ウサギの為の断頭台
ミスターN
第1話 ウサギの為の断頭台
古来、ウサギは兎であった。
兎は時に道化としてふるまう事で我々に教訓を伝達する。
毛を剥ぎ取られ蒲の穂の効能を示し、亀を侮って競争に敗北するのだ。
そんな兎も本来は天に住まう位の高い獣。
その内の一匹はこんな事を呟いた。
「下を見下ろせば有象無象がガチャガチャと私を侮辱しておる。私のおかげで正しい道徳観を身につけたというのに」
言霊というものがある。端的にいえば言葉に摩訶不思議な力が宿り、様々な効力を発揮するという代物だ。
もちろん、高位な獣である兎が発言した言葉は漏れなく言霊となる。一字一句が言霊になるものだから、兎にとっては普遍的な事だった。
言霊は兎のいる位相から高度10kmの高みまで上昇し、亜熱帯ジェット気流に捕まって左右に引き延ばされた。
結果としてドップラー効果によって野太くなった声が世界を支えている蛇と亀に届いた。
なお、間に位置する象は垂れた耳のせいで聞こえないという建前で無視を決め込んだので返事は無い。
以下、蛇と亀のやまびこにも似たリプライである。
「有象無象なんて気にしなければいい。彼らは自分が外側から見下ろされているという事にすら気付かない矮小な存在だ。ダンニング・クルーガー効果というものがある事すら大半は知らないのだ」
「その通り。有象無象に囚われれば自身の身を落とす事になるぞ」
2匹の声は宇宙の背景放射と同調して兎のものよりもいっそう低くなった。
変化しているのか分からない音の波は言霊の力によって可聴範囲に押し込まれ、勢い余って甲高くなって兎に届いた。
「耳が痛い話だ。またもや下界にゴシップを呈するところであった」
しかし、兎は考える。これはまるでフリードリヒ・ニーチェの『善悪の彼岸』の一説ではないか。
兎は有象無象の中でもフリードリヒ・ニーチェだけは尊敬していた。
「かの偉大なる御仁の言葉の陰に隠れるならば、この愚痴も大海に落とした一滴の重油と大差ないだろう」
兎はそう考えた瞬間から4.543
愚痴はやがて罵詈雑言となって内なる声へと変質し、脳内で膨大なバイト数に膨れ上がりながらブロードキャストされた。当然脳は飽和状態となる。
「なんという事だ、私は地上に降ろされたばかりかドブネズミに変えられてしまった」
気が付くと兎はウサギを飛び越してドブネズミになってしまった。
ハダカデバネズミにならなかったのは上位存在である因幡の白兎の恩情か。苦い経験からか。
知能が一気に低下したため、自分が転落したことに気が付く前に寿命の半分であるところの1年が経過していた。
「ここはどこだろうか?」
暗い暗い洞穴を4本の足で歩いているようだ。
暫くさまようと奇妙な感覚に陥った。脳からの指令として電気信号が神経を伝って筋細胞のカルシウムチャネルをノックしているはずが、一歩も前に進めない。
数秒の後に自分の頭部と胴体が丁度首の辺りで切り離されていることに気が付いた。
それもそのはず。ここはパリの下水道である。
「思考は自由でいいではないか! それによって私は罪を犯したと言うのか!」
ドブネズミは地の底で上に向かって叫んだ。
これがトップダウンの弊害である。
ウサギの為の断頭台 ミスターN @Mister_N
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