第5話 出会いと別れ

森の中の絡み合う蔓草や枝をザザッと振り払って、ギャングたちが行き過ぎる。大木の枝の上に身を潜めたイーサンは息を殺してそいつらの姿が見えなくなるのを待った。



 昨日の未明、家の周りの木々が大風に煽られているように揺れて、木の葉が擦れあいガサガサと大きな音を立てているのに起こされて、辺りを見回したイーサンは、考え事をしているうちに、いつの間にかリビングのソファーで眠ってしまったのを知った。


 光合成をする植物の精だからなのか、明るいうちはイーサンはいつまでも活発に行動してしまうので、考え事や就寝時には電気を消す癖がある。窓の外がまだ真っ暗なので、覚めやらぬ目を時計に向けると、まだ午前3時前だった。


 この時間に自分の部屋に行って着替えをしてからベッドに入っても、きっと目が冴えて眠れないだろうと思い、起きるつもりで窓を開け、眠気覚ましに外の空気を思いっ切り吸った。


 ついでに外を覗いてみたが、木々はまだ騒めいているものの、辺りに人影もないのでほっとした時、家の裏の方でガシャンとガラスの割れる音がして、男たちの囁き声と共に窓が開かれ、ガラスを踏みしだく音がする。


 イーサンは、昨夜の夕食時にコンタクトを取ってきた精霊との約束で、逃避行用に用意しておいたバッグを掴み、急いでリビングの窓から庭へとジャンプすると、庭から先へ続く森へと駆けだした。

 その直後、木々の間にライトが見え隠れするのが見え、山道を登って来た一台の車が姿を見せた。家の前に車が止まると、数人の男たちが下りてくる。


「いけ!イーサンを掴まえろ」


 リーダーだと思われる声に従って、男たちがイーサンの家のドアや窓に向かっていった。


「おい、窓が開いているぞ。誰かが家の中で、イーサンを呼んでいる声がする」


「何?先をこされたか?」


 ガラの悪い男たちが、開いている窓から、次々と中へ入っていくのを見届け、イーサンは隠れていた茂みから出て、音をたてないように森の中へと進もうとした。

 だがその時、さきほど親友を指示した男の怒鳴り声が聞こえ、イーサンは思わず足を止めて、彼らの会話に耳を傾けた。


「お前、レッドゾーンのジョンだな!?弟をよくも傷つけたな!」


「お前の弟から吹っ掛けてきたんだよ。正当防衛だ!」


「うるさい!落とし前をつける前に答えろ。イーサンはどこだ?」


「知るかよ!俺たちが来た時には、誰もいなかったんだ」


 レッドゾーンと言えば、名の知れたストリートギャングだ。名前に思い当たったイーサンはわき目も振らずに駆け出した。外へ逃げたと分かれば、追ってくるのも時間の問題だ。早く逃げなければ。


 自分が立てる葉を踏みしだく音に混じり、背後から闇をつんざくような銃声が響き、休んでいた鳥たちが一斉に叫び声を上げながら、真っ暗な空へと飛び立った。

 イーサンは、恐ろしくて足から力が抜けそうになるのを、ようやくの思いで堪え、片脚ずつ前に足を運んだ。


「どこだ!?窓から逃げたのか?森を探せ!」


 バタバタと扉を開く音、窓から飛び降りる音、残りの敵を車に乗せようと争う声。イーサンは耳を抑え、心臓が飛び出しそうなほど激しく鼓動するのを堪えながら、心の中で叫びを上げた。


『誰か助けてくれ!あいつらから救ってくれ!』


 恐怖を覚えながら、森の夜道を走ったせいで、胸があぶって息ができず、イーサンは激しく上下する胸を抑えながら進もうとして、木の根に躓いて足をよろめかせ、幹に激突しかかった。


 ところがぶつかるより先に、木から垂れていた蔓が突然網のように変化して、イーサンを包み、上へと巻き上げていく。

 何が起こったか分からず、ジタバタもがくイーサンの頭の中に、どこからか沢山の声が伝わってきた。


『ガーデナー。私たちの精霊よ。私たちがあなたをお守りします』


 そして、気が付いた時には、イーサンは高い木の枝の上にいて、身体に絡まっていた蔓もいつのまにか解けていた。


 ほっとしたのも束の間、懐中電灯の光が遠くにチカチカ瞬きながら、森の中に向かってくるのがくのが見える。イーサンは自分の姿が下からみえなくなるように、葉を生い茂らせてくれと願うと、みるみるうちに枝葉が伸びてイーサンを覆い隠した。


