21.七変化
青紫の鎧花が、お兄ちゃんの身体を包み込む。銀色の髪が映える、青い戦士がそこに復活する。何かを振り払うように軽く頭を振り、誠哉お兄ちゃんは微かに口の端を引きながら、闇黒族の少年を見つめた。
『愚かな……鎧花ごときで、「邪」を封じられるとでも!』
闇黒族の少年は、信じられないって表情をしながら何か喚いている。
きっと、お兄ちゃんを捕まえた十年前の経験を元に言っているんだろう。だけど、誠哉お兄ちゃんの『七変化』は当時のままじゃない。それを知らないあいつに、何を言われる筋合いもない。
「あいにく、僕の鎧花は弓姫が改良してくれていてね。この中には天翼族の魔力がこめられている……つまり、『邪』への抵抗力が僕に付加されるんだ」
『な……?』
「僕の意思さえしっかり保っていれば、『邪』は僕の中に封じられる。それに」
そこまで言ってお兄ちゃんは、私に視線を向けた。ふんわりとした笑顔は、私が一番好きなお兄ちゃんの表情だ。当然のように、私もお兄ちゃんに笑いかける。
「僕には十年間、待っていてくれたヒトがいる。こんな僕を、信じてくれるヒトがいる。……お前たちには、負けない」
『愚かな。待ち受けていたは我らも同じ……「邪」の目覚めを、我らはどれだけ待ち焦がれて来たか!』
闇黒族の少年が、両手を掲げる。その手の中でばちばちと唸っていた電光が、弾けるようにお兄ちゃんへと殺到した。獲物を見つけた肉食の鳥が、一斉に飛びかかっていくように。
「く、はっ!」
瞬間、お兄ちゃんの手から白い光の刃が伸びた。ぶんと大きく横薙ぎに振られたそれは、稲妻が凝り固まったような光を正確に捉えて弾き返す。お兄ちゃんの動体視力と、鎧花による肉体動作のサポートがそれを可能にしている。私、頑張って整備したもの。
激しいスパークの後、そこには全く無傷の誠哉お兄ちゃんが立っていた。優しい瞳が私を見て……不意に、真剣な眼差しになった。凛としたその表情は、十年前最後に別れた時と同じ。
「弓姫、下がっていてくれ」
言われた言葉に「え?」と思わず聞き返す。そうしたら、お兄ちゃんは「下がれ」ともう一度言って、それから言葉を続けた。視線が厳しくて、力強い。私の知らない、剣士としての誠哉お兄ちゃん。
「ここで決着を着ける、疾風のサポートを頼む」
「え? あ、うん」
言葉の圧力に押されたのか、私は頷いていた。そのままゆっくりと後ずさり、疾風兄さんのそばに戻る。兄さんはまだ魔力中継役を続けていて、身動きが取れない状態だけど、私が戻ってきたのに気づくと「よう」と声をかけてくれた。
「ん、やったな、弓姫」
「うん」
「まあ、お前は兄貴の戦いを見守ってろ。陣は任せとけ」
ぽん、とお気楽に言ってのけ、私の頭を叩いてから疾風兄さんは再び集中し、自分の中に籠もる。
まだ誠哉お兄ちゃんの浄化は終わっていない。だから、兄さんやセラス司令やエンシュや……獣魔族は一人だけだから協力しているはずのラフェリナは、『浄化陣』の維持と祭儀の継続を最優先にしなくちゃならない。蒼真さんは……どこに行っちゃったんだろう?
