バーチャリー・バーチャル

靑命

本編

「早くVRの世界で生きられるようにならねえかな」

「まぁた始まったよ、田神の現実逃避」

「どうせお前は仮想の世界でもうまくやっていけないぞ」

 うるせー、とおれは辛辣な意見をぶつけてくる友人どもの背中を両手でバンと叩いた。んなことわかってるっての。

「じゃあお前らは別にいいんだな。ええ、刈谷?」

「おれは別に……お前とは違って、現実を見れているからな」

 刈谷はそう言って、ひとまとめに括った後ろ髪をいじった。いい加減その鬱陶しい髪を切りやがれ。いっそのこと、おれが百均のハサミでジョキンと切ってやろうか。

「ふん。じゃあ†水龍の銀鎌マーキュリーペンデュラム†くんは?」

「おまッッ……普通に名前で呼べよ! リアルで言われると恥ずかしいだろ!」

 よく日に焼けた顔が、もう一段階赤くなった。じゃあ、呼ばれて恥ずかしくなる名前をネットで名乗るなよ。

「悪い悪い、水下は?」

「おれは……今のゲームで満足してるし、ちゃんと区別できてるから……」

 どうやら水下のハンドルネームはただの中二病ではなかったらしい。現実との区別の意味での中二病だったんだな。初めて意味のある中二病患者を見た気がする。

 おれはジンジャーエールの入ったカップを手に取り、ストローに口をつけてちゅごごごごと中身を吸った。そうしてさらに、口にポテトを放り込む。

「そっかあ。お前らは偉いなー。現実の奴隷になることを選択できるなんて」

「じゃあお前はVR世界の奴隷になりたいのかよ」と、刈谷がスマホ片手間に聞いてくる。

「VR世界だと奴隷とかねえの。自由なんだよ。魂も肉体もさー。桃源郷ってやつ」

「どんな世界でも優劣は自然とできてしまうぞ。どうせその世界にいるのは人間なんだから」と、水下がやけに説得力のある言葉を吐いた。

「それでも、この現実よりはマシだろ?」

 そう言うと、両脇の男たちは黙ってしまった。おれを無視したのかもしれないし、何かを言い返そうとしているのかもしれなかった。

「とにかくさあ、おれは逃げたい。なにもかもから」

「じゃあいっそのこと、死んでみっか?」

 めんどくさそうに、刈谷が提案した。その態度から、おれはそろそろこの話題をお終いにするべきかと思いながらも、つい返答してしまった。

「そんな保障のないバクチに挑めるものかよ」

「VR世界が逃げ場になる保障なんて、どこにもないじゃないか」

「それはやってみないとわからないだろ」

「なら、死んだ後の世界のことだって、死んでみないとわからないぞ?」

 確かにそうだ、とおれは言いそうになった。しかしここで刈谷に言い負かされるのはどこか癪だったので、今度はおれが黙ってしまった。

 ——と、おれは何か違和感を覚える。前にもこんなことがあったような。デジャヴというやつかもしれない。でも、何かが違う。ふと、視界がぐらりと傾いた。

「まあまあ、もういいだろ」

 水下がおれの肩に手を置いたことで、おれは再び元の状態に戻ることができた。なんだったんだ、今のは。

「とにかくさ、悲観するのはまだ早いって」

 水下の言葉に、おれは「ああ」と短く返事をした。

「どうした、田神。顔色が悪いぞ」

 刈谷が珍しくギョッとした表情で、おれの顔を見ていた。

「いや、大丈夫。何でもない」

 無理やり笑顔を作ってかぶりを振ったが、実際のところはそうでもなかった。

 気分が悪い。吐き気がする。ピーと甲高い電子音のような、耳鳴りがしはじめた。いや、これは耳鳴りではない。危険信号のシステム音だ。今すぐログアウトしなければいけないと、咄嗟に思った。どこから? ここから? ログアウトってどうやるんだったっけ。そもそも何の話だ。ここは現実のはずなのに。

 おれを心配している刈谷と水下の顔が、真っ黒になってしまっている。ああ、おれの脳がおかしくなったのか。それともグラフィックの描画速度が、FPSが下が――。


 ○


「ぐぁあっ!」

 おれはヘッドセットを引き剥がして、床に放り投げた。それは初め、淡い光を周囲に散らしていたが、やがて静かに辺りの暗闇にのまれていった。

「はーっ、はーっ……」

 おれは息を荒らげてパソコンの方を向き直った。おれが「ここ」に戻ってくるのは、およそ百五十三時間二十三分ぶりだったらしい。

 パソコンだけが光を放つ狭い部屋で、おれはよろよろと椅子から立ち上がる。その拍子で、机の上に積み上がっていたVR用食糧――仮想空間で口にするものと同じ味、食感に変化する缶詰――のゴミが、ガラガラと崩れ落ちた。

「そうだ……おれは、また……」

 ――うざったいくらいに髪を伸ばしていた刈谷も、中二病ネームでMMOに勤しんでいた水下も、もう「ここ」にはいない。

 いるのは、あの日に現実から逃げると決断したおれだけだ。

 最新のソフトウェア、アドバンスVR。これの記憶再現モードで、あの日に至るまでの一週間を過ごすのはこれで十二回目だった。

 時間が戻らないということは理解していた。それでもおれは、何度もあの日を繰り返すことでいつか正しい現実に帰ることが出来ると思っていた。

 全部全部、VRの中の出来事だから、「ここ」にいるおれに変化はあるはずがないのに。

 リアルすぎるゲームの世界で、おれは何度も「ここ」のことを忘れてきた。そうして、やり直そうとあの日とった行動と別のことをする度に、おれは「ここ」に戻されてきた。

【問題が発生したため、プログラムを終了いたしました】

 そう表示されたウィンドウを閉じて、おれは床のヘッドセットを拾い上げ、椅子に座り直すのであった。


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バーチャリー・バーチャル 靑命 @blue_life

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