第13話 猛る牙、虚空に散る


「最初に俺が疑問を抱いたのは、ステーキハウスの植草さんが襲われた直後でした」


 ケヴィンは私の前を歩きながら、ぽつりぽつりと語り始めた。


「日本に戻ってきて聖人と再会できた時、昔のことはさておき単純にうれしかったんです。……でも、植草さんが獣みたいな物に襲われたと聞いた時、俺は一瞬「まさか」とも思いました。向こうにいた頃、植草さんは頻繁に俺たちの狼を見に来ては「譲ってくれ」としつこくねだってましたから、聖人自身は何の恨みも持っていなくても「何か」に憑りつかれていれば事件を起こすことはあり得る――俺はついそんな疑いを持っちまったんです」


「それはあなた自身にもコヨーテの霊が憑いていたから?」


 私が問うと、ケヴィンは無言で頷いた。


「いつか聖人に聞かなくちゃと思いつつ、俺も警察の仕事が忙しくなって疎遠になってたんです。ところがこの前、一年前の未解決事件の聞きこみで「人狼」の話が出てそれでつい、いても立ってもいられなくなって……」


「自分一人で調べ始めたってわけね」


「……そうっス。今思えば刑事失格ですよね。でもその時は無我夢中だったんです。まず俺はチンピラが襲われたって言う事件の現場に行ってみました。そこでいきなり狼の霊らしきものに襲われたんです。あまりに急で正体は掴めなかったんスけど、相手も俺に霊が憑いてると知ってひるんだのか、アロハを噛みちぎっただけでどこかに消えちまいました」


 私ははっとした。それであの資材置き場にケヴィンのアロハがあったのか。


「それで俺はチンピラに脅されたっていうペットショップの女性に話を聞いたんです。そしたら興味深い事実がわかって……」


「興味深い事実?」


「はい。ペットショップの店員は、俺たちが最初に追っていた未解決事件の被害者、飯森早苗の友達だったんです。女性店員は早苗に協力してもらい、あまり社交的じゃなかった聖人をよく食事に連れだしていたそうなんです」


「えっ……じゃあ聖人は早苗とも顔見知りだったってこと?」


「はい。なんせ早苗は獣医を目指していたそうですから、同じ動物好きで話が盛り上がると女性店員は考えたんでしょう」


「じゃあ、三つの事件……いえ、京子・アンダーソンも加えたら四つの事件すべてに聖人か関係していることになるわ」


「だから聖人に直接聞いて確かめたいんです。事件は聖人に憑りついている「ファング」の仕業なのかどうかを」


 ケヴィンは一気に話し終えると憔悴したように項垂れたまま、暗い路地を歩き続けた。


                  ※


「どうしたの、ケン坊?」


 突然、立ち止まったケヴィンの背に私は思わずそう呼びかけた。


「ここです、この建物の中にいます」


 そう言ってケヴィンが目で示したのは、冠婚葬祭の看板が掲げられた大きな建物だった。


「この中?……そうか、これって空き物件ね。倒産した斎場を根倉にしてたってわけか」


 ケヴィンは門をくぐって敷地に足を踏み入れると、そのまま玄関の前に立った。次の瞬間、ケヴィンの身体からもやのようなものが立ち上ったかと思うと、中の灯りが消えているのも関わらず、自動ドアが開いた。


「……ついて来て下さい」


 ケヴィンは肩越しに振り返ってそう告げると、薄暗いホールへと入っていった。調度が取り払われたホールは、がらんとしたただの空間だった。ケヴィンは奥の階段の前まで来ると、足を止めて上を見上げた。


「二階です。聖人はそこにいます」


 ケヴィンの後を追って階段を上ってゆくと、足元から寒気のような物が這い上ってくるのが感じられた。近づくと私にも邪悪な霊の存在がわかる、そういうことなのだろうか。


 階段を上り切った私たちは、廊下を進むと突き当りの扉の前に立った。この向こうに聖人と京子がいるとして、ケヴィンはどうやって「ファング」の霊を説得するのだろう。


「行きます……あっ」


 扉を開けて中に足を踏みいれた途端、ケヴィンが声を上げた。後に続いた私も気づくと驚きの声を上げていた。ホールの奥にいたのは床に倒れ伏している京子と、その傍らに呆然と立っている一人の男性だった。


