乙女舞え さくらが如く 恋の花 〜桜護の巫女と鬼の街〜

ぽこ村チン太郎

プロローグ その1

プロローグ

 

 四月七日


男1「おいおい、なんだありゃあ」

女1「巫女さん……?コスプレ?すごい美人さん」

男2「撮影かなにかか?それにしては横にいるやつが冴えないメガネだけど……」

女2「マネージャーじゃない?」


 悪かったね。冴えないメガネで。

 道行く人達が僕たちのことを見ては何やらヒソヒソしている。結構聞こえるんだからな、そういうの。

 しかし、どうやら居心地の悪い思いをしているのは僕の方だけで……


「すごい……歩けば歩くほど……ここは、本当に……」

「日本だよ。ジャパン。2018年のね」

「にせんじゅうはち……うっぷっ」

「え?」

「うっ……ごめんなさい、弥凪やなぎ……見慣れないものばかりなものだから……なんか気分が……おぇっぷ、あ、ダメかも」

「待て待て待て待って!こんな天下の往来で!」

「ありがとう弥凪、あなたと会えたこと……絶対に忘れムプッ!」

「やめろおおおおおっ!!」

数秒後。僕の上着という尊い犠牲のもと、なんとか一目につかぬところまで退避できたのはまた別の話。

 しかし、どこからどう見ても普通の男子高校生である僕──相模弥凪さがみやなぎ

 そして、その横を歩く、巫女服姿の謎の美少女──かすみさん。

あまりにも不釣り合いといえばそれまで、良くも悪くも人目を引いてしまう。

 特に、先ほどからずっと世の男性達からの熱い視線を感じる。

 

 どうして……どうしてこんなことに……

 公園のトイレで半泣きになりながら上着を洗う僕は、少し前……ことの発端を思い出す。



 ……

 …………

 ………………


 三月二十九日


 三月も終わり。暖かな風が吹き始め、春がその顔をはっきりと人々に見せ始める頃。

 ここは、田舎とも都会とも言えない小さな町『皐月町さつきちょう』。


「ありがとうございましたー!」

 お客さんの背中に向かって、頭を下げる。

 その背中から少しはみ出て見える、その人が抱えている鮮やかな何か。

花束だ。

 少し濃いピンクのペチュニアの花が、僕に手を振るかのように頭を揺らし、そして外の世界へと旅立つ。

 商品が売れるのは勿論嬉しいのだけど、やはりそれまで丁寧に育てた花達が誰かの手に渡り、僕の知らないところに行ってしまうというのは、少し寂しいような気もして……

「なーにしんみりした顔してんのよ、ナギ」

「ん?あぁ……」

 背後からかけられる声。

 レジよりさらに奥、扉の開いた事務所から出てきたのは、パジャマ同然のよれたジャージに身を包んだ、僕より一つ年上の女の子──相模雛さがみひな。僕の姉だ。

ひなねぇ、だからその格好で出てこないでって……」

「うるさい、どうせ私は接客できないんだからいいでしょ」

「できないんじゃなくて、しないだけだろ」

「いいのよ、そういうのはアンタがやれば」

 そう言いながら、大きなあくび。

 とてもじゃないが、お客さんに見せていいものとは思えない。もっとも、これはこれで一部の層から人気があるのだけど。それは単に、雛ねぇが家族の僕から見ても美人の類に入る人間であるためだ。