 イーサンは安堵のあまり、力を抜いて木の幹に身体をもたせかけ、大きく息を吐いた

 緊張感はまだ完全には抜け切れなかったが、やはり彼らの言ったことは本当だったと、一昨夜のことを思い返す余裕が出てきた。


 一昨日の夜、イーサンはソーセージと冷凍野菜の簡単ポトフを作ろうとして、コンロの火をつけた。

 ボッという発火音と共にコンロの火が空中に浮き上がったのを見て、驚いたイーサンは反射的に後ろへ飛び退ったが、消化するために、手元にあった鍋に急いで水を汲んだ。


 いざかけようと振り向いた時には、炎は見知らぬ男の顔を形作り、信じられないことに、メラメラと火の粉を巻き上げながら話しかけてきた。


『俺の名は、プロミネンス。お前がガーデナーか?』


 あまりにも驚いたイーサンは、手にもった鍋をキッチンカウンターに落としてしまい、その衝撃で大きく波打った水が鍋からこぼれ、カウンターの上は水浸しになってしまった。

 すると今度はカウンターの水がぐにゃぐにゃと動き出し、女の顔を模っていく。


『プロミネンス。調理の時に突然現れたりしたら危ないわ。私の名前はマーレ。水の精霊よ。よろしくねイーサ……ガーデナー』


「あ…ああ。よろしく。というより、俺の精霊名は要らないみたいだな。

 昨日、コーヒーのミルクで知らせてくれたように、本名までバレているんだろう?」


『まぁ、そんなにふて腐れるな。俺たちだけが知る分には問題がないが、お前の名前と正体は、ギャングやマフィア、それと中東のある組織にまで知られてしまった。まだ奴らは植物の精霊がいることだけしか知らないが、もし、お前が掴まって無理やり口を割らされたりしたら、俺たちにまで危険が及ぶ』


 イーサンはその内容を聞いてショックを受けた。中東と言えば、今日の午後に会った人物に思い当たる。視察団が偶然でないとすれば、100%の発芽をマジックを使ったのではないかと揶揄したのも頷けるし、顔まで確認されたことになる。そればかりでなく、マフィアにまで知られていると分かり、あまりの事の大きさにイーサンの顔は青ざめてしまった。


「明日の午後、精霊の印を消すための施術をするつもりだった。でもそんなヤバイ奴らに顔を知られてしまっているなら、記憶を消さなきゃ意味がない。祖母と話しをした限りでは、印は消えても記憶は残っているようだし、俺はどうすればいいんだ?」


『イーサン、落ち着いて。私たちがあなたを守るわ。能力を失うのは残念だけれど、施術が済んだら私の別荘に来てちょうだい。他の精霊たちに紹介をするわ』


 イーサンが頷くと、マーレを模っていた水はまとまって水たまりのようになり、カウンターに置いてあったオレンジへと流れていって取り囲み、みるみる薄いシャーベットオレンジ色の液体に変色した。


 突如、開けてあった窓から風が忍び込み、電話の側にあったメモ用紙を吹き上げてキッチンカウンターへと落とすと、変色した水が次々に紙へと跳びはねて文字を作っていく。


 でも、それはすぐに紙に吸収されて見えなくなった。不思議に思って手に取った紙を、イーサンが裏表に返して見ていると、プロミネンスが笑いながら種明かしをした。


『施術が終わったら、それを火であぶれ。住所が浮き出るだろう。念のために、お前以外の者が炙っても何も見えず、燃え尽きるようになっている』


『辿りつけるように、幸運を祈っているわ』


 鍋の中の残りの水に浮き出たマーレが言い終わると、プロミネンスは消え、水はただの水になり、辺りから二人の気配が消えてしまった。



 イーサンは、自分の存在が彼らを脅かすと知り、すぐにでも行動しなければいけないと思い、パスポートや着替え、水と少量の食糧、そして何かあった時のためにと隠してあった現金を、バッグの中に次々と詰めていった。


 ところが、マーレの別荘へ向かうために用意したはずの旅行用品は、その数時間後の未明、つまりは昨日の午前3時に忍び込んできたギャングたちから逃げるために持ち出して、丸一日たった今、水や食料を補うのに役立つことになった。

