第10話 雪の日と別れの日

 昼休みに人気のない体育館裏に足を運ぶ。気温を著しく下げてくる曇り空の下で。


「あの、その…」


「……用件あんならハッキリ言いなさいよ。いつまでも黙ってたら分かんないじゃないの」


「ご、ごめんなさい…」


「ちっ…」


 隣には華恋、そして目の前には呼び出して来た張本人が存在。小田桐さんが俯きながら指先を擦り合わせていた。


「ア、アナタ達を呼び出したのはこの前の事を謝ろうかと思ったの」


「はあぁ?」


「すいませんでしたっ! 一方的にワガママを振りまいてしまって本当にごめんなさい!」


 張り詰めた空気の場に陳謝の言葉が投下される。これでもかというぐらいに深々と頭を下げる動作と共に。


「え……ちょ、いきなり何?」


「雅人くんは許すと言ってくれたけれど、まだアナタには謝罪してなかったので……本当にごめんなさい」


「ま、待って待って! 意味わかんない。どうしていきなり頭下げてくんのよ」


 事態が飲み込めていない華恋がパニック状態へと変化。焦った口調で対話相手を問い詰め始めた。


「だからアナタ達を脅していた事を謝ろうと思って…」


「それが意味不明だっつってんの! あれだけ好き放題やってきたクセにさ」


「……雅人くんのバイト先の後輩の子に叱られてしまって。それで反省して謝る事を決めました」


「優奈が…」


「本当にすいませんでしたっ!」


 2人が繰り広げる会話をすぐ横で黙って観察する。お互いに言い分があるだろうし、当人達に任せた方がスムーズに進むと考えていたから。


「じゃ、じゃあ私と雅人の関係を皆にバラしたりはしないって事?」


「はい。それと雅人くんを引っ張り回すのもやめます」


「なら破局って事で良いのかしら。偽りの関係は敢えなく破綻したという結論で」


「……そうですね。悔しいですが私の恋は叶いませんでした」


「ふっふ~ん、残念だったわね。私達の愛の絆を断ち切ろうだなんて所詮最初から無理だったのよ」


 おおよその事情を把握した華恋が勝ち誇った態度で対応。浮かべているのは嘲笑にも近い笑みだった。


「アンタも運が無かったわね。私みたいなパーフェクト人間がいなかったら雅人と付き合えたかもしれないのに」


「え?」


「私があまりにも魅力的すぎて雅人は他の女を見れなくなっちゃったみたいだから」


「そ、そうみたいですね。私と過ごしている時も終始アナタの事ばかり考えていた様子でしたし」


「誰が何と言おうと雅人は私以外の人とは付き合ったりしないもん。例え間柄が家族ではなく赤の他人だったとしてもね」


「は、はぁ…」


「ま、アンタも見た目は悪くないんだから中身を磨きなさい。中身を」


 自慢を連発する行為に小田桐さんがやや呆れ気味。傍から見ていても引いてしまうテンションだった。


「……あの」


「はい?」


 この場にやってきて初めて声を出す。恋愛の話題はヤバいと感じたので2人の間に割って入った。


「恋人として付き合ったりとかは出来ませんが友達にはなれると思うので」


「え…」


「だから何か困った事があったらいつでも言ってください。すぐに助けに行きます」


「すぐに…」


「今までみたいに一緒にご飯を食べたり、並んで帰ったり。華恋がいれば何も問題はないと思うから」


「……ありがとう、雅人くん」


 告げた台詞に対して優しい微笑みが返ってくる。嫌味の無い明るい表情が。その反応が表しているのが肯定か否定かは分からない。彼女は最後にもう一度だけ頭を下げると静かに立ち去ってしまった。