 亜麻あま色のポニーテールに、大きな瞳。よれたジャージなど大して気にもならない。

これで愛想さえよければ、お客さんも増えそうなのになぁ……

 まあ、叶わぬものを願っても仕方がない。

「それで、どうしたの?いきなり事務所から出てくるなんて」

「ナギ。ちょっと来て」

 ちなみに、このナギというのは、僕の名前の『弥凪やなぎ』からとったあだ名だ。

「僕今店番してるんだけど」

「いいから、どうせそんな来る店じゃないでしょ」

「それを店長が言うなよ……」

「うっさいうっさい、店長命令よ、来なさい」

「まったく……」

 強引に呼び出され、畳敷きの事務所に渋々入り驚く。いつも散らかっているテーブルの上が何故か片付いているから。

「つ……ついに雛ねぇが整理整頓を……!あれ?」

 弟としては感動すら覚えてしまうのだが、その感動はすぐに消え去る。

 部屋の隅、タンスの横。そこには大量のゴミなのか本なのか、いややっぱりゴミにしか見えない大量の資料達。

「雛ねぇ、これは整理整頓じゃなくて追放って言うんだよ」

「誰も整理整頓したなんて言ってない」

 憮然ぶぜんと言うあたり、雛ねぇらしいけど。

「そんなことよりテーブルの上、見えない?」

「テーブル……?」

 たしかに、卓上にゴミが積み重なっていないという現象にばかり気が行ってしまい気がつかなかったが、見るとそこには何かある。

 広げられたティッシュペーパーの上に、小さなこれは……

「植物の種……だよね、これ」

「そそ」

 むすっとしていた雛ねぇの顔が、少し和らぐ。

「なんの種だと思う?」

「なんの……うーん……」

 クリーム色をした、小さな種。梅干しの種に見えなくもないけど……見たところ、うちで育てている花ではなさそうだ。

「わかる〜?わからないでしょ〜?」

「ぐっ……」

 おそらく今日一番の笑顔(眉毛は八の字)で、雛ねぇが顔を覗かせてくる。さっきまで店番していた弟にすることかこれが。

「教えてあげようか?グフフ」

 なんて笑い方だ……。

 このままではとても悔しいので、横でよこしまなオーラをガンガン出している雛ねぇのことは見ずに、これがなんの種か。そのことに集中する。

 花屋の僕でもパッと出てこないとなると、あまり商品になるような植物ではない可能性が高いのだが……

「分からない……」

 頭の中に無い知識を引っ張り出そうとしても無理に決まってる。

「分からない?分からないかぁっ!アッハッハ!まだまだねえ相模弥凪少年!」

「わあ、すごいムカつく」

 背中をバシバシ叩きながら高笑いをする姉。これだから弟というのは大変だ。

 そうしてある程度僕のことを馬鹿にした雛ねぇは、その種をつまみ上げる。

「これはね、桜の種よ」

「さくら?」

 言われてみれば……種の桜なんか滅多に見ないから分からなかった。

「そそ。私も最初見た時忘れてたんだけどね。そういえばこんな形だったかもって思って調べたらやっぱり」

「桜って……あの桜の木?」

「それ以外に何があるのよ」

「だってさ、桜の種なんて……」

 日本人に古くから馴染みのある樹木として親しまれている桜の木。だが、あの淡いピンクの花をつけるような、即ち僕たちが毎年春に愛でるような桜というのは、実は皆種から育ったものではない。例えば日本で一番人気のあるソメイヨシノなんかは、元からある樹から新芽のついた枝を切りとり、それを植えることで育てるのが一般的だ。

 要は、人に見られるような綺麗な桜というのは、そのほとんどが完璧な配合をなされたクローンなのだ。人間と同じで、生物というのは先祖から離れれば離れるほど、その面影を薄くしていく。故に桜は種から育てることなどほとんどないし、あったとしても、たまに趣味で園芸を嗜む人がやるくらいだ。それでも苗木のが楽だし。

 それにしても桜の種子か……。珍しいというか、何か……

「というか、それ本当に桜なの?」

 率直な疑問を口にする。

「む、店長に逆らう気か」 

「そこは姉じゃないんだね」

「あんたの言いたいことは分かるわ。時期的な話でしょ?」

「まあ、それもある」

 今が三月下旬で、これから四月に入る。つまり、桜はそろそろ咲き始める頃だ。普通に考えて、まだ咲いてない樹から種がとれるわけない。桜の種がなるのは初夏にかけてからと相場は決まってる。

