第4話 お外

 それから、また半年ほど経った。俺がこの世界で生きようと決意を固めてから半年ほど経ったのだ。

 シリルとオリヴィアは、空いている時間を見計らって俺にいろいろ教えてくれた。それはまだまだ未熟ではあるものの、前世でも一部確立されていたような座学であったり、はたまた魔法論理であったり、時には世界情勢であったり。とても4歳児が受けるような内容ではない。つまり、俺は超英才教育を施されていたのだ。


 彼らは決まって、俺がよく出来ると頭を撫でてくれる。

 たしか頭を撫でられると、頭の中で何らかの脳内物質が分泌され、それが記憶力、ひいては幼児成長に限りない良い影響を与えるのだとか。そういう論文をいつの日か読んだような気がする。

 だが、それもすべては子が親からの愛情を受けるからに違いない。愛情を過剰に、豊かに注がれた子供は、どうしようもない我がままのバカになるか、思慮分別のある賢い子になるか。二極化だろう。けれど、前世の俺のようになるよりはどちらでもずっといい。…少なくとも、俺にはそう思えた。


 ま、出来るなら思慮深くなって『自慢の息子だ』と、彼らに思ってもらいたいがね。



 ---しかし最近、とあることについては思わずにはいられなかった。


「あぁ、クリスは本当に可愛いわねぇ…。これも似合うし、あっちも似合う。そうだわ、これなんてどうかしら? きっとぴったりよ」

「---」


 俺の正式な名はクリストファーだ。

 しかし、シリルとオリヴィアは愛称としてクリスと呼んでいる。それは全然構わない。長い名前よりかは短い方が言いやすく、親しみが湧くのは事実だ。実際、前世の俺の数少ない友達の一人には、フルネームでひらがな四文字だったため、フルネームで呼ぶのがもはやあだ名となっている人もいた。それはそっちの方がリズムが良かったからだ。

 このように、時と場合によっては名前とはしばしば変わってくる。アメリカではジョンという名前の愛称がジャックであるようにだ。…繰り返すが、名前は特に気にしていない。


 俺が気にしているのは、俺を彼らが女の子扱いしているのではないか、という疑惑だ。

 たしかに、オリヴィアは少女のように可愛らしく、美しい。そしてシリルも金髪碧眼のイケメンだ。ならば幸いなことに、子である俺もなかなかに容姿が美しかった。両親には感謝感激である。


 しかし、その幸福を最大限享受しているのは俺でなく、むしろ彼ら、それもオリヴィアであった。

 二人は俺が生まれる前、両方の性別の服を買っていたみたいだが、ある日、それを俺に着せてみたところ気に入ってしまったようだった。俺としては恥ずかしながらも、彼女が喜んでくれるなら……という気持ちではいる。けれど、やはり俺だって男だ。そこはいくら可愛くても男として扱って欲しくはある。


 …きっと、対処の方法はあるのだ。俺が外に出ればいい。

 そうすればオリヴィアも多少は考え直さねばならないだろう。ご近所さんに息子が女装してます、それもわずか4歳で。とは、見せられないのである。

 

 だが、俺は怖かった。あまり外に出たことがなかった。

 単純に、俺自身が人見知りということもあったが、この世界のことを俺は知らないのだ。

 一体、どういう世界が、社会が、そして常識が蔓延はびこっているのだろう。シリルとオリヴィアを見たり彼らから話を聞く限りは、たいして前世と違いが無いようにも思える。しかし、決定的な違いはあった。


 それは、“魔法”であった。


 魔法、それは男の子なら誰もが一度は憧れる存在。そして子供なら、自己の願望が全て叶うような淡い幻想を抱き、熱望し、そして現実を知らせるという哀しき役割を担っている概念。これが前世だった。


 しかし、この世界では違う。

 魔法は実在し、現に願望が全て叶うというような万能ものではないにせよだ、かなりの利便性と存在感、そして夢が詰まっていた。つまり、それはなによりロマンに溢れていたのだ。

 

