緑を孕む
藤枝伊織
第1話
先日亡くなった義妹の化粧箱の中から大量の、その果実を見つけた時、私はおもわず両手で掴み、しばし呆然としてしまいました。これが原因なのでしょうか。そうかもしれません。気がつくと、私は涙を流しておりました。そして、ゆっくりと私はそれを皮ごと口に含みました。もう、どうにでもなってしまえばいいのです。夫も、家も、何もかも。ゆっくりと、ゆっくりと、義妹を想い出しながら、それを咀嚼しました。口の中に、今まで味わったこともない美味が広がっていきました。口の端から緑色の汁が溢れ、襟元を濡らしました。
私自身は一庶民に過ぎませんが、父が事業に成功したことにより、私達一家が晴れて成金となったのは数年前のこと。
父は身分や古い血筋を何よりも欲し、そのため、私はこの家、旧家ではあるけれども金銭に余裕のないこの家に、一年ほど前に縁付くことになったのです。私の持参金をあてにしていたことは一目瞭然ですが、家の者はみな私を陰で成金の娘と呼んでいました。この大きなお屋敷を保持することだけでも大変でしょうに、お金を悪しきもののように考えているのでしょうか。
嫁して半年が過ぎたころからは、懐妊の兆しが一向にないことから、石女も私を指す言葉となったようでした。私の夫となった人は、男らしい容貌をした、とても厳格な人です。しかし、私を見下していることを隠そうともいたしません。もちろん夫婦仲は冷えておりました。私は夫にとって、跡継ぎを得るために枕を交わすだけの存在なのです。嫁ぐ前から期待はしておりませんでしたが。
夫の両親はいずれも、やはり厳格な方々です。お義父さまもお義母さまも、誇りに生きる方々ですから、金銭などという理由で旧家の血に平民の血を加えなければならないことを、とても残念に思っていらしたことでしょう。
お義母さまは私がいまだ子に恵まれないことを心配しておりました。と、いうよりも跡継ぎの心配ですが。しばしば助言と称して、嫌味を言いに来られました。
お二方も、やはり私を石女と思っているのでしょう。私は離縁を言い渡されないよう祈ることを、日課のようにしておりました。もはや実家は私を受け入れませんから。
そんな中、義妹が――名前は薫子さんと言いました。年のころは十五、六の、未婚のお嬢さまでした。
その義妹が身籠ったのです。
されど腹の児の父親は知らないと言っておりました。身に覚えがないと。
おかしな話ですわ。身に覚えがないのに、身籠るはずがありませんもの。誰だかわからないのではなく、知らないだなんて。
でも、私には、義妹の言っていることは全て本当なのだと思われました。嘘をつくような娘にはみえませんでしたし、何よりあのお義父さまとお義母さまが、未婚の子女が男と会うような機会をお許しになるはずがありません。
嫁いで一年になる私より、未婚の義妹が先に身籠ったのはまさしく皮肉としかいいようがありません。やはり、夫は義妹をうたがっているようでした。あのようなご両親がいることや、義妹が少しばかり男性恐怖症をわずらっているのを知っているはずなのに、どこかで間男と通じたのではないかと言うのです。
かわいそうに、義妹はお義父さまとお義母さまの手によって、部屋に閉じ込められてしまいました。
私は義妹の面倒をよく見てあげました。食事の配膳は私の仕事でしたから、その際、色々なことをお話ししました。
義妹はやさしくてとてもよい子でした。肩身の狭いこの家で、唯一、対等に話しをしてくれたのは義妹だけです。少々内気が過ぎるのですが、二親があまりにも厳格だとそうなってしまうのかもしれません。
私と義妹の仲がよくなったことを、家の者があまりよく思っていないことは存じております。石女と、どこの馬の骨ともつかない子を宿した女。そう、嘲っていることも知っていました。
仲良くなったとはいえ、義妹は私に隠し事をしておりました。今にして思うとこのときに何か相談の一つもしてくださればよかったのに。何度か、私の訪問を知ると、彼女は何かを私の目から隠すように、化粧箱へ押し込むということがあったのです。それは緑色の蜜柑か何かのように見えましたが、いかんせん一瞬のことでしたのでよくわかりませんでした。義妹に隠し事をされるのは少々やるせないことでしたが、嫁入り前ですので、食い意地がはっていると見られるのが厭なのだろうと勝手に思い込みました。しかし、蜜柑にしては時季が合いませんでした。そしてあまりにもその緑が鮮やかすぎるように感じました。