「それもあるんだけど」

 でも、僕が言いたいのはそういうことではなくて。

「それ、落ちてたんだろ?」

「そうよ。散歩がてらに一人で寄ったでね、たまたま見つけたの」

「そんな小さなもの、よく見つけたね……」

 『あの場所』。僕たちにはそれだけで何処のことなのかは容易に伝わる。

「で、何が気にくわないのよ?」

「そんな、気にくわないってわけじゃないけどさ。あの場所で見つけたっていうなら余計に変じゃん」

 僕はもう一度、雛ねぇの指の上にある小さな、桜のものだという種子に目をやる。

「なんていうか、都合が良すぎるというか」

 すると、余程僕がいぶかしそうな顔をしていたのだろう。雛ねぇはこれ見よがしに大きなため息を一つつくと。

「細かいこと考える奴ね。落ちてたのも事実、桜の種なのも事実。大事なのは結果でしょ」

「そう……だけど」

 そんな簡単にスルーしていいものなのかな。どうにもそんな気がしてならない。

 しかし。

「ああ!もう!オラァッ‼︎」

 そんな弟の気も知らず、脳天からチョップを叩きつける姉というのも如何いかがなものか。

「いった!ちょっ、なんだよ⁉︎」

「イライラすんのよ、乙女かお前は‼︎」

「その言葉、そっくりそのまま返すよ……」

「……何かしら♡?」

「いいえ、何でも……」

 くそ。語尾にハートなんて姑息な真似を。

「とにかく」

 雛ねぇはテーブルの上に種を置くと、胸を張りながら腕を組む。胸はあまり無いけど。

「あんた……何か失礼なこと今考えてたでしょ」

「いやいや、そんなまさか」

 個性は尊重するべきだ、うん。

「なんか怪しいけど……まあいいわ」

 雛ねぇは組んだ両腕のうち一つを伸ばし、僕を指差す。

「ナギはもう少しこう、男らしくしなさい!女々しいったらありゃしない」

「それ、今のご時世だと差別って言われるから気をつけてね」

「オラァッ‼︎」

「ナンデ⁉︎」

 チョップ追加一丁!

「そういうとこだって言ってるの!まったく……弟の道を示すのも姉の役目とはいえ、楽な仕事じゃ無いわね」

 横暴だ。慣れてるけど。

「もうすぐ新学期なんだから。それまでに男でも磨いておきなさい」

「じゃあ店番……」

「花をでる男はモテるわよ」

 前言撤回。圧政だ。

 と、その時だった。この終わりの見えない謎の説教に終わりが訪れたのは。

「すいませーん!誰かいますかー?」

 女の子の声。

 声がしたのは扉の向こう。つまりはお客さんが来たということだ。本来ならすぐにでも応対に出なきゃならないのだけど、この妙に気の抜けた声には聞き覚えがある。そして、それは雛ねぇも同じく。暗黙の了解のように無言の僕達。

「ナギくーん、雛ちゃーん?」

 次に聞こえてきたのは僕達の名前。そしてすぐ、事務所の扉がノックされる。

 そして、ゆっくりと扉に近づく雛ねぇ。人差し指を口にあて、静かにしてろというサイン。邪悪な目だ。

「誰かいま……」

「ばあああっ!」

 雛ねぇは相手の言葉が言い終えるよりも先に扉を超高速で開け、いないいないばあの要領で大声を出す。

 何度見る光景か。いわゆるドッキリというやつだ。

「…………」

 雛ねぇに悪質な悪戯の餌食となったのは、白を基調としたフリルに身を包んだ、やはり僕達と同じくらいの歳の女の子。あまりにも唐突だったので、茫然とした表情でピクリともしない。

 そして、この後はいつもの通り。

「…………おばあちゃん、おじいちゃん……すぐに詩織もそっちに行くからね……」

 さっきとは一転、穏やかな表情。まるで、極楽を見たかのような顔だ。

「……がくり」

 あ、死んだ。

「蘇生チョップ!」

「ハッ‼︎あれ?川は……?」

 雛ねぇのチョップにより、意識を現世へと引き戻したこの女の子──御風詩織みかぜしおりは、僕ら相模姉弟の幼馴染。学年は僕と同じだ。

「あ、雛ちゃん。それにナギくんも。こんにちは!」

 眩しいくらいの笑顔。これで今まで何度もあの世に行きかけているのだから人間分からない。雛ねぇが悪いんだけど。

「こんにちは詩織」

「えへへ、暇だから遊びに来ちゃった」

 詩織がこうやってウチの店に遊びに来ることは別に珍しくない。

「それにしても酷いよ雛ちゃん……いつもいつもあんな風に驚かせて!」

 いや、学習しろよ。とは言わない。もうその時期は過ぎたから。

 だからといって、罪の意識の欠片も無いような笑顔をしている雛ねぇが悪くないわけでは一切ないが。

「いやぁ、詩織はこれからもずっとそのままのアホでいてね。私はあなたのそういうところ大好きよ」

「え?えへへ……大好きだなんて、私も雛ちゃんのこと大好きだよ」

 そんな知能の低い会話ではあるものの、こうして横で見てみると無駄に華がある。雛ねぇが美人系なら詩織は可愛い小動物系というのが的確だろう。

 全体的に柔らかい雰囲気をまとい、身長は雛ねぇより少し低いながらもスタイルでは負けてない。むしろ、詩織の胸の大きさと雛ねぇのを比較してしまうのは完全にオーバーキルの域だ。

