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ALMa

第1話

 フチュウ駅前の鐘が、規則正しく鳴り始めた。電力供給計画停電三十分前を報せる五点鐘だ。


 スラッとした男性はカウンターのはね板を持ち上げると、カウンターの背もたれのない椅子に、つま先を引っ掛けないように注意深く回り込み、奥の倉庫へ向かった。彼の歩き方につれて、膝が妙に内股気味で、腕が左右に振れ、シャツに擦れて、シュ、シュ、と音をたてる。まもなく五点鐘が鳴り止むと、店内に響くのはその音だけになった。外の道路からも、人の声も聞こえなければ、車の音もしない。微かに風の切る音は聞こえてくるが、この程度の音なら、耳障りにはならない。慣れっこになってしまっている。


 偶数日の夜間計画停電が施されてから、そろそろ早3年になる。だが、ダウンタウンの店の半分が立ち退き、かつては昼も夜も賑わいと喧騒にみちていたネオン街が空き家とテナント募集の看板だらけになったのは、電力が絶たれたからではない。核戦争の後、多くの人びとが、この土地に見切りをつけて去って行ってしまった。ここにいる限りは、核戦争で失われた多くの者のことを、それがまだすべて終わったわけではないということを、嫌でも思い出せてしまうからだ。それはあまりにも辛すぎた。


 男は、核戦争の後からここで店を営み、多くの人が立ち退いてもここに残った。この状況だから店の位置などは自由に変えられるが、店の場所も変わらない。元ネオン街に、男のような住人は本当に珍しい。電力不足にも負けず、それぞれがそれぞれに動力や光源を工夫し、しぶとく商売している飲食店の経営者たちは、彼も含め、皆、核戦争後に流れてきた極小数の新参者ばかりである。


 ここフチュウ市は、新ニホン国の中では首都アサヒカワからもっとも遠く離れている。というより、核投下の起源となった『研究都市タカオ』が、もともと近くにあったので、新ニホン国の新たな首都は、そこからできるだけ遠く、そして内陸の安全な場所に置く必要があったのだ。首都はフチュウ市よりも遥か遠くの地に定められ、研究都市タカオのあった山中は、核投下の負の遺産を囲んで、怖いもの知らずの軍人と研究者たちだけが立ち入り許される禁断の場所になっていた。旧フチュウ市には、今でも正式名称は与えられてはいない。『爆心地』と呼ばれるだけだ。どれだけ詳細な地図にもその名前で載せられている。そしてそこには、今では山の影すらない。みな、吹き飛ばされてしまった。


 かつて、核戦争の前は歴史ある街として知られていたフチュウ市は、今では『爆心地』の町、ゴロツキ共の町に成り下がってしまった。

 ここは僻地――地理的なものではなく、国民の心の在りようによって僻地となった土地なのだ。


 男は、倉庫の一番手前の棚からアロマキャンドルの箱を取り出すと、狭い店内をめぐり、5つのボックステーブルと、カウンターのそこそこに置いた蝋燭台に、鼻歌交じりに器用な手付きでそれを立てて回った。

 一つの蝋燭台には二つのアロマキャンドルを立てることが出来る。無駄が出ないように、香りを統一化させ、新品のものと、一昨日の使い残しのものとを、上手く組み合わせてセットし、スラッとしたベストのポケットからライターを取り出し、火を灯す。

 戸外で風が一段と強く吹きすさび、店の入口の幌を乱暴に煽る音が聞こえてきた。今夜もひとしきり荒れることだろう。最後にスンと澄んだ月夜の夜空を仰いだのは、いったい何時のことだっただろうかと、男はテーブルを拭きながら考えた。被爆日以来、根こそぎ狂ってしまったこの国の気候に治癒の兆しはまったく見られない。


 明かりを灯す作業を終えると、男はまた鼻歌交じりにカウンターの内側に戻り、自分用の椅子に座り、ショットグラスを一つ取り出した。彼が一番お気に入りのラム酒を、ショットグラスにキッカリ一杯注ぐ。最初の客が来る前に、まず自分の胃袋に酒を与えてやる。それが男のこの仕事を始めてからの毎日の習慣だ。そのかわり、客がいる間、酒はもう一滴も飲まない。


