第3話 the black sheep

 イーサンの実家は、曾祖父トム・ロバーツが始めた【Green Garden】という植物プラントに、祖母ハンナの夫であり、イーサンの祖父であるケンゾウ・トガシが造園業をプラスして顧客を増やし、アメリカ西部で大成功を収めるに至った。 


 広大な敷地の中にロバーツ親族の屋敷が距離を置いて3軒建っていて、その近くには使用人の小屋もあり、通うことができないものたちが住んでいる。


 小屋と言ってもリビングの他に3部屋ある戸建てなので、イーサンの祖父母が住んでいる屋敷の使用人のように、夫婦で住んで働くものもいた。      


 ケンゾウ・トガシと息子夫婦は引く手あまたのガーデナーで、遠方で大掛かりな庭を造るときには、何日も泊りがけになることがある。


 一人で留守番をするハンナにとって、使用人小屋で暮らす50代のマックロ―二夫妻は良い話し相手でもあった。


 マックロ―二夫妻には、20代の息子が二人いて、長男は都会に憧れニューヨークに行ったまま帰って来ず、次男は、マフィアと繋がりを持つ、サンタモニカやロサンジェルスにたむろするギャングの仲間になってしまい、夫婦の頭痛の種でもあった。


 ハンナは夫婦の相談に乗り、次男のジョンを悪い仲間から足抜けさせれば【Green Garden】で雇ってあげると請け負った矢先に、ジョンがマックロ―二夫妻の元にひょっこりと姿を現した。


 夫婦がジョンから話しを聞くと、縄張り争いで相手のギャングの一員に傷を負わせてしまったらしく、仲間たちから雲隠れしろと言われたらしい。


 匿ってもし見つかったら、ハンナにも迷惑がかかると知りながら、夫妻は息子を狼の群れに放り出すこともできず、ほとぼりが冷めるまで、仲間の誰にも連絡を取らず、敷地内から出ないことと、雇い主に礼儀を尽くすことを約束させて、ジョンを手元に置くことにした。


 最初のうちこそ、両親の言いつけを守って大人しくしていたジョンだったが、数日もすると、今まで自由にやって来た分、両親と同居では窮屈で堪らなくなり、やることもなく誰にも会わずにいるのは退屈だったので、敷地内をうろつくようになった。


 両親は早朝にトガシ家へ仕事をしに行くため、ジョンも自然と早寝早起きの習慣に合わせるようになり、その日も両親が出かける物音で目が覚めて、チンピラらしからぬ時間にベッドの上にむっくりと起き上がった。


 2度寝しようかと思ったが、鳥たちのさえずりが煩く、カーテンを開けて窓の外を見ると、窓の外には春の花が咲き乱れて気持良さそうに揺れている。  


 その光景に誘われるように、ジョンは鈍った身体を動かすために、散歩に出ることにした。


 広い敷地内には遊歩道のように敷石が敷いてあり、小屋から5分ほどの距離に両親の雇い主であるトガシ夫妻の屋敷がある。


 屋敷を通り越してまた5分ほど歩けば門があり、そこを抜けて道沿いに行けば、10分ほどで植物プラントの事務所があることを、このところの散策でジョンは知った。


 事務所に行く道沿いの土地もロバーツ親族のものらしく、様々な植物を育てているビニールハウスなどが並んでいる。


 ジョンは別に植物に興味があるわけではないが、ここの植物園の植物は丈夫で珍しい物も多いと母から聞いたので、植物を丈夫に早く育てるノウハウが分かれば、大麻など薬の元となる植物を育て、一儲けできるのにと単純に考えて、秘訣を探り出そうとしていた。


 ジョンが門を目指すべく、屋敷の側を通りかかった時に、開いた窓からこの家に住むハンナという美しい老婦人が、誰かに語りかける声を耳にした。


「イーサン。ひょっとしてあなた精霊の印が出たの?」


 ジョンは首を傾げた。 イーサンはハンナの孫だと聞いているが、精霊の印とは何だ?ハンナを遠目に見た時には、歳の割には若くて美しいと思ったが、ひょっとしてもうボケが始まっているのだろうかとジョンは思った。


「実はね、甲状腺に異常があって検査をすることになったの。一族の医者にかかったのだけれど、専門の医者に診てもらったほうがいいと言われて、あざを消してもらったの」


 一族?ロバーツ一家の親類の医者だろうか?


