第2話 覚醒
この世の中には、一般の人が知らない特殊能力を持つ精霊がいる。
イーサン・
純粋な精霊はもう数えるほどしかいなく、どこに姿を隠しているかは定かでないという。
たいていの精霊は土地開発に乗り出した人間に追われ、人間の振りをして、国から国へと渡って、今では世界中に散らばって子孫を残しているらしい。
イーサンはハンナから初めてその話を聞いたときに、疑いもせず、どんなタイプの精霊がいるのかを尋ねた。
「精霊は、火・水・大地・風・植物の5種類に分かれていて、それぞれの分野を自由に操れるの」
「へぇ~っ。すごいや。僕は火の精霊がいいな。かっこよさそうだもの」
男の子のせいか、アウトドアで焚火をしたりして、火は調理をするにも、暖を取るにも、動物から身を守るのにも大切だと知っているイーサンは、強い力を持つ火の精霊に憧れた。
そんなイーサンに、ハンナは苦笑しながら答えた。
「純粋な火の精霊はとても気性が激しいのよ。もし、火の精のご機嫌をひどく損ねると、烈火のごとく怒って、その能力を使って災いを起こすと言われて、精霊たちの間でもとても恐れられたの。人間との間の子孫なら、能力はそれほどでもないかもしれないけれど、付き合うには用心しないといけないわ」
「そうなんだ。じゃあ、僕は泳ぐのが大好きだから、水がいいや。水の精はどんな感じ?」
「水の精は美しく神秘的な女性が多いわよ。でも、彼女も大きな力を持っているから、人々が水を汚したり、彼女を怒らせるようなことをすると、大変な災害が起こったりもしたわ」
精霊の力が大きいことを知ったイーサンは、他の3人を聞いてからどれが好きか感想を言うことにした。
「大地の精は、すべてを包み込む母のような人かしら。風は男女ともに外見に恵まれた移り気な人が多いわ」
「そうなんだ。操れるものの性格がそのまま出てるんだね。あとは植物かぁ~。僕、正直言って、あまり植物は興味が湧かないや」
「そんなこと言わないで。植物を操る力は偉大なのよ。空気を浄化し、生命を育むのに植物は欠かせないの」
それまでの精霊の話と違い、祖母があまりにも必死で植物の精霊をかばうので、イーサンは不思議に思った。
「ひょっとして、グランマは植物の精霊に会ったことがあるの?」
「そうね。よく知っているわ。精霊と人間の間に生まれた子孫の中には、体のどこかに印が現れるのよ。特殊な力を持つものが増えすぎないように制御されているのか、その印を持つ者が亡くなると、一族の誰かに印が現れるの」
「印?どんな?」
イーサンはそう尋ねながら、ふと以前から気になっていた祖母の首筋に目をやると、ハンナはその部分が見やすいように、スカーフを外した。
ハンナの首筋には葉っぱの形をしたあざがあった。葉脈まで見えるほどの美しい影絵のようなあざに、思わず手を伸ばして触れたイーサンは、指先がびりびりとしびれるような感覚を味わい、ハンナが支えなかったら、驚きのあまり後ろへひっくり返ってしまうところだった。
「うわっつ。何これ?静電気?グランマの葉っぱが少し動いたみたい。ねっ、ねっ、これ、ひょっとして・・・・・」
「しーっ。パパとママ以外の人に言ってはいけませんよ。不思議な力は過ぎれば、他人から恐れられて、迫害される原因になるの」
不思議なものを発見した喜びで輝いていたイーサンの顔が、引き締まり、真面目な顔で頷いたので、ハンナは話の続きをした。
「私は最初は日本に住んでいたのです。でも他人と違うことを意識する民族の中では、外国人だというだけで目立ってしまうから、造園業を営んでいたグランパが、私のためにアメリカに移り住んで、私の実家の家業の植物農園に加えて造園業を営むことになったの」
「そうなんだ。うちの植物農園に珍しい種類の花が多いのは、グランマのおかげ?」
「そうよ。でもグランパの国にも八百万の神様がいてグランパも植物を育てる力を持っているの。作家などにもそれらしきことを書いている人がいるから、ひょっとして植物の精霊を知っているか、遠い血筋なのかもしれないわ」
