11 判る気がした(完)
「取り戻したくでも、なった?」
「効用を確信したい」とでも言い出すかと思って問えば、しかしリンは首を振った。
「商品というのは、私の所有物じゃない。商う品を大事にするのは重要なことだが、手放したくないと思うほど大切にしてしまっては本末転倒。商売の基本から外れる」
商人はそう言った。その理屈は判るようだったが、クレスは不思議に思った。あんなに効用にこだわっていたのに、売り払ってしまえば、もういいのか。
「いいに決まっている」
問えば、リンはそう答える。
「モノに執着するのは、蒐集家。だが私は、手元に集めたいとは思わないんだ。さまざまな品を見て、その仕組み、からくりを知り、欲しいと思えば買う。それは私が所有するためじゃない。売るため――と言えば、即物的だが」
「判るような気がする」
クレスはうなずいた。
「リンの目的は、何だか判らない不可思議な品に出会うこと自体なんだ」
「――クレス」
彼女は少年を見て、静かに言った。
「
きっぱりと否定されて、クレスは瞬きをした。
「違う?」
「『何だか判らない不可思議な品』じゃない。どれもこれも、きちんと理由や理屈があって、れっきとした作用を及ぼす確かな品だ」
彼女の反論は、それであった。つまり――不思議な品であろうと確かな品であろうと、そういったものに出会いたくてたまらないのだ、というクレスの指摘自体は間違っていないことになる。
「それだと、リンを鏡に映しても、何かが映ることなんてないのかもなあ」
「そうでもない」
リンは首を振った。
「数
そうとだけ、彼女は言った。クレスは何だろうかと考えて、思い当たると、にやっと笑った。
「それならたぶん、俺もだよ」
互いに失わずに済んだ。
この、友という存在。
クレスが気づいたことと、彼の告げた言葉の意味を知ったのだろう。リンもまた笑った。
「それにしても、こうしてみると、あれは失せ物探しというより――失せ物探させの鏡、だったな」
「何だって?」
突然の言葉に、クレスは目をしばたたく。リンはうなずいた。
「そうだろう。はじめにはお前の財布を。次には、いなくなったお前を。そのあとは真犯人を。ついには、お前の両親を」
「俺は一度も、探してくれなんて頼まなかったじゃないか」
責められているのだろうかと思って、クレスは反論した。
「判っている。全て私の意志だ。鏡にもお前にも、文句など言っていない。ヴァンタンじゃないが」
リンは肩をすくめた。
「あれは、きっかけにすぎない」
「きっかけ」
「
「それって、何」
クレスは何の含みもなく問うたのだが、リンは顔をしかめた。
「言わせるのか?」
「……何を」
「判らないなら、いい」
彼女はそう言うと手を振った。答えるつもりは、ないらしい。
リンが口にしなかったのは「友」だったろうか。それとも、もしかしたら「相棒」。
しかしクレスは肩をすくめて、追及をやめた。また、何とかの品がどうとか言いだされたら困るな、と思ったからだ。
「それじゃ」
リンは振った手をすっとクレスに差し出した。
「改めて。私はリンで通してきたが、これは通称に過ぎない。正確には私はリンドンと言う。――リンドン・パルウォン」
「リンドン」
クレスは口のなかでその名前を味わうようにした。
「そう、呼んだ方がいい?」
「呼び方は、どうとでも」
リン、それともリンドンは肩をすくめた。
「ヴァンタンから、噂の夫妻の名字は聞いたか?」
名字。
何だか昨夜から繰り返され、急に意識されたその言葉に、クレスは少し興味を持ちはじめた。
「いや、詳細はリンが知ってるって」
「ああ、聞いた。もしヴァンタンの言う夫妻が本当に両親だったら」
リンは思い出すようにした。
「お前の姓は、アクラスだな」
「クレス――アクラス?」
何だか姓などをつけるのは、とてもくすぐったかった。
あるはずがないと思っていたもの。それが、あるかもしれない。それは何だか、とてもわくわくする気持ちだった。