 だが、一族というのはちょっと仰々しいし、あざって何だろうとジョンは開いている窓から、そっと家の中を覗き、聞き耳を立てた。


「そんなものでは印は消えないわ。聖なる印を消すには、ある術を使える魔女に頼まないといけないの」


 ジョンはうんざりするように首を竦め、やっぱりこの女は頭がいかれていると思い、家から離れようとした。


「そうよ。もし、あなたが印を消さなくてはいけなくなったら、サンタモニカ山脈の麓の病院で、形成外科をしているカミラ・プティに連絡を取りなさい。私からの紹介と言えば普通の治療じゃないことが分かるわ」


 魔女なのに形成外科医でサンタモニカに住んでいる。その具体的な情報はカミラ・プティという名前と共に、妙に現実味を伴ってジョンの記憶に張り付いた。


「いいえ、赤い髪と緑の目のとびっきりの美人よ、年齢は30歳ぐらいだけれど、魔女だから実年齢はわからないわ」


 そしてハンナの妄想を聞きながら、頭がいかれているかもしれないが、ここまで役付けするとは面白いとジョンは思った。


「待ってイーサン。大事なことを言い忘れたわ。外へ出て、目につく一番大きな木の幹に印を当てて、自己紹介をしなさい。その時に、本当の自分の名前ではなく、植物をイメージする名前を伝えてね」


 木に自己紹介?これは笑わせると、ジョンはもう少しで噴き出しそうになり、慌てて口を両手で押さえて必死で我慢していると、ハンナはまたおとぎの世界を広げたようだった。


「植物の新しい精霊が誕生したことを、木々が他の精霊たちに伝えるの。もし秘密が人間にばれたときに、他の種族を巻き込まないように、私たちは俗称で呼びあうのよ。私の俗称はリーフだったわ。同じ名前は使わないでね」


 これは面白い、さしずめ俺が名乗るならアルカポネだなと喉で笑いながら、面白ついでに、サンタモニカの形成外科医カミラ・プティを検索してみる。病院名に続き出てきた名前を見て、ジョンは自分の頭までおかしくなったのかと思い、スマホの電源を切って、もう一度検索し直してみた。


 果たしてその結果、カミラ・プティは実在の人物であることが分かり、ジョンは衝撃を受けた。


 門に向かった足をまた使用人小屋へと向け、部屋に入ってペンをとると、ジョンは自分が聞いたことを忘れないように書き留めてから、スマホの電源を入れ、植物の精霊について検索したが、童話や本の中には出て来ても、実際に見たという話は出てこなかった。




「なぁ、変な話だろ?これが本当ならどうにか旨い金儲けの話にならないかと思って、今いろいろ探ってるんだ。喧嘩の件が片付いて外を歩けるようになったら、エディーもレッドゾーンのギャング組織を抜けて、俺と組まないか?」


『ジョン、お前そんな余裕ぶっこいている場合じゃないぞ。お前が傷つけたブルーストーンのメンバーは、あそこのボスの弟だ。お前を血眼になって探してるぞ』


「それは、まずいな。だったらお願いがある。今話したことを……」


 両親に仲間と連絡を取ってはいけないと言われたにも関わらず、ジョンは属しているギャング、レッドゾーンの仲間のエディーに電話をかけ、ハンナの話をしがてら、相手のギャングたちとの交渉はどうなったかを探ってみた。


 元はあちらが売ってきた喧嘩を買ったに過ぎず、喧嘩両成敗で済ませたいところだが、ジョンが怪我を負わせた男が、対立するギャングのブルーストーンを統一するボスの弟だったらしく、交渉は難航し、ジョンを差し出せと息巻いているらしい。


 見つかったら、命の保証はないと聞き、さすがにやばいと思ったジョンは、エディーのつてを辿って、ギャングを束ねているマフィアのリーダー格の男に、面白いネタと交換で命を守って欲しいと言伝を頼んだ。


 返事をもらうまでに、何とか精霊の正体なるものを掴もうと思い、ジョンは植物に興味があるフリをしてハンナに近づくために、スマホで植物のことをあれこれ調べてみたが、その種類の多さにうんざりしてしまった。


 仕方がないので、手近な植物を調べてみようと、ハンナが世話をしている花壇の小道を歩きながら、花の名前を検索する。


 調べていくうちに、ジョンはこの花壇が普通でないことに気が付いた。


  この広い花壇にある花たちは、全て絶滅危惧種で、本来ならこの土地で育つはずではないと分かった時、ジョンの頭には植物の精霊というハンナが言った言葉が浮かび、人間意外の超能力者が実存することを確信した。