 いつ見つかるかは分からないが、イーサンはこうして少しずつ、木と木を移動しながら逃げおおせていることを、危険を知らせてくれたプロミネンスとマーレに感謝した。


もし、自分が掴まっても、もちろん彼らのことを話す気はないが、薬などを使って無理やり喋らされ、火の精霊プロミネンスや、水の精マーレが捕まったら、大変なことになる。

 祖母から聞いた話によると、彼らの力は強大なもので、一都市分くらいならあっという間に消滅させる火事や洪水を起こすことが可能だからだ。


 マフィアや中東のある組織がそれを知ったら、政府や他国に被害を与えると脅迫して、金をせしめるくらいやってのけそうだ。

 でも、彼ら精霊を掴まえる前に、自分たちが焼かれるか、溺れるかは覚悟しないといけないが・・・。


 俺たち精霊はお互いに本名を知らず、それぞれの精霊の力に因んだ俗称で呼び合うが、火の精霊は、強さと激しさを表すのにぴったりな俗称、太陽の紅焔を表すプロミネンスと名乗り、水の精霊は深く隠れた底力を示すように、海を表すマーレと名乗っている。


 俺は・・・俺はあいつらに比べたら、破壊力とかのパワーからは、もっとも遠い魔力を持つ。 せいぜい植物の生命を活性化させて、今やっているように、俺がいる枝に葉を茂らせて姿を隠すとか、花を綺麗に沢山咲かせるとかの植物を操る力があるだけなのに、悪の組織に目をつけられるなんて思いもしなかった。



 本名を知られた今となっては、役に立たなくなった俗称のガーデナーは、一番普通っぽくて職業かと思われそうだが、まさにその通りで、実家の【Green Garden】で祖母と一緒に植物を育んできた思いが詰まっている名前だったのにと、イーサンは手の甲にある精霊の印のリーフを、感慨深気に撫でた。


 ハンナから電話を聞かれたと知らせがあった時、俺は開花したばかりの力を封じ込めて普通の人間として生きようと思った。

 だが、俺の家は襲撃を受けてしまい、ハンナから紹介してもらったリカバリーマジックを使う魔女、カミラ・プティに依頼したのは無駄になってしまったようだ。約束は昨日の午後だったが、もうあの家には戻れないだろう。


「まさか、ギャング同志が争って、殺し合いを始めるとは思ってもいなかった。俺の能力を一体何に使うつもりだったんだ?」


 そういえば、ジョンと呼ぶ声が聞こえたが、そいつがハンナの知らせてきた使用人の息子だろうか?銃声が聞こえたがもしかして撃たれたのはそいつだろうか?精霊を脅かす原因になった奴に同情する気はないが、命まで奪われたとなると、想像するだけで身がすくむ。


 スマホで検索してみると、見事に記事がひっとしてイーサンはバランスを崩して、木から落ちそうになった。


「なんてこった!俺の顔が新聞に載っている!怪奇事件ってどういうことだ?」


 一人で隠れ続ける緊張と、新聞記事の大きな見出しの下にある記事を読むうちに耐えられなくなって、Oh my God!と独り言を繰り返した時、一羽のオカメインコがあちこちを見回しながら、飛んでくるのが見えた。

 オカメインコの方も、まさか木の上に人が潜んでいるなんて思いもよらなかったのか、イーサンを見てぎょっとした途端に、反対方向から伸びた小枝にぶつかりそうになってバランスを崩す。


 あわやと思わず手を差し伸べたが、何とか体制を整えたのを見て、イーサンはほっとして肩の力を抜いた。

 すると、そのオカメインコは飛び去るどころか、こともあろうにイーサンの目の前の木の枝にちょこんと止まって、まるで挨拶をするように頭を下げる。


「ルナ、ごっきげ~ん。ごっきげ~ん」


 オカメインコがかわいい声で自分の名前と気分を言うので、張り詰めていた気持ちがふっと途切れ、イーサンは思わず笑ってしまった。

 ちょっとからかってみようと、イーサンも自分の気持ちを口にする。


「イーサン、ふっきげ~ん。ふっきげ~ん」


 突然ルナというオカメインコの冠羽が逆立った。身体も緊張しているのかふっくらしていた羽毛は身体に張り付き、まるで鋭利な三日月のようだ。

 どうした? と首を傾げたイーサンは、ルナの発した言葉に、自らも棒のように硬直した。


「あなたイーサン・トガシ? カミラを知ってる?」


「えっ!? 何で俺の名前を・・・っていうか、お前どうして普通に喋ってるんだ?」


「ルナはカミラの使役なの。昨日施術に行ったのはルナで、あなたと間違えて、床に寝っ転がっている男の傷を治しちゃったの。あとでお昼寝してたんじゃないって分かったんだけど…」