イーサンは自分の手を裏返したりしてじっと観察したが、どこにも変わったところを見つけられず、自分にもその力があるだろうかと訝しんだ。
「僕にも植物を育てられる?」
「そうね。やってみましょうか?」
イーサンの輝く笑顔を見て、ハンナは庭に連れていき、花壇の前でしゃがみこんむと、イーサンもハンナに倣って隣にしゃがみ、きらきらした目でハンナを見上げてくる。
「土に触れるか、手をかざすかして、植物が発芽するイメージを頭で描いてごらんなさい」
「それだけ?呪文はないの?」
途端にがっかりした顔になった孫の頭を撫でながら、魔女ではないから呪文はいらないとハンナが優しく諭す。納得したのか、イーサンは土に手をかざし、寄り目になるぐらい地面をじっと見つめていたが、かざすだけでは力不足だと悟ったのか、途中から指を土にめり込ませた。
イーサンは頭でイメージしようとするが、うまくできず、時々口の中で何かをぶつぶつ呟きながら力をこめる。白くなった指先とは反対に、顔が真っ赤染まり、荒い息を吐きながら肩を上下させた。
かなり力んで疲れたのか、イーサは指を土から離して、その場にどてっと腰を下ろした。だが、地面は指を差し込んだ不揃いな小さな丸い穴が5つ開いているだけで、どんなに頭の中で芽が出る想像をしても、地面は微動だにしなかった。
「グランマ。僕才能ないみたい」
涙目で見上げる孫に思わず笑いを漏らしたハンナは、小さく首を振った。
「まだあなたは8歳だから、これから開花するのかもしれないわ。諦めないで。お手本を見せるから見ていて」
そういうと、ハンナはイーサンが土の上につけた指跡に手をかざして、目をつむった。イーサンはハンナの顔から急いで土の上にと視線を戻すと、ハンナの指先がまるで光っているように輪郭がおぼろげに見える。
手の影になった土の表面がもごもごと動き出し、穴がだんだん盛り上がって平らになったかと思うと、そこからペールグリーンの小さな芽がのぞいた。
あっと息を飲んだイーサンが、驚きのあまり息をするのを忘れている間にも、白い茎は色づいて緑になり、ハンナがかざした手を上げるに連れてどんどん成長し、やがて変わった花がそれぞれの穴から伸びた茎に咲いた。
「まぁ、イーサン。あなたは何を想像したの?」
「何って、花の精霊ってどんなのかなと思って、色々想像しながら、精霊の力で花をさかせてくださいってお願いしたんだ」
「あなたには、確かに植物の精霊の力が宿っているわ。見てごらんなさい。親指からはオルキス・イタリカ。英語では
「ほんとだ。真ん中に僕と同じのが生えてる」
無邪気に笑うイーサンにつられ、ハンナも声を立てて笑い、一通り笑いが収まると、人差し指の花の説明に移った。
「見た通りのダンシングガール。中指は、モスが羽ばたいているようなモス・オーキッド。薬指は、キンギョソウだけれど、ちょっと見ていて」
ハンナはそういうと、そのキンギョソウだけに指をかざし、どんどん成長を早め、やがて種を収めたさやを実らせると、イーサンが目をまん丸くしてスカルだと叫んだ。
「そうよ。スナップ・ドラゴン・シード・ポッドと言って、さやが骸骨みたいで面白いでしょ?そして小指からはエンジェル・オーキッド。女神にも見える花ね」
ハンナが自分のことのように喜び、イーサンとそっくりな美しい緑色の瞳を細めながら彼を称えたので、イーサンは植物はあまり興味がないと言ったことをすっかり忘れて、自分でもネットで植物の種類を調べてみようと思った。
「いい子ね。イーサン。どうか私のあざが無くなるときには、あなたが一族の代表として選ばれますように・・・・・」
イーサンは首を振ろうとして、自分の体が自由にならないのを感じた。
いやだよ。だって、グランマは精霊の印を持つものが亡くなると、一族の他の者の身体に印が現れると言ったじゃないか。
そう言おうと思ったのに、唇さえも開かず、言葉にできない。