 ただ、気になったのは、日に日にその植物たちが、元気をなくしているように感じ、花の前に座り込んで指で触れようとしたとき、ハンナに話しかけられた。


「こんにちは、あなた、マックロ―二さんの息子のジョンでしょ?毎日熱心に花壇を見ているのね?その若さで植物に関心があるの?」


「あ…ああ、えっと、珍しい花ばかりだなと思ってさ。育てるのは大変そうだな。これなんか水やりが出来てないのか、枯れかけているよ」


 ジョンが指差した植物を見て、ハンナが悲しそうに首を振った。


「水やりじゃないの。もう、ここにあるものたちを支える力が失われてしまったのよ」


「それは、何だ?肥料とか、そういうもんじゃないのか?」


 ハンナは首を傾げてジョンを見ると、何と説明しようと逡巡するように、視線を巡らせ、そして再びジョンを見ると、諦めたように寂しい笑みを浮かべた。


「植物はね、愛情を一杯かけてあげた分、成長するということを聞いたことはない?」


 ジョンは植物なんかに興味を持ったことは無いので、そんな話を聞いたところで気に止めもしなかっただろうが、探っている事柄がすぐそこにあるように感じ、続きを聞くために、いかにも知っているというように深く頷いた。


「私は愛情を以前と同じようにかけているつもりなのだけれど、年なのかしら?私に力が無くなってしまったみたいで、植物たちに気持ちが届かなくなってしまったのよ」


「でもさ、俺がここに来てから数日前までは元気に咲いていたじゃないか。あんたが急に歳を取ったわけじゃないから、肥料とか、他にやり忘れたものがあるんじゃないか?旦那も息子たちも留守って聞いたから、肥料をやるとかの力仕事だったら、俺が手伝ってやってもいいぜ」


 ジョンは植物の精霊が何を使って本来なら育つはずの無いものを、ここまで成長させたのか、秘密が知りたくて手伝いを買って出たが、ハンナは無理だと返してきた。


「気持ちは嬉しいけれど、私にはもう気力が無いの」


「ふ~ん。だったらさ、孫でも呼び寄せて、手伝ってもらえばいいじゃないか。親父に聞いたけれどイーサンって孫がいるんだろ?他人の俺じゃ無理でも、イーサンならあんたや植物を元気にできるんじゃないか?」


 ハンナの目が一瞬泳いだように感じたので、焦って踏み込みすぎたかとジョンは内心ヒヤリとしたが、ハンナは少し歩いた先にある花壇の前に座ってジョンに傍らに来るように手招いた。


「あなたに手伝ってもらってもいいわ。この葉っぱを私がやるように触れてみて」


 何やら秘訣を伝授されるように感じ、ジョンがわくわくしながらハンナの横に屈んで片膝をついた。


 ハンナが葉の表面を優しく撫でてから目を瞑り、まるで念をこめるように手をかざしていたのを引っ込めると、ジョンに場所を譲って脇にいざる。


 どんな変化が現れたのかと、ジョンは期待を込めて葉っぱをみたが、別段何も変わっていないようで、真似をするのがアホくさくなった。


 でも、秘密を知るには信頼を得るしかないと思い直し、ハンナの真似をして植物の葉を撫で、目を瞑って手をかざしてみる。


 途端にジョンの手の下で、植物の葉がジョンの手から離れようとするかのように下方へと反りかえり、両側が捲れるように丸まったかと思うと、みるまに茶色に変色していく。ジョンが目を開けた時には、ハンナは屋敷へと駆けだしていた。


「待てよ!お前、なんか変なまじないをかけたな!?」


 茶色の葉を見て驚き、ハンナを振り返って傍らにいないと気が付いたジョンは、逃げていくハンナにすぐに追いつき、細い腕を掴んだ。


「放しなさい!一体あなたは何を探ろうとしているの?」


「あんたの秘密を知りたいんだ。電話で話しているのを訊いたけれど、植物の精霊の印って何だ?植物に対してどんなことができるんだ?」


 ハンナの顔色がみるみる青ざめ、ジョンは精霊が植物に対して何かしら影響力があることを確信したが、ハンナは唇を噛んで横を向いてしまい、ジョンに種明かしをする気はないようだ。


「あんた印を消したって言ってたよな?それで力が無くなったんじゃないのかと思ったけれど、さっきの葉っぱには細工ができた。他にどういう力を持っているんだ?」


 ジョンが思わずハンナの腕を掴んで揺すぶった時、屋敷の方から怒鳴り声が聞こえ、ぜーぜーと息を切らしながら、ジョンの母親がこちらに走ってくるのが見えた。


「ジョン!手を放しなさい!奥様に何をしているの!」


「チェッ邪魔が入ったか!トガシの奥さん悪かったよ。でも、あんたが言わないなら、イーサンに聞くまでだ。じゃあな!」


 ジョンはそういうと、母親がこちらに来るまでに、踵を返して小屋へと走っていった。


「奥様、大丈夫ですか?うちの息子が申し訳ありません。きつく言い渡しますので、どうかお許しください」


 そこにようやく辿りついた母親が、おろおろしながら、ハンナにぺこぺこと頭を下げて謝ってくる。長年真面目に働いてくれた彼女が、こんな風に取り乱して謝るのを見るのは辛かった。


