第55話『この世で最も自由な二人』

「か、勝った……っていうか、退けたん? これ」


 ネリネは、隣に立つ琴音の肩を叩く。だが、琴音からの返事はない。

 その顔を覗き込むと、琴音は、ぼんやりと前を見ていた。その視線がなんだか変だなと思い、ネリネは琴音の目の前で手を振ってみた。


「……げっ」


 琴音は気絶していた。


「遊乃はんも気絶してるし……。しゃーない。リュウコはーん! 遊乃はん背負っておくれやすー! ウチは琴音はんを背負いますさかい」

「かしこまりました」


 いつも通り、クールな返事。リュウコが完全に元の心を取り戻したのがわかり、ネリネの頬に一筋の涙が流れた。


「……泣ける程度には、仲間に入れたって事なんどすかね」


 感激を一番最初に味わってごめんね、と琴音を背負い、リュウコに背負われる遊乃を見て、ネリネは心の中で謝った。



 トランフルは、転送魔法を使い、子孫であるアリエスの元へ飛んだ。彼女は自分の遠い子孫。また長い眠りにつく前に、最後の別れを言っておきたかったのだ。


 今頃はまだベットの中だろうか。そんな推測を立てていたのだが、予想に反し、彼女は学校の校長室にいた。窓際に立ち、校庭を見ていたらしい。


「なんだアリエス。見ていたのか」


 突然後ろに立っていたトランフルに驚いて振り返り、アリエスは頭を下げる。


「も、申し訳ありません……。初代様。覗き見るような真似をして、はしたないとは思っています」

「いや、いい」


 アリエスの顔は、明らかに気分が落ち込んでいた。それに気付かないほど、トランフルは愚かではない。


「どうした、アリエス。言いたい事があるのなら、言ってくれ」

「……それでは、お言葉に甘えさせていただきます。初代様は、リュウコさんを見逃すんですね」


「今は、だがな。そうだ、それも言っておきたかった。もし、彼女達がこの国を、世界を、危機に陥れるようなら、私を起こしてくれ。私は、また眠るよ」

「……はい」

「おや」


 遊乃と戦う前、アリエスと話していたトランフルは、彼女がリュウコを生かす事に反対していたのを知っている。その為、意外そうに目を丸くしたのだ。


「意外にあっさりしているんだな」


「……先ほどの戦いと、風祭さんとの会話は、全部聞いていました。バランスを取る事こそが、国を保つ方法だと思っていました。今でも、その考えは変わっていません。……でも、ただ、わたくし個人が、彼を信じてみてもいいかなと、思っただけです」


 リュウコと同じ様に、彼女も、自分として生きる希望を無くしていた。

 良き王であろうとした父は殺され、いつか自分もそんな末路を辿るのではないかと思っていたし、そうならない為に、官僚達の顔色を窺ってきた。彼らの懐をどれだけすり減らさずに国営ができるか。彼女はそれだけに腐心してきた。


 それは、ただ金を回すだけのシステムとして生きる事。生きる為に、そうしなければならない。王とは名ばかり。国民と、官僚の顔色を窺うだけの、この国でもっとも弱い生き物。


「……わたくしも、強くなろうかと思います」

「頼り甲斐が出て来たな。……それじゃ、私は帰るよ。もう二度と起きない事を願いたいね」


 そう言い残し、まるで幻の様に、スッとトランフルの姿が消えた。

 校長室に立った一人残されたアリエスは、校庭にいる四人を見た。遊乃を背負うリュウコと、琴音を背負うネリネ。彼らの戦いに、アリエスも心を動かされたのだ。


  ■


 トランフルとの戦いが終わり、リュウコが生きる事を選択したその翌日。

 遊乃とリュウコ、そして琴音は、放課後の教室にいた。


「ウハハハハっ! やったぞ琴音! 俺様の単位が一七になってる!」

「お、おめでとう」


 三人は、遊乃の席付近に固まり、そこで各々デバイスを確認していたのだ。

 二人のデバイスには、校長からのメールで、『封印獣討伐の課題クエストと、トランフル様との戦いによる授業点を加算しておきます』というメッセージが送られてきていた。おそらくはネリネにも同様のメッセージが届いているだろう。


「わ、私もレベルが一九になってる……」

「ふふん。これで、とりあえず進級は大丈夫そうだな」

「あんたら、一体なにやってたのよ?」


 遊乃と琴音が騒いでいるのを聞きつけ、デューがやってきた。


「単位が短期間に上がるなんて、何か特別な事でもしたの?」

「ふん。俺様は特別に優秀な男だからな。強敵を倒したのだ」


 本来であれば、トランフルを倒したとなれば、一発で学校卒業ができるほどの単位が貰えるのだが、トランフルには見逃してもらっただけなので、努力賞として単位をもらったのだが、遊乃はもちろんそんな事わかっていない。わかっているのは、琴音とネリネだけだ。リュウコに至っては単位のシステムを理解していない。


