ミラーの中のフクロウ

しろもじ

第1話 父と娘と、フクロウと

「何……これ?」


 車の後部座席に腰掛けた森本結月ゆずきは、独り言のようにぽつりとつぶやいた。運転席に座っている父、幸太こうたはシートベルトを締めながら「あぁ、それはな」と苦笑いする。


 年頃を迎えた娘と父の関係は、ここ一年ほどギクシャクしたままだ。こんな短い会話ですら、久々のことのように感じる。


 また、お前に助けられるのかな……?


 幸太はバックミラー越しに、娘の隣に座っているフクロウのぬいぐるみを見ながら、昔のことへと思いを馳せた。






 今から二十年ほど前。まだ高校生だった森本幸太は、近所に住むひとつ歳下の女の子に恋をした。彼女はとびきりの美人、というほどではなかったが、それなりに整った容姿、気立ての良さから、学校でも人気者だった。


 一方の幸太は勉強、学業、容姿のどれをとっても平均点。何をしても目立つこともなく、かと言って落ちこぼれるわけでもなく、とにかく平凡な人間だった。


 それ故に彼女との接点もほとんどなかった。


 彼女とお近づきになりたい。できれば付き合いたい。そんな思いを胸に秘めつつ、何もできない日々が半年ほど続いた。


 とある休日。幸太は母親に「おばあちゃんの部屋の換気をしてきて」と頼まれる。祖母が数ヶ月前に亡くなった後も部屋はそのままにされ、彼女の飼っていたペットの部屋となっていた。


 部屋に入った幸太はカーテンを引いて窓を開けた。まだ少しだけ冷たい風が部屋の中へと流れ込んできて、ブルッと軽く震える。窓枠に腕をついて、外に広がる住宅街を見た。視線を左の方へを滑らせていくと、数軒ほど先にひとつの住宅が見える。


 建売のどこにでもある住宅だったが、幸太にとっては特別な家だった。それが彼女の住む家だったからだ。家を眺めながら幸太はため息をつく。何もできない自分がもどかしい。


 きっかけがあれば……と思う。言い訳だとは分かっているし、何かないと出来ない自分が情けないとも思う。だけど、誰かに背中を押して欲しいという気持ちは本当のものだった。


 我ながら女々しいな……そんなふうに思っていたとき、突然背後から声が聞こえてきた。


「おい、眩しいだろ」


 慌てて振り返る。だが幸太以外に誰もいない。整然とした部屋には、隅の方に背の低い棚がポツンと置かれているだけ。その上には棚一杯の大きめのケージがあり、中には祖母の飼っていたフクロウが少し首を傾げながらこちらを見ている。


 気のせいかな、再び外を見る。同時にまた背後から「無視するな。眩しいって言ってるんだ」という声。もう一度振り返る。フクロウと目が合う。「カーテンを閉めろ。ワシは夜型なんだ」とフクロウが不機嫌そうに言う。


「って、えええっ!? フクロウがしゃべった!?」

「失礼な奴だな、お前。フクロウがしゃべって何がおかしい?」

「いやだって……そういうの普通は九官鳥とか、そういうのだと……」

「九官鳥がしゃべれて、フクロウがしゃべれない道理はあるまい」


 あまりに堂々とそう言われたものだから、幸太は「それはそうかも」と納得してしまう。


「とにかく、だ。カーテンを閉めろ」


 ジロっと睨みを利かせるフクロウに、幸太は頷きカーテンを閉めた。少し薄暗くなった部屋に、フクロウはホッとした様子で「そう言えば、お前。確か佳苗かなえさんの孫だったな」と問いかけてくる。佳苗とは、幸太の祖母の名前だ。


「う、うん。そうだけど……」

「お前、いくつだ?」

「え、歳? 十六だよ」

「ふん、ワシより歳下か」


 聞くとフクロウは今年十七歳になったそう。「敬語を使え。最近の若いものは……」と怒られる。ひとつ歳上のくせに随分エラそうだな、と幸太はムッとしたが、フクロウの寿命を考えるとずっと歳上という考え方もできるのかなと思う。


「そう言えば、最近佳苗さんを見ないが、彼女はどうしてる? もしかしてまた入院したのか?」


(そうか、おばあちゃんが亡くなったの知らないんだ)


 首を傾げながら訊いてくるフクロウに、幸太はどう答えたものかと迷った。だが、嘘をつくのも良くないと思い、できるだけオブラートに包みながら、祖母の死を伝えた。フクロウはしばらく目を瞑って聞いていたが、やがて「そうか……ワシより先に逝くとはな。まったくフクロウ不幸な奴だ」と小さくつぶやいた。


 こういうときどう声をかけていいのか分からないでいると、突然フクロウはカッと目を開いて幸太の方へ首をクルッと向けてきた。キョロっとした目で幸太を見る。


「お前、名前は?」

「僕は幸太。森本幸太です」

「ふむ。若干浮ついてはいるが、良い名だ」


 やや微妙な褒め方だし相手はフクロウなのに、それでも嬉しいと思えるのは新発見だった。フクロウは祖母から「フーちゃん」と呼ばれていたと言う。「フーちゃんさん」と呼ぶと「それは日本語としておかしい。フーちゃんでいい」とたしなめられた。


