幌をたたく雨音

フカイ

掌編(読み切り)




 一般に、オープンカーに乗る最もふさわしい季節というのは、トンネルに入ったとき、出たときで、気温に差がない時期だといわれている。


 トンネルの中と外で気温差がないというのは、春と秋のほんのつかの間でしか、実はありえない。


 三日見ぬ間の桜かな、というけれど、オープンカーに乗るもっともふさわしい季節というのはさほどに短く、はかない。それだからこそ貴重でありまた、実際そういう季節に幌を全開にして走り抜けるこの島国は、ほんとうに爽快である。


 短いシフトレバーを小気味良く操作し、クルマの持つ性能をキチンと引き出しながら、野辺を海辺を駆け抜ける。

 時に車内に桜の花びらが舞い降り、また時に芽吹いたばかりの若葉のあいだから漏れる陽光が、きらりきらりとシートに踊る。あるいは色づいたかえでの葉が風に吹かれて屋根のない頭上を舞い、青空にオレンジ色のコントラストを見せる。

 谷底に降りた瞬間、気温がグッと下がるのは、谷間に滞留する冷気のせい。

 レンゲの咲く休耕田の隣の畑には鍬が入り、鼻をつく牛馬糞の匂いが立ち込める。


 には絶対に真似のできない瞬間だ。

 それが、オープンカーに乗る特権だ。風情だ。

 それを解せぬ人は、ずっとに乗っていればよい。移動のための、日常の延長であるクルマに乗り続けると良い。


 しかし。

 オープンカーの粋は、何も最良の季節ばかりではない。


 たとえば真冬の高速道路。

 幌を開け放ち、帽子をかむり、冬の大気の中に身をさらす。

 関東の、どこまでも乾ききって透き通った真冬の青空の下、ウールのタータンチェックのひざ掛けをかけて、グローブをはめ、暖房を全開にして走る日もまた、小気味良い。

 そういうことに理解あるスポーティーな恋人がパッセンジャーズ・シートに乗ることもまた、大切な要素だ。


 しかしながら。

 こころの底から喜びが、泡のようにふつふつと浮き上がるのは、あるいは雨の日の木曜の午後かもしれない。

 梅雨前線が停滞し、ぐずぐずと晴れない空模様であるばなお良い。

 のするような女と、性交して別れ話をして、なるべくあとくされを残さないように上手に関係を絶った後、ひとりでクルマを走らせる。

 間欠動作のワイパーが、ぬぐえどもぬぐえども、フロントグラスには雨粒が降りつづけるだろう。

 幌を閉じて走る車内には、ラジオも音楽もつけずにおこう。

 ただ、3.4リッター水平対向6気筒が奏でる通奏低音をひびかせつつ、信号待ちで停車した瞬間に耳に聞こえてくる、幌を叩く雨音に、身を委ねたい。


 ぽつ、ぽつ、ぽつ、と。

 それは安らかな子守唄のように響くはずだ。

 ぽつ、ぽつ、ぽつ、と。

 オープンカーを所有してよかった、と心の底から思う瞬間だ。






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