第4話 密会
その朝、植物研究センターでは、当初の会議で予定していた内容とは違う説明を求められ、イーサンが研究者にあるまじき、多分、おそらく、…かもなどの予想言葉を羅列して説明にあたっていた。
当初は、植物の交配と遺伝子操作で開発された、砂漠のような水のない所でも育つ新種の植物の成長過程を、研究者たちを含め、役員たちの前で話す予定だった。
実験を重ねて、ようやく政府から認可が下りたところだったが、折しもちょうど日本に来ていた中東のある企業から説明を聞きたいという打診があった。
ただ、説明するにあたっては、この種は、50%の発芽しか見込めず、目標の草や木の本数を生やすのに、倍の種を植えなければならないという、コスト高や出荷量のばらつきがでる問題点があった。
上層部の意向では、改善策を匂わせて、視察に留まらず、何とか受注へと繋げたいということだった。
それもそのはず、午後からくる中東の客は、開発事業で成功をした大金持ちで、砂漠の緑化に並々ならぬ関心を持ち、契約がまとまれば大金がこの研究施設に転がり込んでくる。
生物だけに関わらず、化学など、どんな研究でも、ひとつのことを成し遂げるのに、どのくらいの失敗と月日と経費がかかるかは誰も予測できないのが常で、豊潤な資金は研究施設にとっては何を置いても確保しなければならない重要事項だ。
研究者たちは、会議で解決策を発表して、上から認めてもらおうと、あれこれ知恵を絞ったファイルを片手に持ち、緊張と期待が孕んだ朝を迎えた。
しかし、イーサンが発表前に発芽状態を確認しておこうと、研究所内の新種開発室に立ち寄り、出てきた芽の他に発芽しているものはないかと土をかき分けてしまったために、それまで未発芽だった種子や、隠れていた小さな芽という芽が、頭についた土を載せたまま、むっくりと顔を出してしまうというハプニングが起きてしまったのだ。
しまった!自分が植物の精霊になったことを忘れていた。
イーサンは後悔したが後の祭りで、センター内は成功の朗報で沸き返った。
どんな環境で100%発芽するという状況に至ったのかを発表しろということになり、イーサンが今までのデーターと照らし合わせて発表をするが、職員たちには変わり映えのしない左右の表を見比べたところで、答えを得られるはずもなく、ただの偶然という結果に困惑の色を濃くするより他はなかった。
発表が終わってイーサンが席につくと、事務の女性から飲み物と一緒にメモを渡さた。
会議中に何だろうと思いながら開い見ると、電話の時刻とハンナからのメッセージだと記されていて、その下の内容を読んだ途端に、イーサンは目を眇め、眉根をよせて眉間のしわを深くした。
『早急にカミラ・プティを訪ねなさい』
カミラ・プティ?どこかで聞いたことのある名前だと記憶を手繰りよせると、イーサンの頭の中に、ハンナが首にあった精霊の印を消すのを依頼した形成外科医で、本当は魔女だという女性のことが思い浮かんだ。
そしてハンナが、もし、印を消す必要が起きた場合には、レーザーでは消えないから、特殊な魔法を使えるカミラ・プティを頼れといったことも……。イーサンは手の甲を覆う手甲型の薄いグローブに目を落とした。
研究所ではケミカルグローブをしているので印が隠れるが、手の甲のリーフ型の印は入れ墨のように目だってしまうので、植物の液にかぶれたということにして、両手に指先が出るグローブをはめるようにしていた。
一体、このメッセージは、どういうことだ?精霊の印を消せということだろうか?それとも、面識のあるハンナを通じて、カミラから何か話があるということだろうか?
嫌な予感に包まれて、急に喉が渇き、出されたコーヒーに手を伸ばすと、そんなに熱くもないはずのコーヒーから立ち上っている大量の湯気が揺れて、一文字ずつ文字を模っては、空中に消えていく。
E s
c a p
e !
Escape! 逃げろだって?どういうことだ?
精霊になったことで見えない部分の身体の変化がおいつかず、脳が疲れてまぼろしでも見ているんだろうか?
とにかくコーヒーを飲んで落ち着こうと思い、イーサンはミルクをカップの中に垂らした。
すると、ミルクが勝手に動いて形を取り、文字になる。
They know who you are.
奴らに俺の正体がバレたって?どういうことだ?それに、どうしてこんなところに文字が出る?俺はからかわれているのか?
