永井君はぼんやりしている。
村田天
永井君はぼんやりしている。
「
言われたそのひとことが気になってしまったのは相手が永井だったからだ。
彼とは高校二年になって同じクラスになった。
ざっくりと言うならば彼はとてもぼんやりした奴だった。
ぼんやりと言ってもいわゆる大人しい奴ではない。
けれど、確実に注意散漫でどこか抜けている。
彼はお昼に間違えて隣の友達のペットボトルのお茶を飲もうとしたり、朝間違えて隣の教室に入ったり、そこで部活の友達を見つけてそのまま話し込んでチャイムが鳴って先生に追い出されたり。そういう適当で、いささか大雑把なぼんやりなのだ。
その彼が、昨日の夜ほんの少しだけ切ったわたしの前髪に気付くとは思えない。だって他の誰も気付かなかったのに。
少し考えて、やっぱり何かの間違いだと思った。彼ならいっそショートカットのわたしを、昨日までロングヘアの他の誰かと間違えて認識していたとかの方がまだしっくりくる。
「どこを切ったと思う?」
「まえがみ、ほんのちょっと」
驚くべきことに当たっていた。
「本当に永井?」
「ながいですけど?」
髪型に敏感な奴なのかもしれない。髪型に敏感て何だと思いつつもそうとしか思えない。
その時同じクラスの佐々木さんがロングの髪をバッサリ切ってボブにして、教室に入って来た。誰が見ても分かる大胆な変化に、ふざけて永井に聞いた。
「永井、佐々木さんの髪だけど、切ったのわかる?」
言われて永井がそちらを見る。
彼の返答はこうだった。
「え、あれって笹川さんじゃなかったの?」
「笹川さんはうちのクラスにはいない……ってか学年にも多分いないよ」
「そーだっけ」
ひょうひょうとした声で返す永井はどことなく捉えどころがなくて、どこまでふざけていて、どこから本気なのか分かり難い。
その時からちょっと永井が気になるようになった。印象はぼんやりした奴から、ちょっと変な奴、に変わった。
放課後友達と馬鹿話をしていたら少し遅くなってしまった。
帰ろうとして制服のブレザーを着たらポケットにあるはずの自宅の鍵がなくなっていた。今日は暑かったから割と頻繁に脱ぎ着した。入れっぱなしだった鍵をどこかで落としたのかもしれない。
焦って探す。お昼を食べた中庭。教室移動で行った化学室のあたり。床をじっと見ながら歩き回った。
結局見つからなくて教室に戻ると誰もいない教室に永井がひとりだけいた。
「まだ帰ってなかったんだ」
なんとなく挨拶がてら声をかけると席に座っていた永井が手で弄んでいたものを渡して来た。
「これ、教室の端に落ちてたけど、もしかして須藤の?」
永井の持っていたのはわたしの鍵だった。
「うわ、これ! 今めっちゃ探してた! ありがとう!」
「そっか。やっぱり」
「でもなんでわたしのって分かったの?」
「須藤ってさ、絹代でしょ。Kの字のキーホルダーも一緒に付いてたから。もしかしてそうかなーって」
「なるほどありがとう~」
答えた後でちょっと考えた。
他の人ならまだしも、永井が他人の下の名前を覚えているなんて珍しく感じる。ていうかKなんて、名字も合わせたら結構いる気もするんだけれど。
ちょっとモヤモヤとしたけれど、鍵が戻って安心したので良しとした。まぁ、永井だし。わたしの名前もそこそこインパクトあるし、おばあちゃんの名前と一緒だったとかでたまたま覚えていたのかもしれない。
「帰るの?」
「永井のおかげでやっと帰れるよ」
そう言って笑うと彼も立ち上がった。
「永井も帰るの?」
「うん、帰るよー」
ほわほわとしたテンションで答えた永井と下駄箱まで行った。
「永井が帰ってなくてよかった……」
胸をなでおろして言うと永井は「さすがに人の家の鍵っぽいものは持って帰らないよ。帰るなら職員室預ける」と言って、はは、と笑った。
昇降口を出たあたりで永井が口を開く。
「須藤さぁ……」
「うん?」
「俺が髪切ったの、気付いてる?」
「えっ、あ」
言われて見ると確かに切りたてっぽい、すっきりした頭をしていた。
「わ、わかるわかる」と言ってこくこく頷くと、呆れたように溜息を吐かれた。「気付いてた」じゃなくて「わかる」だったのが不満だったらしい。
「ずっと隣の席なのに薄情じゃない?」
軽く小突かれて笑って誤魔化す。
「わかってるってば、下の名前も知ってるし」
「そりゃクラスの半分くらいは俺のこと下の名前で呼んでるからなー。知らなかったら相当だよ……」
そんなことを言っているけれど永井はこの間もクラスメイトの女子が少し遠くから「蓮、蓮」て大声で呼んでいたのにしばらく気付かなかった。しばらくして「俺か」と言って振り返って、みんなに笑われていた。