「あ、もちろんナギくんも大好きだよ!」

「ああ、僕もだよ……」

 この天然といえば良いのか、単にアホといえば良いのか分からない中身さえ……と、思わずにはいられない。

 といっても、これが詩織なのだから仕方がない。急にキレ者になられても、それはそれで困るよな。

「それより詩織。いつも言ってるけど、あんたなら事務所に勝手に入って来てもいいのに」

 畳に腰を下ろしながら、雛ねぇが言う。すると詩織も、ごく当たり前かのように靴を脱ぎ、雛ねぇの隣で正座。無言でお茶の用意をする僕。どれもいつも通り。

「そうはいかないよ。だって私はここのお客さんだもん」

「営業中に遊びに来るのはいいのか?」

「もーナギくん意地悪。それはいいの、だって幼馴染だから」

「そういうもんかね。はい、お茶」

「そういうもんだよー。あ、お茶ありがとー」

 身なりや仕草を見ていれば分かるのだが、詩織の家……つまり御風みかぜ家はかなり裕福な家庭だ。詩織の祖父の代で興した服飾事業が成功し、皐月町さつきちょうの発展に大きく貢献したという。そして、詩織の父親の代となった今でもその業績は伸び続けているとかなんとか。

 つまり、その孫娘である詩織はまごう事なきお嬢様なのだ。

「ナギー、そこらへんの棚にお菓子とかなかったっけ?」

「オセオ(ココア味のクリームをサンドした白いクッキー。雛ねぇの好物)なら昨日雛ねぇが全部食べちゃったじゃないか」

「なんですって!買って来なさいナギ!今すぐに!」

「じゃあ店番代わってよ」

「く……ごめんね詩織。不甲斐ない弟で!」

「おい」

「あはは、私はいいよ別に。ナギくんお茶入れるの上手だしね」

 アホはアホでもド級の良い子。優しさが身に沁みる。

「はい、二人とも」

 だから、このお茶が実はスーパーで買ったティーバッグだということを敢えては言うまい。

「ずずず……はぁ、美味しいねぇ」

「うっ……ごめんね……こんなひもじい思いさせて」

「いつまで続けるんだよ」

 ひもじいのは自分だろ。

 

 そんなこんなでダラダラと時間が流れ、他愛のないことを三人で話していると、陽が沈む時間にまでなってしまっていた。

「じゃあ、私そろそろ帰るね」

「あら、もう帰るの?」

「門限超えると怒られちゃうから」

 そう言うと、詩織は靴を履いて帰る支度したくを終える。

「ナギ、送ってあげなさい」

「わかってるよ」

「いつもごめんね」

「いいよ別に、雛ねぇが店番を代わってくれる数少ないタイミングなんだから」

「ナギ……オセオ買ってきなさいよ」

「はいはい……」

 店を雛ねぇに任せて詩織と一緒に店を出る。

 ついこの前まで寒かった風が、春の気配を帯びて暖かく吹き抜ける。

「春だねぇ」

 詩織も心地よさそうだ。

「うん。春だ」

 陽が暮れて人通りが少なくなったからか、いつもより風の音も大きく聞こえる。

「よし、行こう」

「うん!」

 

 御風宅は少し遠い。うちから歩いて大体15分くらいといったところか。

 その15分を、僕達はいつも適当なことを喋ったり、ぼーっとしながら歩く。別段二人ともお喋りでもないから、気まずくなったりもしない。

 いつから、どうして毎回こうして詩織を家まで送るようになったのか。それすら記憶にないほど、これも幼馴染としての日常。大切な時間だ。もっとも、それがなくても詩織は危なっかしいから、仮に彼女が嫌だといってもやめないけど。

「ねえ、ナギくん」

 ふと、詩織が口を開く。

「なに?」

「もうすぐ二年生だね」

「ああ、そうだね」

 次の春で僕達は進級する。僕と詩織は二年生に、そして雛ねぇは三年生に。

「雛ちゃん、進路とかどうするのかな……」

「うーん……本人は大学とか行くつもりないみたいだけどね」

「やっぱ、そうなんだ」

 少し下を向く、詩織の顔。

「でも、私がこんなこと言っちゃいけないんだろうけど……もったいないって思っちゃうな」

「まあね」

 それに関しては僕も同意見だ。理由は簡単で、それは雛ねぇが僕と本当に姉弟なのかと疑ってしまうほどに頭がいいから。花屋としての基本的な知識はもちろん。学校でも常に学年トップを守り続けているほどだ。そこまで頭がいいのなら、きっと大学に行って、より色々なことを勉強した方がいいに違いない。

