第54話『ご主人様と一緒なら』

 その技は、相手に痛みすら与えず、それでも意識だけは刈り取るという、ある意味では最も凶悪な技だった。

 圧倒的な力を見せつける、という点において、これ以上の技は存在しないだろう。


 遊乃は地面に倒れ、霞む意識で空を見上げながら、昨日リュウコと見た星空のことを思い出していた。


「……これで、キミはもう戦えまい。他の二人では、私に勝てない。詰みだな」


 ちくりと痛む胸を無視して、トランフルは淡々と事実を告げた。この中でなら、トランフルに勝てる可能性があったのは、遊乃だけ。そう、言葉短く告げているのだ。


 遊乃の気絶も確認せず、そう言って一歩踏み出そうとした時、トランフルにとって信じられない声を聞いた。


「ま、まだだ……ッ!」


 倒れている遊乃が、体を動かさず、口だけを動かし、空に向かって呟くようにして言った。

 まだ戦うつもりなのか、なぜあれを食らって意識が飛んでいない?

 トランフルの頭にいろいろな疑問が浮かび上がってきたが、しかし、それらの疑問は口に出す前に、遊乃の叫びで吹っ飛んだ。


「リュウコぉぉぉぉッ!! 貴様いつまでウジウジしている! 俺様がお前を必要だと言っている! お前が間違えた時は、俺様がぶん殴って止めてやる! だから、生きることを選べ!!」



