僕らはカードを持っている≪フクロウ≫

篠騎シオン

切り札はフクロウ

「おい、逃げるんじゃねぇよ。俺のカードが当たらないだろ?」


後ろから追いかけてくる、不良。

ちょっと肩が当たったそれだけ。それだけなのに。

いちゃもんつけられて、殴られて。

僕は命からがら逃げている。


「なあ、お前のせいで怪我したんだけど、責任取ってくれるう? なあ!」


後ろで叫んでいる。

そんなに走れるなら怪我なんかしてないだろ。

そう思っても、僕には言う余力なんてなくて。

少しずつ少しずつ、距離を詰められる。

普段運動不足な僕はもう限界気味で。

殴られたくない、死にたくないという生存本能がなんとか足を動かしていた。


「お前、もうへとへとじゃん、なっさけねぇな。いけっ、カード」


後ろから聞こえるその言葉、振り返る余力もない。

足に絡みつくなにかを感じた、次の瞬間には世界がひっくり返ってた。


「手間とらせんじゃねぇよ」


背中から地面にたたきつけられていた僕に、不良が追い付いてくる。


「≪奪取≫」


彼はにやりと笑いながらそう言った。

その言葉とともに彼の腕のあたりから白い蛇のようなものがにゅるりと飛び出す。

さっき僕を転ばせたのはこれだったのか、と思ったのもつかの間。

それは僕の体にぐるぐると巻き付いた。


「ひっ」


殺される、と思ったけれど、強くは巻き付いてこず、苦しくはなかった。

代わりになぜかポケットから財布の感触がすっと消えていく。

僕の体を巻き付いていたものが消えると、不良の手の中には僕の財布がおさまっていた。


「≪奪取≫完了。治療費ももらったし、今回のところは許してやるよ」


これが彼のカードの力なのだろう。

お金を取られた悔しさよりも単純な羨ましさが僕を包む。


不良は、僕の財布をひらひらとふりながら去ろうとしていたが、なにを思ったのかこちらに戻ってくる。


「お前かわいそうになぁ、さぞ全く使えないカードなんだろうな」


それは先ほどの獲物をつけ狙うような目から一転して、憐みの目だった。

僕はその言葉に、強く唇を噛んだ。一番言われたくないことだった。


「じゃあな、強く生きてけよ」


そう言って不良はいなくなる。

背中が痛い。かなりの勢いでたたきつけられたのだから、しょうがない。

痛みと、悲しみと、悔しさでじわり、目から涙があふれだす。


ぽとり。

一粒の涙が落ちた瞬間、僕の胸元が光りだした。

ああ、彼が出てくるんだな。僕はそのまぶしさによって瞳を閉じた。

目を開けると、目の前に僕の『カード』がいた。

ふわふわの羽、大きな瞳、そして嘴。


『ユキ、大丈夫?』


心の中に直接話しかけてくる、僕のカード『フクロウ』。

柔らかい羽で僕をやさしくなでてくれる、僕のたった一人の友達だ。


『ごめんね、僕が何もできないばっかりに』


彼は申し訳なさそうに言う。

そう、彼には戦う力がほとんどない。ちょっと敵をひっかくくらいがいいところだ。

不良を倒すなんてもってのほかだし、この世界で成功するなんて希望すら持てないカード。


「そんなことないよ、君が友達でいてくれるだけで十分だ」


心を読める自分のカードの前で、僕は意味のない見栄をはる。


僕らはみな産まれてきたときにもらった一枚のカードを使って生きていく。

幸いなことに社会が戦闘に満ち溢れているわけではない。

でも、戦闘がなくても世の中は争いばかりだ。

学校の中でのカースト争い、会社同士の争い。

みな、自分のカードを認めてもらおうと必死だ。

カードの能力弱者は、虐げられ貶められる。

僕のように。


そんな状況で、自分のカードを、運を、恨まずにいられるだろうか。

どんなに僕が努力したって、世の中の人間は特別な力、カードの力で評価される。

タカやワシのカードを持つ人間は、その大きな翼で自らも空を飛べるという。

僕のカードがそういうのだったら、不良からだって逃げられたのに……。

もっともっと遠くへ行くことができたのに。

唇を噛みすぎたせいか、口の中は血の味がした。


「君の無力を、カードのせいにするな」


「えっ」


周囲から突然聞こえてきた、澄んだ声。

僕はその美しさと内包する冷たさに、思わず息をのむ。

慌てて周囲を見回すが、声の主はどこにもいない。


「誰? どこ?」


「一つ目の質問は、無回答。でも二つ目は答えられる、ここ」


彼女の最後の言葉とともに、目の前に真っ白な少女が現れる。

頭部から水彩絵の具が垂れていくかのように、

色が流れてゆき、彼女の全身を描き出す。

白髪、ツインテール、特徴的な赤い目。

