異次元家政婦・華乃穂

naka-motoo

異次元移行を全力でお止めします

 わたしはフリーの家政婦だ。女子高を卒業後、迷いなくこの仕事に就いた。

 家政、という言葉に誇りを持ってる。

 なぜならそれはサービスでも自己実現欲求でもなく、「義務」だから。


「生まれ変わりたいなあ」


 そうおっしゃる創業2代目のオーナー経営者一族の坊ちゃん。先月から短期契約で入った室谷家のとしのり坊ちゃんだ。

 坊ちゃんとは言いながら、彼は現在アラサー。わたしよりも年上だ。

 しかも家業ではなく研究者目指して未だに大学付随の研究機関で頑張っておられる。

 そのとしのりさんがわたしに言う。


華乃穂かのほさんはいいですよね。家事だけやってればいいんだから」


 舐めてるのか、と内心思いつつも「そうですね、としのりさん」と笑みを浮かべて応対した。


 家政婦、と一言でいうけれども、相手が足腰おぼつかない老人であれば介護のエリアにも入っていく。


 室谷家の先代である大旦那さんのように。


「華乃穂さん、お義父とうさんの下着、シミが付いてたら捨てて構わないからね」


 そう言っては自らが経営するグループ企業の1つであるレストランへと出掛けて行った。


「下着って捨てるものじゃなくて洗うものなんだけど」


 そう思うわたしがもはや非常識なのか。

 まあいいや。人間としての本来の務めを自らはやらない・あるいはできないからわたしをカネで雇ってるわけだろうから。


 そして「生まれ変わりたい」と言ってたとしのりさんが研究室から帰ってきて夕食の給餌、あ、間違えた、給仕をした後でわたしに訊いてきた。


「そういえば華乃穂さんって何歳?」


 個人情報だろ、と思ったけどイタズラに角を立てるわけにもいかない。以後の円滑な仕事のために嫌だけれども答えた。


「19歳です」

「え!? そんな若いの!? なんでそんな若いのに家政婦なんか・・・おっと、セクハラになっちゃうか」


 貴方の存在が既にあらゆるハラスメントだから別に今更どうでもいいです。

 どうでもいいからわたしは自ら補足した。


「わたしはあらゆる人が義務であるにもかかわらずなさろうとされないことを仕事にしようと思ったまでのことです」

「ふうん。なんか志っぽいね。よくわからないけど」


 分かれよ、嫌味だって。それに志んじゃなくて志なんだよ。


「でも僕よりも随分年下なんで遠慮なく頼めるよ。手伝ってくれるよね」

「はい? あの、何を・・・?」

「異次元移行」


 ああ。世にもてはやされるその単語がもはや商標登録のレベルなので敢えて別表現をしてるんだな。

 その概念に別に驚きもしない。わたしだって生まれ変わって移行できるものならばよりアドバンテージのある境遇になりたい。ただ、研究職なる職業のとしのりさんがこう言うのならばそれはなんらかの科学的根拠があるのだろう。

 そちらの方が驚きだ。


「これ、見てよ」


 としのりさんが見せるのは美しくかわいらしい表紙の文庫だった。

 おそらくこれが異次元移行の小説なんだろう。わたしは読んだことはないけれども。


「この移行方法がね。トラックにはねられたり崖から落ちたり。つまりは臨死状態を作り上げることによってそのままで時間を停止させ、僕の意思と原子レベルの肉体細胞を異次元に瞬間移行させるものだろうと思うんだ」


 嫌な笑いをした後、としのりさんはまだ続けた。


「ここに睡眠導入剤が二週間分ある。じいちゃんの部屋からくすねてきた。これを僕が一錠ずつ飲む。僕の命に別状ないぐらいの仮死ギリギリのところまで見てコントロールしてくれないか」


 いや、下手すりゃ自殺幇助だよね、それって。

 自殺を誘発するような表現を避けるガイドラインがあるはずなのに死んで異次元みたいな作品があるのもどうかと思うけれども、研究者たるとしのりさんが一見非科学的なことを言いだすのにも特に驚きはしない。


 むしろ、よくぞ科学を見限ったと褒めてあげたいくらいだ。


 ただ、人間の命をおもちゃほどにしか考えてない。


「としのりさん、本気なんですね」

「え」

「異次元、っていう発想は間違ってません。ただ、一番上まで52段ありますよ。それはもう泣こうが喚こうが無理な高さです。でも、ほんのちょっとだけの別次元なら多分お見せできると思いますけど」

「え? え? 何言ってんの?」

「本気じゃないならやめときますけど」

「い、いや。なんだかわかんないけど、やってみてよ」


 分かろうという努力をしろよ。

 でも別にいい。死のうとするよりは多分こっちの方がいい。


「では、としのりさん。ソファの上に正座してください」


 わたしは食堂と繋がったリビングの、ベッドほどの空間が取れるソファに彼をいざなった。


「これでいいかい?」

「はい。じゃあ、わたしも」


 わたしはスリッパを脱ぎ、スカートの折り目を揃えてソファの上に正座する。としのりさんと真正面で向かい合う。


 としのりさんがわたしに訊いてきた。


「どうするの?」

「どうもしません。このまま3分間じっとしてたら、多分次元を1つ上れます」


 刹那ずつ時間が過ぎる。

 としのりさんは最初わたしの目を疑問符で溢れる表情で見ていた。


 段々と視線が下がってきて、わたしの口元を見ている。

 更に下がって今度はわたしの胸元を。

 そのまま下がり続け、わたしのスカートの皺を見ているのか、それとも腰だとか足だとかそのものを見ているのかどうか曖昧になってきた。


「か、華乃穂さん!」


 いきなりとしのりさんが覆いかぶさってきた。


 わたしはなんの感情もなく躊躇もなく、自分の紺色のソックスの足の裏の生地が破けそうなぐらいの力とスピードで彼の胸板あたりを突くように蹴り上げた。


「お、ぐえっ!」


 蹴られた部分を中心に体を折り曲げてベッドに頭をこすりつけて悶え苦しむとしのり。


 わたしはベッドの上に立ち上がって彼を見下ろし、演説を始める。


「下郎でしたね、結局あなたは。祖母が言ってました。『欲少なく、義務ミッション履行クリアした者だけが次の次元ステージへ移行できる』と。学問をし、ゲームフリークでもあるあなたですらそんなことも分からないなんて」


 言い終えて、更に追加した。


「あ。できないだけですかね。自制の効かない子供ガキだから」

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