 深く美しい色と芳醇な香りがなんとも言えず、過去に色々な賞を取っていたラム酒を口に含み、ゆっくりと味わっていると、一点鐘が鳴り始めた。計画停電の開始時刻が来たのだ。男は、ちらりと頭上の明り取りの窓に目をやった。薄闇が迫ってきている。


 出入り口のドアベルが、カランと鳴った。男は視線を上げた。文字通り見上げないと、そちらを見ることはできない。ここは地下なので、ドアの位置が天井の上にあるからだ。だから、客はこのカウンターのあるフロアに来るまでに、急な階段を降りてこなければならない。


 降りてくる階段から、高いヒールを履いた脚が見えた。脚はスラリと伸びて、その上に、タイトなスカートと幅広の革のベルトを巻いたほっそりとした腰が乗っかていた。ロウソクの明かりがそこまで届かないので、上半身はおぼろな影になっているが、軍服のジャケットを着ているようだ。

「こんばんは――と、言うにはまだ少し早いかしらね?」


 女の声だった。女は手すりをつかんだ。指輪だろうか。何かが鈍くキラリと光った。

「もう開店してるんでしょ? このバーは、一点鐘が開店の合図だって噂に聞いたんだけど」


「いらっしゃいませぇ」と、男は言った。そして自分のショットグラスの残りをもったいなさそうに飲み干した。


 ヒールの踵が大きな音を立てる。女は軽い足取りで急な階段を下りると、アロマキャンドルの明かりの輪のなかに入ってきた。


 面長の顔。凛とした瞳。ただし顔の七割しか見えない。前髪が垂れ下がり左目から頬の半ばあたりまでを隠しているからだ。しかし、それでいても充分に見て取れる美貌だ。決してキャピキャピとした若さはない。が、一言で言える力強い美しさだ。


 ラテン系だろうか? 肌の色が黒人とも黄色人種とも取れない色だ。きっとロウソクの光のせいもあるのだろうが、それを差し引いても、かなり日焼けしていることは確かだ。


 女はひらりとカウンター席に腰掛けると、男を見てニコリと笑った。決して歯を見せない、片頬だけの微笑みだ。


「お酒はなにが?」


「他所の店にあるものなら、だいたい揃ってるわよ?」


「今飲んでたものは、何ていうお酒?」


 目ざとい女だ。空いたショットグラスを顎でしゃくってみせた。


「単なるラム酒よ」男は空いたショットグラスをシンクに伏せた。「わざわざお客様に出すようなお酒じゃないわ」


「それじゃ、ポッチゴーをもらうわ。シングルで。ロックでお願い」


 一般的な安酒だ。この元ネオン街では、酒はポッチゴーという密造酒を水と一緒に飲ませている。


「お水、いる?」


「ありがとう、もらうわ」女はまた微笑んだ。


「ここの水は湧き水を使ってるんですってね。いい井戸があるんでしょう? だから、電気使えない日でも冷たいお酒が出せるんだって聞いたわ」


 男は女を見た。カウンターの上に見える、女の上半身をよく観察した。長い黒髪を結って、頭の後ろでまとめてある。ガラスと銀で出来たピアス。緊張してない素振りを無理して演出して、カウンターに乗せている両手。先ほど光った指輪もよくよく見てみると、凝った彫刻が施されている。軍服のジャケットも軍人共の着ている安物と違い、それと似たデザインだが、もっと上等な生地で作られているようだ。


「お客さん、初めて見る顔よね」


 女は男が差し出したロックグラスを取り、一口飲んだ。その端正な顔には何の変化もなかったが、わずかに頬がぴくっと震えた。


「行きつけにしていたバーがあったんだけど、店をたたんじゃったのよ。店を変えようと思って探してて、ここがいい店だって噂で聞いてね」


「へぇ、誰から聞いたの?」


「色んな人よ? 評判いいのよ? この店」


 女はロックグラスを持っていない方の手で、顔の右側に垂れ下がってきた髪を跳ね上げた。そんな仕草をしても、逆側の髪は微動だにしない。手間をかけて、そのようにセットしているのだと感じ取った。