少し僕より高めと見える背は、身長160cmくらいだろうか。


「意外と驚かないのね」


僕の様子を見た彼女は感情を含まない声でそう言った。

ただ、僕の様子に少し感心しているようだった。

その反応に僕はちょっと嬉しくなる。

本当はこの世の中には僕の理解できないことばかりで、理解しようとすることをやめたら、驚きもしなくなった。ただ、それだけなのだけれど。

僕は彼女に幻滅されないように、慎重に言葉を紡ぐ。


「ただのカードの力、だろ」


できるだけ馬鹿に見えないように、当たり前だというように。

そんな僕の言葉に、彼女はまた平坦な口調で言った。


「頭は馬鹿じゃないのに、カードの使い方は馬鹿なのね」


「なんだって」


その言葉に僕は声を荒げてしまう。

だって、僕のカードの無力は僕が一番知っている。

何もできない。僕をつかんで空を飛ぶことすらできない。僕の優しい、役立たずの友達。


「友達と言っておきながら、役立たずだの無力だのあなたは随分自分のカードをひどい扱いするのね。何も理解してないくせに」


「は? 僕のカードのことは、僕が一番……あれ、今、口に出した?」


少女は哀れむような眼を僕に向ける。


「わ、わかってるよ。それもただ、カードの力なだけだろ」


「長所は短所。短所は長所。カードを扱う上で大事なのはとらわれないこと。あなたは、フクロウという生き物にとらわれすぎなのよ」


「しょうがないじゃないか、フクロウなんだから!!」


彼女の言葉に僕が声を荒げる。すると、目の前の空間がすっと透き通り、

もともとそこにはなにもなかったかのような状態になっていた。

もう一度あたりを見回す。今度も何もいない。

まるで、彼女がいたのが夢だったようだ。


『ユキ、ほんとにごめんね』


僕の腕の中で、フクロウが沈み込んだ声を出した。

僕は、そんな落ち込んだ友達に言葉をかける力もなく、愚痴をこぼす。


「……僕だけどうしてこんなつらいんだ。どうしてこんな苦労を。苦労……?」


僕は、自分のつぶやきにはっとする。

できるのか? でも、できないこともないかもしれない。

僕は自分のカードを見つめる。


僕の友達は、きらきらとした目で見つめ返してきた。

そしてできる、というように、小さくホーと鳴いた。


体の全身に力がみなぎってくる。

僕は立ち上がり、不良のいなくなった方向へ走り出した。





「それでそれで、お姉さま。彼はそのあとどうなったの?」

ベッドに寝そべっている少女は自らが姉と呼ぶ相手に続きをせがむ。ふちに腰掛けている彼女は微笑みながら、問いに答えた。

「彼は、フクロウを最強のカードに変えたわ」

「どうやってどうやって!」

少女がベッドの上でぴょんぴょんと跳ね、茶色い髪とフリルのドレスが揺れた。

「フクロウとは、不苦労。苦労をしないこと。彼はそのカードをただのフクロウから、苦労をしないという概念に変えた。」

「つまり、つまり。その子は、自分には何もできないという思い込みからカードの形を生き物のフクロウに固定しちゃったってわけだね」

「あなたは、頭がいいわね。そう、物事は自分の見えているものだけじゃなくて、いろんな視点から柔軟に見なきゃいけない、そういうことよ」

彼女は言いながら少女の頭をやさしく撫でる。

撫でられるうち、少女の胸の中を幸福の感情が満たしていった。まるで、魔法かなにかのように。

「へへ。あたしお姉さまに撫でられるの。好き!」

「さあ、もう今日のお話はおしまい。寝る時間よ」

彼女が少女の頭から手を放して立ち上がると、少女の顔が曇った。

「ねえ、あたしもお姉さまのように立派にお仕事できるようになるかな?」

彼女の白いツインテールを見つめながら、少女は問う。将来の心配、不安。

「もちろん、あなたもみんなの能力を開花させられるようになるわ」

「絶対?」

「絶対よ。さあ、もう寝なさい」

彼女は、赤い瞳でまっすぐに少女見つめた。その瞳に見つめられた少女はうっとりと不思議な気分になる。もう、少女の心の中には将来に向けた不安は存在しなかった。

「うん、おやすみなさい」

少女はふわふわとした意識の中、ベッドへと横になった。


少女がベッドに入るのを見届け、彼女は寝室を後にする。

先ほどまでの自愛に満ちた表情は消え、残酷で冷徹な瞳が姿を現す。

「なってもらわなきゃ困るのよ」

吐き捨てるように言った彼女。

自愛に満ちた顔も、無表情も、今の表情も、すべてたった一人の彼女という存在のもの。

モノゴトは、いろんな側面を持つ。

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