息子
「仕事を見つけた。探すな。慎太郎」という嘘の書置きをこたつの上に残して彼が実家を飛び出したのは妹の園子が亡くなってすぐあとのことだった。何も言わず忽然と消えた息子に両親は驚いたが、家でゴロゴロしている息子がやる気になってくれたことで多少は安心したものだった。
慎太郎は仕事を見つけたわけではなかったが実家にいても居心地が悪いだけだったので出た。ただそれだけだ。
慎太郎はいつしか「自分は親から嫌われている。」と思うようになった。優秀な妹と比べて自分が親に褒められた記憶はほとんどない。友達の親から褒められたことはあってもそれはお世辞というものだと子供ながらに分かっていた。
昔親戚の人からお年玉をもらったときも、妹は母親に預けたが彼は自分の部屋のおもちゃ箱にそれを隠した。対照的な兄と妹だが、その後おもちゃ箱からお年玉が消えていたのは妹が盗んだのだと23歳になった今でも固く信じている。
それ以来妹とは必要事項以外ほとんど話さなかったが事故で亡くなったことはこの男でもさすがに応えた。こんな兄にも弁当を作ってくれる優しい妹だったと今は思える。
慎太郎は高校の友人橋本のアパートを訪ねた。木造2階建て風呂なしの築40年はあろうかというアパートの2階に彼は住んでいる。木目のドアの横にある呼び出しボタンは壊れているらしくいかにも訪問者を拒絶しているようだ。ノックをすると橋本が今まで寝てましたと言わんばかりの表情で迷惑そうに出てきた。
「よお、久しぶり。いきなりで悪いんだけどしばらくここにおいてくれないかな。」突然の訪問に断られるかと思っていたが、
「入れよ。」とダルそうな口調で家に上げてくれた。
中はじめじめとした6畳の和室でタバコのやにが部屋の壁中にこびりついていた。週刊誌が至る所に投げ捨てられていて足の踏み場に困るほどだ。実は慎太郎、この橋本が何の仕事をやっているのか知らない。友人とはいっても大学は離れていたので今日会うのも久しぶりだ。
「いつまでいんの。」と床に落ちているものを片付けながら聞いてくる姿を見ると案外迷惑ではないらしい。
「仕事と住むとこ見つけたらすぐ出てくよ。2週間くらいいてもいいかな。」
「まあ俺はいいけど。仕事決まってないなら俺の仕事手伝わない。」と思ってもみない提案を受けた。
「えっ、どんな仕事。」
「カメラマンだよ。雑誌に載せんの。」
「お前編集社に勤めてんの。俺カメラなんて撮影したことないんだけど。」
「違うよ、お前は車運転してくれたらいいから。免許持ってるだろ。」と彼は車のキーを慎太郎にパスした。橋本という友人に不穏な空気を感じながらも慎太郎はひとまず流れに身を任せてみることにした。
猫と家族 江戸おにたろう @edooni
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