六:天祢誠哉

22.今は、平和な朝

「おはよう、お兄ちゃん!」


 部屋の扉を開けて、弓姫が顔を出した。僕はベッドから起き上がっていて、ちょうど服を着替えているところだった。上半身を脱いだ瞬間に開けられちゃ、隠す暇もないよな。


「ああ、おはよう弓姫」

「うん……きゃー!」

「いや、逃げることないだろ。言っちゃ何だけど、少し前には一緒にお風呂に入ったこともあるんだしさ」

「お兄ちゃんには少し前でも、私には十年以上前ー!」


 扉の向こうに隠れている弓姫は半ば涙声。まあ、確かにそうだよなあ。ちょっと卑怯だったかな、と思いながら上着に手を掛けたところで、弓姫が覗き込んできているのに気が付いた。じーっと僕の方を見ているようだ……正確には、僕の胸元を。


「ん、気になるか?」

「う、うん」


 悪いことして怒られているような表情で、義妹が頷く。別に弓姫が悪いんじゃないんだから、気にしなくていいのにな。

 彼女の気にかけているのは、僕の胸に刻まれている印。多分『卵』を埋め込んだ術式の跡だろう、とアテル先生が言っていた。

 『邪』が覚醒しかけた後になって浮かび上がってきたのは、それ以前に出てきたらばれるから隠蔽してたんだろう、という話だ。そりゃまあ、『邪』の覚醒後に僕が生きている保証は全くなかったからなあ。


「はは、大丈夫だよ。こんなの、ただの火傷みたいなものだし。服を着てしまえば分からないだろ」

「……それもそっか」


 僕が何でもないようにそう言えば、弓姫は頷いてくれるって分かってたからそうした。これも卑怯だな……と思って、卑怯ついでにもう一言。


「弓姫。下も着替えるから」

「あ、きゃーごめんなさいっ!」


 ……扉を閉めてくれ、と言う前にバタンと大きな音を立てて扉が閉じた。多分向こう側の弓姫は今、扉に背中を着けて顔でも真っ赤にしてるんじゃないだろうか。


「…………ふう」


 溜息をひとつついてみる。着替えた服の上からそっと胸元を触ると、そこだけ周囲よりも熱を持っているのがはっきり分かる。

 この中には、今でも『邪』が眠っている。それは、守備隊の皆にはきちんと話してある。隠し通すのは無理だろうってことくらい分かっているし、僕を受け入れてくれた彼らに嘘はつきたくなかったから。そして、皆はやはりそれでも僕を認めてくれた。それには感謝している。

 いつか、こいつが再び目覚めるようなことがあったら、僕は今度こそその生贄になるだろう。今回は助かったけれど、次は皆と殺し合うことになるかもしれない。

 だけど、それまでに何か方策が見つかるかもしれない。それとも、もう『邪』は目覚めないかもしれない。それはとんでもなく楽観的すぎる妄想だけど。


「お兄ちゃーん、着替え終わった?」

「ん? ああ、ごめん。お待たせ」


 いけないいけない。ぼんやり考え事をしていて、ついほったらかしになってしまった。謝りながら部屋を出ると、そこにいたのは弓姫だけじゃなかった。


「きゃうん。誠哉ー、おっはよー!」

「え? わっ、ラフェリナとびかか、あいてっ!」


 廊下に出た瞬間に、ジャンプ力のある犬獣魔に上から飛びかかられてはたまらない。しっかりラフェリナを受け止めたけれど、勢い余って派手にひっくり返ってしまった。あー、軽く腰打ったかも。


「お、お兄ちゃん大丈夫っ! ちょっとラフェリナ、ひどーい!」

「わう? へへーん。弓姫、誠哉に甘えられなくて拗ねてるんダー!」


 僕から自分を引っぺがそうとする弓姫を、ちょいちょいと手先であしらうラフェリナ。しかし、何で彼女はこれだけ僕に懐くんだろうな?


「え? だって弓姫と疾風のお兄ちゃんでショ? だったら悪いヒトのはずないもん」


 尋ねたら、返事はこれ。本当に分かってるのかなあ、僕が『邪』を内包しているんだって。

 でも、今はいいか。


「せーえーやー。ご飯食べよ、ごはんっ」

「はいはい。分かったからどいてくれ、ラフェリナ。起きられないだろ」


 苦笑しながらぽんぽんと背中を叩いてやる。そうすると彼女はごめんね、と言いながらひょいと僕の上から退けてくれた。ぱたぱた振られている尻尾が、彼女が上機嫌であることを示している。


「んもー、ラフェリナの馬鹿ー。お兄ちゃん、一緒に行こう」

「バカとは何だバカとはー!」

「ああ、はいはい。二人とも、一緒に行こう。ね?」


 威勢良く噛みつく義妹と、きゃんきゃん吠える犬娘の間に割って入る。

 いつまで、こんな平和が続くのかは分からない。

 『卵』は僕の中にまだ存在しているし、それ以外の『邪』だって闇の中で蠢いているに違いない。


「お、誠哉兄、何やってんだ。両手に花か?」

「あのなあ疾風……これから朝食だよ、全く」


 溜息をつきながら手を伸ばしてくれる義弟に、素直に甘える。

 こうやって、仲良くしていられるのはいつまでかも分からない。

 多分、そのうち魔獣や邪人がこの村を狙ってくるだろう。いや、もう狙っているのかも分からない。


 それでも。

 いつか、僕が壊れてしまっても。


 十年経って手に入れた、この平和だけは、壊させない。

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Incubator~助けた義兄が敵の標的になっています!~ 山吹弓美 @mayferia

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