第1話 downer of daylight
──SouthEnd STM・市街地──
誰が最初にそう呼んだのかは分からないが、STMのことをSouthEnd《南の終わり》と呼ぶ者は多い。
そこから南にはもう、日本を自称し、呼ばれていた人達の住める生存圏がないからだ。
早い話、SouthEnd STM(旧鹿児島)は最前線だ。〝雇われ秩序〟の
今日も衛視が死んでは供給され、供給されは死んでいく。
STMには稼ぎブチを求めて人が集まる。
それを狙ってならず者が集まる。
それらを食い物に商人が集まった。
金を求めた人間が、分別なく好きなだけ流れ込んだら、それは当然治安は悪いわけで、路地裏なんかに入れば、殺し、誘拐、ドラッグ、なんでもありの大あり。
この世界では、〝自分は自分で助けるしかない〟他人は当てにならないのだ。
リンゴもそんな残酷な世に生きる衛視の一人だった。
時刻は午後四時。太陽が地平線に沈み始め、暗くなると同時に息が白くなる。客寄せネオンや露店に電気が、ストーブが灯りだした。
あばら屋が乱立し、露店や闇市が大っぴらに開かれている街は、良く言えば盛況している。
悪く言えばただただ騒音を生み出していた。
騒々しい街の喧騒とは裏腹に、リンゴの気分は重く沈んでいる。その歩調は遅く、目線は自然と石畳の地面を舐める。
今日は散々だった。
油断して、調子乗って、命からがら逃げて……。
「はぁ、何やってんだろ……」
思わずため息が漏れた。
結局あの後、残りの手榴弾三つ全てを使って逃げた。
手榴弾はけっこう値が張る。しかも、リンゴの使う柄付き手榴弾は柄の分だけ部品が多いので、パイナップルみたいな単純なモノよりもちょっと高い。
でも、そのちょっとが、リンゴにとっては大きかったりする。
それを逃げ延びる為とはいえ四つも使ってしまった。大赤字だ! 大損だ! 大穴だ! 大暴落だ! ……最後のは違うか。
リンゴは握りしめていた右手を開いて中身を見た。
一九一六円。
くしゃくしゃになった札が元に戻ろうと開いて、小銭が擦れて音がした。自分でも気づかない内によほど強く握っていたのか、手の平が痛い。
朝から夕方まで命がけで戦って収入はこれだけ。数体分の
県庁に雇われていないリンゴは、違法に前線へ侵入し、黄泉の体内に存在する中心核を黄泉から取り出して闇市で換金するしか稼ぐ方法はない。
独り身の衛視としてはそれでしか稼げない。
県庁に雇われずに黄泉を征伐する者を嫌味を込めて
しかし、金だ。
金、金、金。
金が必要だ。
生きるためには金が必要だ。
必要十分な暮らしをするためには金が必要だ。
死ぬのはきっと苦しい、だから苦しい思いをして金を稼ぐ。
でもそれって、なんか本末転倒していないか? 苦しい思いをしないために苦しくなるって、どこかおかしい。
心の奥底に閉じ込めていた、考えないようにしていた苦悩が頭を駆け巡って、心をぐちゃぐちゃに蹂躙した。
リンゴは弱い。
また、ネガティブな考えにとらわれるとなかなか抜け出せなくなるし、いちど折れてしまったら立ち直るまで時間もかかる。
ボクは弱い……。
歩みを止めそうになったけれど、堪えた。ダメだ、立ち止まってしまったら。もう歩けなくなってしまうから。
今のリンゴには何もかもが痛かった。
弱い自分が痛かった。
情けない自分が痛かった。
幸せそうな他人の顔が痛かった。
バカに賑やかな街の喧騒が痛かった。
横に並んでアホな話をしている衛視たちが痛かった。
顔を上げてみると、遠く聳える山に沈んでいく太陽がやけに眩しくて、なんだか恨めしかった。
クソったレなこの世界はどうしても美しいことをやめようとはしなかった。それが痛かった。
ふと、ある掲示板に目がいって、思わず横眼で流した。歩調は落としたけれど、決して歩みは止めなかった。
──メンバー募集中☆ 十代から三十代までの衛視の方を募集しています。気になる方は……
チームメンバーの募集を張り出す掲示板だ。小さくて、ショッキングピンクとか蛍光ミドリとか、カラフルな電光灯が忙しなくピカピカと点滅している。
色々な名前のチームがメンバーを募集する張り紙を無造作にピンで張っている。
他の紙に埋もれているのも幾つか、というより、かなりあった。
四から八人ほどの衛視が徒党(?)を組んだ集団のことを一般にチームと呼ぶ。
昔からの仲間で、同じ目的で、金の為に仕方なく、なんとなく、一人は怖いから、寂しいから。組む
チームを組むメリットがあるのかと聞かれれば、それはあるだろう。
一人より二人、二人より三人で、役割分担をして黄泉を狩った方がより楽に、より多く稼ぐことができる。
仕事の幅だって増える。
集団でいれば街から街へ移動する商人から護衛の依頼を受けることもあるし、実力さえあれば県庁から雇われて、最前線への通行書と、安定した収入を得ることもできる。
そうすれば県庁の認可した店で、中心核を換金することができる。
むろん、違法に取り出した中心核は安く買いたたかれる。
足元を見られている。
この世界で、一人でいるということはそういうことなのだ。
しかし、リンゴはもう二度と、到底は、絶対にチームに入るつもりはなかった。
この可愛らしい顔だ。よっぽどのことがない限り大抵のとこには入れるだろう。
実力だってそこそこはある。でも、
仲間なんてものはボクには要らない。
キズナとか、友情とか、信頼とか、かすがいとか、そんな目に見えないあやふやなモノは信用するに値しない犬の餌だ。
クソだ。クズだ。カスだ。
他人に背中を預けるとか正気の沙汰ではない。頭のネジがゆるゆるなんじゃないか。
裏切られたときのことを考えないのか?
