エピローグ



 いつもなら喧しい筈の虫の声が全く聞こえない、静かな秋の夜だった。


 のんびりとした足並みで大理石の廊下を進んでいると、革靴の底が硬い床を鳴らす乾いた音だけが響き渡る。

 薄暗い館内を懐中電灯の細い光で照し、その先に並ぶ真っ白な石膏像や壁掛けの色鮮やかな絵画など、様々な作品達の姿を視界に捉えた。 

 様々な時代や人、国や大陸を渡ったものばかりでどれもが値打ちものだ。

 芸術家達によって生み出されたこれらの作品群は、何百年経っても見る人々の心を奪う魅力を失うことはない。

 そのうち動き出すのではないかと思う程満ち溢れた躍動感や、作り手から生まれた特異性を一点に集約した様な妖しさを作品の一つ一つから感じることもある。

 しかし見慣れてしまった僕にとっては新鮮味に欠けるわけで、姿形の変わらない彼等をじっくりと眺めることはなくなった。

 ただ今日もいつも通り、彼等がを確認するだけ。これが僕の仕事だ。

 お客さんがやって来ないとても退屈な仕事だ。




 僕の名前はウィリアム=カーディンソン。

 とある田舎町の平凡な家庭に生まれ、大人になるまでその町で育った僕は町に似合い過ぎるほど平凡な人間だった。

 特に勉強が出来るわけではないし、運動も苦手、背も高くない、顔は多分中の下。

 強いて他人と違うところを挙げるとすれば近しい先祖、正確に言うなら僕の大伯父――祖母の兄にあたる人が、偉大な探検家ということだ。

 僕の名前「ウィリアム」は、その大伯父の名前をもらったらしい。

 聞いた話によると、大伯父も僕と同じ様にこの町で育ち、この美術館で働いていたという。

 そして彼は子供の頃から妄執するかの様にここに来ては、ずっと一つの絵画を見ていたとのことだ。

 しかし大伯父はある日突然この町を出て、数十年もの間戻って来なかった。その間に彼は世界を股にかけて旅をしていた。

 彼は特別な探検家として有名だった。何故なら、彼の隣には常に美しい女性が描かれた肖像画があったからだ。

 その絵画は今、この美術館に収められている。

 ここは大伯父が初代オーナーから譲り受けた、彼にとっての思い出の美術館なのだ。

 彼の人生はここから始まって、最後にはここに戻って来たという訳だ。


 僕は今、大伯父が愛した絵画の前に立っている。

 純白のドレスを身に付け、どこかの国のお姫様か貴族の令嬢の高貴な雰囲気を纏う美しい女性が描れたその肖像画からは、大伯父の心を奪ってしまったというのも頷けるほどとても魅力的な何かを感じる。

 しかしこの魅力になにか妖しさを感じたのか、大伯父のことが好きだったらしい祖母は、この絵画を「呪いの絵画」と呼んで蔑んだ。

 確かにこれほど魅力的で、他の作品とは明らかに違う何かを感じるこの作品を呪いの絵画と呼びたい気持ちは分からなくもない。

 しかし、僕はこの作品が呪われているとは思わなかった。もっと尊い何かを感じた。

 理由は分からない。


 ただ、真っ赤なチューリップを胸元で大事そうに握る彼女の姿を見て、なんとなくそう思った。


 僕は大伯父――ウィリアムの絵画を眺めながら、彼がこの絵に馳せた想いや、この絵と共に見た世界を想像して、少し楽しくなった。

 きっと彼と彼女は色々なものを見て、色々な体験をしたのだろう。

 数え切れないほど多くのものを共有したのだろう。

 一頻りそれを眺めた僕はやがて見回りの仕事を思い出し、退屈な現実へと戻ることにした。


「はぁ……退屈だなぁ」






「あら、この私を前にして退屈だなんて、よくもそんな失礼なことが言えますわね?」







Fin.

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ウィリアムの絵画 天野維人 @herbert_a3

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