それはさておき。
だから、お兄ちゃんの戦いを見守るのは、私の役目だ。
『くはははは……無駄な足掻きを……!』
少年が大きく翼を広げる。マントのように広がった翼は際限なくその空間を覆い尽くし、まるで生命を持っているかのようにうねうねと立ち上がった。
そりゃまあ、確かに闇翼族や天翼族の翼は当人の魔力が半実体化したものだから、その意志によって自在に動かせるのだけれど。いくら何でもアレは無いと思う。
まるで、お兄ちゃんをもう一度あの洞窟の中に引きずり込もうとしているようで。
「堕ちた闇翼……闇黒族。ああ、思い出した」
その翼の先端を正確に魔力剣で切り払いながら、お兄ちゃんは呟く。何故か、離れた場所に立っている私にもその声ははっきりと聞こえて。
「僕は……お前の術に掛かった。邪魔な鎧花を脱ぎ捨て、跪けと」
微かに震える声が流れる。その中でお兄ちゃんは、まるで舞うように剣を振るっていた。一直線に振り下ろす、力強い疾風兄さんの剣捌きとは違う使い方。翼を斬る音はばさり、ばさりとまるで布を斬る音に聞こえる。
『その通り。贄を屠れば屠るほど、その怨念によって我ら「邪」の術の効力は上がる。「器」一つを得る為に屠った生贄の数は三十五。よい成果であった』
朗々と流れる少年の声。軽快なステップで、誠哉お兄ちゃんの刃をヒラリヒラリとかわしている。まるで何かと遊んでいるみたいに楽しそうな、邪悪な笑みを浮かべて。だけど、その言葉はごく当然の事実を述べているように淡々と、冷静だった。
三十五人。
誠哉お兄ちゃんと一緒に山に登り、帰ってこなかった村人の数。
その全ては誠哉お兄ちゃんを捕らえ、『邪』をその体内に埋め込むために消費されたのだと、あの子は言った。
お隣のおじさんも、八百屋のご主人も、用心棒のお兄さんも。
ただそれだけのために、殺されたのだと。
「なぜ僕なんだ! 僕は人間族で、ただの剣士だ!」
その言葉を遮るように、誠哉お兄ちゃんが吼える。思い切り踏み込んで、少年本体に届けとばかりに大上段から剣を振り下ろす。後ほんの少しというところでその切っ先を受け止めたのは、やはり少年の翼だった。
疾風兄さんほどではないけれど力いっぱい叩きつけられた刃の威力を相殺し切れなかったのか、それともお兄ちゃんの迫力に押されたのか、少年は歯噛みして一歩だけ後退した。
『く……その答えはその髪が物語っておる。銀の髪の意味がその答え』
再び翼が広がった。今度は巨大な一枚の布のように大きく広がり、自分と誠哉お兄ちゃんを丸ごと包み込もうとしている。ああ、そばに行けたなら。私に力があったなら、あんな翼、ぶった切ってやるのに。
「僕の、髪」
『そうだ。その髪こそは先祖返り、そなたの奥底に潜む『邪』の気の顕現』
誠哉お兄ちゃんの目の前で、お兄ちゃんと同じ色の髪を持つ少年はうっすらと、外見年齢に似合わない邪悪な年寄りの笑みを浮かべる。
『かつて「邪」に染まりながらも光の元へ帰った者が、「邪」の気を宿したまま子を成した。気は子へ、孫へと移りながら復活の時を待ち侘び……そなたの代になって時が満ち、表に浮かび上がって来たのだ』
もっともヒトはそれを知らぬだろうがな、と少年は続けた。
だから、何?
昔々に、ご先祖様が『邪』に染まってたからって、それが何?
そんなの、あんたたちがお兄ちゃんに何をしたかとは関係無いじゃない。
お兄ちゃんはお兄ちゃん、ご先祖様はご先祖様なんだから。
「そんなの知ったことか。僕は僕だ、先祖がどうあろうと内に『邪』がいようと、それは変わらない」
誠哉お兄ちゃん自身も、私と同じ考えでいてくれた。手に取った剣が、ぐんと刃の大きさを増す。それは白くて綺麗で、青紫の『七変化』によく映える。
同じくとても綺麗に映える銀色の髪を揺らして、誠哉お兄ちゃんは刃の先端を少年に突き付けた。
「僕は、天祢誠哉。人間族の剣士。鎧花をまとう者。お前たちの敵だ」
『良くぞ言った。ならば私はそなたを殺し、その魂を最後の贄として「邪」を目覚めさせることとしよう』
そう答えて、少年は私に視線を向けた。その目がにんまりと細められた瞬間、私はぴくりとも動けなくなってしまう。うわまずった、術掛けられた……!