「どうしてあんな事言ったのよ。黙って突き放せばもう関わる事もなかったのに」


「このまま関係を断ち切るのも可哀想かなと思ってさ。友達としてなら付き合い続けたいと思うんだ、あの子と」


「ちょ……アンタまさか」


「へ?」


 2人して立ち尽くす。静かになった体育館脇で。


「あの女にやられたんじゃないでしょうねっ! 一緒にいるうちに本当に好きになっちゃったとか」


「ち、違…」


「恋人のフリするだけだって言ったじゃない。なのになんで本気で好きになってんのよっ!」


「ぐえぇぇ! ぐ、苦しい…」


「こんのバカああぁぁぁっ!!」


 取り乱した妹が大暴走。首を掴んで前後に揺さぶってきた。


「きいいぃぃぃっ、息の根を止めてやるううぅぅぅ!」


「し、死ぬ…」


「思い出せーーっ!! 私に一途だったあの頃をぉぉ」


 喉元を圧迫された事で呼吸困難に陥る。重度の意識障害にも。


 その後、どうにかして状況を説明する事に成功。友人として打ち解けあったと伝えた。


「ゲホッ、ゲエッホッ!」


「……全くぅ、不安にさせるような発言するんじゃないわよぉ」


「そっちが勝手に勘違いしたんじゃないか。首絞めて殺す気かっての」


「もしあの女と密会してる現場を見つけたら海に沈めるからね。グルグル巻きにして身動きとれなくしたあと放り投げてやるんだから」


「そしたら化けて華恋の所に現れてやる。毎晩枕元に立っててやるから」


「や、やめてええぇぇぇ!」


 目の前にはあった体が耳を塞いで座り込んでしまう。怯えた様子で。


「あ、でも雅人の幽霊なら怖くないかも」


「そういう問題?」


 また以前のような繋がりに戻れた事に胸を撫で下ろした。散々かき乱されたとはいえ結果的に仲直りは達成。こうして悪ふざけしている時が一番落ち着いた。


「……華恋」


「ん?」


「ゴメンね」


「え、え…」


「いろいろ傷付けちゃって」


「急になんなのよ。どうしちゃったのさ、いきなり」


「無事でいてくれて良かった。今まで生きててくれて本当に…」


「……雅人?」


 名前を呼びながら抱き締める。愛しく感じる体を。


 ひょっとしたら彼女が小田桐さんのような人生を送っていたかもしれない。育ての親に乱暴されたり、自らの腕を切りつけたり。


 その光景を想像しただけで気分は最低最悪。人生に絶望して泣いている家族の姿なんか見たくなかった。


「どんな事があっても命を粗末にするような真似はダメだからね。もし死にたくなったら必ず相談するんだよ」


「……うん、何かあったら絶対助けてって言う。誰を差し置いてでも真っ先に雅人に泣きつくから」


「約束だからね。絶対に1人で悩みを抱えたりなんかしないで…」


「雅人…」


 鬼頭くんみたいに頼り甲斐のある兄にはなれないかもしれない。それでも人を見捨てるような薄情者にだけはなりたくなかった。


「なんかこうしてると恋人同士みたい」


「恋人じゃなかったっけ? それとも戻る? ただの双子に」


「やだやだやだ。それだけは死んでもやだ」


「こっちだって嫌だよ。華恋が他の男に靡いてる姿なんか見たくないし」


「雅人はさ、これからも私の事を大切にしてくれるのかな?」


「そうだね。なるべく華恋の事を優先させて生活するようにするよ」


「な、なら頼んだらエッチしてくれるとか…」


「とうっ!」


 耳に入ってきた言葉に反応して体を離す。そのまま目の前にある頭に手刀をお見舞い。


「あだっ!?」


「……まったく」


「いちちち…」


 あれだけ荒れたというのに全く懲りていない。淫乱な部分だけは成長するばかり。


 無事に仲直りが出来たのでまた昼休みや放課後も共に過ごす事に。学食も悪くないが、やはり食べなれた弁当の方が落ち着いた。




「先輩、この前の話は考えてくれましたか?」


「え、え~と……どうだろうね」


「私は既に休みを貰いました。予定も空けてあります」


「は、早い…」


「ずっと約束してたタワーに行きましょうね。展望台から見える夜景が凄く綺麗らしいですよ」


「そうなんだ…」


 放課後のバイトで後輩が話しかけてくる。ノリノリなテンションで。


 乗り気でない自分とは対照的に彼女は意欲的。頭の中では2人で出掛けるビジョンが形成されつつあった。


「あっ、あと遊園地の時みたいに大勢の人を誘うのはやめてくださいね。2人っきりでお願いします」


「……先に釘を刺されてしまったか」


「待ち合わせ場所に恵美や妹さんがいてビックリしましたもん。事前に簡単な説明を受けていたとはいえ、先輩に殺意が湧きました」


「なっ!?」


「まぁ半分冗談ですけど」


「いやいや…」


 半分は本気という暴力的な心境が判明。凶器を持って追いかけてくるその姿を想像しただけで恐ろしい。


 クリスマスまでは3週間近くある。華恋をダシに使っても彼女は諦めてはくれないだろう。だから別の理由を考えなくてはならなかった。


 そして周りにバレないように誤魔化す必要も存在。華恋はもちろん紫緒さんや鬼頭くんにも気付かれないようにする必要があった。




「そういえばもうすぐクリスマスね。アンタ達、何か欲しい物ある?」


 バイトからの帰宅後、自宅のリビングで鍋をつつく。5人全員が揃った状態で。


「私、服~。新しいコートが欲しい」


「はいはい、衣類ね。雅人と華恋ちゃんは?」


「僕は特には無いかな。欲しい物はバイト代で買ってるし」


「私も……これといって無いです。今の生活で充分満足していますので」


「……はぁ」


 母親の質問に対して適当な台詞で返答。直後に大きな溜め息が返ってきた。


「アンタ達、本当に物欲が無いんだから。気なんか使わないでもう少し甘えてくれたら嬉しいのに」


「優秀な子供でしょ。純粋で素直な若者に育って良かったね」


「養ってる身としてはもう少しぐらいワガママを言ってほしいんだけどね。あまりにも何も欲しがらないとかえって悲しいんだけど」


「とりあえずケーキが欲しいかな。あとはチキンとか」


「食べ物ね、はいはい」


 本当は欲しい物ならたくさんある。漫画だったりゲームだったり。ただわざわざクリスマスプレゼントとして買ってもらう程の品でもないのでリクエストしなかった。


「まーくん達がおねだりしないから私が子供みたいな感じになってるじゃん。2人も何かお願いしなよ。服とか服とか服とか」


「そんなにいっぱい買ってどうするのさ。どうせ同じのを毎年着回すんだから3着ぐらいあれば充分じゃないか」


「ちっちっちっ、分かってないなぁ。人間は日々成長してるんだからその年齢に合わせて似合う物をチョイスしないと」


「体も頭も全然成長してないのに?」


「うぐぁっ!?」