ハンナの服を掴もうとして伸ばした手が、子供の手とは違う大人の手になっているのに驚いて引っ込めた途端、ハンナは薄れていき、真っ白な光に包まれて、消えてしまった。
「ハンナ!」
パチッと目を開いたとたんに、窓から差し込むまぶしい光に目を射られ、イーサンは手の甲で遮ろうとしたが、そこに浮き出た模様を見て一気に目が覚め、ベッドに飛び起きた。
昨日までは無かったリーフの形のあざに目を見張り、イーサンはスマホをつかんで実家に連絡を取ろうと、画面をオンにしてロックを外す。
大学入学と共に一人暮らしを始めてはや7年の間に、自分から連絡したのは何度になるのか忘れるくらいなので、履歴からではなく電話帳を繰ることになった。
寝起きで、しかも動揺しているため、間違えて造園事務所の方にかけてしまい、舌打ちしながらようやく実家へのコールを鳴らすことに成功した。
まだ、朝が早いためか誰も出ず、コールが何度も鳴り響く度に、否が応でも緊張感が増してくる。プツッと繋がる音がした時には、不安で早く出ろよと叫ぶところだった。
「もしもし?」
「グランマ?ハンナ……・無事なの?一体どういうことだ?」
「イーサン、一体どういうことって、こっちが聞きたいわ。音沙汰の無いあなたの名前がこんなに朝早くから表示されたら、何かあったのかと心配になるでしょ」
「ハンナ、印は元気?じゃなかった。あー違った。俺は何を言ってるんだ」
ひょっとして祖母が亡くなったのじゃないかと思って、慌てて電話したのに、本人が出たため、イーサンは安心半分、困惑半分で、自分でも何を聞けばいいのかわからなくなっていた。
「イーサン。ひょっとしてあなた精霊の印が出たの?」
「あ…うん。そうだけど。ハンナが無事で良かったよ」
「実はね、甲状腺に異常があって検査をすることになったの。一族の医者にかかったのだけれど、専門の医者に診てもらったほうがいいと言われて、あざを消してもらったの」
「そういうことか。でも、あざが消せるなんて初めて聞いたよ。レーザーか何かで焼いたのかい?」
電話口でハンナがクスクス笑いながら、まさかと答えたので、愚問だということが分かり、イーサンは寝起きで絡まったライトブラウンの髪を、片手で解すようにガシガシとかき上げた。
「そんなものでは印は消えないわ。聖なる印を消すには、ある術を使える魔女に頼まないといけないの」
「魔女?この時代に?俺、まだ寝ぼけているのかな?」
ハンナがまた電話口でクスクスと笑っている。
「そういえば、俺たちも不思議な一族だってことを失念していたよ。精霊の子孫がいるなら魔女がいてもおかしくないわけだ」
イーサンは今度は額に垂れてきた前髪を力いっぱい後ろへと撫でつけながら、ため息をついた。
「そうよ。もし、あなたが印を消さなくてはいけなくなったら、サンタモニカ山脈の麓の病院で、形成外科をしているカミラ・プティに連絡を取りなさい。私からの紹介と言えば普通の治療じゃないことが分かるわ」
「その人が魔女なわけ?黒い帽子と服を着て、ほうきに乗っている白髪の老婆だなんて言わないよね?」
「いいえ、赤い髪と緑の目のとびっきりの美人よ、年齢は30歳ぐらいだけれど、魔女だから実年齢はわからないわ」
イーサンはその時は、まさか近いうちに、自分がカミラの術を必要とする日が来るとは思ってもいなかったので、はい、はいと軽口を叩いて、ハンナの検査の結果をまた知らせてほしいと言ってから電話を切ろうとした。
「待ってイーサン。大事なことを言い忘れたわ。外へ出て、目につく一番大きな木の幹に印を当てて、自己紹介をしなさい。その時に、本当の自分の名前ではなく、植物をイメージする名前を伝えてね」
「それってどういう意味があるの?」
「植物の新しい精霊が誕生したことを、木々が他の精霊たちに伝えるの。もし秘密が人間にばれたときに、他の種族を巻き込まないように、私たちは俗称で呼びあうのよ。私の俗称はリーフだったわ。同じ名前は使わないでね」
そういうとハンナの方から電話を切った。
自己紹介?俗称?一体どんな名前にすればいいっていうんだ?
