第11話 居候と大晦日
「はぁ…」
重苦しい溜め息が漏れる。自分ではなく隣で屈んでいる女子高生の口から。
「大丈夫?」
「……ダメっす。全然やる気出ないっす」
「ま、まぁ気持ちは分かるけどさ。せめて普通に立ってようよ。今、バイト中だし」
「だって力が出ないもん…」
「店長が帰って来たら怒られちゃうから。ほら、早く」
「うへぇ…」
うなだれている紫緒さんに立ち上がるよう促した。いくら雪の影響でお客さんが少ないからといって店員が座り込んでいるのはマズいので。
「あぁあ……優奈、優奈ぁ」
彼女が壊れたレコーダーのように同じ単語を連呼。それはつい先日までこの店で働いていた同僚の名前だった。
「……やっぱり淋しいよね。誰かがいなくなっちゃうのって」
「本当ですよぉ。まったく…」
「けど一番辛いのは転校しなくちゃいけない本人かな。新しい環境に慣れないといけないし」
「向こうでイケメンに囲まれてたらどうしよう。ハァ…」
「どういう心配してるの?」
顔を合わせてからずっと妙なテンションを維持している。大袈裟な気もするが芝居でない事だけは分かった。
どうやら鬼頭くんだけではなかったらしい。自分以上にショックを受けている人物は。
「先輩。うち、これからどうしたら?」
「さ、さぁ…」
「こうなったらうちも転校するしかないか。さすらいの美少女という設定で」
「華恋が去年それやったんだけど、質問攻めにあって凄まじくイライラするって言ってた」
「ぐっ……確かに。けど男子にチヤホヤされるなら頑張れるかも」
「努力する方向性、間違えてない?」
1人スタッフが減ったのでその分の負担が上積み。しかも今は冬休み。子持ちのパートの方々はいつもより多く休みを貰っていた。なのでこの数日間はほぼ毎日働き詰めになる予定。その代わり年末年始は店を閉めると店長が約束してくれていた。
「寒ぅ!」
労働を終えると店を出る。年内最後のシフトを。
華恋に貰ったマフラーと香織に貰った手袋、そして母親に貰ったコートを全身に装着。まるで家族に守られているみたいで幸せな気分になった。
「あ、あの…」
「はい?」
「こんばんは」
「……あ」
駅へとやって来た所で何者かに声をかけられる。優しい声の持ち主に。
「久しぶり……かな?」
「そ、そうだね」
「良かった、無事に会えて。もしかしたら現れないんじゃないかと思ってたから」
「何してるの? こんな時間にこんな所で。寒いから風邪引いちゃうよ」
「えっと……雅人くんが来るのをずっと待ってたの」
「はい?」
振り返った先に大きなバッグを持った小田桐さんを発見。意味深な台詞と共に彼女が半歩だけ距離を詰めてきた。
「え? ど、どういう事?」
「ん~とね、その…」
「まさか…」
優奈ちゃんがいなくなったのを良い事に再びチョッカイを出してくるつもりなのかもしれない。その可能性は大いにある。連絡も無しに待ち伏せしていたぐらいなのだから。
「ダメだよ! これから真っ直ぐ家に帰るんで一緒には出掛けられません」
「へ?」
「それに未成年がこんな時間に外出とかマズいって。警察に見つかったら補導されちゃう」
「ち、違う違う。別に遊びに誘いに来た訳じゃないから」
「あ……なら良かった」
口にした意見を彼女が両手を振って否定。その態度を見て愁眉を開いた。
「実は雅人くんに頼みたい事がありまして…」
「頼みたい事?」
「……もし良かったら今晩泊めてくれると助かるかなと」
「はぇ?」
しかし続けざまにとんでもない台詞を発信する。遊びの誘い以上に突拍子もない要求を。
「お願いします。本当に泊めてくれるだけで良いんで」
「ど、どういう事?」
「無理を言ってるのは承知の上なの。でもアナタしかこんな事お願い出来る人はいないから。ごめんなさいっ!」
「だからその理由をだね…」
言葉の真意を問いただすも彼女は頭を下げるの繰り返し。会話がイマイチ噛み合っていなかった。
「伯父さんがどっか出掛けちゃってて、しばらく帰って来ないみたいなの」
「旅行?」
「多分。私に何の連絡も無しに消えちゃったからいつ帰って来るのかもサッパリで」
「は、はぁ…」
「よくある事なんだけど、恐らく年越しまでは姿見せないかな。フラ~っと出掛けた時はいっつも1週間は帰って来ないから」
「えぇ…」
愛人と温泉旅行にでも行っていると予測。それか実家に帰省しているか。どちらにしろあまり良い印象は受けない。会った事はないが彼女の伯父は大嫌いだった。
「てことは小田桐さんは1人で年末年始を過ごさなくちゃいけないって事?」
「……うん。恥ずかしながらそうなんです」
「大変だね…」
「あと大家さんが家賃を取り立てに来るんだよね。でもお金は伯父さんが持っていってしまってるし」
「あ~…」
おおよその事情を把握。家にいたくない理由を。
「で、どうでしょう?」
「いや、そんな事いきなり言われても…」
「やっぱりダメ?」
「ま、まぁ。家族もいるし」
仮に1人暮らしだとしても断るハズ。恋人でもない女性を自宅に泊める訳にはいかなかった。