 遠慮せずにツッこむ。隣から垂れ流される義妹の不満に。


 そもそもオシャレしたからといってデートする相手がいない。華恋以上に二次元の世界にハマってしまった香織はただの痛い人間になってしまっていた。


「しっかしアンタ達も高校生だっていうのに浮いた話一つ聞かないわね」


「うっ…」


「誰かいないの? クリスマスを一緒に過ごしてくれる人とか」


「えっと…」


 母親の発した言葉に場が凍り付く。目の前にある熱々の鍋とは対照的に。


「み、みんな忙しいみたいなんだよね。バイトだったり勉強だったりで」


「アンタ、彼女の1人でも出来ないの? バイト先にだって女の子ぐらいいるんでしょ?」


「いるけど学校とか違うし学年も違うからお互いに距離があるっていうか…」


「そういう考えだからいつまで経っても彼女が出来ないのよ。臆病になってないでもっと積極的にアタックしていきなさい」


「……気が向いたらね」


 そうは言われてもアタックする事なんか出来ない。既にバイト先の同僚には誘われているし、隣に付き合っている相手も座っているから。


「ん、んっ…」


 横目で華恋の顔を覗き見。黙々と箸を動かしているが内心メチャクチャ動揺しているのが確かめなくても分かった。


「父さんは何やってるの?」


「クリスマス限定イベント。ポイント溜めて女の子達に告白するんだ」


「またゲームやってるの? しかも恋愛系のやつ」


 ごまかすように1人会話には参加していない人物に話しかける。端末をテーブルの上に置いて生き生きと画面を弄っている父親に。


「またとはなんだ、またとは。父さんにとっては命より大切なアプリなんだぞ」


「頼むから食事中はやめようよ。子の見本となる親がケータイを触りながら食事とか行儀が悪すぎるって」


「む……そうだな。ならミニスカサンタCGは食べ終わってから堪能するとしようかな」


「スケベ…」


 訳が分からない。なぜ家族の前で堂々とゲームの世界の女の子にニヤニヤ出来るのかが。


「うん…」


 この普遍的な日常が自分にとっては一番の幸せ。今年のイブもこうして家族で過ごせたらそれで満足。先程の華恋の言葉ではないけれど他には何もいらなかった。


 優しい後輩には悪いけど断ろう。心の中で1つの決意を固めた。




「アンタ、知ってる? あの子の事」


「あの子って誰? 颯太?」


「どうして私があんな奴をあの子呼ばわりしなくちゃなんないのよっ! 子っつってんだから女子に決まってんでしょうが!」


「だったら最初から名前で言ってよ。曖昧な表現使われても分からないって」


 食後は部屋で勉強に取り組む。受験に向けての精一杯の努力として。


「だって呼びたくないもん。今は敵同士だし」


「優奈ちゃんがどうしたって? スリーサイズでも教えてもらったの?」


「年末に引っ越すんだって。来年から違う学校に通うんだってよ」


「……え」


 ベッドの上にはクッションで1人キャッチボールしている華恋が存在。彼女の口から飛び出したのは衝撃的すぎる告白だった。


「東北の方に行っちゃうらしいわよ。寒い時季なのに嫌よね~」


「ど、どういう事? 引っ越すって何で?」


「親が離婚すんだってさ。お母さんの実家で住むらしいわよ」


「どうして離婚するの? 原因は?」


「知らないわよ。私、そこまで聞いてないし。父親か母親が浮気でもしたんじゃない?」


「東北…」


 情報の全てが初耳。転校の件も離婚の件も。


「家族と離れて暮らす生活になるのかぁ。親の都合とはいえ可哀想よね」


「いつ引っ越すの? 冬休みに入ったらすぐ?」


「確か大晦日の前には向こうに行くって言ってたかな。冬休み中に転校の手続きとかするんじゃないかしら」


「な、ならあの子に会えるのってあと数日だけ?」


「そういう事になるわね。遠くに行っちゃうんだし」


「そんな…」


 ひょっとしたら華恋と約束を取り付けた時には分かっていたのかもしれない。こうなる事が。


「……どうしよっかな」


「何が?」


「いや…」


 イブに誘われている事を打ち明けようとしたが中断。もし反対されたら確実に行けなくなってしまうから。


 そしてもう1つ気掛かりが存在。兄である鬼頭くんはどうするのかという点。




「あのさ、ちょっと聞きたい事あるんだけど良いかな?」


「んぁ? 何?」


「お父さんとお母さんが離婚するって本当?」


「……誰に聞いたの?」


 翌日に学校で本人に接触。体育の着替えの時間を見計らって話しかけた。


「え~とね…」


「優奈かぁ。アイツ、喋っちゃったんだ」


「う、うん。それっぽい独り言を呟いてたから」


「自分でバラすような真似するとはな。ギリギリまで黙ってるかと思ってたのに」


「やっぱり本当なの? この話って」


「だよ。うちの親、離婚すんだ」


「そうなんだ…」


 情報の裏取りを開始。そして詳しく調べるまでもなく真実だと判明してしまった。


「むしろここまでよく粘った方だと思うよ。本人達だけだったならもっと早くに決定してたと思うし」


「でもなぁ…」


「俺の為にここまで我慢してくれたんじゃないかな。多分だけど」


「どういう事?」


「ほら、三学期になると自由登校になるじゃん? せめて卒業間近までは子供に迷惑かけないようにしようって配慮なんじゃない?」


「あぁ、なるほど」


 推測の意見に納得。それで不満が解消される訳ではないが。


「俺と親父が今の家に住み続けて、優奈と母さんだけが秋田に引っ越すんだとよ」


「な、なら鬼頭くんは転校しないの?」


「しないよ。俺は今までと何も変わらないから。つかこんな時期に転校させられたらたまんないって」


「……それは良かった」


 返ってきた答えに心の底から安堵した。最悪な状況だけは防げたので。


「赤井くんには色々してもらっちゃったよな。兄妹喧嘩に付き合わせたり、相談に乗ってもらったり」


「いや、大した事はしてないっていうか…」


「俺より赤井くんに懐いてたからなぁ、アイツ。赤井くんがいなかったら喧嘩しっ放しで学祭にだって呼ばれなかったかもしれないもん」


「え?」


「直接言わず後輩づてにチケット渡してきやがったんだよ。俺達、中学の時は同じ部活で学年関係なしに仲良かったからさ」


「へぇ、そうなんだ…」


 彼らの間でどんなやり取りが行われたかは知らない。本当はチケットが全部で何枚あったのかも。


 ただ1つだけ分かっているのは優奈ちゃんが彼を学祭に招きたかったという事。意外な場所で2人の本心を知ってしまった。


「クリスマス一緒に過ごせるのも今年で最後かぁ…」


「……ん」


 何気ない呟きが耳に入ってくる。強烈に胸に突き刺さる一言が。


 断ろうとしていた意志が大きく変動。感情を激しく揺さぶられていた。


