指輪とフクロウ
茅田真尋
指輪とフクロウ
おぼろげな三日月が昇る夜空のもと、私は一人帰路についていた。
明滅を繰り返す街灯の下で、私は鞄の中身をあらためる。
やっぱり、ない。
見落としてるだけだと信じたいけれど、そんな希望は叶いそうになかった。
私ったら、どこまでまぬけなんだろう......。
あろうことか、私は彼氏に贈られたばかりの結婚指輪をなくしてしまったのだ。
落とし場所に心当たりは全くない。プロポーズが嬉しくて、私は浮かれすぎてしまったのだ。
だけど、そんな大切な人からの大事な指輪をこうも簡単になくしてしまうなんて。
あの人はなんと言うだろう。
気持ちを軽んじられたと怒るのかな。いや、あの人は優しいから、怒る前に悲しむかもしれない。自分の気持ちはちゃんと届いていなかったのだと。
もちろん、彼のことは本当に好き。この気持ちに嘘はない。だけど形の上では、あの人の決死の思いを最悪の形で踏みにじってしまったことになるのかもしれなかった。
失意のどん底に沈む私を、おんぼろの我が家が出迎える。
私は未練がましく、再び鞄のなかをあさってから、立て付けの悪い自宅の玄関を潜った。
「ただいま......」
自分でも情けなくなるような弱々しい声を出して、私は自室のチェアに向けて鞄を放り投げた。換気をするため、ベランダに面した窓を大きく開ける。屋内で感じる夜風はじんわりと生ぬるく気持ちのよいものではなかった。
「ほぅー」
すると、帰宅した私を出迎えるように、ちょっとくぐもった愛らしい声が私の耳をくすぐった。部屋に隅に置かれた鳥籠に目を向けると、ふんわりとした茶色い羽毛に覆われたコミミズクの赤みがかった眼が、やつれきった私の顔をじーっと見つめていた。
「フク助......」
気づけば、私はすがるようにフク助のいる鳥籠へ駆け寄っていた。籠の扉を開けてやると、フク助は跳ねるような足取りで私の手に乗ってきた。私は手早く籠の中の糞やペリットを掃除してやる。ペリットとは胃で消化できなかった食べ物の残骸をフクロウが吐き出したものだ。
「もうー、私ってどうしてこんなバカなんだろうねぇー」
可愛いフク助の手前、私はつとめて明るい声を出し、ふかふかの頭をわしわし撫でてやった。フク助は嫌な顔ひとつせず、私に撫でられるがままだった。
「お前は優しいな。私のことなぐさめてくれてるの」
フクロウにそんな意識はないのだろうけれど、今の私は手の中でモソモソと羽繕いをするフク助の仕草に妙に癒されてしまった。
「......塞ぎこんでも指輪は出てこないものね。もう今日は寝ちゃおっか」
泣き笑いのような表情で、私はフク助に語りかけた。フク助は手の中からひょっこり私を見上げて、ほぅー、と鳴いた。
こちらへ首をこっくりかしげてみせるフク助。そんな彼ををぼーっと愛でていると、突然、フク助は私の手の中でじたばたと暴れだした。
「どうしたの、フク助?!」
そこからはあっという間だった。羽をもみくちゃに振り回したフク助は私の手を抜け出し、開けっぱなしだったベランダの窓から瞬く間に飛び去っていってしまった。
「あ......」
私は言葉が出なかった。
自分の抜けた性格のせいで、私は二つも大事なものを失うことになったのだ。
明くる朝、私は鳥籠の前で壊れた操り人形のように突っ立って、ぼろぼろと泣いていた。
どうして大切なものはふとした拍子に消えてしまうの?
私? 私がいけないの? 大切な人からの贈り物を邪険にしてしまうような人間だから? 私をなぐさめてくれてるように見えたフク助も心のそこでは、そんな私を見限っていたというの?
悪夢のような朝だった。底抜けのまぬけである私に神様が天罰を下したみたいだった。
ひとしきり泣いたのち、私は重い足を引きずって仕事に向かった。
もしかしたら、帰る頃にはフク助は何事もなかったように戻ってきているかもしれないじゃない。指輪だって案外、オフィスの引き出しの奥なんかに紛れてるだけかもしれないじゃないか。
そんな希望的観測が通用するはずもないと、心のそこではわかっていたのだけれど。
予想通り、仕事から戻ってもフク助の姿はなかった。もちろん、指輪も見つかっていない。
帰り途中には、交番で紛失物の申請を、スーパーで迷い鳥の捜索願いを出してきた。
自室の机に向かい、スーパーで買ってきた画用紙と引き出しの中の色鉛筆を用意する。これからフク助の迷い鳥ポスターを作成するのだ。
フク助の丸々とした姿を思い出しつつ、あの子の似姿を絵に描いているとまた不意に涙がこぼれた。
今頃あの子はどこで何をしているのだろう。案外、心配する私をよそに自由な外の世界を謳歌しているのかもしれない。本当は私の元になんて二度と戻りたくないのかもしれない。
気づくと、私の涙で手元の画用紙はぐにゃぐにゃになってしまっていた。描きかけのフク助も毛の茶色が滲んで、靄のようになってしまっていた。なんだか、このままフク助が永遠に消えてしまうような気がして、私はすぐに画用紙を丸めて捨てた。
そうして初めて、自分の行為のおかしさに気づく。絵なんか描かずとも写真を張ればすむ話じゃないか。あの子が恋しいあまり、無機質な写真ではなく、頭のなかに生き生きとその姿を思い描きたくなってしまっていたのかもしれない。
しっかり、しないとなぁ......。
重く胸にわだかまる暗いな気持ちを振り払おうと、肺から思いっきり息をはいた。すると、ちょっぴりだけ気分がましになったような気がした。
きっと暗く沈んだ私のもとになんて、フク助は永遠に戻っては来てくれないのだろう。
やっぱり、これは神様からの天罰なのだ。おっちょこちょいな私への、そして嫌なことがあると、すぐ塞ぎこんで無力になってしまう私への。
私は半ばやけになって、鞄の中のスマホを引っ張り出した。lineのアプリを開き、彼氏との個人チャットルームを呼び出す。
「きちんとあなたに伝えないといけないことがあります。週末にもう一度会いましょう」
一思いに書ききって、勢いのまま送信した。
なぜだか、私はやたらに興奮していた。
彼にちゃんと謝ろう。隠していたって仕方がないんだから。自分の失敗は自分でカバーするしかないんだ!
