KAC1 翼のある使いの神

神崎赤珊瑚

翼のある使いの神

 白いフクロウは、至天から舞い降りる。

 兵士たちは、はじめはうつろな目で高空を見上げ、次によろよろと立ち上がり、降りる先へと集まり始める。

 長い戦争に肉体は疲弊し心は倦み、もはや兵士たちは軍の体裁を維持することすら限界近い。

 それでも、なんとか敵軍との戦闘を継続できているのは、ひとりの統率者カリスマの存在ゆえだった。

 天頂方向をほぼ覆う巨大な太陽から、翼を広げ降りてくるフクロウ。

 その先には、ひとりの少女がいた。

 第二公女にして剣術の達人であり、軍を率いても並び立つもののない戦果を重ねる将軍でもある。

 光を受け風を受け、黄金きんの髪が緩やかに広がる。

 王権を示す白銀ぎんの腕輪を真横のまま頭上に差し上げる。

 羽を一度限界まで広げ震わせると、フクロウは王女の腕へと降りた。羽をくるりとたたむと、まんまるの愛嬌のある姿を見せる。

「我が勇敢なる兵士たちよ」

 第二公女は、よく通る声で、自分を遠巻きに眺めてる兵士たちに呼びかける。

「古来より、フクロウは、女神の戦いの先触れであり嚆矢はじまりであった」

 美しい少女は、自らが戦の女神のように言うが、この場にいる誰にも異論はないだろう。顎をあげ、詩を謳うように朗々と言葉を紡いでゆく。

「敵はあるか。

 仇はあるか。

 仲間を、家族を、ともがらを。

 我々は、何を奪われた」

 フクロウは、少女の腕から肩へと移る。

 兵士たちが、少しだけざわめきはじめる。

「時は告げられた。

 我らは取り戻す。奪われたものを。

 奪われた英雄の失われた血は、何を以て贖われるか」

 公女は、傲然と胸を張り、完全に掲げた手を兵士たちに向け、力強く問いかける。

「そう。報復だ。

 敵から奪う死でしか、等しい死でしか贖えない!

 我らの家族の魂を、我らの英雄の魂を、慰めるには等量の死を血を捧げるしかない。

 報復を。血の報復を! 絶対応報を!!」

 兵士たちに熱が入ってくる。

 もとより、第二公女の人気は絶大だった。

 その後しばらく公女の演説アジテーションは続き、士気が砕けてしまいそうだった軍勢は報仇雪恨を叫びながら、再び敵に立ち向かうための意気をかろうじて得る。

 長く続く戦争は、既にこんなことの繰り返しだった。


「なるほど水星人の精神構造メンタリティが、一番地球人に近い、というのはこういうことで、あるか」

 織田信長は、居所として与えられている天幕から出て、公女の演説を眺めていた。東アジアの歴史上の英雄と同姓同名であったが、もちろん直接の関係はない。ただ織田家に生まれた子に親が信長と付けただけである。

 突然、水星に赴任し水星人の戦術顧問をせよ、と言い渡され、不満と不安ばかりであったが、来てしまえばニューヨークビッグアップルでの国連勤務よりかは遥かに面白い環境だった。

 実際問題、融通が一切ない火星人や何一つはっきり言わない金星人の相手しているよりはずっと良いと思った。

 人類はようやく二十一世紀の末に水星へ自らの足で降り立ち、そして水星人と邂逅した。火星人、金星人に続き、地球外知的生命体との遭遇は三例目だった。

 水星は地球で言えば中世後半程度の時代にあり、発見後すぐに地火金の三惑星で基本的に干渉はしないと取り決められたはずであるが、なぜか火星金星双方からの指示で地球から遠路水星へと戦術顧問を送り込むことになった。

 金星人は韜晦が過ぎて関係あることないこと言いすぎて何をいっているのかさっぱりわからないし、火星人は説明が多すぎて正論であるが余計なことを言いすぎて何をいってるのかさっぱりわからないが、それでひとり国連宇宙軍UNSC作戦部で暇していた武官がひとり、水星へと送り込まれた。

 火星も金星も、科学技術テクノロジーでは圧倒的に先を行っているため、彼らの要求に対する地球の解釈がおかしければ強引に干渉して止めてくるだろう。妨害なく信長が水星に行けたということ自体が問題がないということを示している、というのが今の地球の公式見解ノリである。適当極まりない。