「うぇ~い、うぇ~い」


「お?」


 着替えを済ませて教室を出るとある光景が視界に飛び込んでくる。同じクラスの男子が騒いでいる姿が。


「アイツらまたか…」


 やんちゃ系の2人組がクラスメートにチョッカイを連発。よく見たらその相手は丸山くんだった。


「お前、今日は半袖でやれよ。体育館だから別に良いだろ?」


「いや、それは無理っていうか…」


「しょっちゅう見学してる罰な。ほら、早く脱げ!」


「ま、待ってってば!」


 男子生徒が嫌がる反応を無視してジャージを剥がそうとする。からかう範疇を超えてイジメレベル。見ていて嫌な気分しか湧いてこなかった。


「おい、お前らさっさと体育館行かないと遅れるぞ」


「はぁ?」


「遅刻したらまた連帯責任で腕立てやらされんだからな」


「したら行かなきゃ良いだけじゃん。サボれば済むだろ」


「バッカだな。こんな時期にサボって出席日数足りなくなったらどうすんだよ。もう1年やり直したいのか?」


「……ちっ、面倒くせーな」


 先生でも呼んで来るべきか迷っていると別の人物が動き出す。隣にいた鬼頭くんが。彼の介入で事態は鎮静化。男子2人は腑に落ちない様子で体育館の方へと歩いて行った。


「え、えっと…」


 トラブルは解決したが別の問題が発生。気まずさ全開の雰囲気が。


「大丈夫?」


「あ、うん…」


「やられっ放しでいないでもっと強く言い返せば良いのに」


「……そだね。次からはそうするよ」


「あと何かあったら俺に言いな。1人で言い返すのが不安なら後ろ盾になってやる」


「あ、ありがと…」


 丸山くんに近付いた鬼頭くんが声をかける。微妙に視線を逸らしながら。


 てっきり無視して進むと思っていたのに。彼の口から飛び出したのは相手を庇うような内容だった。


「大丈夫だった?」


「うん」


「でもジャージ引っ張られてたみたいだけど」


「軽くだから平気。本当に何ともないから」


 やや遅れて自分も2人の元に駆け寄る。風紀委員に見つかったら注意されそうなレベルの小走りで。


「そろそろ俺達も行こうぜ。遅刻するわ」


「りょ、了解」


 慰めもそこそこに雑談を中断。次の授業場所を目指して移動を開始した。


「今日のバレーさ、同じチームでやろうぜ」


「良いけど僕、下手くそだよ?」


「俺だって似たようなもんだよ。バレーって足の速さとか握力とか関係ないじゃん?」


「まぁ確かに」


「この3人プラス誰か3人加えて一チームで良いだろ? 適当に余ってる奴誘って6人組作っちゃおうぜ」


「あ、うん」


 鬼頭くんの中では既にこのメンバーでプレイするイメージが作られているらしい。それが少し意外だった。今までも掃除の時間中は必要最小限の言葉以外は交わさなかったのに。


「丸山くんの事さぁ、これからマルって呼んで良い?」


「え?」


「昔、読んでた漫画にそう呼ばれてるキャラがいて丸山くんの名前聞く度にそいつの事思い出すんだよね」


「は、はぁ…」


「いちいち君付けとか疲れるじゃん? ならアダ名のが手っ取り早いって」


 2人が今までに見られなかったようなやり取りを交わす。どぎまぎした雰囲気の中で。


「あっ、なら僕の事を呼ぶ時はどうするの? 君付けだけど」


「赤井くんかぁ。赤井くんにもアダ名付けてみるのも良いかもな」


「ちなみに皆からは雅人って呼ばれてるけど。アダ名で呼んできたのは妹ぐらいかな」


「なんて呼ばれてんの?」


「……ま、まーくん」


 流れで恥ずかしい呼び名を暴露。発した台詞に反応して両サイドにいた友人達が同時に吹き出した。


「何それ。めちゃ可愛らしいアダ名じゃん」


「本当は恥ずかしいんだよね。でもやめろって言っても聞かなくて」


「なら俺もまーくんって呼ぼうかな。せっかくだし」


「や、やめようよ。それだけは…」


「冗談。もうずっと赤井くんって呼び慣れちゃってるからこれまで通りで良いよ」


「なら良かった…」


 体育館に着いた後は宣言通り3人で過ごす。放課後のゲーセンも。それは環境による心変わりの証。自分だけでなく友人の心境も微妙に変化していた。




「転校するってマジっすか?」


「マジっす」


 バイト後の帰り道で本人にも尋ねてみる。妹づてに聞いた話題を。


「……そっかぁ。淋しくなるね」


「何度もバイト辞めてすいません。1年の間に2回も退職してしまうなんて」


「事情が事情だから仕方ないよ。一度目の時は産休でしばらく休んでたみたいなものだと考えておけばいいさ」


「なら私を退職に追い込む原因を作った先輩は、さしずめ私の赤ちゃんのパパという事ですか」


「そ、そんな…」


「良かったでちゅね~。これからはパパが2人分の面倒を見てくれまちゅよ~」


「やめてやめて」


 彼女の手が腹部に移動。存在していない胎児に話しかけるように。


 悲しい話題を交わしているハズなのに不思議と場の空気は明るい。いつもと変わらないテンションがそこにはあった。


「でも本当なら先輩には最後まで内緒にしておくつもりだったんだけどな…」


「どうして?」


「だって黙って立ち去ったら私の事を考えて悲しんでくれるかもしれないじゃないですか。あぁ、なんであの子の告白を受けなかったんだぁって」


「そういう人の心情を弄ぶような作戦はやめようか」


「後悔させるぐらいその人の心に自分を残せたら、それは凄く素敵な話だと思うんです。その後悔が長く続けば続くほど」


「えぇ…」


 対話相手が意味深な笑みを浮かべる。まるでトラップを仕掛けている小悪魔のような表情を。


「自分がいなくなって一番悲しいのは、誰も覚えていてくれないって事だと思うんですよ」


「いや、その考え方は分かるんだけどさ。一言の挨拶も無しにいなくなられたら、そっちの方が後味悪いんだけど」


「……まぁ一番の理由は同情してほしくなかったからなんですけどね」


「同情?」


「もし私が余命3ヶ月の身で、最後にデートしてくださいとお願いしたら先輩はどうしますか?」


「う~ん、やっぱり迷うかなぁ…」


 まさに今その悩みを抱えて生活中。心の中で理性と本能が葛藤していた。


「私としては本心で来てしかったんです。1人の女性として認めてくれた上でイブのデートに」


「でももう転校するって話を耳にしちゃってるし。余計な雑念が混ざっててどうしたら良いか分からないんだよ」


「それは簡単です。妹さんを捨てて私の元へと来てくれたら良いんですよ。へい、カモン」


「そ、それはちょっと…」


「何か問題でもあるんですか? マゾなんだから殴られるのも平気ですよね?」


「いやいやいや、マゾでは無いし平気でも無いから」