「俺と死体を間違えた? おかげでとんでもないことになってるんだぞ。スマホで見たけれど、怪奇事件として取り上げられて、行方不明者として俺のことが大々的に取り上げられてるんだ。俺の顔は知られてるのに、俺は誰を警戒していいか分からないから、家にも帰れないじゃないか。どうしてくれる?」


 ルナの冠羽が立ったり寝たりして、肩を竦めているあたりが、弱り切っているように見えたので、イーサンは小動物を相手に怒っている自分が恥ずかしくなり、言いたいだけ言った後は、もういいと溜息をついた。

 脚を抱えた膝の上に、疲れたように突っ伏したイーサンの肩に飛び移り、ルナは耳元でごめんねと繰り返す。


「いいってば、もう。ギャングに狙われたのはルナのせいじゃないから・・・」


「じゃあ、どうして狙われたの?」


「俺に目覚めた能力のせいなんだ。本当ならこの精霊の印ごと消してしまいたいけれど、いくつの組に狙われているのか分からないし、能力が無くなったことをあいつらが信じるかどうかも分からない。逃げるためには、まだ要るのかもって思えてきた」


 イーサンが翳した手の甲にはリーフ型の痣が浮かびあがっていて、葉脈までが刻まれた精霊の印は、まるで躍動しているように見える。

 ルナはイーサンの肩から腕を伝って手首に停まると、顔を近づけてじっとその印を観察した。


 突如、ルナの頭の中に大好きなグリーンのイメージが広がり、

私を消さないでと、精霊の印がルナに訴えかけているように感じた。

どんな力が秘められているのかは分からないけれど、ルナはこの痣を消してはいけないのではないかと思った。


「カミラに相談しに行きましょう。私が空から探って、ギャングに見つからない道に誘導するからついてきて」


 ルナはイーサンの手首から飛び立つと、上空を大きく旋回し、辺りに人がいないかを確認して、イーサンに木から降りるように指示を出す。

 鬱蒼とした森を抜け、カミラの家に二人が辿り着いたのは、夜も更けて辺りが真っ暗になってからだった。





「ルナ、こんな遅くまでどこに行っていたの。心配してたのよ」


 ルナが秘密の通路を通って家の中に入ると、カミラが隠し扉の絵の前に走ってきて、ルナの頭を指で優しく撫でた。


「ごめんね、カミラ。あのね、イーサンを探してきたの。今、庭に隠れてるから中に入れてあげて」


「えっ?イーサン・トガシを見つけたの? ルナすごい! それで庭のどこにいるの?」


 窓から外を覗いたカミラの目が、庭で動く複数の人間の影を捉えた。


「ルナ、危ないから隠れていなさい」


 その言葉がかき消されるほど、ドアが荒々しくノックされ、窓から部屋を覗き込んだ人相の悪い男が、ロックを指してドアを開けろというゼスチャーをする。


「どちら様ですか? 診察なら明日病院の方へ来て頂ければ・・・」


「いいから、ドアを開けろ!! 窓をぶち破るぞ!」


カミラは分かったと頷き、窓にくるりと背をむけて男から顔を見られないようにすると、隠し扉の額に停まったルナに隠れるようにと小声で促した。

 ルナはキッチンの棚と天井の隙間に身を押し込んで、カミラの方を見ると、カミラが開錠したと同時にドアが勢いよく外から引っ張られて、柄の悪い二人組が入って来るところだった。


「おい、イーサン・トガシはどこだ? どこに匿ってる?」


「誰ですかその人? 匿うって・・・」


 カミラが言い終わらないうちに、パシッと音が響き、カミラが頬を抑えて壁にぶつかる。

 リーダー格の男がカミラの相手をしている間に、もう一人の男が部屋の中を探し始めたが、もちろん誰も見つかるはずはない。それをリーダー格の男に告げると、その男はカミラの襟ぐりを掴み、大きく揺すった。