「素晴らしい演説でしたね」

 肩に白いフクロウを乗せたままの第二公女が、軍の本営に戻るべく威風堂々に歩いていたので、信長は軽く挨拶をする。

「なるほど地球人あなたがた精神構造メンタリティが、一番水星人われわれに近い、というのはこういうことですか」

 さらり、と言葉を返してくる。柔らかい印象だったが、信長の背筋はぞく、とする。

 この姫は、軍を率いる歴戦の将軍だ。その中身が見た目通りの若い少女のはずがない。

どうにもならないからやってることバッドノウハウにあえて賞賛を与えるということは皮肉と受け取ってよいのですか?」

 信長は肩をすくめ、白旗を上げるよう両手を上げて軽く振り、

「いいえ。そういった意図はありません。確かにニュアンスとしては皮肉や世辞にもなり得ますし、その点はお詫びしますが」

「詫びることはないですよ。たとえ皮肉や世辞だとしても。

 ただ、異星のあなたたちもわれわれと同じく、どうとでも取れる賞賛を行うのだ、と感心しただけなので」

「今回は公女様のお姿に本当に感得していました」

 これは素直な本心だった。彼女の立ち姿は本当に美しいと思えた。

「そっか。それなら素直にうれしいな」

 心の底から嬉しそうに莞爾にっこりと笑う。柔らかな春の陽射しのような笑顔は、本当に魅力的だった。


 水星の遠望は、地球によく似ていた。

 もちろん植物相も湖沼の色も全く異なるが、植物の緑が紫に多少よっている程度で全体の印象は近い、と信長は思った。

 もっとも地球人が持つであろう印象の話であるなら、天を広く覆う巨大な太陽の姿で全て持って行かれるのだろうが。

 公女個人の天幕に呼ばれた信長は、中を覗き込む。それだけですぐに反応はあった。

「来てくれましたね。少しだけ、お待ちを」

 積み上げられた書類の束――軍組織の決裁のたぐいだろう――を手早く処理を進めている。

 髪をまとめ眼鏡のようなものをかけた公女の横顔を眺めながら、信長はどうにかしてあの柔らかそうなほっぺたを突付けないかと考えていた。

 待つことがご褒美になるなんて、どうかしてる、と思いながらも実際のことなので仕方がない。

 しかし、水星人は地球人によく似ている。公女を兵士たちも、地球人と比べ、耳が尖って、体格が多少華奢な程度の差異しか見られない。爬虫類由来ドラゴンタイプの火星人や、機械サイボーグ化が進み実態がよくわからない金星人よりはよっぽど人類に近いのだろう。

 公女は鈴を鳴らし従卒を呼ぶと、机上に残っていた幾枚を指示とともに渡す。従卒は畏まって受け取ると即座に天幕から飛び出してゆく。

「すみません。途中で作業を中断して続きをするということができない性質たちなので。――戦術顧問どの以外は、呼ぶまで外に」

 人払いをすると、信長に向き直り、

「相談にのっていただければと思いまして」

「なんでしょうか。

 力の及ぶ限りなんでもしますが」

 とはいえ、出来ることは少ない、と信長は踏んでいた。

 戦術については水星の方が地球より先に進んでいた。この理由は、水星人の寿命が長く、ひとりの天才が思索に費やせる時間が長いことに由来すると、信長は考えていた。

 水星人は肉体の成長が遅く寿命が長い。地球時間で二百五十年ほどは生きるようだ。

 だから、出来ることといえば、一般論を小賢しく述べる程度しか出来そうにない。

「あまり、良いことではないのですし、お頼みできる義理でもないのですが。単刀直入に申し上げますと、

 我々を苦しめる、あの白いフクロウを、殺してはもらえませんか」


 あの白フクロウ、敵陣でも同じこと、神々しく将軍の腕へと降りる演出を繰り返しているらしい。

 そもそも双方の軍は戦略的には既に破綻しており、軍の士気さえ挫けてしまえば辞められる戦いだと、公女は言っていた。

 地球の、大気であればそれなりに保護色になったであろう、その純白は、水星環境の色彩では非常に目立つ。

 信長が用意したのは、有効射程が二キロメートルを超えるロングライルであった。こんなものを取り扱うのは、国連軍UNに出向する以前が最後で、もちろん得意な部類ではなかった。

 この武器は、本星から取り寄せたものではない。水星行きの武官の荷物として、あらかじめ用意されていた。事態を予見していたかのように。

 三ヶ月前に取得してあった武器使用許可コードも、今日の封印解除を指定していた。

 光学照準器スコープ越しに姿を捉えた。

 補正は機器が自動で行われるので、あとはトリガーを弾くだけで、外すことはない。

 

 信長は、公女のことを「公女様」「第二公女様」「おひい様」などと揺れながら呼んでいたが、実際のところ本名は知らない。

 水星の風習だと、本名はよほど親密にならないと教えないらしい。


 狙いすまされた荷電粒子の紫の軌跡が、翼を伸ばす白いフクロウを貫いた。

 水星の大気が、きゅう、と歪んだ気がした。


「あの白いフクロウは、末端とはいえ神です。

 神の遣いである神です。

 翼をもつ使いの神です。

 それを殺せと言うのですから、何が起こるか全くわかりません。

 ですが、それでも、お願いしたい」

 無論、この美しい公女も手を打たなかったわけではない。

 幾度もその殺害を試みて、全てが失敗に終わっていた。

 だから、憂う彼女は願った。

 この星に巣くう無数の神という概念とその眷属から、人々が解放されることを。


 願いは神には通じなかったが、星を越え友邦には届いた。

 金星人は本当に話通じず面倒くさいが、何重にも張り巡らされた心の奥底には素朴な衷心が隠れていたし、火星人は本当に理屈っぽくて面倒くさいが、正義のためにヒトが苦しむくらいなら大切にしている筋を曲げられる強さがあった。

 火星で作られた銃に、金星で作られた弾を込め、地球人が撃つ。

 その意味は、星間戦争だ。水星の神々と、地球と火星と金星とで。

 水星神、というのがどんな存在かはわからない。

 どんな力を揮えるのかはわからない。

 しかし、内惑星の人々には、友人を苦しめると戦うつもりは共通していた。


 信長は、知らないままに今後百年にも及ぶ大戦争の宣戦のトリガーを引く時も、

「公女様、これでなんとか本名教えてくれないかなあ」

 などと不埒なことを考えていた。


 戦を告げる使いの神は死に、星内の戦争は終結した。

 戦を告げる使いの神は死に、新たな戦争の開始を告げた。



 

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