第83話、白い翼

 私は、身近に迫るゾンビの気配を感じつつも、なおを歌を歌い続けていた。

 不安に駆られながらも、普段通りの歌声を奏でられるのはアイドルとしては、当たり前の素養なのだ。

 平然と私は、囮としての役割を果たす。

 しかし、心の内では恐怖が徐々に大きくなっていくのを感じてもいたのだった。

 まるで、隠れんぼ中に、遠巻き鬼の姿を遠まきに目撃したときのようだ。

 何故か、そんな古い記憶を思い出した。

 あの頃の鬼との違いは、鬼に見つかったらただでは済まないと言うことだ。

 それを思うと、膝が震えそうになる。

 大丈夫、この場所はきっと誰にも見つからないだろう。

 歌声はあちこちに散りばめたスピーカーから響いていて、歌から私の居場所を特定することは不可能なのだ。

 それに……私は今、自分の立っている場所をおもむろに見回す。

 ここにいるということに、気づくことはまず有り得ないだろう。

 下を向くと、思わず目が眩む。

 そう、私が今いる場所は、建物をぐるりと囲む塀のてっぺん、その縁の上なのだった。

 建物よりもずっと高くそびえる塀の上は、それ自体がある種の盲点となっていた。

 警備をする者たちは、塀に開いている出入口のみを警戒して塀自体にはまったく目を向けていないのである。

 その意表をつく黒猫のアイデアに、私はなかなか気に入っていた。

 まあ、私が高いところが好きって言うこともあるけど。

 ……そこ、バカとナントカとか言うなー!

 塀の上によじ登ること自体は、黒猫の手を借りれば簡単だった。

 まず低い建物の上に登ってそこから順番に飛び移っていけばいいのだ。

 猫が屋根をそうやって登っていくように。

 もちろん、塀に上がることは出来てもそこから、塀の中へと侵入するのは完全に不可能な構造になっていた。

 中へ入ろうとすれば、飛び降りるしかないし、そんなことをすればほぼ間違いなく転落死は免れないからだ。

 良くても、足の骨がバキバキに砕けるのは間違いないだろう。

 その上、塀は二重になっていて今いる塀を突破しただけでは内部には入れない仕組みになっているのだった。

 だからこそ、黒猫は侵入するために、こうして私の詩を撹乱に使うという回りくどい手段を用いたのだ。

 とはいえ、ここは私にとって絶対安全な唯一のポイントだった。

 慌てふためく白服たちの姿を眺めながら、私は熱唱を続ける。

 そろそろ、黒猫は中でみんなと合流しているのだろうか。

 そんなことを考えた、そのときだった。

 信じられないものを目にした。

 私を探すゾンビの一人が、私の方へとまっすぐに顔を向けたのだ。


「えっ、もしかして……気づかれた?」


 しかし、見つかったとしてもゾンビはここまで来られないはずだ。

 だからこその安全地帯なのだ。

 ところが、有り得ないことが起こった。

 ゾンビは両手を伸ばすと、白い衣を翼のように広げはじめたのだ。

 そして、そのままゾンビは天使のように、宙に舞い上がった。


「うそ……あいつ、飛べるの?」


 呆然とする私の方へと向かって、白い翼を羽ばたかせて、ゾンビはまっすぐ向かって来るのだった。

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えっ?童貞処女には感染しないゾンビウイルスが蔓延しちゃったかんじですか? @SunMon

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