 だけど、それを雛ねぇに言うつもりはない。多分、それは詩織も同じで、だから今この話を僕にしたのだろう。

「お金……だよね」

「うん。本人から聞いたわけじゃないけど」

「……お父さん……ううん。やっぱ、雛ちゃんはすごいや」

「まあ、雛ねぇだし」

 啓介おじさんならお金くらいどうにかしてくれる。詩織の言いたいことは分かる。

 でも、そういうわけにも……いつまでも、御風家の世話になるわけにはいかない。それが相模弥凪と相模雛が出した、相模家としての答え。それを詩織に言ったことはないが、この長い付き合いだ。とっくに見抜かれてしまっているのだろう。

「雛ねぇのことだから、きっと高校出たら店の方に力を入れるんだろうね。だから少しで前に出て欲しいんだけど、あの人ときたら……」

「あはは、雛ちゃんらしいね」

「雛ねぇがいる方がお客さんも増えると思うんだけどなぁ」

「どうかなぁ……雛ちゃんのことだし、気に入らないお客さんが来ちゃったりしたら、力づくで追い出すくらいはしそうじゃないかな?」

「……たしかに」

「ちょっ!そんな顔しないでよナギくん!冗談だよ‼︎」

 冗談じゃ済まなさそうなのが怖い。でも、それはおいといて。

「けど詩織、どうして今そんな話を?」

「え?」

 詩織はいい子ではあるけど、普段はあまり難しいことは考えたがらない女の子だ。勉強にもその影響が出るほどに。だから、雛ねぇのことも本気でもったいないと思っているだろう。