  ■



 その叫びは、リュウコにも届いていた。

 リュウコは学校の屋上で、トランフルと戦う遊乃をずっと見ていたのだ。彼が傷つく度、自分も傷つくような気持ちを抱きながら、ずっと「なんで、どうして」と呟きながら。


 そして今、初めて彼から「お前が必要だ」と明確に言われた。


 風祭遊乃はいつだって、自分一人居ればなんとでもなる、そう言いたげな態度だし、仮に誰かの助けが必要になっても、それを明確に言おうとは決してしなかった。


 そんな男が、自分を必要だとハッキリ言った。

 嬉しい、そんな気持ちが、リュウコの中に芽生える。どれだけ闇に囚われていても、いや、深い闇にいるからこそ目立つ、希望の光。


 ――否。闇を吹き飛ばす、希望の風である。


「下を向くな! お前が見るのは前だ。過去にお前はいない、お前がいるのは未来だ!」


 遊乃の声が、響く。

 鼓膜を揺らし、胸を高ぶらせ、脳髄を――魂を震わせた。


 私は生きていてもいい。

 風祭遊乃マスターが許してくれたから。


 そう胸を張れると、彼女はわかったのだ。


 リュウコは腕をドラゴンの物に変え、屋上のフェンスを引きちぎり、そして――自分を許し、受け入れてくれた男の元へ、飛び降りた。



  ■



 その光景を、遊乃はばっちりと見ていた。

 舌打ちをして、にやりと笑い、そして――翼を震わせて自らの前に降りてきたリュウコへ「よっ」と軽く手を挙げる。


「……お待たせしました、ご主人様」


 肩越しに振り返ると、リュウコは微笑んだ。

 初めて見る、リュウコの心からの微笑みに、遊乃も今の自分ができる精一杯の微笑みで返した。


「よかった……! リュウコちゃん、生きるのを選んでくれたんだ!」

「ええでーリュウコはん! 真打ち登場やぁーッ!」


 と、ネリネと琴音は抱き合いながら叫んでいた。

 だが、今はそれどころではない。遊乃は、リュウコの尻を軽く蹴って、発破をかける。


「いたっ」

「とっととあのピカピカ光るおっさんぶっ倒してこい……俺様、そろそろおネムの時間だ……」


 くすりと笑い、リュウコは「かしこまりました」と言って、構えを取った。


「……やはり、生きることを選んだか」


 トランフルも構えを取ると、まっすぐリュウコを見つめた。


「ええ……私は、ご主人様と共に、世界制覇をするメイドです」


 そう言って、二人は同時に距離を詰めた。

 いきなり嵐がその場に現れたのかと思うほど、二人の打ち合いは激しい。トランフルの力をコピーしているリュウコにとって、彼の光壁を破ることなど、造作もないことなのだ。


 しかし、リュウコの皮膚を貫通してダメージを与えられるトランフルも、条件はまったく同じ。


 二人は今、力を極めたが故に、素手の殴り合いをしているのだ。


 並の人間が受ければ即、体を砕けるような一撃が、ジャブよりも疾く飛び交う、世界で一番小さな戦場。

 トランフルは直線的な打撃が目立ち、リュウコはそれを野生的な動きで躱していく。


 だが、両者には圧倒的な経験値の差がある。


 トランフルは、こっそりと息を吸い込むと、大きく口を開いて、それを吐き出した。そして、口からリュウコお得意の光のブレスを放ったのだ。


 極大レーザーがリュウコの頭を穿けば、さすがの彼女も無事では済まない。


 だからリュウコも、咄嗟に光のブレスを放って、相殺する。

 光のブレスがぶつかり合うと、強力な光が分散し、周囲に閃光を撒き散らす。つまりは閃光弾フラッシュボムのように周囲の視界を奪った。


 周囲の遊乃達も、思わず目を覆い隠すほどの眩い光だ。当然、リュウコも目を閉じ、足を止める。

 トランフルはそこを狙って、予め覚えておいた位置に向かって、拳を放った。


 だが――それは逆に、リュウコのを刺激する結果となる。


 元々、匂いで視覚を補えるほど強力な嗅覚を持っているリュウコに、視覚を攻めるなどという攻撃は通用しない。


「ッ!?」


 拳を振るったのに、その拳はリュウコの脇に挟まれ、止められた。そしてリュウコは思い切りその腕に体重をかけて、骨を折る。


「グぁッ!?」


 トランフルは本能的に腕を引き抜こうとした。が、抜けないばかりか、リュウコは再び、光のブレスをチャージしていた。

 トランフルは一瞬で体に光を纏う。

 ブレスが放たれた。

 二人の光が、また激突する。


 トランフルが自らの体を守り切り、ダメージが無い事を確認する。

 しかし、リュウコは自分のブレスが効く効かないという事をまったく気にしていなかった。


 本来であれば、自分の大技が当たればその成果を確認しようとして一瞬隙が出来るはずなのだが、リュウコは一切そんなのを確認せず、ただトランフルが立っている事だけを見て、反射的に切り刻みに来たのだ。


 野生の戦い方。碧眼だったリュウコの瞳が、赤く染まっていた。かつて見たクラウンドラゴンの瞳。


 リュウコは今、殺意に飲まれていた。


「殺す—―ッ!!」


 かつて見た、あの殺戮を繰り返すだけの瞳だった。

 やはり、やはり何も変わっていない。俺の仲間を殺した時と、何も変わっていない。

 トランフルは、奥歯を噛み締めた。怒りの叫びが口から漏れない様に。


 殺すしかない。全力の一撃。先ほど遊乃に放った正拳突きよりも、さらに威力を込めて放とうとした。


 しかしトランフルがその拳を放つ前に、なぜか、リュウコの後頭部が爆発した。

 トランフルは、死闘の最中の起こった予想外の出来事に、それこそ心臓が飛び出るほど驚いた。

 その衝撃で正気に戻ったのか、リュウコの瞳が緑に戻っていた。


「落ち着けリュウコ。貴様はそいつを殺す為に戦っているんじゃないだろ」


 どうやら、遊乃が何かしたらしい。それだけ言うと、遊乃は今度こそ眠った。


「……遊乃はん。ウチが上げた魔結晶使ったんやな……」


 それをまさか味方であるリュウコにに使うとは思っていなかったネリネは、その光景を見て呆然。


「……しまった。申し訳ありません、トランフルさん。私は今、間違えました。もう一度、尋常にをお願いいたします」


 先ほどの自分を恥じるように、頭を下げるリュウコ。

 トランフルはそんな光景を見て、ふと、何かが腑に落ちた様に感じた。


「そうか……」


 その続きは、心の中で呟いた。

 きっと彼は、こうして手綱を握っていくつもりなのだ、と。

 トランフルは拳を納め、光のオーラを消した。その臨戦態勢を解いた彼に、リュウコは首を傾げた。


「……どうされました? 戦わないのですか」


「ああ。今は、もうやめておく。一つの形は示してもらった」

「かたち……?」


 まったく意味がわかっていないリュウコは、腕を組んで考え込む。


「クラウンドラゴン。—―いや、リュウコ。キミは、まだ自分の殺意を抑えきれないほど未熟だ。キミは力は優秀だが、心は未熟だ。そしてキミのご主人様は、心は優秀だが力が未熟だ。だが、キミ達は強くならなくてはならない。……キミの力は、きっと狙われるし、そもそもキミが自分の力に溺れないとも限らない」


「……よくわかりませんが、ええ。ご主人様と一緒ならば、大丈夫です」


 リュウコの言葉は、遊乃を心底から信じ切っているとよくわかるものだったからか、トランフルは笑った。


「はっはっはっは! ……私はまた眠りにつく。君たちが今後、その力を悪用するなら、また会うことになるだろう」

「じゃあ、もう二度と会うことはないでしょう」


 当然の様に言うリュウコ。


「……だといいな」


 トランフルは、まるで孫を見る祖父のような目でリュウコを見て、自身の体を光の粒に変えて、その場から去った。

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