「……そうだよね。ごめんなさい、突然こんな話しちゃって」
「大丈夫っす」
「七瀬のうちも家族で帰省してるって言ってたし。優奈ちゃんもいないから雅人くんしかこんな話を出来る人がいなくて」
「なるほど…」
「別に気にしないでね。カラオケ屋さんとか漫画喫茶とか探して行ってみるから」
「あっ!」
申し訳なさそうに頭を下げた対話相手が歩き出す。まだネオンが灯っている駅前の繁華街に向かって。
「ん…」
ここで見放してしまったら彼女は1人きりで過ごさなくてはならない。冬の年末年始を。
「あ、あの!」
「はい?」
「妹もいるけど良いですか?」
「え?」
「事情を話したら両親も理解してくれると思うし。だからうちに来ませんか?」
「雅人くん?」
「1人ぐらい増えたってどうって事ないですよ。これでもうち、女の子を預かる事に慣れてるんで」
少し前に交わした約束を思い出した。後輩の前で語った誓いの存在を。もしここで見捨てたらそれが嘘になってしまうだろう。何より後悔するのは自分自身だった。
「ほ、本当に良いの!?」
「まぁ…」
「ありがとうね。雅人くん」
「へっへへ…」
寒いのに体温が高くなる。お礼の言葉と動作が照れくさくて。やはり同じお辞儀でも謝罪と感謝の場合では気分が別物。少しだけ誇らしさを感じる事が出来た。
「小田桐さんってバイトした事ある?」
「うん。少し前までファーストフードのお店で働いてたよ」
「あ、そうなんだ」
「服とか鞄とかは基本的に自分で稼いだお金で買ってるからね。うち、貧乏だから」
「が、頑張り屋さんなんだ…」
電車に乗った後は地元へとやって来る。土地勘の無い同級生を先導して住宅街を移動。そして冷静になればなる程に気付いた。果たしてあの妹が許可をしてくれるのかという事を。
「どうしよう…」
まず間違いなく反発してくる。彼女は小田桐さんに対して尋常ではないぐらい負の感情を抱いているのだから。
「ただいまぁ…」
せめて父親か母親がいれば何とかなるかもしれない。両親の在宅を願って自宅の扉を開けた。
「おかえり~」
「う、うん」
「おでん買って来てくれた? てか後ろの人、誰?」
ドアを開けた瞬間に廊下を走るドタドタという音が聞こえてくる。姿を見せたのは風呂上がりと思われる義理の方の妹だった。
「えっと……学校の同級生」
「は、初めましてっ! こんばんは」
「……こんばんは。まーくんのお友達?」
「そうなんだよ。実はさっきそこでたまたま会ってね」
「へぇ、珍しいじゃん。ちーちゃん以外の女の子連れて来るなんて」
「色々と話が盛り上がっちゃってさ。んで、ついでだからうちに泊まってもらおうって流れになって」
「はぁ?」
テンパってるせいか口調が早口に。先程まで考えていた言い訳の数々が全てどこかに吹き飛んでしまっていた。
「と、父さん達いる? 大事な話あるんだけど」
「今日は夜勤だよ。明日と明後日が休みだからその分頑張るんだってさ」
「げっ!」
期待していた思惑が外れてしまう。唯一の希望が帰宅早々に消滅。
「と、とりあえず上がって」
「お邪魔……します」
背後でオロオロしている小田桐さんを中へ入るように促した。今さら追い返す訳にもいかないので。
「あれ? 華恋は?」
「ん~、そういえばいないね。自分の部屋かな?」
「香織は今まで何してたの? 1人?」
「まーくんのゲーム機借りて遊んでた。面白い番組やってないし暇だったから」
「やるのは良いけど人のデータは消さないでくれよ…」
「女キャラを全部私の名前に変えておいた」
「コラッ!」
リビングにやって来るが魔物の姿がどこにも見あたらない。トイレにいるのか外出中なのかは不明だが。
「あ……何か飲みます? コーヒーか紅茶か」
「うぅん、気にしないで」
「自分も何か飲むんでついでです。本当に遠慮とかしなくて良いんで」
「けど…」
「風邪引いて寝込まれたらそっちの方が迷惑になります。だからここは大人しく言う事を聞いてください」
「……ごめんなさい。ならコーヒー貰います」
「了解っす。お店のとは違うんで味は期待しないでくださいね?」
やや脅迫めいた言葉でお客さんに行動を強制。こうでも言わないと縮こまってしまうだろうと判断しての台詞だった。
「ねぇ、いくらお母さん達がいない時だからって女の子を連れ込むのはマズいよ」
「そういうんじゃないんだってば。ちょっと事情があってうちに避難してもらう事になったんだよ」
「事情って何? まさか妊娠…」
「違うっ!」
的外れの指摘に声を荒げて反論する。家族の帰省中に自宅の鍵を無くして閉め出しを喰らったという嘘を説明した。
「……てわけで可哀想だからうちまで連れて来たの」
「へぇ、それは大変でしたね」
「本当にごめんなさい。突然押し掛けてしまって…」
「あのさ、悪いんだけどこの事は華恋には内緒にしててくれない? もし知られたらややこしい事になるから」
「何で?」
「な、何でってそれは…」
会話中に言葉が詰まってしまう。当然の質問をされたせいで。