「ここ、軍の人達が集まる店なんでしょ?」


 ロックグラスを手で持ったまま、女は尋ねた。が、もう口をつけようとはしない。鼻先からも遠ざけている。


「どうかしらね?」


「とぼけないで? 知らないわけないでしょ?」


「昔はあの人たちのことを、傭兵団って呼んでたわ」と、男は言った。


 女はそれを聞いて頷いた。「そうなんですってね。軍直轄の機関になってから、呼び方が変わったって聞いたわ」


「まぁ、顔ぶれは一緒なんだけどね」


「へぇ、そうなんだ」と、女はまた笑った。他の表情を忘れたかのようだった。


 よく見ると、女の指先が震えている。


 女の前に、冷たい水を満たしたグラスを置き、彼女の目を見ないで、男はいった。


「ねぇ、その水で口をすすいだら、帰ったほうがいいわよ」


 女はその言葉にぎくりと反応した。「ど、どういうこと?」


「あなた、お酒なんて飲んだことないんでしょ? ましてや、そんなのまともな人間が飲むようなお酒じゃないのよ、無理しない方がいいわ」


 女の口元が動き、真っ白な歯がのぞいた。今度は笑ったのではなく、下唇を噛んでいるのだ。


「私は――」


「言い訳なんていいわよ」男は女に向き直った。「あなたが何処から来たか、ここに何しに来たか、そんな野暮ったいことは訊かないわ。悪いことは言わないから、おとなしく帰ったほうがいいわ。ここはあなたが来ていい所じゃないのよ」


「なによ、オカマのくせにお説教?」


 女が強がろうとして鼻先から息を吐くと、ロウソクの火が揺れた。男は黙ったまま、彼女の目から視線を離さなかった。


「いいじゃないのよ、好きできてるんだもの」


「それじゃ、出直してきて! 二十点」


「どうしてよ!」


「あんたは自分の家のウォーキングクローゼットを引っ掻き回して、一番安くてダサいものを見繕って来たつもりだろうけど、そのジャケットは傭兵共の作戦で着るにはコスパが悪すぎるし、生地が上等すぎるのよ。ブランド物でしょ? あと、そのピアスとリングもブランド物でしょ? ヒールで作戦なんて、どんなに頭の狂ってる傭兵でもまずいないわよ」


 男は軽く手を上げて小首をかしげた。


「わかったでしょ? あんたは重油タンカーのなかに一人お姫様が居るくらい、よく目立つのよ。場違いな人間がここにいますよ! って、自分から手をあげて歩いてるようなもんなの。犯かされる前に、お家に帰ったほうが身のためよ?」


 女はようやくロックグラスをカウンターに置くと、自分の格好を見下ろした。


「でも・・・」


「あなたは運がいいわ。今日は傭兵連中の出足は遅くなるだろうし。作戦があって大勢で出かけたから、今なら誰にも見つからないと思うわ。あ、ついでに言っておくけど、ここのMPは頼りにしたらダメよ? 外に出たらまっすぐ甲州街道にでて、車に乗せてもらうの。電力列車はもう間に合わないからね」


 女はしばらく、男に抵抗する材料を探していた。が、ため息をついて顔を上げた。


「私の変装、そんなに下手だったの?」


「言ったじゃない。二十点だって」


「軍人たちは軍直轄の機関だし、装備は大切だから、そんなにみすぼらしい格好はしてないと思ったんだけど」


「そうよ、みんなみすぼらしくなんかないわよ。それでも、あなたとは違うわね。」


 男は女の全身を見た。


「それにあなたは武装をしてないわよね。一番最初に気がつく矛盾点よ」


「銃ならちゃんと持ってるわ」女はジャケットの内ポケットから、デリンジャーのような小型銃を取り出して見せた。


「少し小さめだけど、ちゃんと実用的な武器よ?」


「なるほどね。それが役に立たないってわけじゃないけど。ただ、この町で『武装する』ってことは、武器を持っていることが、まわりの誰にでもひと目で、わかるようにするってことなの。」


