残煙

ネギま馬

紫煙

「それって、美味しいんすか?」


 いつもの昼下がり、ビルの屋上から人がダラダラと流れていくいつもの景色を眺めながら御用達のコーヒー缶片手に俯瞰するはずが、何を血迷ったのだろうか。僕の視線は、自然と僕の隣で黙々とタバコを吸っている女性へと向かっていた。


「いつも吸っているんで」


 恐る恐る隣にいる女性に指を差しながら問う。女性は僕に突然質問されたもので、少々ばかりきょとんとしてあぁ、と合点が言ったように目を開いた。


「あぁ、タバコのこと?」

「はい」

「タバコは吸わないもので」


「んー、どうだろう」と少々悩んだところ、彼女はそれほどタバコを好きではないのかもしれない。細い二本指で支えられ、口に咥えられたタバコの端がチリチリと音を立てて静かに赤く、燃えていく。吟味するように目を瞑った彼女の睫毛は長かった。目鼻立ちが良く、薄く引き伸ばされた唇は化粧のおかげか少し桃色に見える。きっと彼女は化粧映えのする顔なのだ。

 逡巡するのをやめたかのように、彼女は瞼を持ち上げると同時に唇から漏れ出た紫煙をふぅ、と静かに吐いた。


「最悪だよ」


 屋上の風通しの良い晴天に揉み消されるようにゆらゆらと消えていく紫煙を見つめながら、ぼんやりと呟く。そんな彼女の表情は、最悪だと言うには少々嬉しそうにも見える。彼女の足元に置かれた防火バケツはたった今張り替えられたみたいで、透明に底を透過していた。透明な水が、白光りするように波立たせて揺れている。


「じゃあ、どうしてタバコを?」

「んー」


「君、案外プライバシーとか気にしない人でしょ?」まぁ、いいけど、と言いながら彼女はもう一度タバコに口をつける。ゆらゆらと揺れていた紫煙が、僕の鼻腔まで漂ってきた。ニコチンやタールの含まれたその煙は、どこか紅茶の匂いがした。


「彼氏が吸っててさ。その影響」

「あ……彼氏いたんすね」

「あぁ、そうさ。クソみたいにねじ曲がった彼氏がいたよ」

「例えば、どんな?」僕はズケズケとプライバシーに踏み込んでいく。僕の目の前でタバコを吸っている彼女のストレス発散にでもなればいいと考えたからなのだろうか。自分でもわからない、だがもしそうなのだとしたら僕はただ自分を殴りたい。


 女性はただ沈黙するようにタバコをもう一度加えた。また例によって紫煙が吐き出される。だが今回違ったのは、彼女が紫煙を吐いて何も喋らなかったことだ。煙の風流れにゆらゆらと揺れる軌道をただ見つめて沈黙していた。長い睫毛が屋上風に吹かれて微かに揺れた。ただ無言で煙を見据える彼女は話すべきか迷っているようにも見えた、それと同時にどう話せばいいのかを悩んでいるようにも。

 しばらく沈黙した。僕はただ呆けたように煙の掻き消された空を見つめる彼女を見つめていた。口が、開く。


「一言で言えば、そうだね。ギャンブル狂い、かな」

「とりあえず、パチンコ行って、大金スって、一文無しになって帰ってくるクソみたいな彼氏さ」

「ギャンブル狂いのろくでなし」

「さいあく……ですか」


 彼女は短くなったタバコを今一度、名残惜しそうに口に咥え、その炎を短く燃やす。やがて吐いた紫煙は、確かに紅茶の匂いがした。彼女は空へと向けていた視線を足元へと置いた防火バケツへと向けて、投げ捨てるように死んだタバコを水面へ放った。じゅわ、と音を立てながら沈んでいくタバコと、濁っていく水面をただ見つめていた。


 そんな彼女の表情は、ただ最悪というにはいささか最悪とは程遠い表情をしていた。


「あぁ、さいあくだったよ」

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残煙 ネギま馬 @negima6531

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