「でも華恋さんにも話しておかないとそっちの方が面倒にならない?」
「とりあえず適当に部屋に隠れててもらう予定。だから内緒で」
「ふ~ん…」
言い訳になっていない台詞で無理やりゴリ押し。状況を察知してか香織は深く尋ねてこなかった。
「という訳で後で二階の部屋に移動って事で。申し訳ないですけど今夜はそこで寝てください」
「は、はぁ…」
「必要な物があったらこっちで用意します。食べ物とか飲み物とか毛布とか」
「そこまで迷惑をかけるのはちょっと…」
「アナタの為なんです。お願いします。一晩だけ我慢してください」
「んっ…」
強いて言うなら自分自身の為。危険から身を守る為に他ならない。
「この人と華恋さんは知り合いじゃないの?」
「知り合い……といえば知り合いなんだけど事情があって顔を合わせられないというか」
「やっぱり妊娠…」
「違うっ!!」
テレビでは神秘的な遺跡の内部が映し出されている。中断中のゲーム画面だった。
「とにかく華恋には内密で。見つかったら本当に面倒くさい事になるのよ」
「別に私はバラしたりしないから良いんだけどさ…」
「さっすが。助かる」
「でももう本人に聞かれちゃってんだけど」
「う、うわぁーーっ!?」
会話中に背後を指差される。廊下へと繋がっている扉の方を。
「……どういう事、これ」
「あの、その…」
「騒がしいと思って来てみたら何で女がいるのよ。しかもどっかで見た事ある奴だし」
「……ぉ、お邪魔してます」
「それに私に内緒ってどういう事かしら。ちゃんと納得出来る理由を説明してもらおうかしらね、お兄様」
そこにいたのは無表情の人間。寝起きなのか瞼をゴシゴシと擦っている華恋が姿を現した。
「ん…」
事態を飲み込めていない女3人が固まる。互いを交互に見つめながら。
「いつから雅人はそんなチャラ男になったわけ? 両親がいない隙に同級生の女を自宅に連れ込むなんて」
「か、華恋! ちょっと聞いてほしい話があるんだけど」
「あん?」
「実は小田桐さんがどうしても言いたい事があるらしいんだよ」
「え? え?」
とりあえず一番手のかかりそうな猛獣から落ち着かせる事に。素早く近付いて肩に腕を回した。
「ほら、この前いろいろあったじゃん。その時に迷惑かけてしまったお詫びをしたいんだってさ」
「はぁ?」
「それに自宅でトラブルがあってね、しばらく帰れないらしいから助けてあげてほしいんだよ。友達として」
「待て待て、友達って何よ。私がいつその女と友達になったっていうのよ」
「いやいや、いくら小田桐さんが華恋の大好きなアニメを知らなかったからってそういう言い方はないでしょ」
「あぁ?」
「いつまでもヘソ曲げてるなんて子供じゃないんだからさ。もういい加減許してあげようよ」
「何言ってんのよ、さっきから。訳のわからん事を…」
大声で言葉を発する。彼女の台詞を遮ろうと。
「お願い、今はとりあえず大人しくこの状況を受け入れて。ちゃんと後で納得いく理由を説明するから」
「ちょ……近い近い」
「それに小田桐さんとの関係を香織に聞かれたらマズいでしょ? 別に変な意味で連れて来た訳じゃないから信じてくれよ」
「……本当に?」
「うん。もし嘘ついてたら顔面殴っても良いから」
「30発ね」
「いや、それはちょっと…」
続けて内緒話を開始。ギャラリーの2人には聞こえないボリュームの声量で密約を交わした。
「分かったわよ。とりあえず今だけは引いてあげる」
「やった! ありがとう」
「ただもし私が考えてるような理由であの女を連れてきたと分かった時は覚悟しなさいよ?」
「……はい」
恐ろしい顔で睨み付けられる。思わず怯んでしまうレベルの脅迫も付け加えて。
話し合いを終わらせた後は全員でテーブルへと移動。煎れたコーヒーを前に4人で椅子に座った。
「コーヒーか。私、紅茶の方が良かったんだけどなぁ」
「やった後に文句言われても。そんなに飲みたいなら自分でやってきなさい」
苦い液体をすすりながら日常的な会話を繰り広げる。ただし喋っているのは自分と香織だけで残り2名は沈黙を維持。
「あの、おかわり欲しかったら言ってくださいね。すぐ用意しますんで」
「あ、うん。ありがとう」
「着替えとかって持ってきてますか? あとでお風呂入ってください。温まりますから」
「本当にごめんね。いきなり押し掛けておきながら何から何までやってもらって」
「いやいや、これぐらい平気ですって。自分だって親に世話になってる身分ですし」
「……迷惑かけてごめんなさい」
「本当よ……ったく」
小田桐さんが申し訳なさそうな態度の謝罪を実行。そんな彼女に対して華恋が舌打ちしながら呟いた。
「あ、え~と……何か食べます? お腹空いてません?」
「ちょ、ちょびっとだけ。でも平気だから」
「なら何か口に入れよう。僕も働いて帰って来たからお腹ペコペコで」
「あ、そういえばそうだったね」
「じゃあ華恋」
無理やり話題を転換させて話しかける。向かいの席で1人そっぽを向いてる妹に。