 すると、詩織は少し困ったような顔になり。

「あー……いや、不安になっちゃって」

「不安?」

「私たち、昔から幼馴染三人で楽しく過ごして来たけど……」

 そこまで口にして、詩織の顔は悲しそうな表情に変わる。

「それも……いつか終わっちゃうのかなって……」

「……なるほど」

 誰にでも優しい詩織らしい不安だ。僕だって考えたことがないわけじゃないけど、考えないようにしていたこと。

 どう答えていいのか、分からない。

 そんなことない。と言うのは簡単だけど、そんなので納得するほど詩織だって馬鹿じゃない。アホではあるけど。

「だからね!」

 ほんの少しの沈黙ののち、詩織が急に大声を出す。その足を止めて。

「私!今年一年たくさん楽しいことしたいって思ったの!」

 満面の笑顔。無理してるなんてすぐに分かる。けど、それと同時に分かることがもう一つ。

 それは、その言葉が本気だっていうこと。

 だから僕も、笑顔を作る。作り笑いでもいい。だって、これはこれから本当に笑えるためのものだから。そして、精一杯の気持ちを込めて答える。

「うん……そうだね!」

 再度の沈黙。側から見たら恋人なんかに見えたりするのだろうか。暗い道の真ん中でお互いに見つめ合う男女というのは。

 しかし、残念ながら僕達はそんなロマンチックな関係じゃない。

「……ぷっ」

「詩織?」

「ぷっ…あははっ!ナギくん、無理に笑ってるでしょ!変な顔してるよ?」

 ただの、単なる幼馴染。それ以上でも、それ以下でもない。それでも、この上なく大切な関係。

「そ、それなら詩織だって!」

「え⁉︎バレてたの!」

「いや……自分で言うなっての」

 このあと、もう一度歩き出した僕達は全然関係ないことを話しながら、たくさん笑った。作り笑いじゃない、本当の笑顔で。

 そんなんだったから、そこから詩織の家に着くまではあっという間だった。

 豪邸という外見ではないが、正門の両端から伸びる塀の長さと柵の高さを見れば、この家の持ち主がごくありふれた一般家庭の部類に入らないことは一目瞭然だ。

「いつ見ても大きいなぁ」

「大きすぎるけどね……」

 うんざり、といったような詩織。お嬢様にはお嬢様なりの気苦労がある、というのは雛ねぇの言葉だ。

「おかえりなさいませ、お嬢様」

 そう言って門から出て来たのは、乱れのない黒服を着た初老の男性。執事の河野光也かわのみつやさんだ。

「弥凪様も、いつもありがとうございます」

「いえ、好きでやってるんで」

 服とは対照的に、髪にも髭にも黒は一切ない、綺麗な白色。

 いつも僕が詩織と家の前まで来ると、どこからともなく現れる、まるで忍者のような人だ。

「ただいま、光也さん」

 詩織が河野さんの方へと駆けていく。

「粗相はありませんでしたか?お嬢様」

「もう!そんな子供じゃないっていつも言ってるでしょ!」

「ホホホ、そうでしたね。これは失礼しました」

「もうっ!」

 頬を膨らませる詩織だが、嫌がってるようには見えない。相変わらず仲のいい二人だな。

「それじゃあ、僕はこれで」

「おや、弥凪様。よかったら夕食でも如何でしょうか?雛様もお呼びになって。ご主人様もお二人に会いたがっていますよ」

「うんうん!そうしようよ、ね!ナギくん!」

「あはは、すいません。実は雛ねぇにオセオ買って来いって言われてて」

 誘いは嬉しいけど、雛ねぇがあの格好から着替えるとも思えない。今日は遠慮させてもらう。

 せっかくのお誘いを断ったのに、目の前の二人は特に嫌な顔もせず。

「そうでしたか。では、またの機会にいたしましょう」

「ちょっぴり残念だけど、仕方ないね」

「ありがとう、二人とも。じゃあまた」

「うん!ばいばいナギくん!」

「お気をつけて」

 僕は二人に別れを告げ、御風宅を後にした。

 

「よし、ミッション達成」

 コンビニでオセオを買い、我が家へと足を動かす。

 誰かと一緒だと一瞬のこの道も、一人だと何倍もの長さに感じてしまう。

 すっかり夜へと変わった帰路を電灯に照らされ、自分の足元を眺めながら歩いていると、何故だか今日雛ねぇに見せてもらった桜の種のことを思い出す。

 あの言葉にできない違和感というか、何から何まで不自然に感じられてしまう種子。雛ねぇはそんな細かいこと気にするなと言っていたけど、気になるもんは気になるのだから仕方がない。

 そして同時に思い出したのは、ついさっきの出来事。詩織の言った言葉。

 

『私!今年一年たくさん楽しいことしたいって思ったの!』

 

 そうか。詩織もそんなこと考えてるのか。

 失礼かもしれないけど、少し感心してしまった。先のことには目を背けてしまう僕とは大違いだ。

「桜……か」

 すると、自分でも無意識に、口からそんな言葉がこぼれた。

 そうして頭に浮かぶ、一つのアイデア。それはすごく地味で、気が遠くなるような、それでもきっと詩織も雛ねぇも喜んでくれる。そう確信できるようなアイデア。

 自然と顔が綻ぶ。気持ち悪いかな。

 その時だった。ドン、と何かがぶつかる感触。

「きゃ!」

「うわわっ!」

 オセオの入ったビニール袋とともに盛大に尻餅をついたものの、慌てて目を開ける。その先には、同じく尻餅をついた女の子。どうやら下を向いて歩いていたため、彼女に気づけなかったようだ。

「だ、大丈夫ですか⁉︎すいません、余所見しちゃってて……」

 僕はすぐに立ち上がり、倒れてる女の子に近づいたのだが。

「近寄らないで……!」

 彼女は顔を上げて僕を睨むと、大声ではないものの確かな敵意を持った声を放った。

「うっ……」

 さすがに立ちすくんでしまう。

 そしてようやく、電灯の光で明るく照らされたその子の姿に気づく。

「……巫女?」

 小柄な身体に身につけられていたのは白い和装に赤い袴は、まさに巫女装束のそれ。コスプレにはないような気品に満ちており、それが本物だというのが自然と伝わってくる。そこに彼女自身の整った顔……小さな顔に少し吊り上がった目と、夜に溶け込みそうなほどに真っ黒な髪、それを後ろで束ねている白い紙で作られたかのような髪留めが特徴的だ。大和撫子と形容できそうな容姿が相まって、一層神秘的な雰囲気を纏っている。