「大事な話って何?」
数日後、近所の喫茶店で私はプロポーズをしてくれた彼と向かい合わせに座っていた。
あの夜は勢い余って送信してしまったけれど、冷静になると緊張が一気にぶり返してきた。だけど、一度言ってしまったものはもう取り消せない。
「あ、あのね。実は......その......」
言い淀む私を、彼は柔らかな視線で優しく見つめる。そんな風にされるとますます言い出しづらくなってしまう。だけど、今の私に退路はない。
「ごめんなさい!」
彼の面食らったような表情にも構わず、私は先を続けた。
「こないだ贈ってくれた結婚指輪をなくしてしまったの! せっかく、せっかく私のために選んでくれたのに......本当にごめんなさい!」
私は精一杯の気持ちを込めて頭を下げた。彼はそんな私を無言で見つめている。刺すような沈黙がまるで自分を責め立てているように感じられて、すぐにもこの場を逃げ出したくなる。だけど、洋服の裾をぎゅっとつかんで必死に耐えた。
彼は黙ったままだった。
やっぱり怒って当然だよね。そう思ったとき、
「あっはははは!」
彼は突然手を叩き、軽い声で笑い出したのだ。予想外の反応に思わず拍子抜けしてしまう。
「お前らしいなぁ、指輪をなくす花嫁なんて。ほんとおっちょこちょいだよ、お前は」
「おっちょこちょいで悪かったわね!」
反射的にそう返してしまってから、私ははっと気がついた。からかうような彼の声音に、私は今の状況を忘れてしまっていたのだ。
「いいよ、指輪なんて。また今度二人で一緒に見に行こう。......時間はたっぷりあるんだからさ」
それは結婚したあと、夫婦の時間ということだろうか。彼はまぬけな私を許してくれると言うのだった。
「ありがとう......」
自分でも聞こえるかどうかという小さな声で、私は彼にお礼を伝えた。
「もう、帰ろう」
彼は席を立ち、私にそっと手をさしのべてくれた。頼りがいのあるその手を、私はしっかりと握った。
その帰り道、私と彼はいつもと同じような雰囲気でいた。だけど、やっぱり指輪の件は彼の心に少なからず刺さったのか、会話の所々で動揺していることが私にはわかってしまった。あの明るい態度は私を気遣っての演技なのだろう。
和やかなようでぎこちない。そんな妙な空気が私たちの間に漂っていたとき、前方の大空からこちらに飛んでくる一羽の鳥の影を視界に捕らえた。
「フク助?」
私は思わず口に出していた。震える私の声を聞いて、彼は足を止めてくれた。
夕暮れの空を翔るシルエットを眼を凝らして見つめる。丸々とした頭。全身を覆う茶色の羽毛。愛嬌のある赤色の眼。
紛れもなくフク助だった。
地上に降りたフク助は馴れた動作で私の肩に止まった。
「おかえり、フク助」
懐かしいフク助の丸々とした身体に、私は頬を思いっきりすりよせた。
唐突な展開に戸惑い気味の彼に、ここ一週間の事情を説明した。
「なんだよ、それなら言ってくれれば一緒に探したのに」
彼はそう口を尖らせるが、言えるわけもない。私は指輪の件で頭が一杯だったのだ。
そのとき、フク助が地面に向けて何かを吐いた。目を向けると、黒っぽい色の小さな粒が落ちている。ペリットだ。
それを見た彼が突然目の色を変えた。
「これって......」
彼が指差す先を見ると、ペリットのなかにキラキラときらめくものがある。
なくしていた結婚指輪だった。
「フク助......」
私のためにこの子は指輪を探しに行ってくれたのだろうか。
......それとも、そもそもの原因はこの子の誤飲?
でも、無事指輪もフク助も戻ってきた時点でもうどちらでも良かった。
ペリットから指輪を取り出す私の手を見て、フク助は誇らしげに、ほぅー、と鳴いた。
指輪とフクロウ 茅田真尋 @tasogaredaru
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