桜前線、停滞中。

仲咲香里

桜前線、停滞中。

 時折吹きゆく僕たちを繋ぐような淡い風に、舞い踊る白の花びらが数を増す。その中心で暖かな陽の色を映す長い髪をなびかせながら君が瞬きをするから、急に笑顔を見せるから、からかうように背中を向けるから、僕はその度に本物の君を見つめるのに夢中になってしまう。


 液晶越しより、オートフォーカスより、もっと近くてもっと鮮明に僕の心が君を捉えたがるから。風に乗って胸に入る香りが春の知らせなのか、君のものなのか分からなくて、ただただ甘い鼓動を響かせる。


 君に聞こえる音が、短く切り取るシャッター音と桜の囁く音と、それ以外に、何もありませんように。


「どう? 都築つづきくん。心を映す一枚、撮れた?」


「へっ? あっ! すす、すみません、崎谷さきや先輩っ! まだ……です」


 完全に先輩に見惚れてた自分をごまかすように僕は慌ててカメラに視線を落とす。


 去年の春、写真部に半ば強制的に入部させられた僕が先輩と一緒に選びに行ったキャノンのデジタル一眼レフカメラ。高校生になったばかりのさして写真に興味の無かった僕は、手持ちが無いなんて言えずに、参考書を買う予定があるとか何とか適当に理由を付けて翌日一人で買いに走った。


 緊張の残るまま試し撮りした三枚で終わるデータは、特別感も何もない普通の写真。

 先輩がいつも教えてくれた『自分が感じたままを切り取れたと思ったなら、それが都築くんにとって最高の心を映す一枚だよ』って期待には、全然応えられていない。


 忙しい先輩を勇気を出して誘って、こうしてわざわざ春休み中の学校まで来てもらったのに。


 新入生勧誘ポスターの作成の為なんて、半分本当で半分嘘の理由に、僕はなかなかその姿を収められないでいます、先輩。


「えー、もぅ。卒業式終わった後でまたこの制服着るのって、まだ未練があるみたいで恥ずかしいんだよー」


「あっ、で、ですよねっ? すみませんっ、すぐ撮ります!」


 もう一度カメラを構える僕に、くすくすと可笑しそうに笑う先輩の頰を今、僕の肩に触れた花びらがかすめていきました。その花びらの行方と先輩の姿、両方気になります。


「ううん、いいよ。私も春が来る度、この正門まで続いてる桜並木を撮るのが好きだったから」


 小さく黄緑の葉を覗かせ始めた桜を名残惜しそうに見上げる先輩を、指先一つで切り取って行く。


 信じてもらえないかもしれないけど、僕は去年の春、先輩と初めて目が合った瞬間から先輩の姿を追い続けていました。

 あの日、この場所で、同じ樹を見上げただけの僕に写真部への入部届を手渡してきた副部長の先輩。そのまま入部記念にって、戸惑う僕にお構いなしで二人の写真を撮ったこと、先輩は覚えていますか。


 大好きな季節の到来に、淀みなく動き回って僕を翻弄する先輩を液晶越しに追うだけで、僕は必死です。


 撮られるよりも、撮る方が好きだと言っていた先輩が変わったのは、部長だった彼のお陰ですよね。


「うん! いいね、この一枚! 都築くん、一年ですごく成長したねー。後で私のスマホにもデータ送ってよ」


 これでもう、先輩に会える口実は無くなってしまうんですよね。


「あ、そうだ、都築くん。折角だし、最後に今日の記念に二人で撮ろうよ」


「えっ? あ……でも今日は、三脚持って来るの忘れて……」


「いいじゃん、これで! ほら、都築くんそっち持って」


 先輩がスマートフォンを取り出して、容易く僕との距離を詰めて来る。常に自由な先輩と肩先が触れて、先輩の髪が僕の鼻先をくすぐって、一緒にスマートフォンを持つ指先が、一瞬触れた気がした。

 すぐ隣にいるのに、僕は手の中の先輩に視線を固定させ、無理矢理笑顔を作ってみせる。


 僕のこの表情は、先輩への気持ちをきちんと隠せていますか?


 カメラを持つと時間を忘れる、子どもっぽい先輩が好きでした。

 レンズを向けるとくるくると表情を変えて笑う、そんな先輩が好きでした。



 一年前の春よりずっと、先輩のことが好きになりました。



 先輩が新たな地で一歩を踏み出す頃、丁度そちらは、桜が満開の時期ですね。

 この二人で写る一枚を見返した時、先輩が感じるのは、輝く高校時代への懐古ですか。


 それとも、僕が願う未来への予感ですか。


 僕は。


「崎谷先輩っ、あの……っ」


「うん?」


 先輩のことが……。


「あっ! いえ、あの……一年間、先輩と活動できて楽しかったです……」


「うん、私も、この場所で都築くんと出会えて良かった。またいい写真撮れたら送ってね。今年は写真甲子園優勝、期待してるよ!」


「……はい」


 先輩に誇れるものなんて少し高い身長くらいの僕だけど、それであの日、先輩の目に留まることができたのなら。今日まで、先輩と同じ景色を何枚も心に映すことができたのなら、その思い出だけでも充分です。


「あ、もうこんな時間。実はこの後、部長と会う約束があるんだー。このまま制服で行ったら驚くかなぁ?」


「どう、ですかね。それより、部長じゃなくなって数ヶ月経つのにまだ名前で呼んでくれないって、この前、愚痴られてましたよ」


「えぇ、都築くんに? もー、ごめんね。名前かぁ……、か、考えとくねっ。そ、そんなことより、今日は誘ってくれて嬉しかった。最後にすっごく楽しい思い出ができたよ。ありがとね!」


「いえ、僕こそありがとうございました。本当に仲良いですよね、お二人。羨ましいな……」


 先輩と一緒に歩き出す最後の桜並木は、先輩の門出を祝うかのように綺麗でしたね。視界いっぱいの桜色も、混じる黄緑も、少し霞む青空も、先輩を包む白色の花吹雪も、隣で幸せそうに笑う先輩も。


 僕はこの光景を、きっと一生忘れません。


 崎谷先輩。

 麗らかな春、咲くことも、散らせることも叶わなかった僕の想いは今、葉桜の下、未だ停滞し続けています。

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桜前線、停滞中。 仲咲香里 @naka_saki

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