「聖人……」


 ケヴィンが漏らした一言で、私は男性が探し続けていた神谷聖人であることを知った。


「ケヴィン……俺は……」


 聖人がそう呟いた、その直後だった。足元から白いもやが立ち上ったかと思うと、たちまち巨大な狼の姿になった。


「ファング……やはりお前か」


 押し殺した呟きと共に今度はケヴィンの背中から別のもやが現れ、狼に似た獣になった。


『……があっ』


「アロン、気をつけろっ」


 ケヴィンが叫んだ瞬間、二体の獣は互いめがけて跳躍し、空中で激しく絡み合った。


 やがて「ファング」がぐわっという咆哮と共に飛び退き、聖人の方に引き返し始めた。


「アロン、追うな!」


 空中で揺らめきながら唸り声を上げている「アロン」に、ケヴィンが制止を命じた。


「ファング」が消えると聖人はがくりと項垂れ、向きを変えて奥の扉の方に歩き始めた。


「待つんだ、聖人っ……ポッコさん、京子さんをお願いします」


 ケヴィンはそう言い置くと、聖人の後を追い始めた。私は京子に駆け寄ると、ぐったりとなった身体を抱き起こした。


「京子さん、京子さんっ……大丈夫ですかっ?」


 私が肩を掴んで揺さぶると、京子がうっすらと目を開けた。


「あ……刑事……さん」


「よかった、意識があるのね。歩ける?」


 私が耳元で問いかけた、その時だった。いきなり京子が大きく口を開け、私の肩に激しく噛みついた。


「痛いっ!……何をするの、京子さん?」


 驚いて目を見開いた私の前に、さらに信じがたい光景が出現した。京子の背後から、先ほど消えたはずの「ファング」が現れたのだった。


「これは……どういうこと?」


 私が肩の痛みに耐えながら疑問を口にした、その時だった。京子の噛む力が急に消え、そのままぐらりと後方に倒れるのが見えた。


「京子さんっ」


 私は咄嗟に京子の身体を支えると、床の上に横たえた。顔を上げると空中で「ファング」と別の狼とがもつれあっているのが見えた。



 ――「アロン」じゃない。……あれは一体?


「……やめろ、ハウラー。今のお前に奴は倒せない。……戻るんだ」


 弱々しい声と共にケヴィンに支えられてこちらに向かってきたのは、何と聖人だった。


 二体の狼は火の玉のようにもつれあいながらホールの中を飛び回り、やがて一方の獣が力尽きたように弾き出された。


「……ハウラー!」


 白いもやに戻った「ハウラー」が聖人の身体に戻ると、残った「ファング」が完全な狼の姿になってホールの床に降り立った。


「まずい……「実態化」を覚えてしまった。霊としてではなく「本物の狼」として直接、俺たち全員を襲うつもりだ」


 ケヴィンが押し殺した声で言うと、その言葉を裏付けるかのように「ファングが吠えた。


「……みんな、下がってて」


 私はそう言うと、全員を庇うように前に進み出た。


「ポッコさん駄目です、殺されちまいます!」


 ケヴィンが叫ぶのとほぼ同時に、私の身体の前に透明な翼が出現した。


「……ぐあっ」


 唸り声を上げて私に襲いかかった狼は、翼にはじき返されて床の上に転がった。いつまでもつかはわからないが、こうなったら「鳩」に守ってもらうより他はない。覚悟を決めて狼を睨みつけたその瞬間、狼が口から紫色の煙を吐き出して私に浴びせかけた。


「……ううっ」


 煙を浴びた直後、私は全身から力が抜けるのを意識した。……そうだ、これは以前にも見たことがある。……確か「亡者」の吐く「毒の息」だ!


 私が力尽きてその場に崩れると、狼が勝ち誇ったように咆哮した。


 ――もうだめだ。私は一人として守ることができなかった……


 あらゆる気力が萎え、覚悟を決めたその時だった。突然、空気を揺さぶるような轟音が聞こえたかと思うと、狼の身体がぐらりと傾いだ。


 ――……今のは、何?


 慄きながら倒れ伏した獣に目を遣ると、身体の中に小さな赤い輝きが透けて見えた。


 ――スケルトンマグナム!


 そう気づいた瞬間、獣の身体が眩く輝き、凄まじい音と共に四散した。


「……まさか、カロン?」


 振り向くと、銃を構えた男性が少し離れた場所で不敵な笑みを浮かべて立っていた。


「動物の悪霊は専門外なんだがな。……こいつは出張手当を請求するしかなさそうだ」


              〈最終話に続く〉

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