「知らないふりをして、とぼけてるんじゃねぇよ! 女だからって容赦はしないぞ。裏から手を回してイーサン・トガシがあんたに金を振り込んだことは分かってるんだよ。お前たちはどういう関係だ? イーサンに逃亡の手伝いでも頼まれたんだろ?」


 掴まれた襟で首を圧迫されて、息も絶え絶えに知らないとカミラが声を押し出せば、壁に身体をどんと打ち付けられて、カミラの気が一瞬遠くなる。

 それを許さない男に再度頬を叩かれて、カミラは取り戻した意識の中で、どうしたらこの場から、うまく逃げ出せるかを必死に考えた。


「私は形成外科医だから、彼からは傷を治して欲しいと頼まれたのよ。特別な傷だからそれが何かは会ってから教えると電話で言われたの」


「傷? ふざけるな!そんなものを治すんだったら病院にいけば済むことだろう? 振り込んだのは大金だ。お前ひょっとしたら、奴の仲間なのか? 痛めつけたら正体を現すんじゃないか?」

 

 男の手が握り込まれ、今度は拳で叩くぞとカミラに予告する。

 カミラは知らないとしか答えようがなく、男が殴るために拳を引いた時、ナイフのような黄色の物体が飛んできて男の目を突っついた。


「痛ぇ。こいつ。撃ち殺せ!」


 リーダー格の命令で、下っ端が銃を取り出し、ルナに向けてトリガーを引くが、的が小さくてなかなか当たらない。

 だが、ルナの方も、家の中では飛ぶ速度を出すことができず、何発か目の銃声と共に、絹を引き裂くような悲鳴が上がり、赤く染まった小さな身体が開いた扉の外に飛び出した。


 窓の外で室内と周囲を見張っていた男が、飛び出した鳥に向かって歩き出そうとしたとき、いきなり側にあった木の枝がメキメキと伸びて、二つに分かれた枝の股に男の首を引っ掛けて持ちあげた。


「ううっ。何だ。苦し…助け…」


 うめき声に気付いた男二人が家の中から庭へと飛び出し、苦しむ男に駆け寄ったが、今度は多方向から伸びてきた枝に絡めとられ、ジタバタともがく身体の動きを封じ込まれ、やがて3人とも静かになった。


「もういい。放してやれ」


 低くざらついた声でイーサンが命令すると、伸びた枝が元通りに縮み、

 下草に、3人の男が転がり落ちる。


 怒りと緊張で身を震わせながらも、イーサンは、自分の力にショックを受けていた。

 部屋の中でイーサンの居場所を問い詰める男の怒鳴り声を聞き、慌てて隠れていた木の影から飛び出したが、窓から見えたのは、女性に暴力を奮おうとした男を止めようとして、ルナが体当たりをして、撃たれた光景だった。

 それは、あっという間のできごとで、助けに入る間も無かった。

 自分のせいで関係ない女性と小鳥を巻き込んでしまったという大きな悲しみと同時に、イーサンの中に許せないという感情が沸き上がり、男たちに向けた怒りが木々の枝を動かしたのだ。


 絶命した男たちから、ルナに視線を向けた時、カミラが覚束ない足取りでルナの側にやって来て、がくりと膝をつき、震えながら小さな身体を覗き込んだ。


「ルナ!ルナしっかりして。死んじゃダメだよ」


 カミラは泣きながらルナを拾い上げたが、羽の付け根を撃ち抜かれて、抉れてしまった脇からは、まだどくどくと血が溢れているのを見つけ、ひっと小さな悲鳴を上げた。


 ぴくぴくと痙攣する小さなルナが、カミラの手のぬくもりに気付き、重くてもちあがらなくなった瞼を必死で開くと、カミラの方が痛みを堪えているように顔を歪め、泣いているのが見える。

