最終話 満月の下、魂は還る
「結局、「ファング」が憑いていたのは京子さんだったってことなのね」
私が言うとケヴィンが「たぶんそうっス」と返した。
「京子さんは、自分を襲った狼が「ハウラー」じゃないってこと、知ってたんです。聖人は狼の違いをよくわかってましたから。一方、京子さんの事件の後、「ファング」は凶暴さから他の狼たちに疎外されるようになりました。ついには檻を破って山の中に逃げ、聖人もファングのことは諦めざるを得なくなったんです」
「諦めるといっても、野生化した「ファング」をそのまま放っておいたら危険じゃない?」
「はい。狼に襲われた京子さんのお父さんも、自分を襲った狼が「ハウラー」じゃなくて逃げた「ファング」だと知り、ハンター仲間を総動員して山狩りを決行したんです。一方、狼同士の霊的なネットワークで山の中の動物たちにも「ファング」は拒絶されていました。やがて弱って山麓をうろついていたところをハンターに撃たれ、「ファング」は死にました」
「その時に悪霊になった?」
「たぶん。いつ奴が京子さんに憑りついたかはわかりませんが、京子さんは自分やお父さんを襲ったのが「ハウラー」ではなく「ファング」だと知っていて警戒心を持っていたはずなんです。それでも憑りつかれ、奴に精神を支配されました。それだけ「ファング」の霊力が強かったんだと思います」
「日本に来た目的は?復讐のため?」
「そうじゃないかと思います。「ファング」に徐々に精神を支配されていった京子さんは、憎むべき相手が聖人とハウラーだと思いこむようになったんです。帰国した京子さんは、ステーキハウスの店長やチンピラなど聖人の知人を襲い、ついには聖人本人を自分のマンションに軟禁するようになったんです」
「じゃあ、あの「弟」だと言っていた呻き声は聖人のものだったのね」
「……だと思います。その時、聖人の中にはやはりアメリカで死んだ「ハウラー」の霊がいましたが、気性がおとなしく聖人ともども京子さんに支配されてしまいました」
「京子さんっていうのはつまり「ファング」のことね?」
「そうです。俺はチンピラの事件の後、現場に行ってみました。そこで偶然、現れた京子さん――つまり「ファング」に襲われました。その時、俺の中にいるコヨーテ「アロン」が、いち早く京子さんの中の「ファング」の臭いを嗅ぎ取りました。同時に「ファング」も俺の中にいる「アロン」の気配を感じとっていたと思います。同じころ、聖人の中の「ハウラー」も徐々に目覚め始め、「ファング」は俺と聖人――つまり「アロン」と「ハウラー」の両方を始末する策を練り始めたんです」
「やっぱり、あなたも狙われていたのね」
「奴はまず、京子さんの同棲相手を襲って重傷を負わせた後、それをあたかも聖人の仕業であるかのように見せかけ、次に襲われるのは京子さんだと俺に思わせました」
「私もそう思ったわ。まんまと敵の思惑に嵌められてたってわけね」
「ええ。「ファング」は京子さんを使って俺をおびき寄せると、「ファング」の霊が聖人に憑りついているかのように思わせたんです。それで「ファング」と「アロン」が戦った時、初めて「ハウラー」が目ざめて「ファング」に牙を剥いたんです」
ケヴィンは長い説明を終えると、力を使いきったように月の消えた暗い夜空を見上げた。
※
「……どう?何か思いだせそう?」
雑居ビルの駐車場で、ペットショップの男性店員は「駄目です。思いだせません」と頭を振った。
ひょっとして空振りだったのではないか――私は弱気になる自分を感じた。
「霊に憑りつかれて犯行に及んだ」などという仮説で容疑者を現場に同行させるのはさすがに無理があったかもしれない。そんな懸念を抱きかけた時、ふいに周囲が明るくなった。空を見ると切れた雲間から鏡のような月が顔を出したところだった。
「う……ううっ」
男性店員は呻き声を漏らすとその場に膝をつき、両手で顔を覆った。