「嫌よ。自分でやりなさい」
「え?」
「私、別にお腹空いてないもん。知らない人の為に体動かすとかマジ有り得ないから」
「そんな…」
しかし彼女からは拒絶を示した台詞が炸裂。普段持ち合わせている優しさがまるで無かった。
「な、何よ…」
「……華恋」
空気を読まない発言のせいで場が気まずくなる。同時に空腹を示す間抜けな音が辺りに反響した。
「私じゃないからね、今の。分かった、犯人は雅人でしょ!」
「いやいや、どう考えてもそっちから聞こえてきたじゃないか」
「レディの私が、んなみっともない失態晒すわけないでしょうが! 有り得ないから。絶対に有り得ないから!」
「言い訳は見苦しいよ…」
彼女はいつもバイトが終わって帰宅するまで待ってくれている。今日だって晩御飯はまだのハズ。今も空腹と戦っているのだろう。
「なら皆で何か作ろう。それなら良いでしょ?」
「ま、まぁ…」
「小田桐さんも一緒にやる? 好き嫌いとかあれば事前に教えてくれると助かるし」
「うん、もちろん。作ってもらうだけとか悪すぎるから手伝わせて」
「了解っす。なら共同作業という事で」
メニューは話し合って考えるという方向で決定。コーヒーを飲み干した後は椅子から立ち上がった。
「どうする?」
「寒いから温かい物のが良いでしょ。冷凍のハンバーグなら解凍するだけで済むけど」
「あっ、ソバあるじゃん。ラッキー」
「これは明日食べるヤツだからダメ。年末だとスーパー閉まってたりするから予め買っておいたの」
「あぁ、年越しソバか」
小田桐さんにリクエストを聞いてみたが特に無いとの返答。ハンバーグをレンジで解凍して、鍋でコーンスープを温めた。
「う、美味い!」
再び椅子に腰掛けると勢いよくありつく。体の冷えを解消してくれる食品の数々に。
「あの……聞きたい事あるんですけど良いですか?」
「はい?」
「いつからまーくんと付き合ってるんですか?」
「ゲホッ、ゲホッ!」
黄色い液体で喉を潤している最中に香織が小田桐さんに接触。2人の会話内容が衝撃的すぎでむせてしまった。
「え? え?」
「すみません。私、まーくんからそういう人がいるって聞かされてなかったし……だから突然家に彼女連れて来て驚いちゃって」
「いや、私は…」
「どっちから告白したんですか? 普段はお互いに何て呼んでるんでしょう?」
「あの…」
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ!」
気管支にコーンの粒が入った影響で咳が止まらない。何とか正常に呼吸出来るまでに回復させるが、その間に妹からの興味本位な質問が次々に投げかけられていた。
「やっぱりまーくんに付き合ってくれって言われたんですか? この人、今までに彼女いた事なかったからいろいろ迷惑かけちゃうと思いますけど」
「うぅ…」
「でも許してあげてくださいね。人見知りが激しいだけで本当はアナタともたくさんお喋りしたがってるハズだから」
「ストップ、ストップ」
「ん?」
横から2人の会話に割り込む。酷使した喉から必死に声を絞り出して。
「だから違うんだってば。彼女とはそういう関係じゃないんだよ」
「嘘ばっかり。普通は有り得ないじゃん。恋人でもない人を家に連れて来るなんてさ」
「ま、まぁ…」
「でしょ? わざわざ男のまーくんの所に頼ってくるのもおかしいし」
「それは小田桐さんの友達も実家に帰省してて他に頼める人がいないからで…」
慌てふためいた様子で意見を否定した。食事をする手を止めて。
別に恥ずかしいとか照れくさいからムキになっている訳ではない。例え勘違いだとしても女の子を恋人だと間違えられれば嬉しいし、ニヤけた顔にもなるだろう。ただ怖いのだ。この状況が引き起こすであろう、もう1人の妹が抱く感情が。
「……あぁ」
「ひいぃぃ…」
目が合った華恋が睨み付けてくる。肉食動物ですら怯んで逃げ出すぐらいの威圧感で。
それから気まずい空気のままで晩御飯は進行。食器を片付けた後は順番で入浴する事になった。
「着替えはこの中に放り込んでおいてください。明日、一緒に洗濯しちゃうから」
「え? でも…」
「大丈夫っす、洗濯は妹がやってくれるんで。だから本当に気にしないでください」
「ごめんね。無理やり上がりこんだ身分なのに一番先に入る事になっちゃって」
「いやいや、何度も言うけど本当に平気だから。人数が増えてこっちも楽しいし」
「やっぱり雅人くんは優しいね。アナタみたいなお兄ちゃんがいたら良かったなぁ」
「お兄ちゃん…」
聞き慣れない言葉に動揺を受ける。誉められた事も嬉しかったが、それ以上の衝撃が発生。
「ウヒャヒャヒャヒャ!」
家族ではなく、まさか同級生の女の子に言われてしまうなんて。あまりの嬉しさに廊下の壁に何度も頭を打ち付けた。
「じゃあ、お兄ちゃん。暴れてるとこ悪いけど私の部屋に来ようか」
「……はい」
油断していると背後から優しい声で呼びかけられる。邪気塗れの笑顔を浮かべている妹に。