「その夫妻がお前の両親であるかは、判らない。彼らが見つかるかどうかも。それでも、いいんだな」
「しつこい」
行くと言っているだろう、とクレスは言った。
「それじゃ、クレス。契約と行こう」
「契約だって?」
「私はひとりだが、言ったようにいずれ商売を大きくし、
「俺、商売のことなんか、知らないよ」
「いいんだ。料理人として飯を作ってくれれば」
その言葉に、クレスは瞬きをした。
「私は、お前の料理がとても気に入った。ここを離れるに当たって、実に残念だと思っていたんだ」
友ではなく、料理人という訳だろうか。
クレスはしかし、それに嫌な気持ちはしなかった。
――認められている。そう、感じた。
「旅先で、私に飯を作ってくれるか」
「ああ、もちろん」
少年は、うなずいた。
「俺は旅のことなんか知らなくてリンに迷惑をかけるだろうから、それくらいならいくらでも」
「駄目だな」
だがそこで、リンは首を振った。
「え」
クレスは目をぱちくりとさせる。
「自分から商品価値を落としては駄目だ。相手や状況にもよるが、売るときはまず、ふっかけるべきだ。それで売れなければ、初めて値下げを考える」
商売の基本だ、と商人は言う。料理人は苦笑した。
「その基本は、全部リンに任せるよ」
「仕方ないな」
嘆息などして、リンはもう一度手を出した。クレスはそれを握る。
やわらかい。
女性の手だな――と、改めて思った。
「さて、もう一度、支度をやり直さなくちゃならない」
リンは市場の方を見るようにした。
「支度って、何の」
「私の準備は済んでる。お前のが必要だろう」
「準備なんか要らないよ」
「大胆でけっこうだが、どうしても要るんだ。最低限でも着替えとか、携帯食料とか」
「……あ」
クレスは困った。
「俺、金……あんまり、ない」
一緒に行きたいなど、あまりにも考えなしだったろうか。そう思った。だがリンはまた首を振る。
「そのことはかまわない。〈失せ物探しの鏡〉が売れたばかりだし、契約というのは、私がお前を雇ったという意味だ」
「……は」
「つまり、バルキーと同じ。私は経費を用意するし、お前に給金も払う」
わずかにふたりだけの隊商の主は、そう言った。
「もっとも、当面は経費だけだ。そう潤ってはいないから。それでもいいか」
「――もちろん」
クレスは笑んだ。
「それじゃあ、支度だ。昼までには出たい」
何しろ、とリンは続けた。
「〈未知を示す時計〉が、その時刻を指しているから」
出た、とクレスは思った。リンの扱う奇妙な品々は、ずいぶんと彼を翻弄しそうだ。
だが、悪い気持ちはしなかった。不安もなかった。
少年は、ひとつの場所を離れたかもしれない。しかしそうして、これから新たな居場所を得るのだ。
アーレイドの空は、すがすがしく晴れ渡っていた。
彼が半年を過ごした街は、訪れては去っていく者たちをただ黙って見つめている。
またいつの日か、ここにやってくるだろうか。それはいつのことになるのだろう。そしてそのとき、彼はやはり、リンと共に在るのだろうか?
自らの行く先は誰にも判らない、とジェルスならば言うだろう。
けれど、判る気がした。少なくとも――リンは変わらずに「変わっているかもしれないが効用の確かな品」を求め続ける。クレスはそれを見ていたいと思うだろう。例え、それらに翻弄されても。
むしろ、クレスを翻弄しているのは奇妙な品々ではなくリン自身である、と少年が気づくまで――そして〈パルウォンの隊商〉が旅の雑事屋としてビナレス地方中の街町を巡るようになるまでには、これからまだ少しの年月を要した。
「雑事屋、ことはじめ」
―了―
第二弾
〈雑事屋・旅の隊商〉「家族」
https://kakuyomu.jp/works/16818023214219993889
雑事屋、ことはじめ 一枝 唯 @y_ichieda
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