今梟

小余綾香

エピデミック

 X県は封鎖された。

 通じる道という道に防疫措置が施され、入るも出るも適わない。配置された人員も物々しい装備で身を固めながら、内への警戒で気配が張り詰めていた。


 その病が発生したのは僅か3日前だという。

 最初は子供の錯乱に思えた、との証言が得られている。公にはその子はAとだけ呼ばれている。本人と近親者のプライバシーと社会的影響に配慮し、性別・年齢は伏せられた。動画サイトへの投稿は極めて速やかに削除され、現在、映像での確認は困難だ。

 しかし、それを見た者は少なからずおり、関連情報は拡散され続けている。内容を以下に記す。




「ホーーーーー!」


 突然、Aは教室で人語ではない声を発し出した。初めクラスメイト達はそれに大笑いするばかりだった。

 しかし、それが何分も続くに至り、彼等は子供なりに不穏さに気付いた。

「何ふざけてんだよー」

「うるせーよ!」

 口々にAに対する非難が湧き上がる。

 それにも反応する気配がないとなると、今度は薄気味悪さだけが急速に共有されて行った。

「……ちょっと、先生呼んだ方がよくない?」

 ひそひそと囁きが交わされ、教室の空気が波立つ。

 そんな中で、暫し盛んに叫んだ後、子供はぐったりと動かなくなった。担任が駆け付けたのはその頃だった。慌てて人手と道具が確保され、ひとまずは保健室へと移動させたが、そう時間の経たない内に救急車が手配された。


 ストレス性の乖離症状。

 子供を診た医師はまずそれを疑った。Aは先週、遠足で山道を踏み外し、1m程とはいえ斜面を滑り落ちた、との家族の話も聞いた上での判断だ。失敗を恥ずかしがっていたAにとって、事実を知る同級生との学校生活が心の負担となっている可能性を考えたのである。

 事態が変わったのは、それから数時間もしない内だった。


「ホーーーーー!」

「ホーーー! ホーーー!」

「ホホウーーーー!」


 Aのクラスメイト達が次々と同様の症状に見舞われたのだ。

 学校で、学童で、家庭で、或いは通学路で、突然、子供達が叫び出す。いや、鳴き出す。


 学校はまだ対応し易かった方と言える。

 衝撃的な出来事の存在を認知していた為、素人に正式名称は判らないものの、集団なんとか、などと呼ばれる動揺の共有的な反応が起きた可能性を教師達は思い当たれたからだ。彼等は迅速に処理に当たった、と言える。

 よって、現在、他県において渦巻いている非難は的外れだ。よもや、この時点で子供達を個別隔離など出来よう筈もない。


 外で発症した子供達はほぼ119番か110番の世話になった。


 家庭での対応は様々だったと思われる。子供であるが故に様子を見た親が多かったことが推察されるが、具体的事実についての調査はない。

 何故なら、それについて証言出来た者が殆どいないからだ。

 彼等が家族と共に発見された状況において、親及び兄弟もまた既に人語を話さなかった。


 患者に共通する経緯として、まず梟に似た声を発した後、一時衰弱、そこから目覚めた後は鳥類に似た動きしか取らなくなることが一部流出したカルテや日記から伺える。ヒトには適さない運動によって死に至ったケースもあった。

 非常に感染力が強く、空気感染が疑われる。


 こうしてこの奇病は瞬く間に広がった。

 その日の内に学校の存在する市から病院は受け入れ限度を超え始め、夜が明ける前に医療従事者が軒並み感染していた。

 事態を重く見て、異例な迅速さにより非常事態宣言が発令され、多くの人間の通勤・通学前の早朝に県周辺から封鎖が完成したことが、この恐るべき感染症を地域的流行に留める可能性を残している。国内の不安が限定的におさまっているのは、この対応に依るところが大きい―――




 彼はタブレットに入力を済ませると、溜息をついた。

 遠くもないが、近くもない先に物々しい物体と人員と明かりが見える。そして、それは此方側を警戒しているのだ。

 ならば、悪あがきをしても仕方がない。道は塞がれ、自分達は恐怖の対象。ゲームのゾンビよりは丁寧な扱いを受けられるかもしれないが、彼は試す気にはならなかった。今や通称「梟病」、蔑称「梟憑き」は絶対の恐怖の象徴だ。


「どうせ敵キャラなら……ラスボスじゃなくていいからさ……なんか、雑魚魂みたいな……」


 自嘲気味に呟くと、彼はもう一度タブレットを点灯させた。充電も残り極僅か。しかし、それで充分な確信が彼にはあった。


――早急なワクチン、治療薬の開発が望まれるが――


 彼は指の強張りを感じ、関節の痛みに抗って入力を続ける。


――梟は速い。憑けば、もう恐れはない。ようこそ。――


 指先が『投稿する』に触れた。

 バックライトが消えるのと、中低音の鳴き声が響くのがほぼ同時だった。



 防疫措置には穴があった。空である。

 三次元的に全てを塞ぐことなど出来る筈もない。

 地上で煌々とライトが点く遙か頭上、夜の闇の中、1つの影が通り抜けた。


「ホーーーーーー」


 梟が鳴いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今梟 小余綾香 @koyurugi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