 どんな惨事を迎える結果になってでも構わないから来いと言いたいらしい。提案がムチャクチャすぎ。


「……やっぱり妹さんがいるからですか?」


「そうだね。華恋は裏切れないもん」


「つまり考え方は変わっていないという事ですね。今もずっと」


「うん…」


「やっぱり適わなかったって事か。悔しいなぁ」


 隣を歩く人物が首を傾けて視線を移した。雲の隙間から綺麗な月が顔を覗かせている空に。


「どうしよっかな、イブの日…」


「ん…」


「……当日は駅前で待ってます」


「え?」


「先輩が来れなくてもずっと待ってますから」


 決意を漏らした台詞と共に憂いのある笑みを向けられる。彼女の言葉に肯定も否定も出来なかった。


「むぅ…」


 迷う理由なんかない。断って済む、それだけの話。なのにその意思に抗おうとしていた。


 こんな優柔不断な性格を華恋は嫌いと言っていた。そしてこんな人間を大好きでいてくれていた。どちらも裏切りたくない。慕ってくれている後輩も妹も。


 ただ問題が解決しなくたって時間は刻一刻と進んでいく。悩んでいるうちにあっという間に約束の前日を迎えてしまった。




「……という訳で明日誘われてまして」


「あ、あ、あ、あぁん?」


 客間の椅子に座っている華恋が鋭い目つきで睨み付けてくる。こめかみをピクピクと痙攣させた状態で。


「行こうかどうか凄く迷ってます。どうすれば良いと思いますか?」


「は?」


「本来なら断るべきなんだけど、なんとなく行かないと後悔するような気がして…」


「……はんっ」


「あ、あの……聞いてますか?」


「聞いてない。聞こえてない」


 嘘やごまかしは使わず素直に心情を暴露。しかし素っ気ない対応ばかりが返ってきた。


「頼むからちゃんと聞いてくれよ。これでも真剣に悩んでるんだから!」


「どうして私がそんな馬鹿げた相談事に耳を貸さなくちゃならないのよ。ふざけんな!」


「でも大事な話なんだってば。華恋にも関係する内容だし」


「んなの雅人が行かなけりゃ良いだけでしょ。誘われてホイホイ付いて行くとかアホなの?」


「……自分でも悪いって分かってるよ。けどそうした方が良いような気がして」


「もし行ったら許さないからね。縁切るから」


「はぁ…」


 予想通り彼女は大激怒。部屋には気まずい空気が蔓延しただけ。


「アンタは私の事が好きで付き合う事にしたんじゃない。それなのに他の女と仲良くするとか意味不明」


「だってもう会えないんだよ? 別に手を繋いだりとかはせず、あくまでも友達として付き合うつもりだし」


「それでもダメに決まってるでしょうが。好意を寄せてると分かってる相手とわざわざ2人っきりにさせるハズないじゃん」


「ならどうして優奈ちゃんからの挑発に乗っかったのさ。華恋があの時ハッキリと断ってればダラダラとこんな関係を続ける事はなかったんじゃないの?」


「そ、それは…」


「今でも謎なんだけど。分かりきった挑発行為を受けた意味が」


「……差し出された勝負を受けなかったら負けな気がして」


「はぁ……負けず嫌いな性格が災いしたのね」


 頭に血が登っていて冷静な判断が出来なかったらしい。短気さが招いた結果だった。


「だ、だって自信あったしぃ。雅人が私を振ってあの子の方にいくハズがないって」


「それは自分を過信しすぎじゃないかな」


「なのにまさかこんな馬鹿とは思わなかったわ。女の気持ち一つ分からない無神経男だったなんて」


「……念のため言い訳させてもらうと、華恋の事を考えてたからこうして誘われた事を打ち明けたんだが」


 それが詭弁だと自分自身でも分かっている。優奈ちゃんとの勝負の話を持ち出した事だって。ただこのまま黙って彼女と別れるのが嫌だった。恐らくタイミング的に明日のイブが顔を合わせられる最後の日。もしこのままジッとしていたら一生悔やむ別れを経験するだけだった。


「どうしても行きたいっていうならこの私を倒してからにしなさい」


「え? 殴り倒しても構わないの?」


「え? え? へ?」


「日頃の恨みもあるし今なら手加減なしで攻撃出来る気がする。華恋が許してくれるっていうなら遠慮なく倒させてもらうけど」


「ちょ……待て待て。待ちなさいよ、お兄さん」


「ん? なに?」


 指の関節をパキパキと鳴らしながら机の方に移動。同時に目を丸くした彼女が勢い良く立ち上がった。


「ア、アンタは可愛い妹に手を出すっていうの!? 仮にも恋人で付き合ってるこの私を」


「だって華恋が言い出したんじゃないか。行きたかったら倒していけって」


「それは絶対に行かせないって意味を表しただけのセリフでしょうが。真に受けるな、アホ雅人!」


「ちぇっ、ならどうやってもあの子の元に行く方法はないって事じゃないか」


「あったりめーじゃんよ。明日はこの家から一歩も出さないからね」


「あの……昼間はバイトあるんですが」


 丸めた雑誌で頭を叩かれる。ツッこみを入れるように。


 予想通り見逃してはくれないと判明。やっぱり華恋は華恋だった。




「ふぅ…」


 翌日は午前中から雪がチラついている。クリスマスイブに相応しい天候で。本来なら喜ぶべき出来事なのだろう。だが大きな悩みを抱えている人間にはただの自然現象でしかなかった。


「雅人くん、店長がもう上がって良いってさ」


「え? でもまだ昼過ぎですよ?」


「雪でお客さん来ないから早めに店閉めるって。私も上がるからもう帰って良いよ」


「は、はぁ…」


 瑞穂さんに言われた通りフロアからロッカーへと引き返す。身に付けていたエプロンを外しながら。


 雇用者なりの気遣いと予測。粋な計らいに感謝しながら裏口を通って店を出た。


「冷たっ!」


 しかし一歩外へ出た瞬間に厳しい寒気に襲われる。思わず声が漏れてしまう厳しい気候に。


「うあぁ、深刻にマフラー欲しいなぁ」


 ずっと暖房の効いた室内にいたせいでダメージは倍増。中へ引き返したい衝動に駆られた。


「ん…」


 駅までやって来ると無意識に視線を移す。普段はあまり利用する事のない反対側のホームへと。


 もし待ち合わせ場所に向かうならあちら側の移動しなくてはならない。ただ時間が有り余っている為、向かったとしても2時間以上は潰さなくてはならなかった。


「……帰るか」


 本人には行けないと宣告済み。だから来ていないかもしれない。考えるのは外れているであろう予想。


 それでも約束を果たそうとする勇気は無かった。大切な人を傷付け泣かせてしまう状況が怖いから。


「凄い……何これ」


 地元へと戻って来ると雪がうっすらと敷き詰められた道路を歩く。そして自宅付近で派手な装飾で飾り付けられている隣の民家を発見。朝は気付かなかったがカラフルな電球がチカチカと点滅していた。