よくもあんな形も確証もないものを信じられるもんだ。
ボクは仲間なんてもう二度とごめんだ。
そんなモノを信じて裏切られるなんて。
寂しさ?
そんなのは感じないし、一時の気の迷いに決まっている。
寝たら治る、その程度の痛み。気の迷いと言わずになんと言おうか。
怖さ?
裏切られることの怖さに比べたら一人でいることのなんと安らかなるものか。
一人でもそれなりに稼げるんだ。
貯蓄だってできていた。
油断さえしなければ、今日だって十分に稼げた。
そうだ。仲間なんてもの、なくても生きていけるんだ。
「……っ!」
リンゴは自分でも気づかない内に裏路地に足を踏み入れていた。そして、何かにぶつかった。
「なんだぁ、コイツ。ブツブツ呟きながらぶつかってきやがってよぉ」
何かが喋った。
見上げてみると、かなりの巨漢が突っ立っている。
人相はかなり悪いし、頭髪なんかモヒカンで、その顔にも大きくて、それはもう目立つ刺青が彫られている。これを悪党といわず、なんというのか。
これでいい奴だったら全財産ドブに捨ててやる! なけなしの全財産を、だ!
「骨イっちまったなぁ! 医者料払ってもらおうかぁ!」
リンゴの予想通り、巨漢の人相の悪いモヒカン刺青男(以下モヒ男)は悪党だった。
「やばっ」
逃げようとするリンゴの右腕を、これまた無駄に巨大な手でガシッと掴んで引き上げた。
抵抗したのに、ボクの身体はいとも容易く宙に浮く。いくら華奢とはいえ、恐ろしい怪力だ。
モヒ男の影に隠れていて気付かなかったが、仲間がもう数人いたらしい。複数人分の足音と、下卑た笑い声が裏路地に響く。
「ぶっふー、それ言うなら慰謝料っすよ。アニキ」
やけにチビな出っ歯がモヒ男の横に躍り出て、ボクを上から下まで品定めするように、まるで舐めるように視線を這わせる。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い! 人を物みたいに見やがって、最低だ。最悪だ。人としてどうなのそれ?
「アニキ、慰謝料代わりにヤっちまいましょうぜ、ふひひ」
「……ヤっちまう? どっちがされる方かなッ」
リンゴは軽く左手でモヒ男の腹を殴った。
するとパンっという軽い音が鳴って、モヒ男がリンゴの腕を放した。
なにもパンチが効いたわけではない。左手のグローブから上がっている煙がその証拠だ。
セッジリーOSS .38
グローブの甲に固定されているそれは、長方形の形をした中折れ式のピストルだ。構造からしても、その威力は低いが、遁甲式で強化すれば人っ子一人退治するくらい造作もない。
地面に着地したリンゴはすかさず、膝を着くモヒ男の顔に横蹴りを入れた。地面に突っ伏するモヒ男。ざまあない。
出っ歯含む、取り巻きの連中、全部で五人はまだ何が起こったか分かっていないらしい。全員あぜんとして、そのアホ顔を曝している。
チャンスだ。
一本道で後ろに三人、前に二人。前だ!
リンゴは右手の金をすぐ後ろにいる出っ歯の顔に投げつけて、目を瞑って怯んだ出っ歯の顔を思いっ切り殴り飛ばした。
倒れた出っ歯には見向きもせずに、ボクは全力で走る。
あと一人。あと一人倒して逃げ延びてやる。
隙あらば復讐してやろうなんてボクは考えない。できればそうしたいけど、けれど危ない橋はなるべく渡りたくない。
それがこの世界で、一人でいる上での最優先事項で、最強の武器だから。
「ぎゃっ!」
大きな音がしたと思ったら、次の瞬間、すでに地面に転がっていた。
???
いったい何が? 撃たれて、転んだ? 背中が凄く痛い。ダンゴムシみたいにまるまってしまうぐらい痛い。
それから、囲まれて何度もお腹を蹴られた。
何度も。
何度も。
何度も。
不思議と痛くはなかった。背中の方が痛かった。
でも息ができない。だんだんと苦しくなってきた。苦しい。空気が欲しい。肺に空気が欲しい。死ぬほど苦しい。なんとかしてガードしたいのに身体が動かない。
ああ……最悪だ。
このまま死ぬの? まだ生きたいのに……。
でも、なんで生きたいんだろう。
──分かんないよ──。
リンゴの意識は黒く染まった。
この世界で一人でいるということはそういうことなのだ。
弾丸狂想曲 吉城チト @st11123
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