フクロウ田中

数波ちよほ

フクロウ田中

 桃色の花びらが舞う麗らかな午後。

 窓際の席から川沿いの河津桜をじっと眺める一羽のフクロウがいた。


「田中さん、ちょっと聞いてくださいよ~」


 黄色い声に話し掛けられて少し驚いたのか、フクロウは首をくるっと回すと声の主を見据えた。


「あ、今日も瞳がキラッキラですね――田中さん」



 そう、彼こそはあの巷で有名なフクロウ――「田中」である。



 都会で生きるフクロウの苦労は計り知れないが、田中はかれこれ十年間、都会と言えなくもない郊外にあるこの川沿いの骨董屋に勤めていた。

 慣れというのは不思議なもので、本来夜行性であるはずの田中は今や人間と共に朝起きて、昼は窓際でうつらうつらし、夜は布団に入って羽を休めるのだった。


 けれどもこのところ、田中は珍しく連日夜遅くまで眠れずにいた。なぜか夜桜の舞うころになるとソワソワするのである。野生時代の名残であろうか、そんなこんなで田中はこのところ睡眠不足を引きずっていた。


「今夜は例の彼とついにデートなんですよぉ。夜桜。夜桜デートですよ、田中さん。どうしよう~」


 新入社員の春野さくらは、春めいた声で田中に話し掛けると、田中のふんわりした羽毛をわしゃわしゃとした。 


「せっかくなら初デートは桜の下でって。あの川沿いにある一番大きな河津桜あるじゃないですか、あの一段と色の鮮やかな桜の木の。あの桜の花びらを――」


 田中は思わず全身の羽毛をキュッと縮めた。

 その話なら知っている。桜の花びらが舞い落ちる前に掴むと恋が叶うというあのありがちなジンクス。ただでさえ仕事の為に昼夜逆転した生活で疲れやすいというのに、毎日毎日新入社員の女子トークに付き合わされるのは勘弁してもらいたいものだ。

 田中は心の内でひとしきり呟くと、そういえば桜の花びらは何枚集めるんだったかなと考えた。


「三枚ですよ、田中さん。あの桜の花びらは特別だから三枚で十枚集めたことになるんです。でもまぁ所詮ジンクスですよね、そんなの。海の向こうなんて、そんな遠くに行ったらもう一生会えないかもしれないでしょう。約束なんてどうなるかわからないじゃないですか。だから別に――」


 そんな適当な枚数でいいんだろうか? 

 田中は少し呆れながら羽を伸ばすと、今度は警戒を解きながら嘴が許す限りの大きなあくびをした。


「諸行無常ですよ、田中さん。もぅ、ちゃんと聞いてくれてますかぁ~」


 あくび中のフクロウを優しく撫でると、春野さくらは微笑みながら、今度は小さな声で独りごちた。


「ところで田中さん、どうして田中さんは "幸せ" の小さなフクロウって呼ばれてるんですか……?」





 その晩、田中は夢を見た。


 大雨の中、みるみる散って行く川沿いの夜桜。

 ぼんやりと幻想的に浮かび上がる世界でさくら色の光をつかもうと懸命に手を伸ばす頼りなげな少女の姿。

 あと一枚というところで雹が降り始め、夜桜の見物客は一人残らず姿を消した。

 縁日の赤提灯の仄かな光が一つまた一つと消え、最後の灯火もついには少女のもとに届くことはない。

 魔女か女神か、黒く大きな影が音もなく少女に忍び寄る。

 一瞬の後、世界は静寂に包まれた。光が消えた世界で、得体の知れない不気味な鳴き声だけが、闇夜に虚しく響いていた。――




 明け方。

 思わず布団を引き剥がすように目を覚ました田中は、「ホゥー」っと一声鳴くと羽を伸ばした。きっとあんな話を聞いたからだろう。

 ただのジンクスごときで心配することもないのにと、田中は自分に言い聞かせるようにして、平静を装って骨董屋まで一息に飛んだ。

 満月を背に音もなく羽ばたくフクロウの翼に、まるでついさっき大雨でも被ったかのような雫がキラキラと輝いた。



 結局、さくらの花びらは春の嵐とともに呆気なく散ってしまったと、田中はいつもより三十分も早く出社した春野さくら自身から聞いたのだった。


「田中センパイ今日はめちゃ早いですね~」


 いつもと変わらぬ様子の春野さくらを横目でチラと見ながら、田中はまたいつもの窓際から散ったばかりの桜を眺めていた。 

 が、ふいに後ろからぎゅっと抱きすくめられて田中は思わず声をあげた。


「ホゥ」


「あぁ、やっぱりこのモフモフ、落ち着くな~」


 心なしかいつもより撫で方が荒いなと思いながらも、田中はそのまま春野の好きにさせておいた。


「あ~ぁ……なんかこの世界って時々すごく残酷ですよね、田中さん。でも……まぁ、諸行無常って言うし、うん。お互いの世界が……あるんだし、しょうがない……か」


 田中を逃がさんと顔を埋めてわしゃわしゃする春野さくらの手のひらの内に、ふと、田中の羽の間からヨレヨレの桜の花びらが舞い落ちた。


「あ……これ……」

 

 急に解放された田中は何事かと首をくるっと回すと、ヨレヨレのさくらを鋭い瞳で見つめた。一瞬の儚い煌めきが微かに光っていた。

 急に静かになった骨董屋の店内で、壁掛け時計がチクタクと響いた。


 *


 水面に散った花筏はないかだが悠々と川を行く麗らかな午後。

 骨董屋の窓際の席から川沿いの散ったばかりの桜を眺める一羽のフクロウがいた。


「聞いてくださいよ田中さん~。私いま英語の勉強してるんですよぉ。あ、今いまさら? って思ったでしょう。いいじゃないですか、英文学部入ったからって英語が喋れたら苦労しませんよ。シェイクスピアはちゃんと読みましたよ。弱強五歩格とか色々あるでしょう。でも肝心の英会話には全然興味無かったんだからしょうがないじゃないですか。法学部入ったらみんな弁護士になれるのかって話です。同じです、同じ。それより田中さん、バイリンガールって知ってます? 私あの #067 話が本当に好きで――」


 春野さくらはいつにもましてマシンガントークを極めていた。いまとなってはあの静寂が恋しいと、田中はしみじみと思うのであった。


「それに私、なんだか……待ってるのにも飽きちゃって。うん、たぶん、そういうことです。ほら、『待ち合わせに遅れてきた人が いたら走って迎えに行くのがあなたでしょ?』って魔女おばさんも言ってたじゃないですか、だから、ね、田中さん」


 ほどなくして春野さくらがどこかへ走って行くと、田中はいつもの窓際から雨上がりの澄みわたった空を見上げながら、ようやく羽を伸ばして一息ついた。



「ホゥ」



 窓辺に佇む小さな幸せのフクロウ。


 その名は――「田中」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

フクロウ田中 数波ちよほ @cyobo1011

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