イーサンが辺りをそっと見回すが、みんな出された数値に間違いがないかやっきになって議論している。
今朝は発芽が100%でも、送った先で、今まで通り50%の成果しかでなかったら、報酬どころか、詐欺として訴えられ、損害賠償を求められるかもしれない。
それで、どういう説明をするべきか、上層部がやっきになっているのだ。
結局、会議の議論も、イーサンの見た超現象も答えの出ないまま昼食になり、イーサンは研究施設の外にある自分のロッカーからスマホを取り出し、ハンナからのメッセージを見つけて読んだ。
ギャングと繋がりのあるマックロ―二夫妻の息子のジョンが、イーサンが植物の精霊であることを知り、どんなことができるのか本人に聞くと息巻いて出て行ったこと。こちらの職場も住んでいる場所も知られていることなどを読むと、イーサンはすぐにでも対処をしなければと思った。
できれば、この力を利用して、環境に貢献したかったが、あくどい奴らに掴まるわけにはいかない。
スマホに登録してあったカミラ・プティが務める病院に連絡を入れると、まだ、診察中だということと要件を受付係に訊かれたので、ハンナ・トガシの孫のイーサン・トガシが連絡を欲しがっているとメッセージを頼んで電話を切った。
食欲がないまま、研究所の外のベンチに腰かけ、持ってきたパンをかじっていた時、スマホが振動して、見覚えの無い番号がディスプレイに表示されているのを発見し、イーサンは慌てて紙コップのコーヒーでパンを流し込んだ。
『ハロー?カミラ・プティです。イーサンの電話かしら?どんなご用件?』
「あっ、初めまして。イーサンです。祖母がお世話になりました。実は祖母と同じ依頼をしたいのです。悪い奴らに正体がバレてしまったようで、至急この印を消したいのです」
『そう…‥。ハンナがあなたの成長を楽しみにしていたのに、残念ね』
こちらを思いやるような声に、イーサンも幼いころから見守っていてくれたハンナの期待に満ちた表情を思い出し、寂しい気分で精霊の印を撫でた。
まだ、力を発揮することもなく、消してしまわなければならないとは……。
しんみりとした間を、カミラのはきはきとした声が破り、イーサンは一言も聞き漏らすまいと耳を傾けた。
『今から詳細をメールします。お代はかなり高いから覚悟して。あなたがその条件で納得できるなら、施術の希望日と場所を返信して頂戴。こちらの都合がつけばOKと返信するわ。そのあとあなたの振込を確認したら、その時間、その場所に、私か私の信頼する使役が伺います。読んだらメールは消してね』
分かったと言うと電話が切れ、すぐに条件が送られてくる。
使役がいるのか。ならすぐにでも施術は可能だなと、イーサンは翌日の午後を指定して送り返すと、即効でカミラからOKと返信が来た。
山奥で研究に明け暮れているため、使うことも無く貯まったお金を、カミラが指定する口座へと送金すると、次々に起きる不思議なことや事件で緊張感を強いられたせいか、イーサンはどっと疲れを覚え、このまま早退できればいいのにと思った。
それでも、ランチタイムが終わると、イーサンは研究施設に戻って、しばらく自分の研究に没頭することにした。
いつの間にか午後3時になり、中東からの視察団が到着して、砂漠緑化計画を助ける新種の植物の見学や説明が始まった。
イーサンも呼び出され、今回の視察団のトップであるサイード・ビン・アリーと挨拶を交わしたが、カンドゥーラと呼ばれる白い長衣を着て、頭にはスカーフのようなクゥトラを被った40代前後の長身の男は、心の中まで見透かすような鋭い目つきでイーサンを見つめてくる。
あまりの視線の強さに、不安を抱えているイーサンはすぐに目を逸らしてしまった。
「あの植物はあなたが中心になって開発していたらしいですな。発芽率が50%なのに、今回に限って100%になったのは、どうしてだか本当に理由が分からないんですか?」
「え、ええ。今朝突然に全部の種子が発芽したので、まだ理由を突き止めることができないのです。ご満足のいくお答えができず申し訳ありません」
「今朝のことなら、分からなくても仕方ありませんな。てっきり誰かがマジックでも使ったのかと思いましたよ」
研究所の所長たちは、相手が機嫌を損ねずに冗談を言ってくれたことに、これ幸いと迎合して、大げさに笑っている。