 幸太とフーちゃんはとりとめない話をした。学校でのこと。家でのこと。フーちゃんはまるで幸太の保護者であるかのように、黙って頷いたり、時折上から目線でアドバイスを送ったりしていた。


 小一時間ほどしゃべった頃。フーちゃんは「お前、もしかして恋をしているのか?」と訊いてきた。その質問にドキッとした幸太は「な、なんで分かったんですか!?」としどろもどろになりながら答えた。


 フーちゃんは「引っかかったな。カマをかけただけなんだがな」とフフッと不敵な笑いを浮かべた。得意げに首をクルクル回しているフーちゃんに、一瞬イラッとしたものの、素直に彼女のことを話した。


 家が近所なだけのひとつ歳下の女の子。たまに顔を合わせたり、挨拶くらいはするけれど、もちろん遊びに行ったりする仲ではない。フーちゃんは丸い目でしっかり幸太の顔を見ながら話を聞いていたが、やがて「それなら、なぜ彼女にその気持ちを伝えないんだ?」と首を傾げる。


「そんなに簡単なものじゃないんだよ……ないんですよ」


 ギロっと睨まれて慌てて語尾を訂正する。フーちゃんはもう一度首を傾げながら「簡単……だと思うのだが」と言う。


「何を心配することがあるんだ?」

「だって……それは……ほら、断られたらどうしよう、とか」

「断られたって、別に死ぬわけじゃあるまい」

「そりゃ……そうですけど……」

「なら何をムニャムニャ言っておるんだ。男だろ!」


 晩ごはんになるまで幸太とフーちゃんはああだこうだと話し合った。今まで誰にも言えなかった気持ちを話せたことが、幸太の心境を変えていった。いつの間にか幸太は「よし、明日言います。彼女に告白してきます!」と言うようになっていた。


「まったく世話の焼ける奴だ」


 フーちゃんはちょっとだけ疲れた顔で、それでも笑顔でそう言っていた。


 翌日、幸太は帰宅途中の彼女を呼び止め、自分の思いを伝えた。事前に練りに練っていたセリフは、彼女を前にした途端吹っ飛んでしまい、自分が何を話しているのかも分からないまま、幸太は必死で彼女への気持ちを語った。


 「だから……付き合って下さい!」と頭を下げる幸太に、彼女は真っ赤になりながらうつ向いたまま「はい」と小さく答えた。


 彼女とまた会う約束をした幸太は、現実かどうか分からない感覚に包まれながら帰宅すると、真っ先に祖母の部屋へと向かった。ドアを開けると、フーちゃんが眠そうな顔で幸太の方へクルッと顔を向ける。


 幸太が彼女に告白したこと、そしてそれが上手くいったことを伝えると、フーちゃんは「そうか。やったな、幸太」と目を細めた。「ちょっとカバン置いてきます」と部屋を出て自分の部屋へ向かう。部屋着に着替えてもう一度祖母の、フーちゃんの部屋へと戻った。


 色々お礼を言わなきゃいけない。フーちゃんが大好物だって言ってた、お肉も買って来てあげよう。そんなことを思いながらドアを開ける。ケージに近づきフーちゃんに話しかける。


 フーちゃんのお陰です。フーちゃんが背中を押してくれたから。僕一人じゃ、きっと何も言えないままでした。


 懸命に感謝の気持ちを伝える。だが、フーちゃんは首を傾げたまま何も言わない。


「フーちゃん?」


 人間の言葉をしゃべるフーちゃんは、その日を境にただのフクロウに戻ってしまった。





「それ、今考えた話?」


 結月は隣に置いてあるフクロウのぬいぐるみを撫でながら、訝しげな視線を幸太に向ける。幸太は苦笑いをしただけで何も言わない。


「ね、もしかして」


 信号待ちで停車していると、後部座席から結月が話しかけてきた。いつの間にかフクロウが膝の上に置かれている。


「その女の子って……」


 幸太の初恋の相手。近所に住む、ひとつ歳下の女の子。


「彼女の名前は……高橋、高橋舞弓まゆみ


 幸太はそう言うと、フロンドウィンドウの先にある景色を眺めた。車道の脇には桜並木が並んでいる。まだつぼみだが、来週には見頃になるとラジオのニュースが伝えていた。ちょうどあの頃もこんな季節だった。


「お母さんなんだ……」


 結月はフクロウをギュッと抱きしめる。バックミラーに映る結月は、少し頬を赤くしている。その表情を見て、幸太は「母さんそっくりだ」と、少しだけ微笑んだ。


「ね、お父さん。その話、もっと詳しく聞かせて」


 結月が身を乗り出してくる。思わぬ娘の反応に、幸太は「家に帰ったらゆっくり話してあげるよ」と答える。信号が変わり、そっとアクセルを踏み込む。ゆっくりと車が動き出した。


 やっぱり、お前は俺を助けてくれるんだな。


 バックリミラーの中で、娘にギュッと抱きしめられているフクロウを見ながら、幸太はもう一度、彼に礼を言った。


 ありがとう、フーちゃん。

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