「へえ。……なら、もう一度、あたしとやる?」


 そう言って、デューは不敵に微笑んだ。遊乃も、微笑み返す。


「悪いが今日は無理だ」


 だが、以外にも遊乃は、その誘いを断る。絶対乗ってくると思っていたのか、デューは肩透かしを食らったように、意外そうな顔。


「……なんでよ。アンタ、暇でしょ」

「貴様、ご主人様に向かって失礼な言い草だな。……今日はアリエスに呼ばれているんでな。貴様らの相手などしてられん」

「……アリエス?」


 デューは、その名前に聞き覚えがある——というより、アリエスが王女である事は知っているのだが、遊乃の口から出た名前と、王女のイメージが上手く合致しないのだ。


「んじゃ、行くぞリュウコ」

「はい」


 遊乃はリュウコを引き連れ、そそくさと教室から出て行った。

 その背中を見ながら、取り残されたデューは、琴音にアリエスとは誰かを尋ねた。その正体を聞いた時の驚きはまるで悲鳴の様に、遊乃の耳にも届いたほどだ。


  ■


 都市船クラパス。コーヒーテーブルの様な船体の上に街があり、その中心に城がある。遊乃とリュウコは、かつて欧風と呼ばれた煉瓦作りの建物が多く並ぶその街並を歩き、城へとやってきた。


 城門前で門番に名前を告げられると、すぐ謁見の間へと通された。

 細長い室内。白い壁とレッドカーペット、奥にある玉座にはアリエスが座っていた。


「お待ちしていました。風祭さん」


 微笑むアリエス。だが、逆に遊乃は不機嫌そうだった。


「なんだ貴様。頭が高いな」


 一国の、それも自分が住む国の王女に向かっての尊大な口調。当然、近くに配備されていた兵士二人が過敏に反応し、遊乃を取り押さえようとした。


 しかし、アリエスは「いいえ、いいのです」と兵士を止めて、玉座から降りた。

 そして、遊乃の前へと歩み寄り、遊乃に頭を下げた。


「風祭遊乃さん。数々のご無礼、お許しください」

「ふん。構わん」


 遠くから、兵士の「なんであいつはあんなに偉そうなんだ……?」という声が聞こえてきた。遊乃は振り返って、「俺様が偉いからだ」と言い、アリエスへ向き直る。


「リュウコさんは、そのまま貴方と一緒にいさせてあげてください。……もう、わたくしから彼女について何か言う事もないでしょう」

「そか。……用事はそれだけか」


 アリエスは首を振る。


「いいえ。……これをお持ちください」

 彼女が遊乃へ差し出したのは、一枚の白いカードだった。そこには、モダン家の家紋であり、この王国のシンボルである四葉のクローバーが金色で描かれていた。

「これは、モダン家が治める場所にならどこへでも入れるフリーパスです」


 それを受け取った遊乃は「なんで俺様にこんなもん渡すんだ?」と首をかしげた。


「いえ、それは簡単に言うと、いろいろな免罪符にもなるのです。あなたがリュウコさんを連れて歩く、許可証のようなものと思ってください。……それから、先行投資、でしょうか」


「先行投資? 一体、なにに」


 そう言うと、アリエスはいたずらっぽい笑みを浮かべる。その、年相応の笑みに、周囲の騎士達がざわめいた。彼女がそんな笑みを浮かべるところなど、幼き日以来、見ていなかったから。


「世界制覇を成し遂げる男に対して、です」


 そう言うと、アリエスは恥ずかしそうに顔を赤くし、染まった頬を隠すように、手で顔を覆った。


 遊乃はそんな彼女を見て、満足そうに頷くと「ごくろう」そう言って、受け取ったパスをポケットにしまった。


 そんな時、一つ思いつきが湧いて出た。今まで入りたいな、と思っていたところが、一つだけあったのだと。


「さっそく、これを使わせてもらうぞ。王立図書館、閲覧制限図書があるブロックがあるだろ。これで入れるな」


 遊乃から図書館という言葉が出て来た事に驚いたのか、アリエスは困惑気味に「え、ええ」と頷いた。


「で、ですが、閲覧制限図書など読んで、どうするのですか?」

「リュウコの——というより、クラウンドラゴンの事や、失われた地上の文献を調べる。俺様の夢、世界制覇の為には必要だからな」


「なるほど」クスっと、上品に笑うアリエス。「でしたら、図書館の司書にそれを見せれば案内してもらえると思います。閲覧制限図書は、その名の通り誰もが読める図書というわけではありません。なので、当然写しや持ち出しは厳禁です。それだけは、約束してください」


