再会

山門芳彦

再会

 再会 


「明けましておめでとう。今年は就活かな? 私は一足先に社会で頑張っています。葛木くんも頑張ってね。」


 年賀はがきを裏返すと、神奈川県横浜市云々という住所の横に、千歳香奈(ちとせかな)と小さく書かれていた。僕の高校時代のクラスメイトの名だった。胸がきゅう、と苦しくなる。


 脳裏に、香奈の丸い瞳が浮かんだ。肩まで切った髪を、ポンポンのように弾ませて走る制服姿は、僕の妄想だ。今の彼女は短大を卒業して、ウェディングプランナーの仕事をしている。フェイスブックもツイッターもしない僕は、今の彼女の姿を知らない。年賀状も、猪の可愛いイラストに手書きのメッセージを添えた簡素なものだった。しかし、高校時代から変わらない彼女の筆跡だった。


 さて返事を書こう。そう思った矢先、年賀状は届いた分だけを送る主義だった僕は後悔した。年賀はがきを切らしていたのだ。今日は一月七日で、家族が刷っていた分はもうない。今更送ろうにも、少し遅い気がした。返事のメッセージはすぐに浮かんだ。「ありがとう。千歳さんの活躍を祈っています。僕もやりたい仕事に就けるように頑張るね」。しかし、今から年賀はがきを買いに行って、白紙に一言というのも寂しい。何より、郵便局に行くのが億劫だった。


 その夜、六畳間の万年床に仰向けになった僕は、彼女の年賀はがきを見ながら言いようのない切なさに襲われた。冷えた布団が嫌になり、「あー」と唸る。ミミズのように身をよじらせて、ふと「会いたい」と呟いた。心の中で「未練がましい!」と𠮟責が飛ぶ。


 画面の割れたスマートフォンを手にして、ラインを起動した。トークの履歴から『千歳』と検索すると、なにがし酒場千歳烏山店だの、千歳船橋店だの、千歳空港店だのというアカウント名ばかりが並ぶ。平仮名で『ちとせ』と打つと、『ちとせかな』という名前と、ディズニーリゾートで友達と撮ったらしいアイコンが出てきた。このスマートフォンに機種変更してから、彼女とのトーク履歴はない。


「会いたい」


 また呟いた。いきなり連絡をしたところで、彼女が応じてくれるだろうか。『あけおめ! 年賀はがきを切らしたから、ラインで新年の挨拶をするね。今年もよろしく。就活頑張ります。また今度会いたいな。』と勢いで打ち込んでみて、ため息。予想される返事は『あけおめ。そうなんだ笑 仕事忙しいから会えないと思う。就活頑張れ~!』ああ。やっぱり止めておこう。僕は、スマートフォンの画面を落として、寝ることにした。


 眠りに落ちるまで、僕は高校の卒業式を思い出していた。その間にも、心臓は嫌にドクドクと鳴っている。あの頃、僕は教室で千歳香奈と一緒に写真を取ろうとしていた。自撮りが苦手だったので、千歳の友達にシャッターを頼んだのだ。「はい、チーズ」友達がそう言い終わる前に、僕は千歳に突き飛ばされた。出来た写真は、驚いた友達が僕のスマートフォンを動かしたので、何が起きたのか分からない、ブレたものになった。千歳は廊下に出てしまった。僕は、スマートフォンを預けた友達に「何があったのかなぁ」と訊いた。その子は、「さあ。多分、勘違いされたくなかったのかも」と言ってスマートフォンを返してくれた。勘違い? 付き合ってると思われたくなかったのか。教室の後ろで、僕を見る男子生徒が三人いたのを覚えている。授業中でも騒がしい連中だった。千歳は、彼らにからかわれるのを嫌がったのかもしれない。それなら、仕方ない。そう思うことにした。千歳は三年連続のクラスメイトで、それなりに話もしていたのだが、あっけない幕切れだったと思う。一応、あとでラインは送っておいたのだ。「卒業してからも頑張ろう」なんて上辺の挨拶をして、それっきりだった。


 それっきりと言いながら、年賀はがきの一枚で悶々としているのだから、情けない話だ。僕はもう一度ラインの『ちとせかな』の何も書かれていないトーク画面を開いてから、眠気に負けた。


 翌朝。僕が浴室で、ブルドッグのように頬を垂らしながらボクサーパンツを洗っていると、部屋でスマートフォンが鳴った。画面を点けて、目を疑った。僕は何かの拍子にメッセージを送ってしまったようだ。返事を読み、あの時の突き飛ばされた感覚が蘇る。