彼女に続いて客間へと移動。そして部屋に一歩足を踏み入れた瞬間に迷わず頭を床に擦りつけた。
「すいません許してくださいお願いしますごめんなさい勘弁してください本当に心の底から反省してますから」
「んな言い訳はいいから何でこうなったのかの事情を説明しなさい。あれほど私が嫌ってた女をわざわざ家に連れて来た理由は?」
「え、えっと……これには深い訳がありまして」
「何よ?」
「話すと長くなるんだけど聞いてくれますか?」
少しだけ躊躇う。全てを打ち明けるべきかどうかを。
彼女を納得させる為には小田桐さんと伯父の関係も伝えなくてはならない。だがその内容は誰かに軽々しく暴露していいような内容ではなかった。
「ん~と、どこから言えばいいかな…」
とはいえその場しのぎの言い訳は一切通用しないだろう。言葉を選んで慎重に話を進める。本人には悪いと思いつつも。
以前に優奈ちゃんと共に聞かされたエピソードを個人的な解釈を付け加えて説明。最初は半信半疑だった華恋も途中からは驚きや戸惑いの声を発していた。
「……って訳でうちに来てもらったんだよ」
「ん…」
「き、聞いてる?」
「……何それ。可哀想すぎる」
「へ?」
「どうしてそんな辛い目に遭わなくちゃいけないのよ。まともに食事を与えられないだけじゃなく手まで出されるなんて」
「あ、あの…」
「しかも自分で自分の体まで傷つけるとか……酷すぎるじゃない」
俯いた彼女が口元に手を当てて喋っている。充血した両目からポロポロと涙をこぼしながら。
「な、何で泣いてるの!?」
「私だったらそんな生活絶対に耐えられない。そのクソ親父をブン殴って警察に突き出してやる」
「いや、それが出来ないから困ってたんだが…」
「じゃあさ、あの子の腕にはまだその時の切り傷が残ってるの?」
「……まぁね。前に見せてもらった事あるけど痛々しかったよ」
思い出す度に胸が苦しくなった。泣きながら告白してくれた同級生の姿を。
「もしかして私達の関係を毛嫌いしてたのって…」
「多分、トラウマになってたんだと思う。身内に手を出された過去が」
「ただのワガママじゃなかったんだ。助けてほしかったんだね。誰にも必要とされてない自分を」
「うん…」
「どうしよう……私、あの子に酷い罵声浴びせちゃった。クソ女とか言っちゃったし」
2人して真面目なトーンで会話を展開。数分前の賑やかな空気はどこにも存在していなかった。
「雅人」
「へ?」
「私達であの子を助けてあげよ。世の中にはちゃんと自分の事を守ってくれる人がいるんだって教えてあげなくちゃ」
「は、はぁ…」
「全力で手助けしてやる。もう二度とリスカなんて馬鹿な真似はさせないんだから」
「……華恋」
伸ばしてきた腕に手を握られる。決意を漏らした言葉と共に。
心地良い温もりで思い出した。彼女が本当は優しくて義理堅い人間だという事を。だから共感してしまったのだろう。似たような境遇で生きてきて、自分よりずっとずっと辛い人生に身を置いていた同級生に。
「茜ちゃん、お腹空いてない?」
「え……いや、さっきご飯食べたから大丈夫ですけど」
「ならお菓子は? ポテチやら煎餅やらいっぱいあるわよ?」
「はぁ…」
「ならアイスとか。あ、でも寒いからいらないか」
「……で、ですね」
会議が終わった後の華恋は態度が豹変。優しい口調でお客さんに話しかけていた。
入浴前と180度違う華恋の様子に小田桐さんだけでなく香織も戸惑い全開。そのやり取りは傍から見ていて笑える物だった。
「寝る場所どうしよう…」
就寝時間になった時に問題が起きる。1人増えた事による悩みが。
夏ならその辺に寝転がっても構わないのだが今は冬。そんな真似をしたら風邪をこじらせるだけだった。
「僕のベッド使ってもらうよ。それで良いよね?」
「え? 雅人くんの?」
「二階にあるんでトイレ行くのちょい面倒ですけど。でも面積広いから寝やすいですし」
「不便なのは全然構わないんだけども…」
「ちょ、ちょっと待ったぁぁぁぁ!」
「ん?」
無難な意見を提案する。直後に華恋が凄まじい剣幕で間に乱入してきた。
「ど、どうしてアンタ達が2人一緒に寝るのよ。おかしいでしょうが!」
「はあぁ?」
「そんな事するなら私が一緒に寝る。茜ちゃんには客間を使ってもらって雅人とは私が寝るから!」
「お、おおお落ち着いて」
「これが落ち着いていられるかあぁっ! 目の前で堂々とセクハラとか絶っっっ対に認めないからね!」
何やら妙な勘違いを繰り広げている様子。顔を真っ赤にして喚き散らしてきた。
「違うって。一緒には寝ないから」
「あぁ!?」
「前に智沙が泊まりに来た事あったでしょ? あの時みたいにベッドを貸してあげて自分はここで寝ようって意味だよ」
「……あ、なるほど」
「まったく、いつもいつもすぐ早とちりするんだから」
「だ、だって…」
相変わらずのオッチョコチョイ。浮気だの不倫だのと口走らなかっただけまだマシだが。
「え……でもこんな所で寝たら風邪引いちゃうよ? ここ広いから寒いし」
「毛布被れば大丈夫でしょ。暖房もつけて寝るつもりだし」