 ---魔法は端的に言うと、物理法則を一時的に書き換えるものだ。

 もちろん様々な制約はある。何の制限もなければ、この世界は近世へと突き進まないだろう。一生封建的な性質を帯びたまま、中世と呼ぶには少々不適切だろうから、ルネサンスが起きて自治都市が出来、貨幣経済が再度発達した14、15世紀ほどが相応しいかもしれない。その状態を維持したままの騎士と魔法が存在している世界に落ち着いているはずだ。魔法が万能ならね。

 そして物騒なことではあるが、しかしながら戦闘になった際に魔法は大いに役立つ。さらには【回復魔法】と呼ばれる魔法まであるから驚きは計り知れない。


 俺はこのように魔法の見聞、両親の話、そして書斎からの情報を得て、世界を知ろうとしている。

 それが出来たら、いつかは外に出てみたいと思う。それはオリヴィアを一時的に残念がらせるかもしれないが、彼女なら分かってくれるはずだ。…それに、家の中でなら女の子になってあげてもいいかもしれない。親を喜ばせたいのは子供心理である。

 だがさすがに、以前のようにシリルの来客が来て『おや、かわいいお嬢さんだね』と言われるのは御免だ。…あの時は顔から火が噴き出るほど恥ずかしかった。自分でも耳と顔が真っ赤に熱を帯びていくのがはっきりと分かった。まるで、自分のアイデンティティが蔑ろにされている気分であった。だから家族の前以外ではぜったいに女装はしないことに決めたのだ。


 さて話を戻すが、ひとまずの俺の目標は、世界と魔法の知識をつけて外に出よう! であった。

 俺の、日光を浴びていない真っ白な肌にも少々思うことがあるし。やっぱり日光は成長に欠かせないのだ。それはなにも植物だけじゃない、成長盛りの子供にも当てはまるものだ。大人になってちみっこい、可愛い、小動物感! では困るしね。可愛い女の子扱いされては堪らないのだ。


 そして、外に出なければいけない理由は他にもあった。

 俺は、自分の魔法の才について随分気が高まるのだ。一般的に、魔法には各人それぞれ適正があったりなかったりらしい。詳しいことはまた今度になると思うが、とにかく魔法は適性がないと使えない。それが重要だった。


 しかし、何も生まれつきで魔法に関する全てが決まるというわけではないそうだ。

 大事なのは、まず幼少期にどれだけ魔法に触れられるか、らしい。これは子供の言語学脳と似ている。幼少期に魔法に触れていれば、簡単な魔法なら誰でも扱える。そこからさらに複雑な魔法、魔力量、そしてどの属性を得意とするのかは、ここで適性が出てくるというわけであった。

 

 俺は、二人に内緒でこっそりと室内練習をしていた。

 彼らには魔法の練習は危ないから、俺が外に出るなら同伴でしてもいいよ、という御触れはもらっている。けれど俺はまだ外に出たくない。でも魔法の練習はしてみたい。ジレンマであった。


 結果、俺はまず水を生成するような魔法を使うことを目指した。

 本来何もないところから水を生成するなら、それは錬金術。もしくは空気中から水を、ということに限ってまだ科学というべきだろう。しかしそれにしたって専門の道具がいることは間違いない。俺は身体一つで水を生成してみるのだ。


 魔法とはイメージ、クリエイティブ、独創性が大きな主軸を占めている。

 それらによって何が出来、何が出来ず、またどれだけ魔力を食うのか、そして規模や影響力が多大に変化してくるらしい。…しかしだ。ましてや、戦闘中ならどうだろうか。自分の命を狙ってくる緊迫感の中、誰が冷静にそれらを行い、魔法を具現化させ、対処できるのだろうか。しかも繰り返すが、魔法は物理法則を書き換えるもの、では物理法則とは何かという疑問になり、己の知識に依存しているのだ。つまりは、ここでは教養が要求されるという理だ。

 イメージなどに頼る手法は、そういった意味で使い手が少ない。無詠唱で魔法が使えるというアドバンテージこそあるが、識字率すら満足ではないというこの世界ではハードルが桁違いに高いのだ。