『その前にまずは、煩い小娘から消えて貰おうか』
「なっ!」
お兄ちゃんが私を振り返るより早く、少年の翼の一部がぐんと伸びた。先端が鋭く尖った槍と化したそれが、一直線に私に迫ってくる。
こういう時、どうして必要以上にゆっくりと見えるんだろう。じりじりと私に向かってやってくる穂先がはっきりと見える。その向こうに、振り向きながら剣を振り上げるお兄ちゃんの姿。さらにその向こうには、お兄ちゃんを見て笑ってる闇黒族の少年。
いや、って声も出ない。出しても多分、間に合わない。
だから、せめて痛くないようにと祈りながら目を閉じようとして。
「術式省略。凍結、氷壁」
目の前に舞い降りた黒い背中に、視界を覆われた。
次の瞬間、ばきばきと激しい音と共に冷気が周囲を支配する。
私と背中の主の目の前には、私の身長よりずっと高い氷の壁が盾となってそびえていた。横から覗いてみたら、かなり厚手の壁の真ん中くらいまで翼の先端が食い込んでいる。うわあ、こんなので直撃されたらひとたまりもなかったなあ。
「無事か?」
黒い鎧花をまとった、黒髪黒衣の彼が肩越しに私を見下ろしてきた。私は一度うんと頷いてから、慌てて口を開く。あれ、術が解けてる。もしかして、相手の視界に入らないと効かないタイプなのかな?
「ありがと、蒼真さん」
「気にするな。間に合って幸いだ」
『浄化陣』の形成に参加していなかった蒼真さんが、私を守ってくれている。もしかして司令、これも計算のうちだったのかな?
『な、貴様……』
氷の壁のせいで向こうからこちらを、こちらから向こうを伺うのは難しい。だけど、聞こえてきた声の口調でよく分かる。
あいつ、焦ってる。
間もなく浄化の祭儀が完成することを悟ったのか。
自分の翼を凍らされたのが意外だったのか。
それとも、多勢に無勢だと気づいたからか。
ともかく、少なくとも心理的にはこっちが優位に立ったみたいだ。実力がどうかは分からないのだけれど。
それでもあいつは、翼を力いっぱい広げた。抱え込んだ物質の膨張に耐えられずに、氷の壁が弾けるように砕ける。
「術式省略。解凍」
破片となってこっちに襲いかかってくる氷の壁に対し、蒼真さんはあくまでも冷静だった。すっと右手を挙げ、略式の詠唱だけで氷を水に変えてしまう。もっとも、モノが飛んでくる勢いを消すことはできなくておかげで髪や服が濡れちゃったけど、このくらいは平気。
と、濡れた私の髪に軽く手が置かれた。蒼真さんが、半分こちらに向き直って微笑んでいる。うわ、珍しいモノ見た。しかも、こんな至近距離で。
「頑張ったな、弓姫」
「は、はいっ!」
蒼真さんはあまり言葉を話さない。だからといって人と会話することが嫌いな訳ではなく、こういう時には必要最小限だけだけどちゃんと会話を交わしてくれる。
私に笑ってくれた後、彼の視線はこちらを見ている誠哉お兄ちゃんに移った。私に背中を向け直したから蒼真さんの顔は見えないけれど、きっと私に見せてくれた同じ笑顔に違いない。だって、蒼真さんの顔を見た誠哉お兄ちゃんも、晴れ晴れと笑っているんだもの。
「誠哉、お前の戦いだ。行け」
「……ありがとう。弓姫を頼みます」
そうして、いつものようにふんわりと笑って、誠哉お兄ちゃんは『敵』に向き直った。ここからはお兄ちゃんと、あいつが決めること。私に立ち入る隙なんて、寸分も無い。
「さあ、終わらせよう。邪魔は入らないけれど、手早く決める」
青紫の鎧花をまとい、右の手から長く伸びる白い光の刃を軽く振る誠哉お兄ちゃん。
『そのようだな。では、滅びの時を起こそうぞ』
漆黒の衣服をまとい、魔力の翼を大きく左右に広げて自らの刃と成す闇黒族の少年。
二人は一瞬だけお互いを見つめ合い、次の瞬間、大地を蹴った。大きく振りかぶられた白の刃が黒い少年に迫り、それを翼がふわりと柔らかく受け止めて防ぐ。
「ふっ!」
『つっ!』
一旦飛び退き、互いに体勢を立て直す。次にスタートしたのは、お兄ちゃんの方が早かった。姿勢を低く保ち、あっという間に少年の懐に飛び込む。腰に構えた剣の先を、その胴体に差し込むために。
『甘いわ!』
どん、と少年が地面を蹴る。うわあ、詠唱すら省略して氷の槍を生やした。けれどお兄ちゃんだって、負けてはいない。
「は、はっ、はあっ!」
自分目がけて伸びてくる氷を、剣を振るって斬ると言うよりは砕く。そのまままっすぐ、まっすぐ突き進んでいく様子は光みたいで、私はずーっと見とれていた。
『ご……ぼっ』
どす、という重い音がして、少年が血を吐いて、その吐き出した真っ黒な血がお兄ちゃんに掛かっても。
本当に、お兄ちゃんは手早く決めてしまった。もっとも、時間をかけてしまったら闇黒族は長詠唱する必要のある、ここにいるみんなを巻き込むほどの威力を持つ魔術を使ってきかねなかったから、これが最良だったんだろう。
「消え去れ。あいにくだけど、僕はこのままヒトとして生きる」
お兄ちゃんが、刃の実体化を解いた。あっという間に消え去った剣のせいで支えが無くなって、少年はぐらぐらと不安定に揺れている。けれどその顔は、私から見える限り笑っているようにしか思えない。あいつ、何を考えているんだろう?