「喉を乾燥させて体壊すってば。私、前にそれやってお母さんに叱られた事あるもん」
「そっか。弱ったな、う~ん…」
話し合いはアクセルとブレーキの連続。上手く捗ってはくれなかった。
「あ、ならまーくんが私の部屋に来る? 私達が一緒に寝たらベッド1つ空くでしょ?」
「えぇ……香織の部屋?」
「なんで? 嫌なの?」
「だって部屋ゴミだらけじゃん。床が見えないぐらいビッシリ汚れてるし」
「し、失礼なっ! お客さんのいる前で変な事言わないでよ」
住人同士で揉めまくる。就寝前とは思えないハイテンションで。
深夜なのに大騒ぎ。戸惑っている同級生を前に激しく意見をぶつけ合った。
「……で、結局こうなるわけか」
自室のベッドに横たわる。隣には華恋が存在。そして小田桐さんは彼女の部屋で寝る事になった。
「いくら私と一緒に寝られて嬉しいからって襲うのはやめてよ。今日はそんな気分じゃないから」
「あぁ、それは悪かった。物置から鎌とかスコップを持ってきておけば良かったかな」
「今のはどういう意味か説明してくれるかしら、あぁん?」
「す、すいません。ただの園芸ジョークです…」
照明が点いていないので辺りは暗い。僅かな物音さえ皆無。
「……なんかさ、不思議じゃない。1ヶ月ぐらい前に喧嘩した奴を家に泊めてるなんて」
「そうだね。普通は有り得ないよね、こんな事」
「もし私がここに来る前にあの子が雅人にアタックしてたとしたら、やっぱりアンタ達2人は付き合ってたのかな」
「どうだろ……分からないや」
「私は喜ぶべきなのかな。知り合う前の雅人が誰とも付き合っていなかった事に」
「ん…」
仮にそうなっていたら自分は華恋の事を好きにはなっていなかったのかもしれない。逆もまた然り。
それは過ぎ去った今だから考えられる結果論。真相は確かめようがなかった。タイムマシンでも作られるような時代にならない限りは。
「おやすみ…」
「……うん」
2人してしんみりとした空気に浸る。就寝の挨拶を最後に会話を打ち切った。
「ただいまぁ」
そして翌日に帰宅した両親にも小田桐さんの事を報告。家を閉め出されて帰れないエピソードを語ると2人は嫌な顔一つせず宿泊許可を出してくれた。
その反応に女性陣は大喜び。ただまた恋人と間違われては困るので彼女は華恋の友達という紹介をしておいた。
「お~い、まだぁ?」
厚手のコートに身を包むと玄関先に立つ。買ってもらったばかりのマフラーや手袋も装着して。
「茜ちゃん、そんな格好で寒くない? 私の帽子とか貸してあげようか?」
「うぅん、大丈夫。これフードついてるからいざとなれば被るし」
「我慢出来なかったら遠慮しないで言ってね。私、まだ予備の手袋とか持ってるからさ」
「ありがとう。華恋さん」
大晦日なので年明けを狙って近くの神社に初詣に行く予定。なのに香織がまだ下りて来なかった。
「いつもいつも何してるんだよぉ…」
化粧を施している訳でもないのに遅れる意味が分からない。そしてしびれを切らし始めた時、二階からドタバタという騒がしい音が反響した。
「ぐおおぉおぉぉっ!!?」
「よし、揃ったね。なら出発だ」
「あ、あの……妹さん良いの、あれ?」
「あぁ、平気平気。いつもの事だから」
「えぇ…」
最後のメンバーが階段を転げ落ちながら現れる。留守番組の両親を残して風が冷たい外界へと移動した。
「お~い、雅人くん」
「ん?」
自宅前の道路に出た所で誰かに名前を呼ばれる。隣の民家から。
「あれ、すみれじゃん。そっちも初詣行くの?」
「そだよ~、お姉ちゃん達と。雅人くんちも?」
「まぁね。てかこんな時間に1人で外いたら危険じゃないか」
「だってお姉ちゃんもゆうと君も遅いんだもん。さっきからずっと待ってるのに全然出てこなくてさ」
「ゆうと君って誰なんだ…」
どうやら目的は同じらしい。心の中に妙な連帯感が発生。
とはいえ彼女の家族はまだ支度に時間がかかるらしいので一足先に出発する事に。暗がりの道を4人でゆっくりと歩き始めた。
「ちーちゃん達、もう来てるかな。もしかして忘れて寝てたりして」
「さっきメール返ってきたから大丈夫だと思う。颯太はコタツでうたた寝してそうな気がしなくもないけど」
「新年かぁ……実感湧かないなぁ」
「実感が湧いてきた頃にはまた新年だからね」
「本当だよ」
左側には香織、右側には華恋と家族に挟まれながら道路を進む。そして4人の中で会話に上手く入り込めていない小田桐さんだけが一歩後ろを歩いていた。
「寒くない?」
「うぅん、平気」
「眠たくないかな? ゴメンね。無理やり付き合わせちゃって」
「謝らないでよ、別に嫌々付いてきた訳じゃないんだから。私だってワクワクしてるもん」
「そ、そっか…」
「エヘヘ…」
さすがに彼女を両親と置き去りにする訳にはいかない。なので深夜の散歩に同行してもらっていた。
「人、多いなぁ」
しばらくすると目的地に辿り着く。除夜の鐘が鳴り響いている神聖な空間に。
「わっ!」
「うおっ!?」