「……めんどくさいが、しょうがない。約束してやろう。行くぞ、リュウコ」

「ご主人様『えつらんせいげんとしょ』とは、なんですか」

「特別な本って事だ」

「なるほど」


 そう言いながら、二人は謁見の間から出て行った。その背中を見るだけで、互いに深い信頼で結ばれていることが、よくわかった。

 そして、同時に、その絆を断ち切らなくてよかった、とも。


  ■


 王立図書館は、世界でもトップ五に入るほど広い、叡智の集まりである。遊乃が『脱兎の如く』を使って休まず走ったとしても一日はかかるであろう広さがあり、その為、ジャンルごとにまとめられたコーナーへ行くために転送装置を使わなくてはならないほどだ。


 静かな館内に入り、遊乃はまず受付の司書に先ほど貰った家紋入りのカードを見せ、「閲覧制限図書を見せてくれ」と小声で言った。図書館では静かにするという常識くらいは、彼にもある。


 司書から「カウンターの中へどうぞ」と通され、そこにあった転送装置で閲覧制限図書のある倉庫へと飛ばされた。


 灰色の壁にコンクリート打ちっぱなしの床。読書用のテーブルがいくつかあり、周囲には厳かな雰囲気を放つハードカバーの本が納められた本棚がそれなりの数並んでいる。


「……ふむ、いろいろな本が並んでいますね。興味深い」


 遊乃は「まったくだ」とだけ言って、各地の伝承に関する本が納められた本棚の前に立って、適当な物を一冊取った。


 リュウコもそれに倣い、一冊取って目を通したのだが、しかし文字が読めなかったらしく、すぐに投げ出して椅子に座り、黙って遊乃を見つめる。


 それから、三〇分ほど。


「だー! くそっ!」


 部屋の中に、遊乃のそんな声が響いた。誰もいない閲覧制限区域だったから良かったが、普通の図書館なら一発で追い出される所である。


「ん……。どうされました、ご主人様……」


 暇を持て余し、眠っていたリュウコが、頭を起こし、まだ寝ぼけたままの瞳で遊乃を見る。


「クラウンドラゴンの事はさっぱり見つからん。っていうか、そもそも頭痛くなってきた」


 元々教科書でさえまともに読まない遊乃である。自分にとって本を読むということがどれだけ大変な作業なのか、彼はいま初めて理解した。


「くっそぅ……。琴音連れてくればよかったぜ……」


 琴音は自分で書いているだけあり、なかなか読書家である。こう言った機会に彼女はとても役に立つし、閲覧制限図書が読めるとなれば、きっと喜ぶだろう。


「ちっ。琴音を呼び出すか……いや、正直もうかったるいしな……。そもそも、本で調べるっていうのが俺様には向いてなかったのか」

「……やっぱり、私の仲間はいないんでしょうか」


 はぁ、と小さく溜め息。以前の様に、リュウコはそれで死を選んだりはしないようだが、やはり落ち込みはするらしい。

 さすがに、そんな彼女を見ては遊乃ももう少し頑張ろうという気持ちにさせられ、持っていた本を適当にパラパラと巡る。


「……もう、探さなくていいですよ」

 予想外の言葉に、遊乃は「どういう事だ」と言って、本を閉じる。仲間を捜す事を、諦めたのか、と。


「お前、夢を諦めるつもりか?」

「違いますよ」先ほどの遊乃とは反対に、ゆっくりと首を振るリュウコ。


「ただ、無理に捜さなくてもいい、というか……。私には、ご主人様という仲間がいますから」

「……なるほどね」


 遊乃は、リュウコの発言が腑に落ちたらしく、ふぅ、と溜め息をついた。


「そうだな。仲間なら、ここにいる」


 本を持って立ち上がり、元の位置に戻すと、遊乃は伸びをして、ついでにあくびも済ませる。


「そうと決まりゃ、焦る必要もねえ。今日は帰るとしよう」

「ええ。時間はたっぷりありますからね」


 二人はそれだけ言うと、どちらからともなく、並んで書庫を出た。

 肩を並べる二人は、すでに主従関係というものを感じさせない、友人のように朗らかな雰囲気を纏っている。


「さて、帰りましょう。しばらくは、ゆっくりしたいものですね」

「あぁ……まったくだ」


 言われて初めて、遊乃は自分の疲れを自覚した。なにせ、トランフルと戦ってすぐなのだ。そんな状態で、疲労が表に出ていないことが奇跡的である。


「……久しぶりに、実家でも帰るか」

「それは、ナイスなアイデアです」


 リュウコは、ノエルの作ったビーフシチューの味でも思い出しているのか、小さく微笑んだ。トランフルの件があって、やっと自分というものを持てるようになったのだろう。


 ならば、伝説の勇者と戦った甲斐があるというものだ。


 笑顔も守れない男に、世界を制覇できるわけがないのだから。

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世界制覇を目指していたらいきなり最強のメイドを従えることになりました 七沢楓 @7se_kaede

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