「イルミネーションか…」


 今日はすみれの家も家族団欒のイブを過ごすのだろう。自宅を留守にしがちな家族が揃っている事を考えると、何故だか嬉しい気持ちが込み上げてきた。


「ただいま」


「あれ? アンタ、早かったじゃない。帰って来るのもっと遅いと思ってたのに」


「店長が早めに店閉めちゃったから。それよりそのツリーどうしたの?」


「予約してたのがさっき届いたのよ。飾り付けしてるんだけどアンタもやる?」


「いや、遠慮しとく」


 リビングにやって来るとパーティーの準備をしている家族を見つける。身長と同じ高さのツリーを囲んでいる女性陣を。


「ウヒヒヒヒ…」


 父親は1人でソファに腰掛けながら端末を操作。何をしているかはそのニヤついた顔で判断出来たので声はかけなかった。


「ねぇ、まーくんまーくん。雪どんぐらい積もってた?」


「地面がうっすら出てるぐらいかな。外見てないの?」


「だって寒いじゃん。窓開けると風邪ひいちゃうし」


「とうっ!」


「ぎゃぁぁーーっ!?」


 冷えた手を思い切り突っ込む。近付いてきた義妹の背中に。


「ちょ、ちょっと何すんのさ! 私を殺す気?」


「これぐらいで死ぬとかどんだけ虚弱体質」


「手袋していかないからそうなるんだよ。いっつもポケットに突っ込んじゃってさ」


「なかなかワイルドな生き方してるでしょ。香織もこの逞しい兄を見習って野性的になるんだよ」


「べーーっ」


 彼女が舌を出しながらツリーの方へと退散。年下にあるまじき反抗的な態度だった。


「ふぅ…」


 今日は両親揃って仕事が休み。毎年特別な日だけは一緒に過ごしてくれるのが嬉しかった。


「雅人。働いて帰ってきたとこ悪いんだけど、後で予約してたケーキ取りに行ってくれない?」


「えぇ……どうして僕が」


「アンタ、足速いでしょ? 走って行ってきたらすぐじゃない」


「走るスピードとか関係なくない?」


 冷蔵庫から飲み物を取り出していると母親から無慈悲な台詞が飛んでくる。唯一の労働者に向ける物とは思えない言葉が。


「香織に行かせたら? 超元気そうじゃん」


「ああぁ、ゴホッゴホッ! なんだか熱っぽいなぁ…」


「ほら、本人もああ言ってるし」


「ゲェッホッ、ゲェッホッ! 息が苦しい…」


「ゴリラの物真似が出来るほど元気が有り余ってるっぽいよ」


「ダメかもしれない。誰か助け、て…」


「もうケーキ受け取り担当は香織で決定だね」


「最後にケーキを一口食べたかっ、た……ウホ」


 お使いを近くにいた義妹に強制バトンタッチ。胸を何度も叩く彼女はワザとらしい演技と共に床へと倒れ込んだ。


「じゃあ悪いけどお願いね」


「……どうしてこの寒い中また外に出なくちゃならないんだ」


「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい。あの子には後で料理の手伝いさせる予定だから」


「えぇ! 香織に料理任せるの!?」


「そうよ。それなら公平でしょ?」


 しぶしぶ頼み事を引き受けるも有り得ない発言を聞かされる。少しも嬉しくない報告を。


 それは罰ゲームも同然。つい先日も電子レンジでゆで卵を作ろうとして爆発させていた人物を信用出来るハズがなかった。


「あの…」


「ん?」


「私も雅人と一緒にケーキを受け取りに行ってきます」


 文句を垂らしていると声をかけられる。やり取りをただ傍観していただけの華恋に。


「あらそう? 悪いわね」


「いいえ。それに雪が積もってる道路も歩いてみたいですし」


「さっきも買い物に付き合ってもらったばかりなのに。けど華恋ちゃんがそう言うならお願いしちゃおうかしら」


「はい!」


 振り向いた彼女と視線が衝突。良い所をアピールしたいからなのか付き添ってくれる事になった。


 それから1時間ほどリビングで待機。予約時間を見計らって家を出た。


「ちゃんと帰って来たじゃん。偉いね」


「……黙って行っちゃおうかなぁとも一瞬考えたけどさ。殴られるのが怖いからやめといた」


「賢明な判断ね。もし私に内緒であの子に会ってたなら今頃アンタは蜂の巣状態だから」


「まさかのマシンガン乱射!?」


 雪がかなり小降りになっている。傘を差さなくても済むレベルで。


「バイト忙しかった?」


「まぁまぁかな」


「そっか…」


「……ん」


 言葉を交わすが長続きしない。珍しく互いに口数が少なめだった。


「あ、あのさ。先に寄りたいお店あるからそっち行かない?」


「ん? 良いよ」


 目的地付近までやって来た所で華恋が別の方向を指差す。彼女の先導で近くにあった雑貨屋へと移動した。


「もしかして皆のプレゼント買うの?」


「……うん、まぁ。正確には雅人のプレゼントなんだけどね」


「僕の…」


 店へ入った後は一直線にレジ付近へ。冬用の衣類が置かれているコーナーへと進んだ。


「アンタさ、マフラーも手袋も持ってなかったでしょ? だから何か買ってあげようかと思って」


「なるほど…」


「ちゃんと約束守ってくれたご褒美。好きなの1つ選んで良いよ」


「う、うん」


 照れくさいのか目を合わせようとしてくれない。適任に物色して赤と紺色が混ざっているマフラーを手に取った。


「ならコレで」


「ん。じゃあ買ってくるね」


「華恋も好きなの1つ選んで良いよ。僕からのクリスマスプレゼント」


「……あ、ありがと」


 立場を入れ替える。贈与者と受贈者を。


 屈み込んだ彼女が品定めを開始。悩んだ末に選んだのは真っ赤なマフラーだった。


「コレにしようかな」


「了解。ついでに父さん達のも買って行こうっと」


「アンタ、まさか何にも用意してなかったの?」


「あは、あははは…」


 厳しいツッこみを誤魔化す。不自然な薄ら笑いで。


 どうやら華恋は既に用意済みらしい。お互いに精算を済ませた後は再び寒い外に飛び出した。


「うひゃあ、冷える」


「ううぅ、寒い…」


「早いとこケーキ買って帰ろう。風邪ひいちゃう」


「そ、そうね」


 転ばないように気を付けて移動する。雪が敷き詰められた白い道路を。


「結構並んでるなぁ…」


「やっぱりクリスマスだからね。おばさんが予約しておいてくれて良かった」


「だね。普通に買いに来てたら売り切れてて買えなかったと思う」


 店にやって来ると受付で予約の時間を確認。名前を呼ばれるまで椅子に座って待つ事にした。


「いやぁ、まさかこんな可愛いプレゼントを貰えるとはね」


「……ん」


「でもワガママを言わせてもらうなら家族全員じゃなく2人っきりで過ごしたかったかな。初めてのクリスマス」


「初めて…」


「来年はデートとかしたいかも。仲良く手を繋いでイルミネーション見に行ったり……キャーーッ!」


 相方が次々に言葉を発している。周りの人達に怪しまれそうなハイテンションで。


「ねぇ、聞いてる?」


「……うん。聞いてるよ」


「嘘。なら今、私がなんの話してたか言ってみてよ」


「うん…」


 もう日は沈んで辺りは暗い。道路を走る車のライトが何度も目の前を通過していった。


 20分ほど待った後に無事にケーキを購入。店員さんの優しい接客態度に癒されて店を出た。


「じゃあ帰ろ。みんな待ってるから」


「……そだね」


「もうっ! さっきからどうしたのよ。魂が抜けたみたいにボーっとしちゃってさ」


「あぁ…」


 伸びてきた彼女の手が額に当たる。風邪による発熱を疑っているらしい。


「……しっかりしてよ。雅人が元気ないと私まで落ち込んじゃうじゃない」


「ごめん…」


「せっかくのクリスマスイブなんだからテンション上げてこ。楽しもうよ」


「んっ…」


 不安を抱えているのに笑えるハズがない。傷付けてしまっているのではないかという罪悪感が込み上げてきた。


 せめて待ち合わせ場所には来ていないでほしい。こんな寒い日に長時間も外にいたら体調を崩してしまうから。


「雪やまないなぁ…」


 空からは相変わらず白い物体が降り注いでいる。一向に収まる気配を見せない勢いで。このままのペースでいけば明日には交通規制がかけられるだろう。そうなれば強制的にバイトは欠勤だった。