境内だけでなく近くにあったコンビニにも参拝客がたむろ。その中から知り合いを捜していると背中を強く押された。
「あっ、ちーちゃん」
「や~っと来た、アンタ達。遅いから待ちくたびれちゃったじゃない」
「ごめんごめん、香織が支度するのに手間取ってたんだよ」
振り向いた先に見覚えのある人物を見つける。オシャレより健康を優先してズボンを穿いている女友達を。
「ずっと待ってたからお腹空いちゃった。なんか奢って、雅人」
「やだよ。その辺に落ちてる雪にシロップでもかけて食べとけば?」
「……あ?」
「いででででっ!?」
ジョークの直後に暴行事件が発生。頬を摘まれ引っ張られてしまった。
「よう、雅人」
「え? 君、誰?」
「ふざけんなっ! 俺だよ、俺!」
彼女のすぐ隣では厚手のコートを着ている颯太が存在。彼はコンビニで買ったであろうフランクフルトを食べていた。
「ん? この人だぁれ?」
「え~と……同じ学校の同級生」
「は、初めましてっ!」
待ち合わせ相手が1人多い事に彼らが気付く。顔を指された小田桐さんが丁寧に頭を下げた。
「あら、そうなの。ならアタシ達とも同級生なわけか」
「そうなりますね」
「同い年なんだから敬語使わなくても良いわよ。タメ口でいこ、タメ口で」
「あ、はい」
「雅人達のクラスメートかな? よろしくね~」
即席の自己紹介を済ませる。事情によりしばらくうちで住まわせている事についても説明しながら。
「へぇ、大変そう」
「ま、まぁ慣れてますから。うち、いっつもこんな感じなので」
「でもちょっと楽しそう。ねぇ、アタシもアンタ達の家に泊まりにいっていい?」
「可愛い女の子なら歓迎だけど智沙はダメ」
「あぁ!?」
「ぐふっ!?」
ジョークを口にするとまたしてもダメージが発生。飛んできた蹴りが腹部に直撃した。
「冗談だっつの。おじさん達いるから迷惑かかっちゃうだろうし」
「私、ちーちゃんの家に泊まりに行きたい。また一緒にゲームとかしたいなぁ」
「あはははは、おいでおいで。冬休み中ならいつでもウェルカムだから」
「わ~い」
「雅人、ちょっとこっち来て」
「ん?」
会話中に智沙にコートの裾を引っ張られる。誘いを受けたので皆から少し離れた場所に移動した。
「何?」
「あの子ってアンタ達とクラス違うでしょ。なのにどうして一緒にいるの?」
「へ?」
「中学だって違うし接点が無いから不思議でさ。どうやってあの子とお近付きになった訳?」
「ク、クラスメートじゃないって気付いてたの!?」
気温は低いが人が多いのであまり寒さを感じない。境内を離れて近くにあるコンビニへと入店した。
「え~と、色々ありまして…」
「教えなさいよ。アタシ達の間で隠し事が通用すると思ってんの?」
「……思ってます」
「華恋じゃなくて雅人の知り合いよね? あの子に告白でもしたの?」
「なんで分かったの!? いや、告白はしてないけどさ」
突発的な質疑応答がスタート。あまり好ましくないデリケートなやり取りが。
「だってアタシ達に紹介する時も雅人が喋ってたし。華恋の友達ならあの子が紹介するハズでしょ?」
「そういう事か…」
「愛しい妹がいるのに堂々と二股? アンタ、本当に修羅場が大好きなのね」
「別に好きではないし。むしろ嫌いな方だし…」
頭の回転が良い性格が今だけはとても恨めしい。とりあえずバイト先で知り合ったという当たり障りのない嘘で説明。
事情を理解してもらった後は皆の元へ戻った。人数分の飲み物を購入して。
「颯太って卒業したらどうするの?」
「就職するよ。父ちゃんの会社で雇ってもらう予定」
「へぇ。お父さんの会社って何やってるんだっけ?」
「造園業。夏休みに俺もいろいろ手伝いさせられてさぁ」
「あぁ、そういえばそんな事言ってたね」
「それより賽銭箱の所にいる人、可愛くね? 屋根の上から参拝客を見下ろしてる黒い服を着た女性」
「待って待って! そんな人どこにもいないんだけど!?」
成績があまり芳しくない彼は就職組。母子家庭で経済状況に余裕がない智沙も。ちなみに華恋は無謀にも進学組だった。
「華恋さんっ!」
「は、はい?」
「俺……ずっと待ってますから」
「え?」
「華恋さんがどんな理由で迷っているのかは知らないけれど、俺はいつでもOKです。今もこれからも他の人とは付き合わずにいる覚悟です」
「はあぁ?」
「だから安心して迷いを振り切ってきてください。どんな華恋さんでも受け止める覚悟は出来ております」
颯太がプロポーズとも思える台詞をぶつける。不恰好なサムズアップを決めながら。その一連の行動に全員が呆れ顔を浮かべていた。
「ちょっとアンタ、まだ華恋のこと追いかけてたの?」
「当たり前だろうが。諦めなくちゃならん理由が無い」
「大人しく身を引きなさいよ。しつこい男は嫌われるって言ったでしょうが、バカ」
「ふっ……お前は俺と華恋さんの秘密を知らないからそんな事が言えるのさ。関係ない奴は引っ込んでいろ」
「なに言ってんだ、コイツ」
