調教師のプライド。

タッチャン

調教師のプライド。

池田は調教師としては完璧な男だった。

彼が調教したレース馬はどれも好成績を残していた。その中で特に抜きん出た馬はホワイトローズ。

殆どの賞を総なめした怪物馬で競馬関係者はジョッキーよりも彼の功績が大きいと考えていた。

昨年、競馬の祭壇、凱旋門のレースでは彼が調教したゴールドウィンターは日本初の2着という快挙を成し遂げたのは皆さんの記憶にも新しい事だろう。

そんな彼の仕事ぶりは真面目そのもの。

どんな事にも、どんな悪条件でも、冷静沈着で仕事をやりきる姿を競馬関係者は皆、感服していた。


鉄火面の池田。これが彼のニックネームなのだ。

だがそれも昨日までの話。


今日の池田は箸と茶碗を床に落として口を大きく開いてテレビの前で固まっていた。

テレビには彼の愛娘が出ていたのである。

それも、喜ばしくない形で。


「マジでビビったって!マジで!あたしコンビニで

アイス買おうと思って行ったのね!そんで、

彼氏のたっくんと電話しながらどのアイス買おう

か迷ってたら、ちょーすごいの!強盗!

マジ強盗!生強盗!マジでビビっ─────」

池田はテレビの中で喚き散らす娘の姿をこれ以上見ていられなかった。

テレビを静かに消した。


その時玄関が勢いよく開ける音が聞こえたと思ったら、愛娘が馬より早いスピードで池田の前に来ていた。

「お父ちゃん!テレビ見た!? ヤバくない!?

あたしインタビューされた!生インタビュー!」


池田は心の中で愛娘が生まれた時、命を落とした妻に謝っていた。

(私の育て方が悪かったんだな。マイコ、本当にすまん。普段の生活を送ってると気づかなかった。

アイコの喋り方はとても、人様の前に出せるものじゃなかったんだな。洋服も薄汚れたジャージを着てるし…そして私はこれからどうすればいい?毎年お前の墓にアイコを立派な女性に育てると誓ったのに。助けてくれ、マイコ!)


叶わぬ願いを叫びながら喚き散らす愛娘を見つめていると池田の目の奥に突然火が灯る。

その火は大きくなり炎に変わっていった。

調教師としてのプライドが彼に火を付けたのだ。


「アイコ、お前が欲しがっていたアレ、地下室に置いてあるんだ。誕生日までちょっと早いけど一緒に見に行こうよ。」

優しく娘に語りかけリビングを抜けて地下室に向けて歩き出す父親。


「マジで!てか何でアレが欲しいって分かってたの?

てかあたしの誕生日4ヵ月も先だよ。」

父親の後を小鴨のように追って歩く娘。


地下室には仕事用具と机と椅子が置いてあった。

「その椅子に座って待っててね。」と池田は言った。

危機管理能力が著しく低い娘は何も疑う事無く椅子に腰を下ろした。

その瞬間池田は娘の手を後ろ手に縛ったのである。

手綱で。

「お父ちゃん!?」

今や娘の叫びも池田の耳には聞こえない。

慣れた手付きで手を縛ったあと、脚も椅子に縛り付けた。

池田は娘の前に立ち、両手を顔の前で合わして謝った。

「プレゼントは嘘なんだ。嘘をついてすまん。

 だがこうするしかなかったんだ。許してくれ。」


この状況を理解するには彼女の脳ミソは少しばかり小さすぎた。

訳がわからず手綱をほどこうと躍起になっていると池田が口を開いた。


「これからお前を調教して立派な女性にする。

母さんにも誓ったんだ。私に協力してくれ。

準備をするから少し待っててくれよな。」


1時間後池田は戻ってきた。

大きなホワイトボードを抱えて。


ホワイトボードに黒のマーカーで平仮名の

「あ」から「ん」までの全てを書いていた。


「ちょっと、お父ちゃん!?マジでわかんない!

