月の夜とラブレター

秋月創苑

 本編

「おぉ、チラッと影が動いた!

 動いたよな、今?」


 回廊に設えられた手摺りに手を乗せたまま、ハビが此方の方を振り向き叫んだ。

 月の綺麗な夜で、ハビの顔も明るく照らされ、その瞳を爛々と輝かせている。

 まだ少年の面影を残した風貌は、騎士見習いと思えないほどあどけなく上気している。


「そうかぁ?

 気のせいだろう?」


 俺の隣からやや呆れたような声でアレサンドロが答えた。

 アレサンドロも同じ騎士見習い。

 そして俺の名はジョゼ。

 俺達三人は揃って正面に向き直った。


 回廊の向こう、花壇のある中庭を挟んで塔の石壁が聳えている。

 地上から四段目の小さな窓から仄かな灯りが見え、さっきからその窓の中の様子を何とかして知ろうと、時折手摺りからハビが身を乗り出している。


「いや、絶対に動いたよ!

 ナタリアが顔を出すかも知れない!」


 ナタリアとは、窓のある部屋の住人であり、この城の第四王女様の侍女をしている娘の事だ。

 ナタリアがいかに可憐で、お淑やかな作法を身に付け、それでいて慎ましい性格なのか。

 この場所に来るまでの間、散々ハビに語られた。

 

 こんなに月が綺麗な日なのだ。

 きっと彼女は窓を開けるだろう。

 そうしたら、彼の熱い愛を彼女に語って聞かせるのだと。

 そう決意した目で何度もハビは言って聞かせた。

 半分は自分自身に言い聞かせていたのかも知れない。

 そこでまた俺達は正面の窓を見据える。

 

 秋を知らせる虫の声が幾重にも重なり、中庭を賑やかにしている。

 穏やかな風が木々の葉や花壇の花を揺らせる。

 一瞬雲が通り過ぎ、僅か月明かりが途切れる。

 だがいくら待ってみても窓は開かれない。


「……おい」

 しびれを切らしてアレサンドロが口を開いた。


「古来より」

 その言葉に応えるには些か不似合いな語り出しで、ハビが言葉を紡ぐ。


「恋物語に魔法使いは付きものだ。

 ロマンチックな演出に、乙女なら誰だって胸をときめかせるに違いない。」


「ほう?」

 俺は思わず声を出し、ハビの顔を眺めた。

 思わぬ展開に興味心を擽られたからだ。


「こんなこともあろうかと」

 言いながらハビがポケットに手を忍ばせる。


「用意してきたんだ。」

 彼が上げた右手には一枚の白い紙、いや封筒が握られていた。


「ラブレターか?

 ロマンチックと言うほどでも無いが。」

 アレサンドロが怪訝な顔で尋ねる。


「もちろん。

 ただ渡すだけでは、これはただのラブレターさ。

 彼女を射止めるには圧倒的にロマンスが足りん。」


「ほう」


「では、魔法使いの使い魔がこれを届けたら、どうだ?」


「ほう?」


「古来より」


「またそれか。」


「魔法使いの使い魔と言えば、いくつか有名だな?

 もちろん、フクロウもさ。」


「お前、まさか…」


「さ、ジョゼ。

 出番だ。」


「ほう?」

 ハビが手紙を俺の前に差し出す。

 なおも、差し出す。

 近い。近い近い。


 ―パクッ

 思わず手紙をくわえてしまった。


「よし、行けジョゼ!

 ナタリアの窓を叩いて、彼女が顔を出したら手紙をしっかり渡すんだぞ!」


 ―仕方なく、俺は翼を広げた。

 バサッと心地よい音を立て、続けて俺は手摺りを掴んでいた爪を開いて、宙へ舞った。

 全く、ヨハンじいさんの元に珍しい二人が尋ねてきたと思ったら、こんなくだらない事の為に俺様を使うなど。

 だが、たまにはいいさ。

 俺はデキるフクロウだからな。

 使い魔上等だ。


 とても気持ちの良い月明かりの下、悠々と翼を風に乗せ、滑空する。


「おい!

 ジョゼお前!

 方向が違うだろ!」


「やっぱ動物に頼るなんて無茶だろ。」


「このポンコツ鳥め!」


 ―失礼だな。

 無礼すぎるだろ、こいつら。

 俺はもう少し月夜の滑空を楽しみたかったが、忌々しい野次を聞きながらなんて無粋は御免被りたい。

 さっさと用事を済ませて、改めて散歩に出る事にする。


 ぐるっと塔の手前で旋回し、やがて柔らかな灯りを点す窓の前へと近付く。


 ―あっ


 窓を嵌めた石垣の枠の縁。月の光に照らされ輝く、一匹の白い芋虫が居た。

 でっぷりとその身に脂肪を蓄え、蠢く秋の味覚。

 堪らず俺はそいつをパクッとくわえた。

 顔を上げ、すかさず嚥下する。

 つるんとした喉ごし。


 美味い。最高だ。


 何やら後ろから人の声が騒ぎ立てている。

 だがこの至高の味覚の前には全ての事象など戯言に過ぎない。


 ―はて、俺は虫を啄む前にも何かをくわえていた気がする。

 何だったろう。

 首をぐるっと180度回してみても、一向に思い出せない。


 ―まあいいか。

 そもそも何かここに居る理由があった気がするが、それすらも最早どうでもいい。

 何しろこんなに月の綺麗な夜だ。

 眼下の庭も月の光を浴びて輝いているでは無いか。

 

 虫の合唱を聴きながら、俺は翼を広げた。

 夜はまだ、始まったばかりだ。

 

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月の夜とラブレター 秋月創苑 @nobueasy

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