 女は手の中の小さな銃を見つめ、ゆっくりとそれを元あった内ポケットにしまいこんだ。それから、あきらめたように微笑した。それは、これまでのような作り笑いではなかった。


「わかったわ・・・ ありがとう」


「ううん、いいのよ」


「でも私、こんなことですごすごと帰るわけにはいかないのよ」


 カウンターの椅子に座り直し、女は身を乗り出した。


「ママ、あなたは親切だから、正直に打ち明ける! 実は私――」


 思いつめたような眼差しに、しかし、男は冷静な視線を返した。


「子供を探してるの」女は熱を込めて言った。「十四年前に消息がつかめなくなって――あのころ四歳だったから、今は十八歳ね。ううん、誕生日が過ぎたから十九だわ。ずっと探していたの。本当にずっとずっと。一瞬だって忘れたことなんてなかった。その子がどうやら軍人になったらしくて――その年頃の、同じ名前の軍人がいるっていう情報を掴んだの。それで、軍人が集まる町や店なんかを、あちこち探し回ってるの」


 男は女の話を聞いても、全く表情を変えなかった。自分の言葉に説得力が足りないと感じたのだろう、女はジャケットの逆側の内ポケットから一枚の古ぼけた写真を引っ張り出してきた。


「見てちょうだい。この子なの」


 女は写真を男の鼻先に突きつけた。しかし男はその写真を受け取らなかった。仕方なく女はそれをカウンターの端に置いて、指先でそっと押さえた。


 写真の端が少しセピア色に黄ばんだ、少し古い写真だ。もちろんカラーなのだが、大切に持ち歩いていたのがひと目でわかる。


 公共の公園だろうか、自宅の庭だろうか。緑の植え込みに囲まれた芝生の上で、若い女が片膝立ちになり、カメラに向かってニッコリと笑いかけている。彼女は左腕で幼い男の子肩を抱き寄せ、右手でその子の小さな手を握っている。


 男の子はぽかんとした表情でカメラを見ている。三歳くらいだろうか。おろしたての丸首のTシャツ、腰のあたりがゴムでゆとりのあるストレッチジーンズに、前掛けをしている。少し曇った栗毛色の髪。右手にぶら下げているのは、昔に流行たことがある玩具だ。男もそれを親に買ってもらったことがあった。


 男は、写真の子供よりも若い女の方を見た。この顔に、ざっと十四、五年の歳月を載せ、左目を隠すと、今カウンター越しにこちらを見つめている女の顔になる。


「この子、私の子じゃないの」男の考えを見抜いたように、女は言い足した。「私の友達の子よ。母親が私の幼なじみだったの。若いときに男に騙されて――さんざん搾り取られて、子供ができたら逃げられて」


 女はなぜかためらって言葉を切り、言い直した。「でも、代わりにガエルっていう素晴らしい子を授かったの。私も凄く可愛がってた! 実の子みたいね」


 男は写真を女の方に押しやって、煙草をくわえて火をつけた。


「この子って、『戦争』で行方知れずになったの?」


「そう」


「そうね、そういう話って、そこらじゅうにゴロゴロしてる。未だに安否のわからない家族を探してる人は、あなただけじゃないのよ?」


 女は目を伏せていった。「そんなことはわかってるわ」


「諦めきれない気持ちはわかる。でも、やめておきなさい。こんな昔の写真なんて、何の手がかりにもならないわ」


 女は追いすがるように早口になった。「名前はガエルって言うのよ! ガエルっていう、若い軍人を知らない?」


 男は彼女のロックグラスをサッと持ち上げて、中身をシンクに捨てた。


「その子が傭兵になってるっていうのは、確かな情報なの?」


「ええ! ずいぶんお金も使ったし、これまで時間もかかったけど、その甲斐はあったわ。この町で、ガエルって名前の男の子に会ったことがあるって――」


「それで? その人はあなたに、そのガエルくんを探すなって言わなかったの?」


 女は急に肩を落としてしゅんとした。何かをいいかけて、喉になにかつまらせて、もがいてるようだった。


「そのガエルって男の子はゴロツキ、しかもその名前からして過激派のゲリラ派になっているから、もう昔のその子とは違う、だから追いかけ回さずにそっとしておいてやりなさい、もう死んだものだと思ってやった方が本人のためだ。そう言われたんじゃないかしら?」