「大丈夫です。それより、ジョンから私のことで何か聞いていますか?」


「いえ、何も…‥あ、でも、ジョンはここで働くことを真面目に考えていたようで、トガシ家のことを色々訊かれました。同年代のお孫さんがいる話をすると、イーサンに親しみを感じたらしく、どこに住んでいて、どこで働いているとか、ここにはよく来るのかを知りたがりました」


「では、ジョンはイーサンの現住所も職場も知っているのですね?」


 マックロ―二婦人が恐る恐る頷くと、ハンナは途端に顔を曇らせ、一人にして欲しいと言って、花壇の端にそびえる背の高い木に向かって歩き出した。


 ハンナは自分の両手を広げてじっと見ると、重いため息とともに呟いた。


「もう私には力がない。植物からの声を聞くこともできないんだわ」


 さっきも声を聞けない代わりに、たった一枚の葉に力を振り絞って念を込め、彼の心の正否を、葉の反応で知ることしかできなかった。


 でも、もしかするとあの木なら、長い間語りあってきた心の友なら、応えてくれるかもしれない。


 木の側に着くと、ハンナはその太い幹を抱き込むようにして首筋を当て、心の限りに木に向かって語りかけた。


「友よ。長い間私と言葉を交わした友よ。


 どうか力を貸してちょうだい。


 新しい植物の精霊が危険なの。大事な、大事な私の孫なのよ。どうか守ってやって。


 他の精霊たちにも伝えてちょうだい。精霊の存在が悪い人間に知られてしまったと……」


 だが、木は何の反応もせず、幹からは以前のような鼓動も声も聞こえない。


 自分の力が、今や完全に失われたことを知ったハンナは、ポロポロと涙をこぼした。


 右頬の涙が幹を濡らして表皮を黒く染め、左の頬の涙が地面に落ちて地面へと吸い込まれていく。


 突然、ヴヴォオーンと、空気が振動して辺りが一瞬ぶれたように感じた。


 ハンナは驚いて木を見上げたが、以前のように、木が意思を持ったかのように枝を揺らしたり、語りかけてくる声も聞こえない。


 俯きかけたその時に、陽の光を受けてきらりと光った一枚の葉が、ゆっくりゆっくり舞い降りて来て、ハンナの肩に留まった。


 ハンナはもう一度木の幹を強く抱きしめると、あなたの声が聞こえない私に、返事を見せてくれてありがとうとお礼を言った。


 どうか、どうか他の精霊にも伝わります様に!


 木の葉を揺らす風よ、

 木の根が触れる水脈よ、

 どうか私の友から木の精霊が危ないと、

 彼を助けて欲しいというメッセージを受け取って、

 あなたたちの精霊に伝えておくれ。


 涙の染みこんだ大地よ、

 力を無くした精霊を憐れんでくれるなら、

 あなたの精霊だけでなく、

 マントルの熱を通して火の精霊にまで届くように、

 手を差し伸べて欲しい。


 精霊の存在がBlackseep厄介者たちに伝わったと、

 どうか伝えておくれ。


 できるだけ早く、早く、早く……


 そう願いながら家に向かって走っていき、部屋に置いてあったスマホからイーサンに電話をかける。


 留守番電話に切り替わるのを聞いて、研究所にいる時の研究者たちのスマホは、秘密漏洩防止のために入り口のロッカーに預けられているのを思い出して切ると、急いで起きたことをメールで送った。


 ハンナは、念のために植物研究センターに電話をかけ、電話に出た職員にイーサンと代わって欲しいと言うと、今日は大事な会議と企業の訪問があるから、昼食時まで電話を取り次ぐことができないと説明をされたので、緊急の伝言を頼んだ。


『早急にカミラ・プティを訪ねなさい。ですね?これだけでいいのですか?』


「ええ、電話の取次ぎは無理でも、メモ用紙なら、お昼まで待たずに渡してもらえるかしら?どうかお願いしますね」


 電話を切ると、ハンナは手のひらを組んで、ただひたすらに、精霊たちに植物からのメッセージが届くことと、イーサンが無事であることを祈り続けた。



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