どうゆうこと?あたし何か悪いことした!?」


「アイコ、しっかりした日本語を喋れる様になろう

な。お父さん頑張るから。」


池田はホワイトボードに書いた「あ」を指差した。

「お父さんに続いて発音しようか。さん、はい。」

「あ……」

「お父ちゃん!マジで意味わかんないって!」

「アイコ、お父さんに続いて言ってくれ。

これはお前の為なんだよ。頼むよ。

お前は少し口が悪いから正さなくてはならん。

わかってくれ。

喋り方や礼儀作法、テーブルマナーも習得してもら

う。それらが出来るまでこの地下室からは出さない

つもりだ。一人前の素敵な女性になろうな。」

「お父ちゃん!マジで止めて!てかご飯とか、

トイレとかどうするのよ!?

彼氏にも会えないじゃん!?意味わかんない!」


娘の叫びに池田は優しく微笑み言った。

「アイコは何も心配しなくていいんだよ。

ご飯はちゃんとここへ持ってくるし、トイレだって

この部屋に有る。彼氏の事はひとまず忘れてくれ。

後でお前のベッドもここへ持ってくるよ。

1日も早く地下室から出れる様に頑張ろうな。」


これ以上父親に何を言っても無駄だということを悟った娘はすっかり大人しくなってしまった。


「始めよう。先ずは平仮名を全部言ってみよう。」

「あ」

父親の後に娘は続く。

「…………………あ」

「い」

「……い」


この作業が30分続いた。


「お疲れ様、いいかい?これからは、

 マジでとか、ヤバいとか、キモいとか、

 そうゆう言葉は禁止だからね。正しい日本語を

 喋りましょう。次は自己紹介の練習だよ。

 それが終わったらテーブルマナーを教えよう。

 その次は綺麗な服を着て、お化粧もちゃんと出来

 る様にしような。アイコ、二人で頑張ろう。」


1ヵ月後。


池田は地下室で眠っていた。

肩を優しく叩かれ、目を覚ます。

「おはよう、お父さん。」

目の前に佇む愛娘はいまや見違える程の変貌を遂げていた。

以前のマントヒヒの様なケバい化粧では無く、さっぱりと、だがしっかりとなされていて美人そのものだった。

服装もヨレヨレのジャージから、ピッタリとしたジーパンに、サイズが合った白いシャツを身に付けていた。

下品な笑い方や、喋り方はとうの昔に消え去っていた。

またしても池田はやりきったのである。

完璧な仕事人。どんな悪条件でも完璧を仕上げる。

この仕事ぶりが池田であり、彼そのものなのだ。


「おはよう、朝ご飯すぐに持って来るから。」

父親の言葉にいまや別人に成った娘が口を開いた。

「ゆっくりでいいのよ。」

彼は自分が生み出した最高傑作をまじまじと見つめた。

「それにしても綺麗になったな。

お父さん嬉しいよ。

今のアイコを見てると母さんと出会った頃を思い

出すよ。母さんによく似てる。そっくりだ。」

「そうね。あたしもちゃんとお洒落したの何年ぶ

 だろう?化粧もしっかりして。あたしが女性だって

 事忘れてたみたい。昔のあたしが恥ずかしいよ。

 女性らしくするって凄く楽しいね!

 これも全部お父さんのお陰だよ!

 本当にありがとう、お父さん!」


娘の感謝の言葉に思わず涙を流す。

1ヵ月、苦労した甲斐があったのだ。

「お父さんの我が儘に協力してくれてありがとな。

本当に嬉しいよ。これでお前も立派な女性だ。

もうお前に教える事は何もない。

これで終わりだ。

今日から外出を許可します。

この1ヵ月間、本当にお疲れ様!」


父親の解放宣言を聞いて娘は目を大きく開け叫んだ。



「マジで!!??」

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調教師のプライド。 タッチャン @djp753

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