やり取りを見ていた智沙が間に割り込む。コンビニで購入したおでんを食べつつ。
「智沙は知らないだろうけどな、華恋さんは俺の事を…」
「だああぁあぁぁっ!」
「お、おい! 何すんだ、雅人!」
「そろそろ並ばない? 参拝しに来たんでしょ?」
「おぉ、そういえばそうだな。なら屋根の上にいる女の人に挨拶しに行くか」
「だからそんな女性どこにもいないってば…」
話題が危険なゾーンに突入していたので全力で妨害。境内前に出来た行列に向かってゾロゾロと歩き出した。
「鐘って何回鳴った?」
「う~ん……300回ぐらいじゃないかな」
「煩悩どんだけあるの」
人混みが凄いので息苦しい。ボーっと突っ立っていたら押し倒されてしまいそうな程の混雑具合。6人で固まっていたハズなのに少しずつズレが生じてくる。時間が経つにつれ会話をする事が不可能になっていた。
「危ないな…」
斜め前を歩いていた華恋に視線を移す。デニムスカートの後ろポケットから大きくはみ出ている財布を。目立つ上にチェーンで繋がれてもいない。あれでは盗ってくれといっているようなものだった。
「お~い」
そんな不安が的中したかのように彼女の背後に不審な男がいる事に気付く。忠告しようと声をかけたが無反応。
仕方ないのでもう一度呼びかける事に。その瞬間、男が財布に手を伸ばしている光景が見えた。
「きゃっ!?」
「何々、どうしたの」
「だ、誰か私のお尻触った!」
辺りに大きな声が反響する。確認するまでもなく妹の悲鳴が。
「ちょ……ちょっとアンタ! 何、こんな場所で堂々と痴漢してんのよ」
「華恋!」
「アンタでしょ。今、私のお尻触ったの!」
必死に呼び掛ける声もスルー。彼女は後ろに振り向くなり中年の男に怒鳴り散らしていた。
「ふっざけんな。ムカつく、マジムカつく!」
「え……何、痴漢?」
「そう! この男が私のお尻触ってきやがった!」
そのまま愚痴るように状況を説明する。隣にいた智沙に。
「あっ、逃げた!?」
「待ちなさい、アンタ!」
「誰かそいつ捕まえてぇーーっ!!」
「え? え?」
対峙している最中に男が逃走。周りにいた人を押し退けて走り始めた。
「待って待って!」
スリ師を追いかける為に自分もその場を駆け出す。状況を理解していない香織や小田桐さんをその場に残して。
幸い財布は盗られなかったみたいだが未遂でも犯罪。そして参拝客の列を抜けた所で女2人が男に飛びかかっている姿が目に入ってきた。
「オラァッ! なに勝手に逃げとんじゃい、貴様!」
「お、おい! 離せって!」
「人様の体を触っておきながらこの態度。全然反省してないみたいね、コイツ」
「いってぇな、バカ! 何すんだよ!」
「痴漢は歴とした犯罪よ。私が泣き寝入りする女に見えた?」
「は、はぁ?」
背後からタックルでもされたのだろう。地面に横這いになって押さえつけられている。智沙が上半身に乗っかっている為、身動きがとれないようにされていた。
「ボッコボコにして警察に突き出してやる。最後に何か言う事は?」
「だから俺は痴漢なんかじゃ…」
「はぁ? じゃあ何だっていうのよ」
「そ、それは…」
「偶然私のお尻に手が当たったとでもいうの? ハッキリと鷲掴みにしてきたじゃない」
「誰がお前みたいなガキのケツなんか触るか、くそアマッ!」
「だらぁっ!!」
「ぐほあっ!?」
男が暴言とも思える台詞を吐く。その瞬間に華恋の蹴りが男の下半身に炸裂。
「お前、今なんつったコラァッ!?」
「い、痛い…」
「金玉握り潰すぞっ!」
「ひいいぃっ!?」
「おらっ、おらっ、おらっ!」
「ギャアアアァァァ!?」
そのままキックの応酬を始めた。よほど無神経な発言が逆鱗に触れたのだろう。周りの目などお構いなしに暴れまくっていた。
「よ~し、アタシが許す。思う存分制裁を喰らわせてやりなさい」
「しゃあっ、オラァッ」
「ぶっ!?」
智沙は馬乗りになってプロレス技をかけている。腕に関節技をかけ、足で男の頭を踏んづけて固定。
「あ、あの…」
2人に話しかけるがその声は届かない。せっかく助けようと飛び出してきたのに全くの役立たずだった。
「テメェ、俺の華恋さんに痴漢するとは良い度胸だ!」
続けて乱闘現場に新たなメンバーが参戦する。力強く拳を握り締めた颯太が。
「死ね死ね死ねぇーーっ!」
「ギャアアアァァァ! すいません、本当は財布盗もうとしてました!」
「財布ぅ? 嘘つけ! 言い逃れしようとしても無駄じゃ、ボケェッ!!」
「ぐっふっ!?」
観念したのか男が大人しく罪を白状。なのに血迷っている友人達はその言い分に耳を貸そうとはしない。
「ひえぇ…」
少しだけ同情の念が発生。それほどまでに目の前で行われている暴行は悲惨な状態だった。
しばらくすると誰かの通報によって駆け付けた警察官が登場する。しかし何故か被害者側の人間達が暴行犯と間違えられていた。
裏腹少女3 トランクス @torankusu1st
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