『あけおめ笑 ごめんね! 彼氏できたから会うのは厳しい! 就活頑張って☆』


 現実は、頭の真ん中に重い鉄球を精製するものらしい。これが真珠だったなら、取り出して換金し、千歳を買いたいと思った。今日は休み明けの授業が始まる日だったが、ウィスキーのショット一杯とメビウスライトを二本吸ってから家を出た。中央線を、西荻窪から八王子へ。心の中の優等生は、八王子から大学に行く。やさぐれた僕は、八王子から横浜線に乗った。背徳と昂揚は、サイコロの一と六だ。


 横浜線が片倉に向かう間、スマートフォンのグーグル検索で『横浜 式場』と打ち込む。それから、クロームの別のタブを開いて『千歳香奈 フェイスブック』と検索。


 彼女のフェイスブックのアカウントはあった。しかし、仕事の話は無い。今度は、『ちとせかな ツイッター』で検索する。ヒット。僕がアカウントを持っていなくとも、彼女のアカウントは閲覧できる。いわゆる「鍵垢」ではないようだ。彼女のツイートを振り返ると、ブライダル会社のツイートをリツイートしていた。恐らく、彼女の勤め先だろう。そこで今度は、『会社名 横浜』で検索。二つほど見つかった。距離も近い。僕は、桜木町駅で降りた。


 昼過ぎの駅前は閑静だった。道行く人たちは、私服とスーツ姿が半々で、若い人は少ないように思える。左手のランドマークタワーを見上げると、海からこちらへと風が吹いた。右手に伸びる汽車道という通りへ歩く。海を渡る橋に、百年前の線路跡が伸びている。埋め立て地の島々をずっと小さくしたような界隈に、小規模の遊園地とショッピングモールがあり、僕はふとディズニーシーを思い出した。そう言えば、千歳はダッフィーが好きだったな。


 僕の行動が、ストーカーのそれだという自覚はある。とはいえ、千歳と会うことは無いだろう。僕は花婿ではないし、千歳がウェディングプランナーだからといって、式場にいる保障はない。僕はみなとみらいにあるノートルダムという式場に向かっていた。本殿の御神体を覗いてみるような昂揚。蓋を開ければ伽藍堂。アポなし訪問ひとり旅。コートのポケットに手を突っ込み、そんなフレーズを思いついて、嗤った。一体、何のために来たんだか。


 ノートルダムに着いた。僕はパリに建つあのゴシック建築を想像していたのだが、どうやら災害大国の港町ということで合理的な近代建築を用いたらしい。赤レンガ倉庫と同じ壁の色は、教会というよりお嬢様学校の佇まいだ。興ざめだし、帰るか。あとで煙草を吸おう。


 そう思った矢先のことだった。


 ノートルダムの入口から、駆け足で出ていく一つの人影があった。長い黒髪を一つにまとめたうら若い女性――間違いない、千歳香奈だった。どうしてこんなところに。いや、望んでいたはずの事実なのに、いざその時が来ると、どうすればいいのか分からない。ただ、彼女を見失わないように、後を追いかけてみた。


 女性用スーツの背中に、リクルートスーツと違う色気を覚える。つかつかと歩く千歳に、僕は声を掛けてみた。


「あ、あの」

「……急いでますので」

「待った! 僕だよ、僕! 葛木だ」

 彼女の肩に手を乗せた。

「はい? うわっ!」


 振り返るなり、千歳は目を丸くして僕を見た。目元に化粧のラメがあるのが、高校時代からの違いを思わせた。再会した彼女を目一杯に取り込もうと、僕の瞼が上がる。千歳は可愛い、と思った。


「……葛木くん? どうして」

「いや、なに、今日は横浜に用事があって。用が済んだんでこの辺りを歩いてたんだ。綺麗だからさ」

「そう」

「あの、明けましておめでとう、年賀状を切らして……」

「なにそれ? うん。今年もよろしく」


 千歳の反応は薄い、というより、戸惑っているようだった。当然だろう。今朝メッセージを送り返した男が、こんなところにいるのだから。


「急ぎの仕事があるの?」


 僕がそう訊いたのは、言い訳をしたかったからだ。彼女が「うん」と言えば「またね」と返してさようなら。それで済む。しかし、


「ううん。ちょっと時間が出来たみたい」 

「じゃあ、お茶でも。出すよ」

「いいよ。私、社会人だし……」

「僕は男だ」

「変なの。いいよ」


 我ながら可笑しな言い草だったが、予想外な方向に転んだ。赤レンガ倉庫ならお茶が出来るだろう。彼女と十分ほど歩きながら、「久しぶりだね、どうしてたの」「仕事が早く終わったの」なんて言い合っていた。いざお茶をするときに話が途切れると嫌だったので、当たり障りのない話を続けた。これだけでもう帰っていいと思った。でも、これっきりというのも惜しい。半端な心地であった。