「雅人」


「……何?」


「アンタ、私の事好き?」


「へ? どうしたの、急に」


「いいから答えて」


 歩いている途中で華恋が話しかけてくる。脈絡の無い質問を。


「……好きだよ。今も昔も」


「そっか。それ聞けて安心した」


「いきなり何なのさ。周りのカップルに触発されてイチャつきたくなったの?」


「ちょっと待ってて。そのままじゃ寒いでしょ」


 立ち止まったかと思えば持っていた袋の中に手を移動。先程購入したばかりのマフラーを取り出した。


「んっ」


「あ…」


「少しフライングだけどクリスマスプレゼント。可愛い可愛い彼女からへたれな彼氏さんへ」


「ありがと…」


 どうやら会計時にタグを外してもらったらしい。心地いい布が首回りを覆ってくれた。


「どう? 暖かい?」


「そだね。これ1枚あるだけで全然違う」


「へへへ、似合ってるよ。センス良いね」


「……そりゃどうも」


 手袋を纏った拳で胸元を叩かれてしまう。痛みを感じない威力で。


「本当言うとね、不安だったんだ。ちゃんと帰ってきてくれるかどうか」


「ギリギリまで迷ってたからね。だからそれに対しては何も言い返せないや」


「あの子は良い子だと思う。私達の事情を知っても誰にもバラさなかったし、クソ女の事を相談した時も助けてくれたし」


「クソ女って…」


「でも私にとっては相対する敵なの。雅人との仲を引き裂こうとする悪の化身な訳よ」


「んっ…」


 彼女は話題にしている人物の名前を出さない。だけど誰の話をしているかはすぐに分かった。


「そしてあの子の気持ちも痛いほど理解出来る。雅人を想っている気持ちが。だって私がこんなにも大好きなんだもん」


「……あの、面と向かって言われると恥ずかしいんですが」


「でもいくら親しくなった子だからといっても素直に好きな人を差し出せるほど私は良い人にはなれなかった」


「えっと…」


「ただ今の雅人を見てると心の中はあの子の事でいっぱいなんだなぁってすぐに気付いたよ」


「ご、ごめん…」


「やっぱり最後ぐらいちゃんと別れたいよね。それなのに……私のワガママで雅人を縛り付けちゃってる」


 すぐ目の前には陰りを含んだ表情がある。普段あまり拝む機会のない真面目な顔付きが。


「行っていいよ、あの子の所に。そうしたいんでしょ?」


「え!?」


「ケーキは私が持って帰ってあげる。だからアンタは早く行ってあげて」


「いや、あの…」


 そしてその口から飛び出したのは有り得なさすぎるセリフ。動揺して持っていた荷物を落としそうになった。


「最後のケジメだもんね。雅人にとっても私にとっても」


「……華恋」


「あっ、でも勘違いしないでよ? 別にアンタ達2人の仲を認めた訳じゃないから」


「は、はぁ…」


「ちゃんと帰って来なさい。それが条件。もし朝帰りとかしたらブン殴ったる」


「いや、さすがにそれは…」


 戸惑う反応を無視して話が進んで行く。願ってもない方向へと。


「あくまでも会いに行くのを許可しただけなんだからね。手を繋ぐの禁止、キスとか論外」


「んっ…」


「今日だけ特別。もう二度とない大サービス」


「……特別」


「返事は?」


「え?」


 用件を言い終わると距離を詰めるように一歩前進。やや前傾姿勢で下から覗き込んできた。


「今言った約束守れる?」


「ま、守れます」


「そっ」


 問い掛けに対して首を小刻みに振る。直後に口元に真っ赤な唇が接近してきた。


「ちょ…」


「エッヘヘ。またしちゃった」


「せ、せめて言ってからにしてよ。ビックリするじゃないか」


「だって言ったらアンタ抵抗するじゃん。だからいつも不意打ちなの」


 照れくさいし恥ずかしい。サプライズに困惑していると彼女が預けていた雑貨屋の袋を漁り始めた。


「これ持っていってあげて。手ブラじゃ悪いし」


「え? こ、これさっき自分で選んだヤツじゃ…」


「良いの、私は。プレゼントなら今貰ったから」


「……華恋」


 胸が熱くなる。上手く言い表せない何かが込み上げてきて。


「ボケッとしてないでさっさと行ってあげなさい。こんな天気の中で待たせたら悪いでしょ?」


「いって!?」


「もしあの子に風邪引かせたら鼻フックの刑だから。そして変な真似したらブチ殺すからね」


「ひえぇ!」


 続けて思い切り背中を叩かれた。気合いを注入するかのように。


「……ありがと」


 その場から駆け出すのと同時に小さく呟く。嘘偽りない本心の言葉を。当たり前だがその声は本人に届かない。それでも心の中は感謝の気持ちでいっぱいだった。


「ハァッ、ハァッ…」


 信号で立ち止まる度に深呼吸を繰り返す。体力を少しでも回復しようと。


「……そうだ!」


 そしてその途中で1通のメッセージを送信。ある考えが浮かんだので1人の人物に連絡を取った。


「ふぅ…」


 駅へとやって来ると改札をくぐる。数分の待ち時間の後に現れた電車へと乗車。中は暖房が効いていたが、汗だくの人間にとってはムシムシする環境だった。


「え~と…」


 目的地にやって来た後は人の流れに乗ってホームに降りる。人でごった返した空間へと。テレビや雑誌でデートスポットと紹介される街だけあってカップルが多い。地元の静かな喧騒が嘘のように賑わいだった。