 女は左目を覆う髪を片手で押さえた。


「傭兵ってね、いろんな人がいるのよ」と、男は静かな口調で続けた。「ひたすら戦場に身を置きたいからっていうトリガーハッピーな人もいれば、他人に知られたくない過去を背負ってる人もいるし、これしか生きる術がなくて、しょうがなく傭兵をやってる人もいるの。わかる?」


 黙ったまま、女はうつむいてる。


「このお店の営業権利を賭けてもいいわ、ガエルくんも、あなたに探されたくないと思うわよ? 探されたくないと思ってるから、戦争後でも名前も変えずに、その歳で傭兵としてゲリラに所属してるんじゃないかしら?」


「事情があるのよ」と、女はうつむきながら呟いた。


「きっとあるのよ」


「そうじゃないのよ! ママが考えてるような事情じゃない。戦争前から、ガエルは不幸だったの。だけどそれはガエルの責任じゃない! そう。全部母親が悪かったのよ! ガエルを育てようともしないで、親戚をたらい回しにして。だから私、あの頃も必死でガエルを探し回ってた。ガエルを正式に養子にしたかった。それなのに。戦争さえおこらなければ…」


 いずれにしろ。すでに過去の話だ。しかし男は煙草を消してから、敢えて言った。「戦争の前から、あなたはその子を探していたんでしょ? っていうことは、すでに消息を見失っていたのね? だったら簡単な話じゃない。もともとその子と――その幼なじみの子は、あなたにかまってもらいたくなかったのよ。あなたが勝手に意固地になって、お節介を焼いてただけなのよ」


 女の頭がガバっと跳ね起きた。「違う! 」


 女は自分の声が思ったよりも反響したことに驚いたのか、カウンターの椅子の上で身をよじり店内を確認した。


 むろん、店内は空だ。


 女がもう一度男の方に向き直ったとき、女はグッと何歳も老け込んだように見えた。

「私に、私になついてたのよ・・・」呟く声の言葉尻が震えている。「私のこと、セリーナって呼んでた。母親よりも、私になついてた。私の膝に乗ってたの」


 男は何も言わなかった。というより、何も言えなかった。


「会えばきっと、私のことを思い出してくれる」


 かたくなに結んだ女の唇が震えるのを煙草を吸いながらしばらく見つめながら、男は言った。


「一見さんを入れちゃったのは私の間違いだったから、お代はいいわ。もう帰って」


「ママ…」


「この町からも、早く出ていって。ウチだけじゃなく、何処のお店に行ったて同じだから、長居するだけ無駄よ? あなたがどれだけ熱を込めて、目に涙を浮かべて身の上話しても、誰も何もしゃべらないし取られるのはお金だけよ? ここではあなたのような他所者は、格好の的なのよ。ニコニコ寄ってくる男は、みんなあんたを抱きたいだけだから」


 男は煙草を消して、女に与えたロックグラスを洗い始めた。もう何を言われても、何も答えるつもりはなかった。女はしばしば疲れたような目で男を見つめていたが、やがてするりとカウンターの椅子を降りると、少しの硬貨をカウンターに置いた。そしてヒールの踵を鳴らして急な階段をのぼり、外に出て行った。


 風がまた、店先の幌を乱暴に煽る音が聞こえてきた。 



「これでいいの? ガエルちゃん?」と、男は奥のカーテンを開き少年に話をかけた。


「あぁ、セリーナには今の姿、見せたくないからさ」


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