「……そうだ、あの晩、彼女に会った時もこんな満月だった。……月を見た瞬間、僕の中に獰猛な何かが飛び込んできたんだ」
「それで?その獰猛な「何か」は、あなたに何をしたの?」
男性店員はぶるぶると震えながら私の問いに「わかりません」を繰り返した。
「気がついたら目の前に彼女が倒れていたんです。早く救急車を呼ばなきゃ、そう思いながら、足が勝手に駆け出していました。まさか彼女が死ぬなんて思わなかった……本当に何も覚えていないんです」
「ファング」だな、と私は思った。隣のケヴィンに目を向けると、ケヴィンも頷き返した。
「本当です、信じてください」
何度も繰り返す男性店員に私は「わかってるわ」と声をかけた。
「あの時、あなたは病気だったのよ。私たちもできる限りの証言をするわ」
「本当ですか?」
男性店員は涙にぬれた目で私たちを見た。一年前、通り魔に殺害された飯森早苗は、強い霊感を持つ女性だったという。彼女こそ、「ファング」が最初に選んだ標的だったのだ。
聖人と京子、共通の友人だった早苗は、京子を見て中にいる「ファング」の邪悪さに気づき、「ファング」もまた早苗を危険人物だと判断した。そこで以前、早苗に告白して振られた新井という男性店員を使って彼女を亡き者にしようと企てたのだ。
「ファング」は京子の身体を抜け出して新井に憑りつくと、新井の意識を支配したまま早苗を殺害、実行直後に新井の身体を抜け出して京子の中に戻ったのだ。殺害の一部始終を新井が覚えていないのも無理はなかった。
「ポッコさん、見てください、あれ」
そう言ってふいにケヴィンが駐車場の一角を指さした。そこには白く輝く女性の姿があった。女性はふわりと宙に浮くと新井の前に移動し、透き通った指で新井の涙を拭った。
新井は自分が殺害した女性の気配を感じとったのか突然、両手に顔をうずめて号泣し始めた。新井の様子を見届けた早苗の「霊」は、淡く微笑むと白く輝く光の球に変化した。
「……よし、無事成仏したようだな」
少し離れた場所でカロン――朧川六文が呟いた。同時に六文の背後から骸骨の顔を持った霊――死神が現れ、光る球体と化した早苗の魂を手招きした。死神は早苗の魂を両手で包みこむと、再び六文の中に姿を消した。
「カロン、これでいいのよね?」
「……ああ。ただ事件を解決したのはポッコとケン坊だ。俺は関わってない……いいな?」
カロンが口の端を歪め、同意を促すように私たちを見た。私がケヴィンに「それでいい?」という意味の目線を向けると、ケヴィンはいくぶん後ろめたげな笑みを浮かべて頷いた。
「ポッコさん、兄貴……俺、アメリカでも日本でも、どこかずっと独りぼっちな気がしてたんです。「アロン」もそんなコヨーテでした。だから寂しい者同志、一緒にいたんだと思います。でも、そんな変わり者の俺でも聖人や京子さんを放ってはおけなかったんです。一人になっちゃいけない、「ファング」みたいに誰彼構わず牙を剥いちゃいけないって」
「一人じゃないさ。……なあ、ポッコ」
六文がいつもの本気かジョークかわからない口調で私に問いかけた。私は珍しく素直に頷くと「そうね」と笑い返した。
「さあ、これで未解決事件が一つ片付いたわ。明日はお休みを貰って、また頑張りましょう。……ケン坊、引きこもってる暇はないわよ。いい?」
私が少しだけ厳しい口調で言うと、ケヴィンは私をまっすぐ見つめ「はい」と言った。
「このくらいでダウンしてたらダディに殺されちゃいます。特務班に休みはないっス」
「その通りだ、ケン坊。無事成仏できるまで、そう簡単に一人にはしてもらえないぜ」
月が再び雲間に姿を隠し、私とケヴィンは六文の背中を追って闇の中を歩き始めた。
〈了〉
冥葬刑事カロン EXTRA SEASON 1 独りぼっちのコヨーテ 五速 梁 @run_doc
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