ある晩、私が遅い夕食を持って義妹の部屋へ訪れると、彼女は獣のような低いうなり声を上げ、うずくまっていました。
私は驚いて駆け寄りました。義妹は顔を真っ赤にして私を見つめました。よく見ると、床が湿っているようでした。失禁したのかと顔をしかめましたが、次の瞬間それは破水したのだと気づきました。
義妹のお腹はまだそれほど大きくありませんでしたが、急ぎ産婆を呼び、そのまま出産に臨むことになりました。お義母さまは顔すら出しませんでした。それほどお怒りだったのでしょう。
義妹はとても苦しんではいたのですが、異例なことに、破水から一時間経たずにさっさと産んでしまったのです。
その様子を見て、私はなんだかおかしな気分になりました。たとえていうなら、ふらっとやって来た野良犬が門の前で急に出産したかのような。
はたと気づきました。義妹の赤児は産声を上げなかったのです。赤児は死んだのかしらと思い、産婆のほうへ顔を向けました。赤児を泣かせるために何かしているだろうと思ったのです。私には出産の経験はありませんが、死んでいる赤児がこんなにたやすく腹から出てくるものかと疑問ばかりがありました。義妹の赤児に死んでいて欲しかったわけではありません。たしかに、未婚の義妹にはそのほうが後々の面倒事は少なくて済むかもしれませんが、誓ってそんなことは望んでいませんでした。なぜか死んでいると決めつけていたのです。そしてそのうち産婆も諦めるだろうと。
しかし、産婆は何もしていませんでした。それどころか、腰をぬかして、声も出ないような様子でした。私は厭々ながらも産婆に近づきました。私は、何かあった時にすぐ人を呼べるように、入り口のすぐそばにいたのです。そこからは、産婆の背中しか見えませんでした。膝行でその産婆の元まで行きました。
すぐに私も産婆とまったく同じ反応をいたしました。それ以外に何が出来るでしょう。
恐怖でその場から動けなくなりました。
目の前に、緑色をした小さな獣がいたのです。
義妹は獣を産んだのです。
私は今まで、あんな獣を見たことはありませんでした。一体、この国、いいえ世界中をさがしたとしても緑色の肌をした獣がいるのでしょうか。腹を割いたら、その色の液体が出てくるのではないかと思うような、毒々しい緑色の肌なのです。
一見、緑色でさえなければそして大きさが違えば、それは恐ろしく人の赤児に似ておりました。頭があり、それはきちんと胴とつながり、人と同じ、五本指の手足もある。
何にしろ、肌が緑色であることを除けば。
大きさは人の子の半分くらいでしょうか。まるで未熟児のようなそれが弱々しく目を開け、私を見ました。瞳は人のそれにそっくりでしたが、金色でした。
その目が私をとらえたかと思うと、再び閉じ、そして二度と開きませんでした。
私は、その果実の二つ目も頬張りました。緑色の汁をたらし、獣のように、私はかつて蜜柑だと思ったそれを食い荒らしました。
その後、お義母さまには赤児は流れてしまったと話しました。あの産婆は青い顔をして、何も見ていないと繰り返していました。あのようなことがあった後も義妹は何事もなかったかのように暮らしておりましたが、今日からちょうど一月前の友引の日に、風邪が原因で亡くなりました。家の者は誰一人として義妹の死を哀しみませんでした。私はまた、この家で独りきりとなってしまったのです。
私はあの日以来、一度も夫と床を共にしておりません。
おそらく、お義母さまが心待ちにしている跡継ぎはもうすぐ生まれるでしょう。
私はこの家の嫁なのです。
夫には妾などはおりませんし、端女に手を出すようなこともしないでしょう。今ならまだ夫も、私が身籠ったのは夫の子だと考えるでしょう。だから床が遠のいたのだと。
いい気味です。やっと私は解放されるのです。この美味な緑色の果実によって。義妹が身籠った原因はこれ以外に考え付きません。肉体による交わりではなく、相手の体内に入ることにより、生まれてくるのだとしたら。つまりは、この実が獣の子種なのだとしたら、私は夫の子ではなく、獣を産むでしょう。
たとえ、私の腹の中にいるのが緑色をした、小さな獣だとしても。
跡継ぎには違いありません。
緑を孕む 藤枝伊織 @fujieda106
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