口元だけ笑っているものの、鋭い視線をイーサンから外さないサイードの前で、イーサンは背中に冷や汗をかきながら、引きつった笑いを漏らした。
「ちょっとトガシさんとお話ししたいのですが、構いませんか?」
サイードがイーサンにとってはありがたくないお伺いを所長に立てると、所長はもちろんですと言いながら、イーサンの耳元で失礼のないようにと囁いた。
ガラスの回廊の途中にある扉を開けて中庭に出ると、イーサンは何を言われるのかと構えながらサイードに要件を訪ねると、イーサンが思ってもみなかったことを口にした。
「私の国で植物の研究をしないか?給料は今の2倍は出そう」
「おれ…私のような若輩者を、初対面のあなたが引き抜こうとする理由が分かりません。今朝の発芽の原因さえ突き止められないのに、どういう風の吹き回しですか?」
「気にいった。では、理由にならないか?給料が2倍で足りないなら3倍出してもいい」
あまりにも胡散臭い話にイーサンは顔をしかめた。それになぜかこの男には、ついて行ってはいけないと頭の中で警報がなっている気がする。
中庭の木が風も無いのに揺れ、その影がサイードの白いカンドゥーラに映って騒めいているので、ふと目をやると、みるみる変化して人の影が現れた。
枝葉の隙間から刺した光が、吊り上がった目になり、その下に射した光は目の両側まで左右に大きく割け、悪魔のような形相で動いている。
あっと声を上げそうになり、何とか声を飲み込んだものの、これは木々がサイードの本性を映し出して、忠告しているのではないかと想像し、彼を刺激して怒らせないように、イーサンは無難な言葉を口にした。
「ありがたいお言葉ですが、私の家族は大きな植物プラントと造園をやっていて、私は研究所を止めたら、家業を継ぐつもりなのです。そして、ここでの研究を活かして、家業をもっと発展させるつもりです」
「どんな条件を出しても気を変えるつもりはないか?」
「ええ、申し訳ありませんが。私は家業が好きなのです」
木々映したまがまがしい影を見ただけに、もっと脅迫めいた何かを言われるのではないかと警戒していたが、ザイードはそれ以上交渉をする気はないらしい。出てきた扉をくぐって部下たちの待つ室内へと戻っていく。
ザイードはガラス戸を閉めると、少し離れたところに立ってこちらを窺っている研究所の職員たちに聞こえないよう、自分の部下に命令を下した。
「ブルーストーンのリーダーに話しをつけろ。イーサン・トガシを連れてこいとな」
首肯した部下の前を通り過ぎ、職員たちに前向きに話しを考えることを告げると、嬉しそうに顔を見合わせる職員たちに暇を告げて、ザイードたちは来た時と同じように慌ただしく帰っていったのだった。
それは1週間前のことだった。
植物の精霊が誕生したメッセージを、他の精霊たちはそれぞれの場所で受け取った。
通常なら直接関わることもないので、火の精霊のプロミネンスは使役の火トカゲが吐いた炎のメッセージを、フンと鼻を鳴らしてスルーをした。
ところが、その数日後、燃え上がる暖炉の火にある光景が浮かび上がり、プロミネンスはガーデナーの誕生を無視できなないことを悟った。
カチッとライターの音が鳴ると共に、シュボッと炎が上がり、葉巻の先に火がつけられる。重厚な趣のある部屋に置いてあるバカラテーブルの上で、億単位のチップが動いているのを見ると、カジノにあるVIPルームでのプレイらしい。
飲み物を運んできたボーイに耳打ちをされ、白いカンドゥーラを着た中年の男が席を立って、隣の部屋へ入っていった。革張りの大きなソファーに腰かけるのは、上質な葉巻を手にした顔に傷のある強面の男で、白い長衣を着た男はその男の前にあるソファーにどかりと腰をかけると、何やら秘密の取引を始めた。
この映像にどうガーデナーが関係するのだと、プロミネンスは炎の情報に目と耳を傾ける。するとあたかも今ここで行われているように、臨場感のある会話が聞こえてきた。
「武器とコカインは用意しだい運ばせよう」
「ああ、頼む」
プロミネンスはこのやり取りから、顔に傷のある男はマフィアのボスなのではないかと推測した。そして、ブランデーグラスを傾けながら、中東の金持ちの男が、何か面白い話はないかとマフィアのボスに聞いたところ、そういえばと話し始めたことが、プロミネンスの気を引いた。