「……いた」


 辺りを見回すと捜していた人物に近いシルエットを見つける。大人だらけの街に不釣り合いの小さな女の子を。


「優奈ちゃん!」


「あ…」


 人混みを掻き分けてその人物の元に移動。名前を呼びながら駆け寄った。


「良かった。見つかった…」


「ちゃんと来てくれたんですね。嬉しい」


「もしかしたら帰ってるかもと思ってさ。残っててくれて助かったよ」


「前に言ったじゃないですか。先輩が来なくてもずっと待ってるって」


「いやいや、そんな事したら風邪引いちゃうし」


「へへ…」


 彼女の不安そうな顔が少しずつ綻んでいくのが分かる。まるで絶望の淵に立たされていた人間が光明を見つけたかのように。


「本当は来るハズじゃなかったんだけど、言いたい事があって来たんだよ」


「……なんでしょう」


「ごめん、やっぱり一緒にタワーは行けない」


「え?」


 呼吸を整えながら言葉を発信。周りではクリスマスに相応しいアップテンポな音楽が流れ続けていた。


「誘ってくれたのは嬉しいんだけど、やっぱり僕には華恋がいるから」


「ん…」


「もし華恋が自分以外の男とデートしてたりしたら嫌だし、例えそれがただの友達だったとしても嫉妬しちゃうと思う」


「そうですか…」


「だから悪いんだけどタワーには一緒に行けないんだ」


 明るい空気が次第に淀んでいく。自分は淡い希望を作り出し、そしてそれを壊してしまった。


「……やっぱり最後までダメでしたね。一発大逆転とはいきませんでした」


「華恋にちゃんと別れの挨拶をしてこいって言われたんだ。ケジメだからって」


「妹さんが…」


「あとこれ、クリスマスプレゼント。僕と……華恋からの」


「はい?」


「受け取ってくれるかな。さっき買ったばかりなんだけど」


 持っていた袋からマフラーを取り出す。デザインが派手な防寒具を。


「……綺麗な色ですね。凄く赤い」


「それ華恋が選んだんだよ。性格通り、濃い原色とか大好きだからさ」


「ありがとうございます。妹さんにもお礼言っておいてください」


「うん、分かった」


 どうやら拒否はされないらしい。返事と共に大きな安堵感を噛み締めた。


「三割引…」


「げっ!」


 油断していると手に持つマフラーを見ながら彼女がポツリと呟く。端から垂れ下がっている白いタグに書かれた文字を。


「ね、値札外すの忘れてた!」


「やっぱり年末はどこもセールやるんですね。年が変わる前に在庫処分したいから」


「は、ははは…」


「先輩も相変わらずオッチョコチョイだし。まぁそれでこそ先輩なんですけど」


「……ごめんなさい」


 目を合わせられない。格好つけたつもりが情けない立場に追いやられてしまった。


「最後にこんな素敵なプレゼントを貰っちゃって罰が当たるかも」


「どうしてさ。普段頑張ってるご褒美だよ、それは」


「一番欲しい物は手に入らなかったけど思い出だけは貰えました」


「今までありがとうね。向こうに行っても元気で」


「はい…」


 2人して言葉に詰まる。気まずいからではなく心地いい意識を反芻したくて。


「……あの人には悪い事をしてしまいました。せっかく力になると言ったのに」


「そんな事ないって。彼女、感謝してたよ。初めて自分の全てを受け入れてくれる友達が出来たって」


「そうですか。なら良かった…」


「小田桐さんの事はこっちに任せておいて。優奈ちゃんがいなくても僕達が支えてあげるから」


「はい。お願いします」


 握り拳を胸元に移動。自信を示すように叩いて見せた。


「……結局、最後までタワーに行けませんでしたね」


「今から行けば良いよ。人で混雑はしてると思うけど」


「私に1人でカップルの巣窟に突撃しろと言いたいんですか? それはいくらなんでも酷すぎますよ、先輩」


「いや、あの人と」


「え?」


 彼女と共に体の向きを変える。少し離れた場所を指差しながら。


「お兄ちゃん…」


 そこには黒いコートに身を包んだ男性が存在。大声を出せば聞こえる距離で誰かを捜すように辺りを見回していた。


「どうして…」


「僕が呼んだんだよ」


「先輩が?」


「前に言ってたんだ。家族で過ごせる最後のクリスマスだって」


 彼はこちらに気付いていない。待ち合わせ場所を少しズレた所に指定していたので。


「寂しがってたよ。遠くに行って会えなくなる事を」


「……アイツ」


「抵抗あるかもしれないけど付き合ってあげてよ。兄妹喧嘩だってもうする事が出来なくなっちゃうんだからさ」


「ん…」


 1年前の自分もそうだった。何度も言い争いをしていた妹との別れ。いなくなってから初めて気付いた。毎日側にいた人と会えなくなる生活がどれだけ辛い物なのかを。


「はぁ……せっかくのイブなのにどうして兄妹で過ごさなくちゃいけないかなぁ」


「そ、それ言われると辛いんですが。たまにはそんなのも悪くないと思います、はい」


「先輩達はお互い了承の上だから良いじゃないですか。私達の場合と違います」


「……すんません」


「あ~あ、仕方ないから付き合ってあげようかな。本当は面倒くさいんだけど」


 彼女があからさまな悪態をつく。気のせいでなければ微かに表情を緩ませながら。


 吐く息が白い。積もっている雪と違い、一瞬で消えてしまう儚さだった。


「先輩……ありがとうございました」


「お礼を言うのはこっちの方だよ。今までありがとうね」


「先輩にはいろいろお世話になりました。お兄ちゃんとの事やバイト先の事、それに知り合ってから今日までの毎日を」


「そ、それは少し大袈裟だって」


「楽しかったです。先輩とするお喋りも、妹さんとする喧嘩も」


「ははは」


 それは決して嫌味なんかではない。いつの間にか仲良くなっていたライバルへの賛辞だった。


「絶対に忘れません。こんな愉快な高校生活」


「僕もだよ。凄く楽しかった」


「向こうに行っても頑張れそうな気がします。辛い事があっても、心の中の思い出がきっと未来の私を励ましてくれますから」


「うん」


「さようなら……先輩」


 最後に頭を下げ合う。初めてとなる握手も付け加えて。


 その後、目の前の人物は即席の待ち合わせ相手の元に移動。人混みの中へ消えていく2人分の後ろ姿を静かに見送った。


「……行っちゃった」


 彼女が最後に望んだのは絆。遠く離れていても恋人なら連絡を取り合える。いつか果たせる再会を約束して。けれど自分はその意思さえ拒絶。救いを求めてきた手を突き放してしまった。


「ただいま…」


 物思いにふけりながら再び自宅へと帰ってくる。孤独感が漂う心を押し殺しながら。


「あれ? もう帰ってきた」


「おかえり、雅人。早かったじゃない」


 いつもより重く感じる扉を開けて奥へと進入。リビングで楽しそうにハシャいでいる家族に出迎えられた。


「まーくんは友達と出かけたっていうからケーキ4等分しちゃったのに。まさか帰って来るなんて」


「えぇ…」


「ウソウソ。ちゃんと残してあるよ」


「アンタ、晩御飯は? 何か口の中に入れたの?」


「いや、何も」


「なら手洗ってきて座りなさい。料理冷める前に食べちゃって」


 母親に促されて加わる。豪勢な料理が並べられたパーティーに。


「ただいま」


「あ……お、おかえりなさい」


「マフラー、サンキューね。寒かったから助かったよ」


「それは良かった…」


 隣にいた華恋と視線が衝突。声をかけると戸惑う反応が返ってきた。


 プレゼント交換は既に済んでいたらしい。先ほど自分が購入した衣服も彼女が渡してくれていた。


「どうしてこんなに早く帰って来たの? デートするハズだった女の子に振られたとか?」


「違うって。相手が都合悪くなっただけだよ」


「まーくんにも早く春が訪れるといいね。今は冬だけど」


「うるさい、爆発ゆでたまご。人の事ばかり言ってないで自分も彼氏作りなよ」


「うぐっ!?」


 強がりは淋しさから現れる気持ちだろうか。心の中には大量の虚無感が発生。


 気分をごまかすように食事にありつく。そしてタイミングを見計らって隣に座っている華恋に話しかけた。


「優奈ちゃんがさ、ありがとうって」


「……あの子が?」


「華恋に感謝してたよ。言い争いした事もひっくるめて」


「そっか…」


 彼女にとっても大切な相手だったハズ。学年も学校も違う少し変わった友達として。


 はにかんだその表情の中には嬉々が存在。前日の嫌悪感を感じさせない笑顔だった。


「お父さん、ゲームやりながら食べない!」


「す、すまん…」


「そろそろ壊すわよ?」


「や、やめてくれぇ!」


「わはははは!」


 皆で声を出して笑う。楽しさを伝染させるように。


 淋しさと共に大きな幸せを実感。一生忘れる事のない経験をしたクリスマスイブだった。

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