『く……愚か』
ほら、やっぱり笑ってる。自分が死んでも、目的は達成された……その顔はそう言っている。
誠哉お兄ちゃんの中の『邪』を目覚めさせるためなら、自分の命など問わない。『邪』に染まった者は、そうして生きることを強制させられるのだと、この十年間で私はイヤって言うほど思い知らされている。
『我が魂を、贄として……』
「できると思ったかい? 完成した、この『浄化陣』の中で」
しゃらん、と音がしたような気がした。蒼真さんと少年のおかげで黒が多かった私の視界に、不意に光が入ってくる。
あ、違う。
光に見えたのは、セラス司令の翼だった。白い鳥の羽を優雅に広げ、空からふうわりと舞い降りてきた天翼族に、少年の顔色ががらりと変化した。それは、彼らでも持っているのだと知った、絶望。
「『浄化陣』で、姿が変わるほどの『邪』の影響を消し去ることはできない。けれど、『その存在ごと消去すること』ならできるんだよ。これもごく最近分かったことだけど」
多分、少年に対してもあの笑顔を見せているのだろう司令の言葉に、私は少し驚いた。ごく最近っていうか、私はそんな話を聞いたことがない。きっと、司令が外回りをしている時に手に入れた情報なんじゃないかと思われる。もう、そういう話は先にして欲しい。
そして、司令に同行していた蒼真さんもそのことは知っていたのか、頷いて口を開いた。どこまでも落ち着き払っているのは、とってもこの二人らしいけれど。
「陣の構築には時間と人材が必要だからな。それよりは直接戦闘した方が手っ取り早い」
淡々と告げられる事実。少年の額に脂汗がじんわりとにじみ、彼は自分の身体を両腕で抱え込む形になってがたがたと震えている。
ああ、きっと司令や蒼真さんの言ったことに真実みがあるって言う、重要な証拠だ。あの子、自分が消されるって分かってさすがに震えているんだ。
『が、は……き、さま、ら……』
「心配しなくていいよ。既に君を封じる術式は完全発動している……誠哉くんが君を斬った時にね」
セラス司令の落ち着き払った声が響く。ああ、本当だ。とうに少年の翼はその端からボロボロと崩れ、消え去っていく。
そればかりじゃない。はっとして彼が上げた右手は、その指が先の方からさらさらと砂のようになって僅かな風の中に消えている。彼の目の前にいる誠哉お兄ちゃんが何ともないのに。
『おの、れ……』
「じゃあね。さようなら」
司令がそう、ポツリと呟くと同時に少年の身体が一気に崩れていった。黒く染まった肉体が、ザラリとした黒い砂に変じていく。あまりに急激な崩壊に、彼は呪詛を吐く暇も無く消え失せる。
ざあっと風が吹き抜けた後には、もう何も残ってはいなかった。ただ、私たちと血の匂いと、邪人たちの死骸が転がっているだけ。
あっけない、幕切れ。
呆然とそれを見ていた誠哉お兄ちゃんだったけれど、はっと正気に戻ってこっちを見た。顔に着いた血の飛沫を手で拭い取るのは、やぱり気分が良くないからかな。
「……セラス司令」
「お疲れ様。よく頑張ったね、誠哉くん」
そんなお兄ちゃんに、司令は軽く翼をはためかせながら明るい声をかける。このヒトはいつもこう。任務が終わった後には、ちゃんとこうやって部下を労ってくれる。もっとも、怒るのはやっぱりエンシュの役どころなんだけど。
「……ありがとうございます」
深々と頭を下げたお兄ちゃんは、もうすっかり司令の部下って感じだった。
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