 カミラが無事で良かったという気持ちと、今までありがとうの気持ちを込めて、ルナはつっかえながらつぶやいた。


「ルナ・・・ごっ・・・きげ・・・ん」


「ごきげんじゃないよ。あんな無茶するなんて・・・。痛むよね? 待ってろ。私が元気にしてあげるから、死ぬなよ」


 カミラは家の中にルナを連れていくと、テーブルの上に煎じた粉を撒き、指で円陣を描いて、呪文を唱え始めた。

 だが、ルナの身体はあまりにも傷つきすぎて、普通のリカバリーマジックでは治らないことが分かり、カミラは絶望のあまり、No!と叫んで髪をかきむしる。

 そして、ハッと思いついたように、地下室へと駆け込むと、カミラは触れることの無かった黒の魔術書を持って戻り、蘇りの項を開いた。


「死なせるものか! ルナを絶対に助ける」


 カミラは、思いのありったけを込めて、黒魔術の呪文を唱え始めた。おどろおどろしい呪文は部屋にあるものをカタカタと振動させ、明かりをも点滅させて、一気に室温を下げた。

 夜の闇が星明りをなくすほどに暗くなり、どこからか唸るような音が聞こえ、ボリュームを上げながら風とともに吹き荒れる。黒雲が沸き起こり、空全部にひびが入ったように稲妻が走った瞬間、その稲妻が窓を割り、カミラ自身を貫いた。

 ガクガクと身を震わせたカミラは青白い炎に包まれ、空中へ飛び散った火花が青白い炎の蝶となって飛んでいく。それらは天井付近で集まって円を描くと、今度は竜巻のように渦を巻きながら下降して、ルナの身体の中へと吸い込まれていった。


 他の者が家の中に入らないように庭で番をしていたイーサンは、目もくらむような稲妻に驚き、咄嗟に手で頭を庇いながらしゃがんだが、ガシャーンと何かを打ち砕くような落雷の音と、轟々と鳴り響く地響きに身体が硬直し、しばらく目を開けられないでいた。

 地響きが収まると、イーサンはカミラとルナの無事を確かめるために、家の中に駆け込んだ。だが、信じられない光景を目の当たりにして、茫然とその場に立ち尽くす。

 そこにいるはずのカミラは消え、どこから入ってきたのか、17,8歳くらいの金色の髪の少女が、生まれたままの姿で床にうずくまり、灰を掴んで泣きじゃくっていた。


「カミラが死んじゃった。ルナのために死んじゃったよ~」


 ルナだって?まさか・・・驚きに目を見張ったイーサンが、恐る恐る少女の長い髪に覆われた胸や背中に視線を這わすと、脇腹が赤く染まっているのが目についた。

 少女の傍によって銃で抉られたはずの傷を確かめると、あるはずの傷は無く、少女はカミラの名前を呼びながら、喉を振り絞るようにして泣いている。


「ルナ? オカメインコのルナだよね?」


 真っ赤に目を腫らした美しい少女が、ようやくイーサンの存在に気が付いて頷いた途端、紅茶色の瞳からぶわっと涙を溢れさせた。


「泣かないでルナ。ごめんね。俺のせいで君の大事な人を死なせて本当に申し訳ない。でも、ここに居ては危険だ。奴らと連絡が取れなければ、仲間のギャングがやってくるかもしれない。カミラが救った君をここに置いていくわけにはいかない。後でどんな償いでもするから、今はその灰を持って逃げよう」


 追っ手が来るかもしれないという言葉に、ようやく我に返ったルナが弱々しく頷き、しゃくりあげながら灰をかき集めて密封容器に入れる。

 カミラの衣類をバッグに詰める間、イーサンは手を木々に振りかざし、庭の遺体を指すと、そのまま手のひらを下に向けて、深く沈める動作をする。指示を受け取った木々たちが、木の根を使って3人の男の遺体を地中深くに引っ張り込んだ。


 しばらくすると、遠くから木々の間を縫って、車のライトが複数こちらに向かってくるのが見えた。ルナはカミラから聞いていたいざというときのための地下道を通って森の中にある出口まで走り、イーサンと共に地面から這い出すと、闇に紛れ込んだ。

 灰で黒く汚れた顔に涙の痕を残した少女は、キッと前を見据えて心に誓った。


「いつか、絶対にカミラの敵をとってやる!」


 闇の中でルナの金髪が翻る。イーサンの目には、風で吹き上げられてなびく金髪が怒りの炎のように見える。雲間から射した月光が金糸の一房に反射されて光を放つと、それは、まるで火の蝶が羽ばたいて、鱗粉をまき散らしたような残像を残した。


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ルナスティックマジックは復讐の香り マスカレード @Masquerade

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