「子飼いのストリートギャングでレッドゾーンっていうのがあるんだが、そこの頭のいかれた野郎が、敵対するグループ、ブルーストーンのボスの弟を怪我させてな、面白いネタと引き換えにそいつらから匿って欲しいと連絡があったんだ」
「ハッ!マフィアがいつから子守をするようになったんだ?」
「まぁ、聞いてから言え。それがな、現代にも植物の精霊ってのがいて、絶滅危惧種を含めて、植物の育成を操れるというんだ。今時、精霊だぞ?嘘もここまでいくと突き抜けているから、そいつをどうするか検討中だ」
「そいつは、コカのやり過ぎで頭がいかれてたんじゃないのか?精霊は頭から枝を生やしているとか言ったんじゃないだろうな?」
「あんたの方が面白いな。植物の精霊はちゃんとした人間で、代替わりしたばかりだそうだ。古い方は、ハンナ・トガシで、新しいのはイーサン・トガシと言って植物研究センターに勤めているらしい。よくできた話だろ?」
「ハハハ…名前までついているのか。もし、本当にいるとしたら掴まえて、頼んだものと一緒に売ってくれ」
すると、ボスは傾けたブランデーグラスを口から遠ざけ、中の琥珀色の液体をもてあそぶように揺らしながら、何かを思案している素振りを見せた。
「そうだな。こちらも育てたいものは沢山あるから、レンタルでどうだ?」
「他人の足元を見過ぎると、上客を逃がすことになるぞ」
「おいおい、いくら砂漠の緑化計画を進めているからって、そうムキになるなよ。流れから冗談だと分かるだろ?」
フンと鼻をならした中東の男は、胡散臭気にボスの顔を見ると、いかにもまずいものを口にするようにグラスに口をつけた。
ふと炎が揺れるように映像が揺れ、二人の男は消えてなくなったが、プロミネンスは飲んでいたワイングラスに語りかけた。
「水の精霊マーレよ。今のを聞いたか。本名まで聞いてしまったからには、彼を守るか、精霊の力を無くさせなければならない」
すると、ワインの表面に波紋ができ、女の声が聞こえる。
「お久しぶりね。プロミネンス。かなりまずい人たちに知られてしまったわ。今できることは、イー…ガーデナーを魔の手から逃すことよ」
「そうだな。近いうちに5人の精霊を集め、お互いに顔見せをして、ガーデナーを守るためにはどうすればいいか話しあおう」
「そうしましょう。まずはガーデナーの動きを見失わないことね」
その時は、まだマフィアたちは冗談にしか思っていないと高を括っていたプロミネンスの元に、数日後、リーフからのメッセージが届いた。
既に精霊の印を消して代替わりした彼女に木々と語りあう力は残っていないはずなのに、植物たちに愛された彼女の願いは木々を通し、プロミネンスやマーレ、大地の精のアイナや、風の精のラファレまで驚くほどの速さで伝えられた。
『どうか力を貸してちょうだい。新しい植物の精霊が危険なの。大事な、大事な私の孫なのよ。どうか守ってやって。他の精霊たちにも伝えてちょうだい。精霊の存在が悪い人間に知られてしまったと……』
今度は冗談では済まされなかった。ジョンと呼ばれる小悪党は、目の前で精霊の力を見たとマフィアに連絡をつけ、それがボスに伝わった。
先日ザイードから、精霊が本物なら売って欲しいと頼まれたことを思い出し、ボスはジョンにその精霊とやらを連れてこいと命令を下したのだ。
水の精霊マーレもその場面を感知し、イーサンに出された飲み物を使って危険を知らせようとしたが、会議中で人がいたために、わずかなサインしか送れず、歯がゆい思いをしながら見守るしかなかった。
ところが、それより先に動いたのがザイードだった。マフィアのボスと密会した後、何かの役に立つだろうと、マフィアの子飼いであるストリートギャングのレッドゾーンに敵対するブルーストーンに金を渡して渡りをつけると、植物センターには国の視察団を装って、自らイーサンがどんな男かを確かめに行った。
そこで、イーサンが起こしたであろう奇跡をも目の当たりにして、植物の精霊が本物であると確信すると、部下に命じてブルーストーンにイーサンの拉致を指示させたのだ。
そして、・・・・・・惨劇は起こった。
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