「いけない、もう7時か。とりあえず、仕事に行く準備が先だ」
イーサンは、ハンナの不思議な力を目の当たりにしてから、植物に興味を持ち、大学でもその方面を選んだ。
卒業後院に進み、わずか1年で単位を取って、植物研究センターで研究者として2年働いている。
そこでは、植物を研究してエネルギーに変換したり、交配によって環境の悪いところで育つ食物を作り出したり、土を使わず育てるノウハウを探ったりする。
普通は、いくら精霊の末裔だからと言っても、精霊の印の無い者が力を発揮することはなく、他の人間より少し植物を育てるのが上手いくらいで済んでしまうのだが、イーサンは印が無いにも関わらず、植物の生命力を感じることができた。
植物の医者が幹に耳を当てて、樹液の流れを感じ取るように、植物に触れるだけで、弱ったものたちを元気づけることができるので、イーサンは植物センターでは重宝されていた。
イーサンは朝食を食べ終えると、シャツとパンツに着替え、まだ5月の気候で朝晩ひんやりするのに備えてジャケットを羽織った。植物センターにつけば、白衣の下に着ているものがほぼ隠れるので、25歳といえども平日はしゃれっ気のない恰好だ。
研究センターは広い敷地がいるために、街からは離れた場所に建っている。
たいていの独身者は寮に入ることが多いが、イーサンはそこから車で1時間ほどの山奥に入ったところに、ぽつんと建っているかつて一族が住んでいた空き家を譲り受けて住んでいた。
センターから距離があるため、もうそろそろ出かけなければ遅刻してしまうと、イーサンは急いで玄関を出た。
「目につく一番大きな木に自己紹介をしろと言われたけど、森の中だから、みんな大きいんだよな」
家の周囲の木を見まわして独り呟いたイーサンは、庭から出たところにある大木を掌で撫でた。手に脈々と樹液の流れが伝わり、こちらにまで元気が伝わってくるようだ。
「よし、お前に決めた。そうだ、名前じゃなくて俗称は……。う~~ん。まっ、適当でいいか」
イーサンは右手の掌を自分に向け、甲をそっと木の幹に押し付けた。
瞬間、ヴォンと見えない気の流れが足元から沸き起こり全身を包む。手の甲が磁石のように木に吸い寄せられ、イーサンを覆った気流が渦巻くように木へと流れていくのを感じた。
動かないはずの木の皮の表面が、ぶれて見えるほどに細かく振動しだし、うねるように上へ上へと昇っていく。大きな枝が、意思があるようにバッサバッサと揺れ動き、祝福の紙吹雪のように、イーサンの周りに木の葉を降らせた。
周囲の木まで感電したように緊張を孕み、一定方向を向いた葉に太陽の光が反射して、それはだんだん広がって、森全体が発光したようになる。そしてペールグリーンの光が火柱のように一斉に空へと放たれた。
木々が、草が、すべての植物がイーサンの誕生を祝っている。それを感じたイーサンは心の感ずるままに木々に語りかけていた。
「俺が新しい植物を司る精霊だ。名前は・・・・・ガーデナー。他の種族たちに俺の誕生を知らせてくれ」
まるで木々が礼を取るように、イーサンに向かって柔らかい枝を曲げる。
突風が巻き起こり、伝達の葉を遠くへ運んでいく。地下へと潜った木の根が、大地と水に植物の精霊の誕生を告げた。
『誕生だ!我々の新しい精霊が誕生したぞ』
『誕生だ!植物の新しい精霊が誕生したぞ。名はガーデナー。我々大地の精霊アイナに伝えねば』
『私たち水の精霊マーレに、植物の精霊ガーデナーの誕生を知らせましょう。急いで!大地の下を流れる水たちよ。マーレのもとへ』
『風の精ラファルはどこだ?吹けよ風。我らが風の精霊に、ガーデナーの名を伝えよう』
不思議なことに、植物の精霊として名を名乗ったイーサンには、植物の意思がはっきりと分かるようになった。
大地や、水や、風が、自分たちの精霊に、イーサンの誕生を知らせるために奔走していることも、テレパシーのように手の甲から伝わってきた。
「火の精にはどうやって伝えるんだ?」
思わず口にしてしまった疑問に、木がイメージを送りこんできた。
他の種族が媒介する場合には、風や雨などで各地に飛び散った情報をそこにある火種が拾ったり、空気中のわずかな静電気などからも、それらは火の精霊プロミネンスに伝わるということだ。
火はいつも燃えているわけではないので、どこかで火がキャッチした情報は、熱があれば伝えられるらしい。大地の下のマントルの熱を通して情報が運ばれたり、太陽が照っていれば太陽熱から、電灯が灯っていれば、そこからプロミネンスは情報を得られるらしい。
「どの種族も、壮大なスケールで伝達しあうんだな」
頭いっぱいに広がったイメージから、植物も、土も、水も、火も、全てが繋がってこの世界を作っているんだと感動さえ覚えながら、イーサンは自分が植物の精霊であることに誇りを覚えた。
本当なら、まだ得たばかりの力を利用して、いつまでも木々と会話したいところだが、仕事に行かなければならず、イーサンは名残惜しげに森を見渡すと、庭に置いてある車へと歩き出した。
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