 だからこそ、詠唱という形で固定された魔法はその点使い勝手が良いらしい。実際、多くの魔法使いがこちらの手法をとっている。詠唱は暗記、滑舌が要求されるが、慣れてしまえばどんな早口でも即座に効力は出せる。戦闘中という命の取り合いの緊迫感があっても、高度な頭の回転を要されず慣用的に魔法を使えるのは、それはそれで大きなメリットなのであった。


 そして、水を生成してみる魔法。俺はこれをイメージの手法で行ってみることにした。やはり無詠唱とは男のロマンだろう? ならばやってみるに越したことはないはずだ。

 その結果、魔法は成功することには成功した。


 しかし成功したと言うにはあまりに未熟で、制御に欠けていた。一回目は、簡単なピンポン球ほどの水が生成されるも、直後にひどい疲労と虚無感に襲われた。俺はその場でぶっ倒れ、あとのことは覚えていない。

 二回目は、一回目よりも若干水の量が多く、疲労感はそこまでだった。だが、何かしらの虚無感は残ったままであった。おそらくこれが魔力という存在なのではないかと推測する。

 三回目は同様のことが起きた。前回よりもやや水は増え、疲労感と虚無感が徐々にだが軽くなっているのが分かった。

 

 俺はここまでで、魔法の練習は着実に成果が出ていると思った。それはまるで、運動したあと筋肉が消耗し傷つき、そのあと休養を挟むことで超回復へとすすんだと感じたら、結果運動前よりも筋肉がつくということに当てはめた。的は外していないだろう。


 そして、何度目か分からないところに差し掛かったとき、俺はうっかりと自分の身体がすっぽりと収まりきるような水を生成してしまった。書斎にてだ。

 俺は全身ずぶ濡れになり、床の絨毯には水が染みこんでいた。幸いに書物こそは濡れなかったが、音を聞きつけたシリルが重厚な扉を開くと、そこには哀愁漂う顔をした俺がいたことに違いない。


 しかしシリルは怒らず、オリヴィアにも内緒にしてくれた。

 けれど、『約束はちゃんと守ろう。じゃないと将来、絶対に後悔することになるよ。---でも、今はそれを分かってくれるだけで良いからね』と言い、俺の服を脱がせ、持ってきたタオルで俺の頭や身体を拭き、あとの始末を引き受けてくれた。なんて優しい父親だろうか。両親に対する株は、相変わらず留まることを知らない。



「---クリス? 大丈夫、眠たいの?」


 遠くの方で、オリヴィアの声が聞こえた。

 いや、遠くではなかった。むしろすぐ近く、顔と顔がすごく近距離だった。その可愛らしいお母様が俺の顔を覗き込んでいる。手まで重ねるように握って。


「---うん、大丈夫。ちょっと考え事してただけ、だよ」

「そう、なら良かったわ。あ、もちろんクリスが寝たいなら別よ。でも、大丈夫そうなら、準備しないとね。お父さんがお弁当を忘れたみたいだから届けに行かないと」


 そう、とうとう俺は外に出るのだ。

 正直まだ怖くはある。他の人からすると、何故そんなに怖がるのか理解しにくいだろう。けどそれは無理に理解しようとしなくても結構である。俺は変わり者なのだ。


 そしてだからこそ、母親、オリヴィアと一緒ならそろそろ時が来たのではないかと思い始めていた。

 彼女なら俺を守ってくれる。俺を導いてくれる。俺を安心させてくれる。そんな感情が心に渦を巻き、俺に決断を迫らせてくれた。


「うん、ばっちり。今日も可愛いわ、これなら絶対に見失ったりしないわよ」


 今日の俺のコーディネートは、真っ白のセーターを下に着込み、もこもこで黒色の子供用の小さなコートを羽織っている。さらには、まるで探偵や新聞記者の助手が被っていそうな帽子を被り、その隙間から淡い青髪をちらちらとなびかせている。


 我ながら鏡を見ると、可愛らしい。それでいてまだ子供ということもあるが、中性的で即座に女の子とも勘違いされにくいだろう。さすがお母様、いいセンスをしていらっしゃる。



「さ、行きましょう。遅れちゃうとお父さんがお腹をすかせちゃうわ」

「---うん。一緒に行こうね、お母さん」

 

 俺は期待と不安を胸に、重々しかった玄関の戸をくぐった。





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