 レンガ倉庫の中には、横浜らしいオシャレなグッズや洋服の売り場がある。千歳はそれらを見ているようで、僕は喫茶が出来るところを探していた。彼女が僕だけに微笑めばいい。その上で、聞いてみたいこともある。適当な店を見つけて、僕はアイスコーヒー、彼女はカフェオレを頼んだ。支払いは意地で僕が出した。


 テーブルを挟んで千歳と向かい合う。私服の僕とスーツの彼女。寝ぐせの僕と、髪を結んだ彼女。差というか、違いというか。


「仕事はどう?」

「大変だよ。でもやりがいがあるなぁ。女性の人生の中で、一番幸せな瞬間――結婚に立ち会いたいっていうのが、昔からの夢だったから……」


 彼女の夢は、高校時代から聞いていたものだ。叶えたのだから、立派だと思う。僕は学生という身分を隠れ蓑に、燻っている。


「頑張ったんだね。本当に」

「うん、頑張ってる」


 仕事の詳しい話も聞いてみたけれど、彼女は辛い顔と笑顔を交互にみせてくれた。


「実はさ、千歳さんに聞いてみたいことがあったんだ」

「うん?」

「高校卒業の日のこと、覚えてるかな」

「うん」

「写真を取ろうとしたら、千歳さんに突き飛ばされた」

「そんなこともあったっけ」

「あったよ。あの時、どうして僕と写真を撮ってくれなかったの」


 僕はしまったと思った。こういう疑問は、誰か他の女性に相談した上で察する方がいいのだ。本人に聞くことじゃない。ほら、千歳は押し黙ってしまった。責めた気を質そうと、「分からないなら、分からないでいい」なんて言葉が浮かぶ。


「……何でだろうね。覚えてないなぁ」


 悪意のない首振り。千歳は本当に覚えていないようだ。恋人未満という、口にしたくもない曖昧な位置付けを、どうにかしたかった。


「本当に?」

「葛木くん、なんだか探偵みたい」

「私服だからかな」

「違うよ」


 言葉の裏を考える。それは、文学を読み解くなら時間をかけられる楽しみだけど、生の感覚は刻一刻と変わっていくもので、僕が答えを急ぐほど、彼女の真意から遠ざかるように思えた。「好きだ」「嫌いだ」。なんなら二択のアンケート用紙を渡すから率直に書いて欲しい。無粋だろうけど。僕は早口になっていた。


「とにかく、教えて……うん、教えて欲しいんだ。僕はあの時、どうすればよかったのかな。……変だよね。写真の一枚を取り損ねて、ありもしない答えを、千歳さん自身に求めるなんて。僕は、今日、こんなところに来て……はあ……」


 僕は、ため息交じりの嗚咽を漏らした。理想の自分像から箔が落ちて、鈍色の中身にヒビが入るイメージ。高鳴っていた心臓がボロリと崩れ、僕は、全裸になるよりも酷い恥を覚えた。


 よく言うではないか。答えは誰も教えてくれない。自分の足で探すものだと。


「仕事の合間なのに、ごめん」


 僕は咄嗟に謝ったが、千歳は僕と目を合わせようとはしなかった。


「……あの日の出来事そのものは、あんまり覚えてないの。卒業式って色々とあったでしょ。結局、よかったな、泣いちゃったなってことだけ残ってて。別に私、葛木くんと写真を撮るのは嫌じゃないよ。そんなことで泣かないでよ。もう三年も前の話じゃん」


「ごめん。僕さ、千歳さんのことが好きだったから。あの時、それも言えなかった」


 僕は、さり気なく告白した。シチュエーションとか、準備とか、そういうことも考えない、ただ少しでも早く楽になりたくて、やはり早口に言ってしまった。

長い間の後に、千歳は、


「やっぱり、そうだったんだ」

 と返した。

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