「……?」

 そして、彼女の身体を支える右手を見た時、あることに気づく。

「血……?」

「っ……見ないで……!」

 見れば、白地の袖が少し赤い。

「大変だっ!早く手当てしないと!」

 彼女の制止も聞かず、僕の身体が勝手に駆け寄る。しかし──

「来ないでっ!」

「うわあっ!」

 先ほどよりもより強い拒絶。それだけじゃない。彼女が声を放つのと同時に伸ばした右手は、僕の身体に触れていないのにも関わらず、僕のことを後方へと吹き飛ばした。

「……い、今のは……?」

 幸い再び尻餅をつく程度で済んだが、何が起きたかまるでわからない。

「くっ……!」

「あ!ちょっと!」

 巫女装束の女の子は、すぐに立ち上がると、何も言わずに走り去ってしまった。

「なんだったんだ……」

 僕は茫然としたまま彼女が闇へと消えていくのを見送るしかなかった。

 しばらくして落ち着いた僕は、深呼吸しながら腰を上げ、ズボンの汚れを払う。

「あ、オセオ……」

 右手のビニール袋の中、オセオの包装を触る。

「やっぱり……」

 袋越しのオセオは、少し砕けていた。

「こりゃ、なんか言われるな……」

 待ち受けるチョップの防御法でも考えながら帰ろう。

 

「おっそい」

「ごめんて」

 そこまで時間をかけたつもりもなかったが、思った以上に雛ねぇを待たせてしまったようだ。けど、だからといってレジの上で肘枕をしていていいことにはならない。

「ちゃんと店番してなかったでしょ」

「お客さんなんか来ませんでしたー」

 口を尖らせる雛ねぇ。だが、少し僕の身なりを見るなり。

「あれ?あんたケンカでもしてきた?なんか汚れてるけど」

 少しドキッとする。しかし、巫女とぶつかり、意味のわからない力に吹き飛ばされた。など誰が信じるのか。

「いや、別に。ちょっと転んだだけだよ」

 変に心配させたくないし、弟が妄言を言い始めたとも言われたくないので、ここはしらばっくれることにする。転んだ、というのは嘘じゃないし。

「トロいわねー」

 小馬鹿にするようなニヤケ顔。心配させたくないなどと考えた自分が恥ずかしい。

「で、オセオは?買ってきた?」

 疑問形でありながら、否定は許さぬといったオーラがぷんぷんしてくる。

 無言で差し出す。

「よしよし」

 そして袋を開けようとしたその時。

「……ナギ」

 やっぱ気づかれたか。袋に指をかけただけで気づくとは、恐ろしい女だ。

「なんでしょう、お姉様」

 結局理不尽チョップの対処法は思いつかなかったので、根性で立ち向かおう。

「あなた、ほんとに転んだの?」

「え?」

 予想に反した雛ねぇの反応。声のトーンはいたって真面目。とてもオセオを気にかけたが故の態度には見えない。

「あ、ああ。だからそうだって……」

「ふーん」

 明らかに信じていない目だ。普段怠けていても、中身は真逆。文武両道才色兼備を地でいくのが雛ねぇなのだ。

「ま、なんでもいいけどさ」

「え?」

 ところが、それ以上の追求はなかった。それそれで不気味だ。

「い、いいの?」

「何よ、お姉ちゃんに心配してもらえなくて悲しい?」

「そんなことは全くないんだけど……」

「ないんかい!」

 ズビシッ。目を三角にした雛ねぇから人差し指を向けられる。しかし、すぐにため息をつき、呆れたような口調で。

「あんただってもう十七になるんだし、いちいち詮索しても仕方ないって思っただけよ」

 そして、一拍おいて少し小さい声。

「ナギに大きな怪我がないなら私はそれでいいんだから……」

「え?今なんて……」

「あーーもう!だから!お金ないんだから怪我とかしてこないでよねってこと!治療費だってバカにならないのよ‼︎」

 いつのまにか顔が真っ赤になってる雛ねぇ。

 やっぱり、僕の姉さんだ。口ではあんなこと言ってても、きちんと僕のことを心配してくれてるのが伝わってくる。

「はいはい、ありがとう雛ねぇ」

「ちょっと!別に感謝されることなんて言ってないわよ!」

「あはは」

「笑うなぁ!」

 我が姉ながら、可愛いと思ってしまう僕は気持ち悪いだろうか。

 結局このあと、砕けたオセオのお仕置きという名目で、明らかに過剰威力のチョップを食らうことになると知っていれば、可愛いだなんて露ほども思わなかったのだけど。

 

