗色の髪も煤けて、かつての面影は何処にもない………



 王妃は我が子をしっかりと抱き締めた。


 そしてゆっくりとこの場に居合わせる、今迄共に生きるべく戦った者達を見回す。



 無言の同意がなされた


「あっ!」


 母に抱かれているアリシアの背中から、鋭く熱い何かが入る。不思議と、痛みは感じない。


 ぽたぽたと、顔に温かい物が落ちてきた。


 僅かに残った力で目を開き、見上げるとそこには口元から血を、目から涙を流しながら、微笑む母の笑顔……


 ……母上、おけがされてるの?


 そこで彼女の意識は途絶えた。



 翌日、村外れの森の入り口に、祀られている祠の元で、あの旅人達が、無残な姿を晒していた。



 その屍を「物」の如く判別する帝国の兵士達、やがて彼等も確認がとれたのか、無造作に埋める様にと言い残し、村を後にした。


 善良な村人達は、己の贖罪の為に、丁重に哀れな彼女達を、祠近くに埋葬したのだった。


 ……奇異が起こったのは、それから数日後の事だった。



 男が1人、村へ急いでいた。所用で遅くなり辺りは、もう既に夜の領域………


 ……遅くなってしまった。暗いときにあの祠の側を通るのは


 しかし帰り道はそれしかない。男は気を引き締めながら歩く。そして、その近くに近づいた時、



 ……この子に一口の食べを。




 幽かな声と共に、ちらりちらりと、地面から鬼火が姿を現し、男にまとわりついてきた。


 男は脱兎の如く村へと駆け出した。その姿はまるで気が触れたかの様、


 ガチガチと震えながら、村へと転がり込んだ男の様子を、怪しく思った村人達が、子細を聞き出す。


 そして村人達は、真意を確かめるために森へと向かった。



 この子に、一口の食べ物を頂けませんか?一口の………



 松明を片手に、祠へと近づいた、村人達の前に声と共に



 ちらり、ちらりと近づく鬼火………



 そしてその夜以来、毎夜毎夜、声と共に鬼火が舞う。


 哀しい声で、幼いこの子に食べ物をと……


 闇に乗じて、或いは偶然を装い、あの旅人に一口の食べ物を、与える事はできたはず。


 しかし村人は誰1人として、動かなかった。己の保身の為に………


 殺された司祭が言ってた、厳かな慈悲の言葉が、彼等に重くのし掛かる。



「無慈悲な事は、神が御許しには、ならないでしょう」



 しかし、もう遅かった。



 せめてもと、村人達は、一つ一つ祠を造り、祀る事にした。供える物は何でも良かった。



 小さな団子でも、畑で採れた野菜でも、森の木の実でも、ほんの一口供えれば鬼火は、静かに眠っているのだった。



 そしてそれは、今でもその村に続いてる。



 先人の無慈悲な行いを、二度とせぬ戒めの為に……




 ――あさ、起きるとリンジーと


 お花の飾りのドレスに、着替えるの。


 ピンクのリボンで、結ってもらうのよ。


 父上様と母上様に、ごあいさつして


 それからお歌を唄って、お花を摘むの。


 それがわたしの毎日なの。




「完」

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幼いアリシアの生涯 秋の桜子 @kosakura

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