第7話 終わりの続き

 御主人様が、血を吐いて倒れた。

 この瞬間のために、今まで彼の傍にいた筈だった。

 箱庭の監視神。すべての箱庭を見る力をもつ存在。

 彼を恐れ、箱庭の神たちは過度な暴虐を箱庭へ行わず、あくまで試練と呼べる程度の破壊に留めた。自らの内側に湧き上がる破壊衝動と創作意欲は、たった一人の神によって抑えられていたのだ。

 すべての神の不満を背負う彼の実態はしかし、箱庭の傍観者であった。

 彼には、箱庭への干渉はほとんど出来ず、箱庭の神を罰することなど、もってのほかだった。そんな権限や能力は、彼には与えられていなかったのだ。

 これほどまでに無力な神が、いただろうか。

 殺す価値もないと思った。

 ただ、心という感情を与えられ、それが自分に与える影響について、その是非についての答えを出すために、彼の傍でともに箱庭の世界を覗いていた。

 無力で繊細な彼の優しさを前に、誰かに殺されるような存在ではないという確信へと変わっていた。

 本当は、私が、彼のミルクティーへ毒を入れる筈だったのに。


「どうして……」


 頬を伝う液体が、彼の白い服へ零れ落ち、灰色の染みをつくる。

 私と彼女、どちらが言ったのだろう。震える声を聞く。

 天使は、ゆっくりと顔をもたげた。

 今にも泣きそうな、動揺した顔の、後輩がいる。

 小刻みに震えるエシャルの白い翼は、金の髪は、チリチリと燻る灰のような音を微かに帯びながら、黒く染まってゆく。頭上に浮遊していた天使の輪は、明滅を繰り返した後、支えを失い、落ちて粉々に砕けた。ガラスのカップが割れた音に似ている。

 後輩の天使がその資格を失う姿を、黙って見ていることしかできなかった。そこに何の、感情もない。感情を挟む時間がなかった。三回瞬きをする間に、彼女は変化していった。


「監視神を排除するのが、私に与えられた任務だったのに、それを果たしたというのに、どうして……どうして……!!」


 今度こそ、この悲痛な叫びは、彼女のものだった。

 立っていられず崩れ落ちる彼女の声に、かつての綿雲のような甘い響きはなく、折れた刃のように尖っていた。胸が痛む。私の代わりに、彼女が背負った罪の重さを目の当たりにして。

 彼女の姿が、薄れてゆく。ただの魂になった今の彼女には、この場所の抱く長い孤独を、空白を受け止めきれない。

 出てゆこうともがく彼女を、呆然と見送った。もう、終わってしまったのだ。その先のことなど、考えたこともなかった。終わりにも続きがあることを、散々見てきたはずなのに。


(私は、どうしたらいいのですか?)


 縋るように、ご主人様の胸に顔をうずめた。

 冷たい。動かない。神からモノになってしまった彼を膝の上で抱きしめ、天使は自分の流した涙の温かさを知った。

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箱庭ノ傍観屋 シノノメヨシノ @shinonomeyoshino

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