「あの場所に植える?」

「そうそう」

 夕食を食べ終わり、事務所でくつろぐ僕ら姉弟。ちなみに、家の一階に花屋がある感じなので、実は事務所が僕達にとってのリビングみたいな感じだったりする。

 その時僕が雛ねぇに話していたのは、今日の詩織を送ったあとの帰り道、あの謎の巫女装束の女の子とぶつかる直前に考えていたもの。

「あの桜の種をさ、植えるんだよ。三人で」

「詩織と私とあんた?」

「他に誰がいるのさ」

 『あの場所』という言葉で通じるのは僕と雛ねぇ、そして詩織の三人しかいない。三人だけの、秘密の場所だ。

「どうかな」

「……」

 雛ねぇはテーブルの上の種をしばらく見つめ、少ししてから僕に視線を戻す。

「詩織に話したの?別にいいんだけど」

 僕が急にそんなことを話し始めたのが意外だったのか、不思議そうに訊いてくる。

「いや、まだ話してない」

 桜を植えるといったアイデアを考えたきっかけは詩織に違いないが、彼女に種のことは話してないし、正直なところ、種のことなどそれまですっかり忘れていた。

「ふぅん」

 嘘じゃないと分かったのだろうか。雛ねぇはもう一度種を見つめると、今度は嬉しそうな表情に変わる。

「うん、いいかもね」

「だよね!」

 思わず声が大きくなってしまう。元より反対されるなんて思ってもいなかったが、こうして自分の考えに賛同してもらえるのは素直に嬉しい。

「種は植えてこそのものだし、私も桜って一度育ててみたかったのよ!」

 おお、珍しくポジティブ方向にテンションが高い。

「それに」

「?」

「高校最後の年だしね」

「……うん」

 やっぱり、雛ねぇも詩織と同じことを考えているのかもしれない。その表情は嬉しそうでも、少しだけ寂しそうにも見えてしまう。らしくない。

「種からだからそんなに綺麗なものにはならないかもだけど、きっと最高の桜になるよ!」

 言ってて少し恥ずかしいくらいクサいセリフだけど、しんみりした雛ねぇなんてみたくない僕は、さっきよりもさらに大きな声で雛ねぇの方へと身を乗り出す。

 すると、雛ねぇは目をぱちくりさせて固まってしまった。僕のテンションに驚いたようだ。

「……雛ねぇ?だ、大丈夫?」

 さすがに奇行が過ぎたか。若干心配になってしまうを

 だが、それも杞憂だった。

「…………ニヒヒ」

「あれ?」

 雛ねぇの顔が笑顔に歪む。歪むと言ったのは、それがやっぱりいつもみたいに邪悪なものだったから。

「クサいこと言うのぉ、お主」

「なっ!」 

 自覚するのと指摘されるのじゃ恥ずかしさが段違いだ。みるみる自分の顔が赤くなっていくのが、鏡を見なくても自覚できる。

 そんな僕を見て、雛ねぇはまた一段と嬉しそうになる。

「最高の桜……うふふ、ロマンチックね、ナギ」

「か、勘弁してください……」

 だけど、意外なことなそれ以上の羞恥プレイはおこなわれなかった。代わりに雛ねぇは立ち上がると、腰に手を当て、その姿は凛然としていた。

「私が育てるのよ!最高の桜になるなんて当たり前でしょうが!」

 自信に満ちた佇まい。無い胸が大きく見えるほどに。

「チョップ!」

「なんでっ!」

 今日一番のスピード、つむじが痛い。

「今絶対失礼なこと考えたでしょ」

「そんなことは……」

「ワンモアチョップ‼︎」

「あがっ!」

 最高速度更新。

「とにかくっ!」

 頭を抑えて机に突っ伏す僕に構わず、雛ねぇの声の勢いは衰えない。

「三人で植えて、一生!いつまでもいつまでずーーっと咲き続ける桜にするのよ!」

「そりゃ……随分と大きく出るね」

 弟を見下ろしながら、フンと鼻息を鳴らす姉。

「嫌とは言わせないわよ、言い出しっぺさん」

「はは……まさか」

 思えば、この瞬間から全ては始まっていたんだ。僕達にとっての、予想もできないような物語、それは青春なんて言葉じゃとても言い表せないような……だけど、一生忘れられないような物語が。

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乙女舞え さくらが如く 恋の花 〜桜護の巫女と鬼の街〜 ぽこ村チン太郎 @PokoTin

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