こいつは既に相当というか、大概だと思う。
その次の日に席替えがあった。
学級委員がくじを作って、みんなそれを引いた。後ろのほうがいいなぁ。そんな願いをこめてくじを開くと最後尾ではないものの、そこそこ良い場所だった。
「あれ、また隣?」
向こうの方で友達と話していた永井がやって来て、わたしの隣の空いた席に座った。
「よろしくなー」
手をひらひら振りながら永井が言う。ちょっとびっくりした。
「嫌だった?」
「んなことないけど、すごい偶然だなぁと思って……三回連続じゃない?」
永井が目を丸くした。その後細めた。
「偶然なわけねーじゃん」
「えっ、偶然以外にあんの?」
また目が細まった。今度は口元も歪んでいる。なにその顔。
「たとえば好きな奴がいるとしてさぁ」
「えっ、永井いるの?」
「だから、たとえば」
永井みたいな奴が恋愛とかすると、どんな感じなんだろうか。ちょっと気になる。それから意外にもショックも受けた。急に永井が遠くに行ってしまうような、寂しいような気持ち。いや、でも永井だし。たとえばって言ってるし。まともに受け止めてもとぼけた反応を返すやつなのだ。話は半分に聞こう。
「俺はセンサイだから、ストレートに行けないわけよ。だからちょっと探って、迷惑そうにしてたら引く」
「繊細なんだ。すごい鈍そうだけど」
そしてそれと席替えの偶然の関連性はどこにあるのだろう。
永井がまた呆れたように溜息を吐いた。
「ていうかさ、須藤、ニブくね?」
「は? 永井には言われたくないよ」
「いや、須藤激ニブだよね」
「鈍くないって」
「本当にそう思ってんの?」
「え、つまり、どういうこと?」
「もーいい……」
永井は
そうして、授業が始まってもずっとわたしと反対側の窓の方を見ていて、しばらくしたら寝てしまった。
わたしはその隣で悶々と考える。
永井はぼんやりしたやつだ。
佐々木さんの名字は覚えてなくて、自分の名前が呼ばれているのになかなか気付かない。この間も英語なのに数学の教科書を机に出していて、先生が来るまで気付かなかった。
でも、わたしが教科書を忘れた時に、わたしより先に気付いて机を寄せてきたことがある。
あれ、永井って結構、
そんなはずはない。
つまり、どういうことかと言うと……。
「須藤、髪切った?」
言われた時の声が蘇る。
さっきの会話も合わせてちょっと思い付いたことがあったけれど、確認する勇気が出ない……。というか、永井の方が見れない。なんでだか心臓がうるさくなってきた。頬が熱い。
帰宅してその夜わたしは前髪を切った。
ほんのちょっとにしようとしたら、結構切りすぎた。
翌朝教室に入ると永井はもう席にいた。
けれど、相変わらずそっぽを向いて頬杖をついている。昨日からずっとこんな感じだ。
小声で呼んでみる。
「蓮」
ぴくり、隣の永井が動いた。
そうしてギギギと音がしそうなほどゆっくりと振り返る。
「今なんて……」
「おはよう、永井」
「今名前で呼んでなかった?」
「うーん、どうだったかな……」
すっとぼけて言うと永井が、ふん、と鼻を鳴らした。
「ねえ、永井、わたし髪切ったのわかる?」
「……前髪……。切りすぎじゃね?」
「なんでわかるの? 永井のくせに」
永井はまた不貞腐れた顔をして溜息を吐いた。
「お前はいつもそーだよ……」
「鈍いってなに、はっきり教えて」
「俺が前に間違えたふりして須藤のお茶飲もうとした時も、なんの反応もなかったし……」
「え、あれわざとだったの?」
「一年の時も、朝須藤のクラスに入って行って長々話した時も、なんも思わなかったみたいだし」
「え、あれ間違えて入ったんでしょ?」
「……」
だんだん永井の目が冷ややかなものになっていって、ちょっと慌てる。
「あ、でも言わんとしてることは分かった!」
「本当に?」
「うん、もうちょっとはっきり言って欲しいけど……」
「はっきり言ったら応えてくれんの?」
「考えなくはない」
「……」
「あ、嘘! 応える! 応えたい、な!」
「分かった……言うわ」
永井が息を吸い込み言葉を発しようとしたその時、視線を上げると彼のすぐ背後に担任がいた。
「お前ら、イチャつくのは休み時間にしろ……」
周りを見ると全員席についてわたし達の方を注目していた。もうホームルームが始まる時間だった。
担任が呆れた声でこぼす。
「お前らふたりとも、なんでそんなにぼんやりしてるんだよ」
永井君はぼんやりしている。 村田天 @murataten
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